米国騒乱 ~広がる混沌~ 2
13時09分(JST-13) ニューメキシコ州サンタ・ローザ
「マーティン?」
老齢ながらも、長身で体躯の強靭さを感じさせるほど姿勢のいい鼻下に白いひげを蓄えた警察官が、カウンターに座りながら自身の無線機を入念にチェックしていた。早朝の勤務開始からどうも調子がおかしい。ニューメキシコの極々小さな都市警察が持つ予算は微々たるものであり、コストカットの波はとうとう無線機にまで来たかと彼は憂いていた。
20代を軍人として過ごし、除隊後の31歳からの数十年を警察官として過ごした彼のその憂鬱な気分は、彼に呼びかける声を一切遮断するほどだ。一向に反応を示さない彼に業を煮やした中年の女性店員は、より大きな声を彼の傍で張り上げた。
「マーティン!!」
「っなっ!?…脅かすなよ…」
「何が脅かすなって?自分で頼んでおいて…」
「…いや、すまん。」
驚いたマーティンは思わず憤るが、遅めのランチ持ち帰りを頼んでおいて呆けていたのは彼の方だ。自身に非がある事をすぐに理解したマーティンは、すぐに申し訳なさそうな顔をして言葉短めに詫びを入れた。気の強そうな女性店員は、憮然としながらも彼の頼んだサンドイッチとフレンチフライのセットが入った袋を彼に差し出してレジへと向かった。マーティンはそれに着いていき会計を始める。その途中、意趣返しと言わんばかりに彼は店員からお小言を頂戴する羽目になった。
「全く。警官はしゃきっとしてほしいね。こんな状況だってのにさ。」
「無線の調子が悪くてな…そういや、テレビは?」
心もとない弁明をするマーティンは、話題をそらしたくて片隅にあるテレビを指さした。本来であれば地元のケーブルテレビを垂れ流しているそれが、今日は電源が切られている。職業柄、些細な変化を見つけてしまう彼はそれが気になった。だが、その話題に女性店員はさらに不機嫌な様子になった。そして、マーティンが差し出した代金を鷲掴んでレジスターに放り込んだかと思うと、のしのしとテレビに近づいてスイッチを付けた。テレビには砂嵐と、合間に移る番組とが9:1くらいの割合で映し出される。
店員は仁王立ちのような姿でマーティンに向き直ると、彼にあてつけるように言った。
「おたくの無線と同じだよ。昼前からまともに映りゃしない。」
マーティンは少し失敗したと思っていた。暇つぶしのテレビがないと、彼女は少し機嫌が悪い。彼は分の悪さを理解して、さっさと退散し、パトカーの中でささやかなランチに勤しむ決心をする。だが、それははかない夢となった。彼がランチの入った袋を手に取った時、店の外が急に騒々しくなる。マーティンが様子を伺うと、どうやら男も女も何かを見やるや、悲鳴交じりにどこかへ走り出してしまうのだ。
「…騒がしいな?」
「ほら、あんたの仕事だよ。」
女性店員はその様子を注意深く見守りつつも、ぶっきらぼうな態度を崩さずにマーティンに言った。彼は致し方なく店を出る。そこで改めて観察すると、やはり周囲の人々は、何かから逃れようとしているようだ。あるものは車に乗り込み、人を轢き殺すことも厭わないほどの急発進をして、見た方向とは逆に走り去っていく。人々が恐怖を抱く何かが迫っている。マーティンがその方向を見ようとしたとき、目の前の街灯に一台の車が突っ込み停車した。
彼は驚いて数歩あとずさりしていまう。だが、すぐに車に駆け寄り運転手に怒鳴った。
「おい!なんて運転してんだお前!」
運転手は、車内でただただ慌てふためいてた。シートベルトが絡まってもそれを気にせず、いや、気づかずにドアを開けようとする。極度のパニックにより5歳児でもできるような動作もままならない様子だ。少しして、マーティンの怒鳴り声に気付いた彼は、マーティンが警察官であるか認識しているかどうか怪しい雰囲気で声を張り上げた。
「に、逃げるんだよ!あれを見ろ!」
運転手の男は車の後方を指さす。マーティンはそれにつられてそちらに目をやった。するとどうだろう。青と白と紫が艶めかしく気色悪い絡まり方をした光の壁が、視界いっぱいに飛び込んできたのだ。彼は一瞬理解が追いつかず間の抜けた表情をして呟いた
「…なんだあれは…」
たまに顔を出す教会の神父であれば、絶対こういうだろう。”黙示録”、と。
あの光に触れた時に見るのは地獄であろう。マーティンは無力感を孕んだ恐怖を心の底から感じていた。しかし打ちひしがれるにはまだ早い。彼は自身が警察官であることを思い出し、安全を守る行動をすぐに思案し始めた。
そこに、悲鳴のような叫び声が木霊する。
「た、助けてくれ!シートベルトが!」
「…間抜けが!」
その声の方向に顔を向けると、先ほどマーティンが怒鳴り散らした車の運転手が、まだシートベルトと戯れていた。マーティンは悪態をつきつつも、彼に手を貸して車から引きずり出す。運転手は社外に転がり出ると、礼も言わずにそのまま走り出そうとした。
だが、マーティンはその腕をつかんで静止する。これは、彼を守るための行動だった。
「おい!あの速さじゃ逃げられない!あそこの地下に行くぞ!」
つい先ほどは3マイルは先にあった光の壁は、数百メートルの目前まで迫っている。
車で逃げ切れる速さではないことを、マーティンはすぐに理解し、先ほどランチを受け取ったレストランへと運転手を伴って駆け出した。
13時32分(JST-13) ニューメキシコ州ロズウェル
「中尉!全域がパニック状態です!」
「怯むな!!避難誘導に徹しろ!!」
1時間前にロズウェルに到着した州兵の中隊は、突如として現れた光の壁から逃げ惑う市民を安全に保護することを突然求められていた。だが、蟻の子を散らしたような市民に統制など効かず、混乱が混乱を呼ぶ負の循環へと陥っていた。
光の壁の速さを概算した彼らは、逃げ出すことは無理だと判断。近隣のスーパーにある地下室に即席の拠点を設け、配下の兵士には市民に地下への避難を促していた…”細心の注意”を払うことを厳命して。
現状、逃げ惑う市民の突飛な行動の方が危険を伴うためだ。
だが、光の壁がどういう影響を及ぼすのか見当もつかず、この判断が正解なのかと彼らは苛立ちを募らせていた。
「くそっ!あの光の壁はなんだ!?誰か報告を受けてないのか!?」
「問い合わせしていますが…電波状況が極端に悪く、通信がまともに動作しません!」
中隊の指揮を任せられていたアントニオ中尉は、通信兵に細かく状況報告を要求した。だが、もとより情報が少ないうえに、この数十分ほどは通信状態事態が急速に悪化し始めていた。
「…まさか、あれのせいか?」
アントニオ中尉はふと状況を整理し、ある可能性を思いつく。こじつけかもしれないが、タイミングを考えると、あの光の壁が通信にたいして何らかの影響を及ぼしていると考えるのが妥当だった。
だが、その考えをまとめ切る前に、いよいよ恐れていた時が来てしまう。
それを知らせてきたのは、地上で市民の誘導に当たっていた一人の軍曹だった。彼は市民数名を帯同して地下に降りてくると同時に、アントニオ中尉に悲鳴のような報告をした。
「中尉!まもなく光の壁が到達します!」
「…よし、総員…衝撃に備えろ!」
「…衝撃があるんですか!?」
「知るか!」
アントニオ中尉の号令と同時に、兵士たちは一斉に身を強張らせた。地下室にいた市民たちも、それを見て一斉に真似をする。だが、大体の者は顔面蒼白であり、人によっては泣きじゃくっていた。
全員が、わけも変わらず呼吸を止める。それが正しいのかわからないが、誰もがあの気味の悪い光を体内に入れたいと思わなかったのだろう。結果一瞬の静寂が訪れる。それと同時に、光の壁が彼らの間を一気に通り抜けた。
目を見開いてその様子を見続けるもの、目を瞑り小刻みに震えながら頭を抱えるもの、耐えきれず再び泣き叫ぶものなど様々な反応があったが、すぐにそれらは収まった。
皆の身体には何ら影響がなかったからだ。
「…何もない?」
「本当に…光っているだけの壁…?」
急速な緊張の融解は、心ない笑いとなって場を埋め尽くした。人によっては無事を喜び抱き合っている。アントニオ中尉も少し安堵の表情を浮かべるが、一人の兵士の報告により真の影響を彼らも知ることとなった。
「つ、通信機器が動作していません!!」
「俺の無線機もだ!!電源さえ入らねぇ!!」
兵士が無線機を必死に操作する。市民たちはその様子を見て、自分たちのスマホや携帯を取り出す。が、もちろん動作はしない。なにせ、その手の攻撃に対策がされているはずの軍装備で耐えられない何かが起こったのだ。一般市民の機器類が無事なわけがなかった。
「…予想通りか。」
アントニオ中尉は小声でつぶやく。無線に影響が出ていると考えた場合の想定が当たったことに、表情をゆがませた。
13時48分(JST-13) テキサス州ボーイズランチ 北西へ10マイル地点
「通信はまだか!?」
「今使用可能な個体を探していますが…!」
声を荒げるのはトレイナー軍曹だ。絵にかいたような美人であるが故に、鬼気迫る表情をした時の圧迫感は相当なものだ。彼女はガーバー大尉から命令を受けている。何か変化があった場合に、すぐに報告しろと。
そして今。最悪の変化を目の当たりにした彼女たちは、信号弾のほかに、その状況を確実に、そして至急伝える方策を探し続けていた。だが無線は一向に役に立たず、光の壁で無事だった車両は大尉たちに託してしまった。よって、彼女たちの術はこれまた古典的な方法しか残されていなかった。
「…やはり、”伝令”が無事に到着し、ボーイズランチに障害のない機器があることを祈るしか…」
「祈りね…」
数分前に2人のチームをボーイズランチに送り出した。足を使った伝令が一番確実な方法であるという状況には乾いた笑いさえ出る。だが、その唯一の行動も、全て霧消する可能性が、トレイナー軍曹の眼前に広がっていた。
「祈りたくなるな。あんな、”悪魔の軍団”な見た目を見れば…」
20世紀初頭。戦車というものが世に出始めたころに見た、歪なひし形をした、俗にいう”陸上戦艦”のようなそれが、数十台の隊列をなしている。間にはいかにも悪役と言った色味の服装に身を包んだ人…らしきものが確認できた。
現地時間13時55分。帝国は”進軍”を突如として開始した。
桃色が高速道路となります




