ただの部屋 〜序の口〜
20時05分 埼玉県秩父市 JHEL B2F 駐車場H区域
研究所の敷地内。南西よりにある、よく見るようなコンクリート作りの味気ない建物。
職員や来客が主に使用する駐車場の地下、さらにそのまた奥に一台の車が停車している。
後部座席の窓が塞がれた、ワンボックスタイプの営業車。その中には荷物がそれなりに積まれており、運転席、助手席、あるいはフロントまたはリアウィンドウを入念に覗き込みでもしない限り、その車に乗る人物全員の顔を確認することは難しいだろう。
つまり、隠したい客人を運ぶには好都合な車両だ。
その”特別車”の後部左側のドアが開き、一人の男が降りてくる。
彼を出迎えたのは、この研究所トップの”敏腕秘書”だ。
彼女は車を降りて微妙な表情を浮かべる男に挨拶をした。
「…研究所へようこそ。サリンスキー顧問。」
「…ねぇ、一つ言っていい?」
「はい?」
「入念すぎない?君たち。」
アダムのツッコミはもっともだ。彼はここに来るまでに4回ほど車を乗り換えている。最初は赤坂のホテルロビーで落ち合い白いワンボックスで横浜へ。喫茶店で小休止して、近隣の地下駐車場にて黒塗りのセダンに乗り換えて港区高輪へ。高輪では雑居ビルに入り30分ほど待機し、通信機器の電源を全て切ってから銀のSUVに乗りさいたま市へ。あとは、市内の立体駐車場で先程の営業車…
完全に悪役の手はずだ。それも手練の。映画のような行動に、彼が辟易としていたことは想像に容易い。
彼を出迎えた古湊も、そこまでやる必要があるのかと考える真っ当な一般人の一人だ。
彼女は苦笑いしながら彼に話す。
「まあ、趣味なんでしょうね。幹部の。」
「…それってクジヤのことか?」
「…語弊を恐れず申し上げると、所長はその中では下の方になるかと…」
「…ローゼンハイムね…あの”魔族”…」
アダムは気味が悪いと言った感じで目を反らす。それに古湊はさもありなんという雰囲気だ。
二人は人気のない駐車場から、同じく人気のない通路へと歩き始めた。
その道中もはっきり言って異様だ。階段を上がったかと思えば下がり、エレベータに乗ったかと思うと1階移動したら降りる。さらに右に左に前に後ろにと研究所を練り歩くように移動を続ける。唯一わかることは、決して”地上階”は通らず、”地下”だけで移動を行っているという所だけだ。同じ場所もあまり通っておらず、狭くもないが広くもない研究所によくこれだけ通路をこさえたものだとアダムは思っていた。
5回目くらいだろう下り階段を通り、通用口から白い床と打ちっぱなしの壁の薄暗い廊下に出たところで、古湊は突然歩みを止める。
そしてアダムの方を向いて告げた。
「さて、私の案内はここまでです。少々お待ち下さい。」
「…また変わるの?”うち”でもここまでしないよ…」
アダムはさらにげんなりと肩を落とす。移動車両の取っ替え引っ替えでも察しが付くように、案内人もそれなりに変更されている。こちらは古湊を入れると通算6人だ。次に来る人員で7人目になる。
アダムは同期の話を思い出していた。そいつはある機密に関わる政策のタスクフォースメンバーで、キーパーソンとなる人物に意見を聞きに行ったときのことだ。今回とほぼ同じ手順で安全を確保していた。
”数字”は今回のほうが若干多い。彼は自分が関わった”案件”か”組織”、どちらが危ないのか考えあぐねていた。
程なくして、通用口から一人の男性が顔を出す。彼は古湊と軽く挨拶を交わした。
一方、アダムはその男の顔を見て驚いた。なにせ米国では”有名人”だったからだ。
「…ミカ、待たせたな。」
「いえ。今付いたところです。」
「…驚いた。”伝説の少将”にお目にかかれるとはね。」
「なんだその捻りのない称号は。」
アダムの驚きに満ちた言葉に率直な気持ちをぶつける中年男性。顔には歳のせいと言うには険しい皺と、頬や額に薄っすらと残る”傷跡”。眼光は鋼鉄を射抜くほどに鋭い。鍛えられた体躯は、機敏な動作と綺麗な姿勢により、その真価を物語る。彼はアハーンという米陸軍の退役軍人だ。未だにくすぶる中東から東南アジアに跨るテロ組織との戦い。その中で類まれなる統率力と才覚により幾多の激戦をくぐり抜けた猛将だ。
最年少での昇進記録も幾度と塗替え、統合参謀本部議長待ったなしと言われた模範的英雄軍人は、ある日突然退役した。それを聞いた”ロバ”や”象”は自分たちの仲間にしようと躍起になったが、程なくして米国を出てしまい、その後音沙汰がなくなっていた。
そんな彼が研究所で、アダムの道案内をするというのだ。それも、”RHSC”というバッジを付けて。
状況が飲み込めず言葉に困っていたアダムに、アハーンは手招きをしながら言った。
「さて、アダム…だったかな。こっちだ。」
薄暗い廊下を足早に歩き始めるアハーン。アダムは慌ててその後を追う。
二人は薄暗い廊下を少し進む。すると鉄製で厳重なロックが設置された重厚な扉の前に来た。アダムはいよいよ本丸に突入するかと緊張の面持ちになる。
が、まだ先は遠かった。指紋に虹彩、PINに通行カードとこれでもかと認証手順を踏んで開かれた部屋は、ただのサーバールームだった。
…と思い一瞬落胆の表情を浮かべたアダムだが、すぐにそれが正しくないことに気づいた。”ただの”なんて言葉に似つかわしくない程度には、大規模なサーバールームだったのだ。
10m程度はある高い天井に、公共のプール施設のように広い空間。部屋の四方には中二階の形で通路と事務室が設置されている。その下階では、並び立てられた2mほどの鉄製ラックに、冷却ファンの唸りを上げるサーバーがきっちりと収納されていた。稼働状態のサーバーには無数のLANケーブルや光ケーブルが接続され、アクセスランプが忙しなく点滅する。数十本単位で張り巡らされたケーブル類は綺麗にまとめられ、ラックのフレームを這うように設置されている。
アダムはその様子に、以前シリコンバレーで見学した”サーバーファーム”を思い出す。民間の組織で、尚且”自前”でこの規模のものは滅多にない。それに、あの財団が立ち上げたここを含んで世界に3つある研究所では、内部の公開をほとんどしていない。彼は、奇しくもその一端を見た数少ない部外者となったのだ。
だが、そんな光景も今は関係ない。アハーンはその歩みを止めず、サーバールームの奥へと進む。アダムは彼に置いていかれそうになり、また足早に彼を追いかけることになった。
サーバーが巻き起こす騒音により人の気配はあまりせず、鋼鉄製の床が歩く度に甲高く響くだけだ。
アダムはアハーンに追いつくと、思わず問いただした。この部屋も通り過ぎるだけとなると、どこを目指しているか解らなくなったためだ。
「…准将。どこに行くんだ?」
「”ただの部屋”さ。」
意味深な言葉と表情にアダムが戸惑いを感じていると、程なくしてサーバールームの最奥へと到着した。
そこには、鉄製扉があった。防音ドアらしく重厚でドアノブも大きくい。そして、その手の部屋のご多分に漏れず、二重ドアとなっていた。
アハーンは開けるのに少し力のいる1枚目の扉のノブを勢いよく上げる。するとすぐに2枚めの扉が現れる。今度は電子キーロックだ。ただ、単に暗証番号を入力するだけの扉の存在は、この研究所のセキュリティからすると逆に異質に思えてしまうとアダムは考えてしまっていた。
2枚の重厚な扉を通った先にある空間は、殺風景な打ちっぱなしコンクリートむき出しの味気ない部屋だった。奥にはドアが一枚だけあり、その手前に空港でよく見るゲート型の金属探知機に得体の知れない機械、そしてその傍らに無機質な机に椅子が備え付けられている。
様子を一瞥したアダムは次にかけられる言葉を予想する。そしてそれは当たった。
アハーンは机の上に置かれたプラスチック製のトレイを彼に差し出して言った。
「…じゃあ、ここに通信機器、電子機器、紙にペンといった筆記用具の類は全て出してくれ。」
「まるで収監されるみたいだな。”いい気分”だ。」
「…なんなら、”身体検査”もするかい?」
「いや、遠慮願おう。」
やっと目的の場所に着いた。”記録できる物”を全て差し出せというその言葉がその証左だった。
アダムは手早くトレイに携帯、スマホ、スマートウォッチ、メモ帳を出す。
彼は全てを出すとそれをアハーンに手振りで伝える。それを確認したアハーンは、アダムの体を上から順に入念に弄り確認した。アダムはその様子に、収監されるみたいだと言った自身のジョークが、あながち間違いではないように思えてしまう。
程なくしてアハーンが頷き、アダムに奥の扉を指さしながら言った。
「よし、ゲートを通ったら目の前の部屋に入ってくれ。すでに全員待っている。」
「…やっとか…しかし、俺は厄介な連中と関わったようだな…」
「そう落ち込むな。味方であれば悪くないさ。」
面倒この上ない道中、到着後の右往左往、さらに犯罪者さながらのボディチェック。
アダムはその行動に辟易としていた。疲労感もそれなりに感じている。
彼がとぼとぼと歩きながらゲートを通ると、問題ないことを示す青ランプが点灯する。
それと同時に突然ドアが開いた。顔を出したのは、彼を招いたここの”主”だ。
「やあ、アダム。面倒かけて悪いね。」
3時間弱後、アダムはこの疲労感はまだまだ序の口であると同時に、病的とも言えるこれらの行動が必要だったことを思い知ることになる。
19/5/19:誤植と、簡単な加筆修正




