消えた南方領 〜古い友人のち検証部会〜
5月20日 13時33分 埼玉県秩父市 JHEL3F 所長室
「へぇ、うまそうだな。俺は数回しか食ったこと無いや。」
「”ええ、非常に美味ですね。友人の海兵隊員がよく話してましたから、日本に来たからには一度は食べたいな、と。”」
久慈屋は右手にボールペン、左手に昼食のクラブサンドを抱えながら、電話のスピーカーにて話を続ける。
電話の相手はアダム・サリンスキー。青森で会った米国大統領政策顧問だ。
彼とはパイプをつなぐことを約束した。必要な情報はまず彼に流すという条項もある。
なので、早速”伝えておいたほうが良い事柄”が出てきたので、こうして連絡をとった。
彼は今、赤坂周辺のバーガーショップで佐世保バーガーを食しているらしい。
あまりにも優雅な昼食に、久慈屋は正直な感想を述べる。
「しかし、あんたも多忙だろうに悠長だな…」
「”息抜きは大事です。クジヤも昼食中でしょう?”」
「…書類仕事も並行してるよ。器用なもんでね。」
「”それは大変ですね。”」
なにせ、久慈屋は所長でありながら、この1ヶ月日本中を飛び回っていた。結果、稟議に決算に財務報告、人事査定に陳情苦情と、書類が日本アルプスと見紛うほどの塊を形成していた。
今日は1日研究所にいる。今のうちにこの山を均しておかないと、後々地獄を見る。
優雅な昼食なんてしばらく取れそうにない。その事実は久慈屋の精神衛生を著しく害し、深い溜め息を誘発した。
電話の向こうのアダムは、アイスミルクコーヒーを啜りながら”本題”を切り出すように促した。
「”…で、そんな世間話のために電話したんじゃないでしょう?”」
「ん?ああ。実はな、今回の案件で米国に関わる情報を掴んだので話したいと思ってね。何時会えるかな?」
「”…それは、”どちらの条件”ですか?”」
「ん〜、電話じゃこれ以上言えないな。俺はFBIもCIAもNSAも嫌いなんでね。」
「”…彼ら意外とナイーブなんですよ?言葉選んであげてください。”」
久慈屋が米国の情報機関や捜査機関が大嫌いであることは、理由の半分にしからない。
もっとも、この内容を聞きつけたら彼らは光の速さで飛んでくるだろうが。
ただ、そうなると非常に面倒なことになるので、話の場を設けたいことをアダムに伝える。
しかし彼も一筋縄ではいかない。情報の内容を少しでも知りたいのは、理解にたやすい。
「”しかし、それだけではちょっと…”」
「…じゃあ、こう言えばいいか?…”古い友人が会いたいと言っている”。」
ホワイトハウスでは、なにか重要で火急な要件が発生したときに、上級スタッフに対して”合言葉”を設定している。それを聞くと、今どんな仕事を抱えていてもすぐに足を運ぶ必要がある。
今の大統領はかつてのドラマに影響を多分に受けていて、その劇中の台詞をそのまま合言葉にしていた。
なぜ久慈屋が知っているか?それは企業秘密だ。
アダムは心中穏やかではない。その言葉を聞いたときは非常に面倒な事態が進行していることを意味する。
久慈屋が、その重さを理解していないわけがない。だからこそ、その重大さを認識してしまった。
アダムは溜息を軽くついたのち、テーブルに肘をつきながら電話に小声で話しかける。
「”…なるほど、分かりました。場所はどうしますか?”」
「あとでメールする。14時から会議だ。19時までには一報入れるから。」
「”わかりました。お待ちしております。”」
とりあえず、日程を調整しよう。さらには、”デコイ”と”部屋”も用意しなければ。
電話機のボタンを押して通話を終了した久慈屋は、増えた仕事に思いを馳せる。
ただ今は書類仕事をのんびりとやろう。久しぶりの事務仕事だ。ここ最近の慌ただしさからすると、この書類の山が天国の雲に見えてくる。
ちなみに、会議は14時からではない。15時からだ。
そのくらいの息抜きは許されると、久慈屋は思っている。
15時06分 JHEL2F 第9多目的室
「…ごめん、遅れた。」
「いえ、今から始めるところです。」
「そうか、じゃあ、早速お願い。」
窓の少ない、ちょっと小さい会議室。必要最小限の人数が、この部屋に集っていた。
人員は人類学、社会学、歴史学、それに遺伝や医学の専門家たち。神話の考証は人類から歴史学が、それに付随する現時点で判明している科学的見地を補強する。
それを久慈屋とジルが、責任者として纏める。それがこの集まりの目的だ。
痩せ型長身の七三分け青年が、立ち上がり話し始めた。
「では、”13の始”検討検証部会を開始致します。進行は人類学班の丸内です。まずは、お手元の資料を御覧ください。」
全員が手元の書面をめくる。そこには先日、久慈屋たちが東方領主のバン伯爵が語ってくれた、あちらの世界の始りを記した神話が書かれていた。
”破滅の渦中、創主は我らを加護された”
”大地は動き海は割れる。我らは創主と共に籠で千代に過ごす”
”創主は言った。大地の怒りが鎮まると”
”大地の怒りが鎮まり、我らは創主から任ぜられた。新を紡げと”
”1300の13の使徒、1300の知恵無き物者、大地に降り立つ。我らで新を紡ぐ。”
「…以上が、南方領主バン伯爵より開示された、王国が存在した世界の…いわゆる創世神話です。」
「なんか、ありがちだな。天変地異に、試練の日々…乗り越えて、すべてが始まる。」
神話とは、結局は”困難を乗り越えて皆が平和になった”というのを、荘厳で回りくどい言い回しで取り繕った自慢話という見方がある。久慈屋自身は、その感覚に賛同している。
リリーは文章を読み終えると、丸内に言った。
「…ねぇ、これだけじゃないんでしょ?」
「はい。この先が、南方領主の一族が代々秘匿されていた”神話補遺”になります。」
丸内が別の書類を出し、皆に回した。
最初の一節は、実は王国全体で共有されているものだ。
今回南方領主は、一族のみに伝わる機密を開示してくれた。
”創造主は願う。過ちを繰り返すことなかれ。”
”創造主は誓う。過ち起こるとき手を下す。”
”創造主は黙す。時が来るまで我は静寂を愛す。”
文章を読み終えた一同。しかし、なんとも言えない雰囲気に包まれる。
久慈屋やジルはその違和感に疑問の声を挙げずに居られなかった。
「…んん?」
「なーんか、いけ好かないわねぇ、創造主。」
「いや、それもあるんだが…なんかおかしいな?」
全体に伝わる創世神話と、秘匿された神話補遺。同じ神話体系のハズなのだが、なぜか雰囲気が違う。
長年に渡り語り継がれる神話という類のものは、その時代や語り部により文節が変容してしまうことが多い。
だから、最初と最後で言っていることが変わるというのはよくある。
しかし、この違和感はそういうものではない。なにせ、”具体的すぎる”のだから。
変容や欠落という雰囲気が全く無い。その理由を丸内が教えてくれた。
「その通りです。なぜなら、この神話補遺は”南方領一族のみ”が受ける天啓の内容だからです。」
「は?天啓?」
「はい。聞き取り調査により、それは夢遊状態による幻聴と思われました。」
「…え、過去形?」
「…南方領主は恐ろしいですね。自身一族の1400年に渡る歴史を口頭伝承で全て暗記しておりました。」
補遺は”天啓”。南方領の一族のみに伝わる儀式で、ある日その言葉を授けられる。
その儀式の様子を聞く限り、極度の疲労状態からくる一種の酩酊に陥った上での白昼夢や幻覚症状のように思えた。
それまでに、少しでもその話を聞きかじっていれば、そこで記憶が呼び起こされてそういう声を聴くのは不思議じゃない。こちらでも、カルト宗教の常套手段として行われている。
ただ、丸内たちの調査で、どうもそれが正真正銘の宗教的体験である可能性が高くなってしまった。
丸内がその理由を説明する。
「この天啓を受けるのは5歳。それまで、神話補遺は一切教えられません。」
「…逆に、口頭伝承だからこそってわけか。」
「そういうことです。さらに、この神話には歴史に寄る変異が見られません。つまり、”確実なソースにより”その整合性が常に担保されているのです。」
「…おいおい、これを”事実”として考えろと?」
何らかの存在が、彼らの意識に介在して、補遺の一節を教えてくれる。
非科学的すぎて笑いが出る。久慈屋の正直な感想だ。
ここでジルがあることに気づいた。その表情は嫌悪感を隠せていない。
「…うわぁ、なんかいやなことに気づいちゃった。」
「なんだよ?」
「その補遺を事実として考えると、彼らの世界は”インテリジェント・デザイン”が有力になるんじゃない?」
「はぁ!?おまえ!?」
ジルは久慈屋たちにその仮説を説明する。何らかの存在が天変地異から彼らを保護し、それが落ち着いたら大陸に種を戻す。そしてその繁栄が道を誤らないように、一部のみにその伝承を伝え続ける。
全て、”全知全能”のような存在が居なければ、それが成立しない。
もちろん、ID論なんて久慈屋たち不可知論者の敵だ。そんなものを受け入れられるわけない。
しかし、反論すればするほど、ジルの仮説が補強されてしまった。
しばらくの議論のうち、久慈屋は顔に手を当ててため息を付いた後に、吐き出すように言った。
「…くそ。反論できん。」
「だって!口頭だろうが文章だろうが、変容や欠落が落ちて当たり前の神話が、1000年以上正確に記録されてるのよ?」
「…あと、”数字”が具体的すぎます。」
議論に一人、率先して入らなかった人がいる。遺伝子学の研究者である、船場だった。
彼はジルの説に賛成のようだ。その根拠として、神話に出てくる数字を上げた。
「具体的?」
「”1300の13の使徒、1300の知恵無き物者”ですよ。これ、字面ままで受け取れば、1300の個体数を持つ13種族と同じく1300の個体数を持ついわゆる動物が、地殻変動の終息した大地に…」
「放牧された?」
「…せっかく言葉を選ぼうと思ったのに。」
久慈屋の心無い一言に船場は苦言を呈する。
久慈屋は少しだけ申し訳ない表情を浮かべ、船場に説明の続きを促す。
「この1300という数字が曲者です。種族が繁栄するのに必要な最低個体数は、概ねこの数字なんです。」
「ますます実験農場じみて来たな…」
ある種族の繁栄には、必要な個体数が存在する。色々な条件、例えば気候変動に遺伝疾患、その他諸々の神の見えざる手を加味しない場合、一つの種族が繁栄するのに必要な個体数は1300から1500となる。
気持ち悪い一致だ。
妙な議論疲れにより、検証部会は散々な雰囲気だった。
しかし、神話が”事実”であり、それに付随した可能性も事実であると考えたほうが、後々の調査も進めやすいだろう。その現実は、リアリストである科学者たちには辛いものだった。
久慈屋は議論の持ち越しを提案し、全員が了承する。皆が疲労困憊だった。知恵疲れというやつかもしれない。
各々が席を立ち上がり、部屋を後にする。
しかし、久慈屋はある考えがまとまらずに、席を離れる気になれなかった。
そんな彼をジルは気遣う。
「…クジャ、何を考えてるの?」
「…”彼ら”の”誰”に、”どう”伝えようかね?」
「あぁ…」
神話開示の条件。その調査結果を、王国人に伝える。
…まだ時期尚早だろう。久慈屋は深くため息をつき、その時機を待つことにした。




