消えた南方領 ~海中遊泳~
5月15日 6時11分 神奈川県横須賀市 海上保安庁第三管区
横須賀海上保安部
二人の船員が足早に係留中の船内を進む。
彼らの会話は、先程の”お達し”の内容についてだ。
「なんでしょうね、この通達…」
「小笠原諸島西方200kmから400kmの海上に、数千~数万程度の漂流者がいる可能性あり…悪戯じゃないのか?」
「…政府からなんですよ、この通達。」
突然の通達。そして、超大規模な範囲に大量の要救助者の可能性。
おかげで早朝から”動ける船はとりあえず出せ”という状況になってしまった。
ただ、それがどれだけ大変なことかは、プロの彼らが一番良く知っていた。
しかも、これは本部から緊急。出処を探ると、相当”上から”ということがわかった。
「なんにしろ、うちだけじゃ無理だろ?数も領域も桁違いだ。」
「第四、第五に海自まで総動員するらしいですよ。」
「”総動員”か…全くもって、”アレ以来”わけのわからん状態が続くな…」
第三管区は関東から小笠原諸島方面までを管轄する。それだけではなく、その西隣の名古屋に本拠地を置く第四管区や、神戸に本部のある第5管区まで動員されている。そして、もちろん海自の横須賀と呉にも命令が言っているらしい。
これらが事実ならば、太平洋側の主要な海上保安組織や戦力がほぼ動くことになる。
彼らの長い一日が始まった。
11時11分 高知県南方沖300km 太平洋上
「…確認できません。」
「捜索を続けろ。」
第五管区神戸海上保安部所属のPLH-07は、偶々遠洋を航行中だったためにこの捜索活動にいち早く割り当てられた。なにせここは太平洋のど真ん中。普通であれば、到着に数時間かかる。
「…しかし、情報が少なすぎるぞ…」
「たしかに、もう少し特徴などがあればいいんですが…」
命令を受けてからの数時間。ずっと捜索を続けているが、正直言って埒が明かない。
なにせ、その漂流者がどのような格好なのかも、状態さえもわからない。
ただ”いるだろうから探してくれ”というなんとも抽象的な情報しかないのだ。
現場では、徐々に微妙な雰囲気が流れ始めていた。
14時08分 小笠原諸島西方沖222km
第三管区横浜海上保安部所属のPL31巡視船も訓練で航海中だった一隻だ。これから横浜に引き返すというところで、この捜索に放り込まれた。
ただ、彼らも数時間少ない情報で闇雲に探していた結果、神経はすり減っていた。
「…一度、仕切り直すか。0-1-0へ。」
現船長は、常に眠そうな顔をしている中年男性だった。その指示には覇気が全く感じられないが、不思議と彼を慕うものは多い。いわゆる稀にいる不思議な雰囲気を持った上司タイプだ。
そんな彼も、流石に今回の命令にはボヤキを隠せない。
「…対策本部も研究者も好き勝手言ってくれる。海は広いって知らんのかね…」
海難救助とはかなり難易度が高い捜索活動だ。なにせ、どこまでも続くだだっ広い大海原から要救助者を一人見つけ出すのは、数千万の針山の中から一本だけ金の針を探せというのに等しい。彼らはその手のプロではあるが、それでも困難なことには変わりない。
それに、海で”迷子”になるというのは、ほぼ死を意味してしまう。どれだけ鍛えられていても、海の中に一人で浮かんでいられるのは1日が精一杯だろう。
海は、過酷なのだ。だからこその、船長のボヤキである。
ただ、たまに妙なめぐり合わせが起こることもある。
「…ん?」
レーダーを見る航海士がちょっとした異変に気づく。
レーダーには、やや高い波や他の船舶などもよく映る。しかし、そこに見慣れぬ何かが、写った気がした。
彼は隣の航海士補にそれとなく確認を取る。
「今何か映らなかったか?」
「え?」
「ここらへん。何か、波とは違ったような…」
波はすぐに消える。形もいびつで、ひと目で分かる。
船であればその船型がよく分かる形がレーダーの画面に浮かび上がる。
ただ、彼が見たのは明らかな”点”だった。
二人の航海士がレーダーを凝視していると、再びその”点”が浮かぶ。
「あっ」
「…観測ブイじゃないのか?」
「いや、それにしては影がでかい…多分、大人一人より一回り大きい…」
観測や船舶の航行把握にも使用されるブイもレーダーに映る。それも点として出てくる。
しかしこの点は大きい。大人一人が、すっぽりと入れるくらいの大きさだ。
その事実に気づいた航海士は、狼狽えるよりも早く報告のために大声を張り上げた。
「11時の方向!正体不明の反応有り!」
15時11分
「…人が入っている?…」
その物体はすぐに見つかった。それは、曇りガラスのような見た目の球体だった。
しかし質感はガラスではない。プラに近いかもしれないが、すぐには思い浮かばない素材だ。
なによりも特筆すべきなのは、その中に明らかに”人”が入っていることだ。
中肉中背の30台男性で、俗にいう”神官”のようなローブを身に着け横たわっている。
顔立ちからすると明らかに日本人ではない…というより、”こちらの世界”の人ではない。
つまり、これがあの謎の通達により捜索が命じられた対象の一つというわけだ。
一人が工具を持ち上官に尋ねる。が、”どうなるかわからない”ものには、なるべく触れたく無いというのが人間だ。
「…壊しますか?」
「いや、待て。慎重を期したほうが…」
「…見てください!」
周囲に判然と響き渡る”音”。それは、得体の知れない球体にヒビが入ったことを彼らに理解させた。
ヒビは徐々に広がり、複数の亀裂が球体を数周したところで、その強度限界に達したのかバラりと砕け散った。そして、球体に閉じ込められていた彼は、力なくその場に放り出される。
「…わ、割れた…」
「…お、おい!容態を確認!」
誰かが声を荒げた。この船が、海洋上で緊急を要する傷病者の救助を行う活動である洋上救急の”慣熟訓練”を行っていたのは本当に幸いだった。
提携医療機関の医師と看護師が、この巡視船に乗船しているのだ。
彼らは訓練の手筈通り、速やかに放り出された彼の容態を確認する。
ただ、彼の状態はひと目で良くないと分かるものだった。あの顔の白さは、命ある生物のものではないと、経験のある何人かは感じていた。
医師は彼の手首と頸動脈に手を触れる。が、やはり表情はすぐれない。
指示を出した航海士が、医師に確認を取る。
「どうだ?」
「…脈がありません…」
「…やはりか…」
すでに1分ほど手を当てている。それで脈が無いということは、意味することは一つだ。
医師はその権限において、”宣告”を行う必要がある。それで、初めて法的にそれが決定する。
そのために首から手を離そうとしたときだった。
「…え?」
「いや、今1回打ったような…あれ?…」
1回だけ、脈が動いた。ただ、人間は死後直後は、その神経活動の名残から生きているような動きをすることがある。このような状況であれば、熟練した医師である彼がそれを見誤るのも無理はない。
しかし、ここで決めつけては、”後に続く”ものがなくなるかもしれない。
そんな思いもあってか、続けて脈を見る。するとどうだろうか?
また小さく1回、そしてさらに間を開けて、1回。神経伝達の残り香にしては、その動きは”周期的”だった。
医師は静かに航海士を見つめる。そこで、航海士も一つの望みをつなぎたいと思った。
「…モニターに繋いでみるか?」
「…そうしましょう。」
医師はテキパキと準備を進め、ポータブルの心電図モニターを起動する。
彼の胸に電極を取り付けると最初に警告音が鳴り響く
心電図とは、心臓の動きを波形で捉える。その波形に異常があれば、このように警告が鳴る。
医師も警告が鳴るような状態であることは重々承知していた。
なので、モニターの設定を変更して、警告がならないようにした。
そこで改めて落ち着いて確認する。そして、ありえないような状態が判明した。
「…1分間に、3回!?」
「これは…生きてると言えるのか?」
「…わかりません…こんなの…」
たったの3回。本来であれば1分間に60〜100回程度のそれが、1/20しか出ていない。
しかし脈は常にその周期を保つ。死んでいるとも言えないが、生きているとは到底言えない。
医師は困惑するしかない。そんな彼に航海士は、とりあえず船内に運ぶことを提案した。




