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他領訪問~東方領~ なんだこいつは

5月24日 9時44分 茨城県上空


この3週間で何度目かわからない空の旅。搭乗する機体はいつもの多目的支援機U4だ。久慈屋はこれで都合5回、この機体に乗ったことになる。予定では、東方領の帰りにまた搭乗するのであと1回は乗る。

思えば、西方領も北方領も、荒天にはならず安全そのものだった。異常事態とそれに付随する多忙な日々を、窓から見える澄んだ青空で少しでも忘れられる。空の旅の利点と言える。


しかし、今日は全く違う。機内の雰囲気は最悪だ。原因は、”彼”である。


「貴様!?私は東方領を代々治めるローディア家7代目当主、ジョン・ローディア公だぞ!!その取って付けたような礼はなんなのだ!?」

「…大変、申し訳ありません。」


相応に鍛えられていはいるが小柄で威厳とは程遠い出で立ちの中年男性。横柄な態度と共に汚い表情を浮かべ、その腐敗した口腔から唾液を飛ばして乗員の空自隊員に怒鳴り散らす。もちろん内容は言いがかり以外の何物でもない。

これが東方領主というのだから、彼の領民やまともな部下には同情の念を禁じ得ない。

もちろん、彼に怒鳴られ続けている隊員にもその感情が集中している。


「…彼、大丈夫かな?」

「彼らは手も口も出せない。そういう仕事だ。見るに堪えないがな。」

「…ねぇ、なんか、彼にお詫びの気持ち伝えられない?王国人としてなにかしたいの。」


「そうだな…日本特有の手振りだ。相手の顔をしっかりと見据えて、顔の前で手を合わせて、申し訳無さそうな表情を精一杯作り、頭を少し下げる。言葉を出さなくとも、それで謝罪の意思は伝えられるぞ。」

「へぇ、それいいね。」

「ちなみに、片手でやれば”申し訳ない”から”すまない”くらいに軽くできる。」


「なんか、手だけで色々出来すぎじゃない?」

「おう。それを使いこなせれば日本で生活に不自由はなくなるな。」


丁度よく席に戻るジル。久慈屋たちの前を通るとき、お決まりの”手刀”を使いこなす。

その様子を見たリリーは笑顔になった。なにせ、実践例を間近で見られたのだ。面白くないはずがないだろう。にしても、日本に来て5年も経ってないのにこの英国女はなんでこうも馴染んでいるのか、ただただ謎だ。

笑い合う久慈屋とリリーを見て、ジルはもちろん話しかける。自分が原因とも知らずに。


「な?」

「すごいわねぇ…」

「え?なに?」

「いやな、今ちょっと日本の」

「父上それは!!」

「ふざけるんじゃないこの小童が!!!」


久慈屋がジルにそれを説明しようとしたとき、今までで一番大きい罵声とともに、”液体音”が機内に響き渡る。その衝撃に、全員の時が止まった。久慈屋は慌てて前の座席に目をやる。

そこにはコップを握りしめながら震えるジョンと、その中身をぶち撒けられても静かに、しかし無表情に彼を見つめる空自隊員の姿があった。

圃場は冷や汗をかきながら手を胸前に掲げた状態で固まり、和泉はメガネに手をやり必死に状況を把握する。背を向けて、”雑音”を遮断していたアミナでさえ、その雰囲気の変容に思わずその騒ぎの元に顔を向ける。

凍りつく機内。その注目は、ジョンと空自隊員二人に集まる。

どうすれば良いのかと各々が考えあぐねる中、久慈屋はふとリリーの顔に目をやった。そして息を呑んだ。

彼女の表情が、今までにない様相を呈している。これは一言で現すなら、”憤怒”だ。非常にまずい。

久慈屋が静止するのも間に合わず、リリーは脱兎のごとく席を立った。もちろん、同じ雰囲気を纏ったアミナも一緒だった。


「もう我慢できんあの愚図が…!」

「り、リリー!待て!」


普段の平々凡々な学識ジャンキーの平和なリリーは、今は王国の重要人物として祖国の威厳を保とうとする、西方領主の伯爵次女、リリー・ウェストへと変貌していた。

止めようとした久慈屋の手を払い除けて、ジョンの元へと足早に駆け寄る二人。リリーはジョンが彼女に気づくと同時に、腰に挿している魔導杖を”抜刀”した。そして、怒りから恐怖へと変貌した視線を持つジョンの眼前へとそれを突き出す。

そんな彼女が合わせて繰り出した口上は、威圧感に満ちており、相手に畏怖を抱かせるには十分だった。

ジョンも必死に応戦するが、全くもって勝ち目が無いようにしか見えない。なにせ、彼の声は端々で裏返り、嵐が過ぎ去るのを待つ子犬のような雰囲気を纏っていたからだ。


「先程から黙ってみていれば、貴様の行動はあまりに目に余る!それが王国四方領の一端を治める者の行いか!?」

「な、何を西方変人の次女風情が!?」

「威勢しか能がない愚図領主が!王国の恥さらしであることが未だ解らぬか!?」

「なんだと!?」

「言ってもわからんなら身をもって知るがよかろう!!」


今までに見たことのないリリーの怒気には、慌てて後を追った久慈屋もあまりの気迫にたじろいでいた。

しかも、額にに青筋を立てたリリーが魔法を使い始めてしまったのだから、さらに触れづらくなってしまった。リリーの魔導杖からは淡い光が一筋、ジョンの首元へとまとわりつく。光が首を一周すると同時に、彼は口を開けて苦しみだした。その声はゆっくりと潰されるウシガエルのようだ。


「ひっ!?がぁっ!?」

「なんだ?こんな初歩的な攻撃魔法も防げないか?先程の威勢はどこに行ったんだ?」


なおもリリーの勢いは止まらない。彼女が魔導杖を少し上に持ち上げると、小柄なジョンの身体は宙に浮き、そのまま背後の扉へと押し付けられる。その音に、扉の向こうにある操縦席にいる空自隊員は何事かと目を見合わせた。

ジョンの顔が徐々に青黒く、口から漏れる音は声とも形容できないものへと変わる。

さらにリリーが魔法を強めたからか、二人の周りさえもほんのりと光が灯り始めた。

ここでやっと久慈屋が正気に戻り、リリーの肩を掴んで自重を促す。


「おい!それ以上魔法を使うな!機体にどんな影響があるかわからないんだぞ!?」

「…今ここで、協力関係にある日本の兵士に狼藉を働いたと、首を跳ねても良いんだがな?」

「アミナも煽るんじゃない!!」


久慈屋の声にも、眉一つ動かさずにジョンに制裁を加え続けるリリー。久慈屋が心配しているのは小汚いおっさんではなく、航空機の方だ。魔法は、現時点では何らかの方法で物理法則に介入してその力を発揮すると推測されている。それが事実なら、電子機器の塊である現代の航空機内で魔法が炸裂した場合の影響は全くもって未知数だ。例えそれが、無害な魔法であってもだ。

アミナは止める気もなく、ただ無表情にジョンを見つめ、リリーの行動に理解を示す。

歯止めが居ない。そう感じた久慈屋は、無理矢理にでもこの場からリリーたちを引き剥がす他ないと考え、その助力をジルに目配せで頼む。彼女は少し考えて、仕方がないという表情で席を立とうとした。

そこで天の助けが入る。ジョンの席の右隣の青年が立ち上がった。

そして、リリーが魔導杖を掲げる右腕に手をおいて、丁重にお願いした。


「…ウェスト嬢、そこまでにしていただけないか?」

「ダン、なぜ今まで黙って見ていた?」

「…私は次男。父上は伯爵で領主だ。」

「であれば、諭すのもお前の役目だろう?」


彼はダン・ローディア。彼の言葉の通り、ジョンの次男だ。

彼は王国軍近接大隊の第一分隊長を勤めていた。今回の訪問で、自信の故郷が気になると帯同を請願して聞き入れられたためここにいる。

当初、久慈屋はダンが同行することに少し懸念があった。彼は久慈屋がアミナたちと初遭遇した場に居合わせており、そこでは異常なまでに久慈屋たち日本を帝国の手先と勘違いして目の敵にしていた。

その口調から、その後の第一回実務者協議で暴れるジョンが彼の父親であることを知った時、血は争えない事を改めて実感した記憶がある。


しかし今の彼はどうだろうか?

慣れない飛行機に乗っているからか若干警戒心が強いようだが、その口調は冷静沈着だった。

あの頃とはまるで人が違う。その様子に久慈屋は目を丸くしていた。

事前打ち合わせで同行の話が出て懸念を示したとき、リリーやアミナが口を揃えて言った。

”彼は変わった”と。久慈屋は、この言葉の意味を、このとき初めて理解できた。


リリーとダンがしばしお互いを見据えたまま沈黙した後、リリーが根負けして魔法を解除する。

その瞬間、辺りに出ていた光は消え失せ、ジョンは床へと崩れ落ちた。

尻を強く打ったジョンは間抜けな声を出し、床に蹲りながら汚い咳をしばらく出し続けている。

ダンはそんな父親を介抱しながら声を掛けた。


「…父上、空走船に乗り感情が高ぶるのも理解できますが、そこの学者男が言うように危険も伴います。ここはおとなしくするのが上策であると考えます。」


少しして咳がおさまり始めたジョンは、ダンの顔を睨みつけるように見据える。

しかしダンも全く目線を動かさずに、父親に自制を黙したまま訴えた。

傍から見ている久慈屋の目にも、ダンの表情の説得力は有り余るほど感じる。

少しして、ジョンはこれみよがしな溜息をつく。どうやら、ダンの言い分を汲んだようだ。

知的生命体として最低限の知力はあるようだと、久慈屋は思った。


「わかった!…いいか、次はないぞ!?」

「それはこっちの台詞だ戯け者!」

「リリー!!」


全くもって状況を弁えていないジョンの捨て台詞に、リリーは再び怒気を孕んだ表情で一刀両断した。

また手が出そうだと判断した久慈屋は、咄嗟に彼女を静止するように大声で名前を叫ぶ。

緊張感が溢れる機内。身体を貫き通すその鋭利な雰囲気に、沈黙が重くのしかかる。

ここでまた機転利かせたのがダンだった。彼はジョンの肩を抱えると、今まで自分が座っていた窓際に座るように促した。


「父上、窓側の椅子にお座りください。このような景色、他貴族に聞かせたら注目の的です。」

「そ、そうか…まあ、私は、このような天空が怖いわけではないからな!」


なんともうまい誘導だ。自尊心がオーバーフローした面倒くさいおっさんに、今は自分たちしか体験できないであろう風景を目に焼き付け、それを他者へ自慢しろという内容。

お決まりの虚栄心溢れる台詞と共に、ジョンは少し”気合を入れて”、窓際の席へと腰を下ろした。

その様子を見た久慈屋は、リリーたちにも”終演”を言い渡した。


「リリー、アミナ。席へ戻れ。」

「…わかったわ。」


無表情で自席へと戻るリリーたち。それを見届けた久慈屋が振り返ると、ふとダンと目があった。

その表情は未だに久慈屋に対する警戒心が現れているが、以前のような無駄な跳ね返りは全く感じさせない。

久慈屋もここは大人の対応をするべきだと判断し、ダンに対して言葉をかけた。


「…ダン。礼を言うよ。」

「貴様のためじゃない。実際に、私もこの中で魔法を使用されるのが危険だと判断したからだ。」

「それだけで十分だ。」


まるで”絵に描いたような裏返し(ツンデレ)”の返答だが、ここは言葉通りの意味で取るのが正解だ。

しかし、彼に何があったのだろうか?あまりの変容には寒気すら覚える。

久慈屋は後でリリーに経緯を聞くことを決め、自席へと戻ろうとする。

その時、偶々ジョンの怨嗟に満ちた独り言が耳に入ってしまった。


「…技術だけの野蛮人共が…直に私にひれ伏すんだ…」

「…」


久慈屋は、その言葉が妙に気になる。”なにか”考えているのだろうか?

もちろん変なことをしでかせば破滅しかないのだが、それくらいは理解していると思いたい。

ただ、東方領訪問前の打ち合わせで、カーリン王女が放った言葉が頭をよぎった。


”愚者は愚行を最善と考える”


言葉としては全くもってそのとおりだ。でも、それがなぜ今思い起こされたのだろうか?

東方領主の人間性を論ったとき、そのあまりの悪評に、正常化バイアスのような気分で”デッドライン”は超えないだろうと、久慈屋が言い放った場面で出た言葉だからだろうか?


…いかん、駄目な兆候だ。久慈屋は頭を振って考えを切り替える。

そしていつもの疲れ顔に戻り、自席へと足を進めた。

自席に着いて腰を下ろすと、ジルがニヤニヤと久慈屋を見ながら楽しそうに話し始めた。


「いやぁ、面白かったなぁ〜」

「…笑い事じゃない。流石にその冗談は気に入らん。」


流石に久慈屋は真面目な表情でジルのおちゃらけた態度を戒める。

それだけ事態は逼迫していたのだ。まさかそれが理解できないような愚鈍ではないだろうという表情だ。

ジル自身も流石に軽率だったと考えた。


「…ごめん。でも、あれでおとなしくなったかな?」

「多分な。どうも、飛行機が”苦手”らしい。」


久慈屋の皮肉めいた”解説”に、ジルは態とらしい表情で、大げさに理解を示す。

彼女の今の表情に声をつけるとすれば…”Ah”だろう。中々癇に障る雰囲気だ。



なんとか収まったが、各々に微妙な雰囲気が残る空の旅となっていた。



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