144 第一印象
朝。
支度を整えて、リリーと一緒に城へ行く。
オルロワール家の裏口から正門へ通り抜けたとはいえ、結構、遠回りだ。
ウエストストリートを使えるようになれば、新しい家からの方が近いかもしれない。
「いってらっしゃい、リリー」
「うん。いってきます。エルも、いってらっしゃい」
「いってきます」
アレクの部屋へ向かうリリーと別れて、アルベールの執務室へ。
執務室には、アルベールとソフィー、ベルトランが居る。
っていうか。
「なんで、朝から仕事しに来てるんだよ」
「妻は、従者と共に研究所へ行く予定だ。私が立ち会う必要はない」
「心配じゃないのか?」
ベルトランがため息を吐く。
「休みを取得するほど重大なことは起きていない。妊婦と婚姻関係、あるいは事実婚関係にある配偶者が休暇の申請を出来るのは、出産予定日の十日前からだ」
「でも、」
「エル。奥方の出産は、まだ先だろ?いくら双子だからって、安定期の妊婦に大げさな付き添いは不要だ。何かあれば研究所から報せも来るだろう」
この前の様子を見る限り、元気そうではあったけど……。
「これじゃあ、先が思いやられるな」
アルベールが肩をすくめる。
「心配は不要だ。お前は自分の仕事に集中しろ。今日は北の港へ行く予定だろう」
「一緒に行くのか?」
「当然だ」
……連れて行って大丈夫なのか?
予定では、今日、メヘン同盟を組んだモラルタ王国が西南諸国を引き連れて港に到着する。十一日の夜に大陸会議に参加する国賓を招いての晩餐会があるなら、パウリナ国とアルマデル国も十日までには港に着くはずだ。
両国との会談が終われば、すぐに引き返すつもりだけど。明後日まで港に居ることになる。
「エルロック様」
「ん?」
ソフィー?
「失礼ながら。奥様が妊娠された場合、一切、外に出さないおつもりですか?」
「そんなこと……」
「妊娠中でも運動や仕事は可能です。お医者様から安静にするよう制限を受けていない状況で、生活の自由を奪うなんて。最低です」
アルベールが笑ってる。
別に、生活の自由を奪いたいだなんて思ってない。
ただ……。
「ほら、今日の予定はどうするんだ?」
「午後から北の港に出発する。帰還は、メヘン同盟、パウリナ国、アルマデル国との会談が終了次第」
「じゃあ、午後に発てるように馬車の準備をしておこう。御者もこちらで用意する。同行者はベルトランとドニスで構わないな」
「強制はしない。別に一人で行っても良いし」
「お前は、もう少し自分の立場もわきまえろ。皇太子秘書官を一人で歩かせるわけには行かないからな」
「わかったよ」
午前中に仕上げられる仕事をしておこう。
「エル?」
「リリー?」
執務室を出ると、目の前にリリーとライーザが居た。
皇太子近衛騎士の服に着替えてる?
「どこかに行くのか?」
「今日の主命は、エルの護衛なんだ。だから、港まで一緒に行くよ」
皇太子近衛騎士はアレクの傍に居るべきだけど。
……この先、何が起こるかわからないんだから、一緒に居た方が良いか。
「出発は午後だよ。詳しいことは、アルベールに聞いてくれ」
「良いけど……」
リリーが俺の手を取る。
「何かあった?」
……俺の母親と同じことにはならないって。
なるはずないって、わかってるのに。
「少し調べたいことがあるから、今日のランチは一緒に行けないかもしれない」
「わかった」
「午後になったら、執務室で待ってて。港には、ドニスとベルトランも一緒に行く予定だ」
「うん。待ってるね」
※
会議の資料は仕上がった。
会談資料も。
今日、やるべきことは終わった。
「エルロック様、お出かけですか?」
「あぁ。ちょっと図書館に行ってくる」
「御一緒します」
「すぐに戻るから良いよ。午後に備えて休憩に入ってくれ」
「いいえ。お供いたします」
グローザが捕まって、目に見える危険なんてないはずだけど。
大陸会議前だから、関係者の身辺警護を厚くしてるのかもしれない。
「わかったよ。付いてきてくれ」
「御意」
完成した資料をベルトランに預けて、ドニスと一緒に王立図書館へ。
「また、あなたですか。本日は、どのような御用件で?」
「妊娠出産に関する本を探してる」
「ご案内いたしますから、こちらへ」
司書のジョエルが、カウンターの外に出てきた。
「棚の番号を教えてもらえば行くけど」
「図書館の利用方法を覚えていただきます」
聞かなくてもわかるけど。
ジョエルに付いてくと、途中でジョエルが振り返る。
「騎士様も、同じものをお探しでしたか?」
「私のことはお構いなく」
「そういうわけには参りません。次に御案内いたしますから、受付けでお待ち下さい」
「いえ、本を探しているわけではありません。私はエルロック様の護衛中なのです」
「護衛?この方の?」
「はい」
「その官位章は、オルロワール家の騎士様が付けるものですよね?」
「仰る通り、私はアルベール様の近衛騎士です。しかし、今はアルベール様より皇太子秘書官様の護衛を仰せつかっております」
「皇太子秘書官?」
ジョエルが俺の方を見る。
そういえば、官位章、付けてなかったな。
「この方は、魔法部隊の隊員でしょう?」
「違います。皇太子秘書官様です」
「本当ですか?」
「はい。大陸会議に向けて、すでに数々の国と……」
「ドニス」
見上げると、ドニスが口を閉ざす。
大陸会議関連の話しは、極秘事項だ。
「申し訳ありません」
「探してる本は仕事とは関係ない。早く案内してくれ」
「……かしこまりました」
案内された先。
「こちらが、妊娠出産に関わる本を置いてある棚です。こちらは女性向けの資料で、医療関係者向けのものは別の棚にございます」
ジョエルが、本を一冊出す。
「これは、妊娠中の体の変化をわかりやすく解説した本です。人気の本ですから、奥様にもお勧めです」
ジョエルが出した本をめくる。
『どうして、エルが結婚してるってわかったのかな』
『指輪に気付いたんだろう』
『リリーとお揃いの?』
『そうよぉ』
体の変化、心の変化、気を付けなければならないこと……。
「なんで、これが女性向けなんだ?」
「妊娠の不安を軽減する為の知識が詰まったものですから」
「夫婦で読むべきものじゃないのか?」
命を育てる体になること。
これ。養成所で勉強したのとは違う視点の書き方だ。
病気に関する事項は、医学書と併用して読んだ方が良いだろう。
こっちの本には詳しく書かれてるかもしれない。
本棚から本を取ってめくる。……違うな。こういうのじゃない。
こっちは……。
「だめです」
手を伸ばしたところで、ジョエルに止められた。
「良いですか。図書館は皆で利用する場所です。一度出した本は、元の場所に戻すか受付けに返却してください」
『エルは、興味のない本はその辺に散らかすからねー』
ジョエルが落ちていた本を本棚に戻す。
「それから、医療系の本は、別の棚だと説明したはずです」
「じゃあ、案内して」
「もう結構です。お探しのものは私がご用意します」
『とうとう諦められたわねぇ』
『当然だ』
なんで?
「他にお探しのものはございましたか?」
「双子に関する本」
「それは、因習に関する本でしょうか」
「多胎児の出産例が載った奴があったら」
「かしこまりました。探してまいりますから、受付けでお待ちください。……騎士様、くれぐれも、この方が本を勝手に触らないようご配慮下さい」
そう言い残して、ジョエルが歩いていく。
「エルロック様、何か司書の方を怒らせるようなこと、したんですか?」
「さぁ?」
『してるわね』
『毎回、怒らせてるな』
いつも、勝手に怒ってる気がするけど。
受付けに戻って待っていると、ジョエルと一緒にセリーヌが来た。
「エル」
「セリーヌ?」
まだ、昼の休憩には早い時間だと思うけど。
「ジョエルさんから聞いたわ。この本、一冊しかないのよ。うちで持って行って良いでしょ?」
多胎児の出産例が載った本を探しに来てたのか。
「良いよ。夫人の容態はどうだった?」
「順調よ。健康状態に問題はないわ」
「良かった」
「せっかくだから、多胎児の妊娠出産例として、研究所で経過を観察させてもらうことにしたの。全面的にバックアップする代わりに、研究に協力してもらうってわけ」
「良い案だ」
「でしょ?」
「今日から二日ぐらい王都を離れるけど、問題ないか?」
「何が?」
「ベルトランを連れて行く予定だから」
「……」
頭に指を付けて、セリーヌがため息を吐く。
「あんたも忙しいと思うけど。これでも読んで、もう少し勉強したら?」
セリーヌが、ジョエルが持っていた本の中から一冊取る。
医学書だ。
「じゃあ、またね」
「あぁ」
セリーヌを見送って、貰った本をめくる。
症例報告を集めたものか。
「そっちも見せて」
ジョエルが持っていた本をめくる。
……だいたい知ってる内容だし、大したことは書かれてないな。
後は……。
「トリオット物語の最終巻?」
「前回いらっしゃった時は、貸し出し中でしたから」
覚えてたのか。
そういえば、まだ読んでないな。
「最終巻は別で借りたから大丈夫。この二冊だけ貸して」
「では、貸し出しの処理をしますから、受付けにお越しください」
「ん」
※
ランチはドニスと一緒に外で食べて、アルベールの執務室へ。
「エル、ドニスさん。おかえりなさい」
「ただいま。準備は出来てるか?」
「馬車は東大門に用意した。陽炎と浜風も移動済みだ」
陽炎?
浜風も馬の名前だよな。
「リリーとドニスは馬で移動するのか?」
「うん。街道は安全だと思うけど、しっかり護衛するから安心してね」
安心って。
……それが、リリーの仕事か。
※
王都を出発して、街道の街を目指す。少し休憩を取ってから、北の港へ行く予定だ。
馬車の乗り心地も悪くない。
暇だし、本でも読むかな。
「エルロック」
「ん?」
「西南諸国の国々との挨拶は知っているか?」
「知らない。何か特別なやり方でもあるのか?」
「握手の方法が違う。大陸会議では、こちらのやり方に合わせて手を握るが、向こうでは手を握る握手はしない」
「手を握らないのに握手?」
ベルトランが眉をひそめる。
「こちらにはないやり方だから、適当な訳語が存在しない。右手を出して、このように……」
ベルトランが右手で握りこぶしを作って、親指と小指を広げる。
同じように右手で形を作ると、折り曲げた人差し指、中指、薬指が当たるように、ベルトランがこぶしを合わせる。親指と薬指がぶつからないよう、少しずらすらしい。
「友情を。……初めて会う場合や、会った時はこう言う。しかし、別れの時や軽い挨拶では、幸運を、と言う」
「変わった握手だな」
「信仰と関係のあるものだ。蛇の胴体を表すとも、ドラゴンの翼を表すとも言われている。現代では竜の挨拶と言われているな」
言われてみれば、そんな形をしているかもしれない。
「子供だと握りこぶしだけで構わない。大人になると指を開いた挨拶になるという話だ」
「面白いな。南部の国は?」
「パウリナ国も、アルマデル国も握手が一般的だ。古くは別のやり方があったようだが。冒険者が自分たちの挨拶として握手を広め、それが一般的になったらしい」
ギルドの総本山があるだけあって、冒険者の影響を受ける地域らしい。
「それと。もう一つ、気を付けなければならないことがある」
「気を付けること?」
※
街道の街。
「リリー」
「うん?」
リリーの手を引いて、リリーの指に、自分の指を絡める。
結構、難しいな。
手間取っていると、リリーの方が俺の指の間に自分の指を絡めた。
「知ってたのか?」
「うん。貝殻繋ぎだよね」
知ってるらしい。
「グラシアルでもするのか」
「こっちではしないの?」
「聞いたことないな。さっき、ベルトランから西南諸国のやり方を聞いたんだ。恋人としかしない繋ぎ方だって」
だから、リリー以外としてはいけないって。
西南諸国に限らず、西側では一般的なのかもしれない。
でも、背の高さも手の大きさも違うから、少し繋ぎにくい。
「竜の挨拶は知ってるか?」
「竜の挨拶?」
「手を、こんな形にして突き合わせるんだ」
ベルトランに教わった形を左手で作って、リリーに向ける。
「こう?」
リリーが作った右手に、手を合わせる。
「友情を」
「友情を?」
こんな感じでするのか。
「エルロック」
「ん?」
後ろからベルトランの声が聞こえて、振り返る。
「握手は右手が基本だ。それに、家族で握手などしないだろう」
その感覚は同じらしい。
「だってさ」
「わかりました」
そもそも、手を繋ぎながら挨拶なんてしないだろうけど。
「少し休憩したら、北の入口に集合。ドニスも休んでくれ」
皇太子近衛騎士が一緒なら、これ以上の護衛は不要だろう。
「では、私はベルトラン様の護衛を致します」
「私に護衛は必要ない」
「そういうわけには参りません。さぁ、行きましょう」
そう言って、ドニスとベルトランが歩いていく。
「じゃあ、行くか」
「うん」
そんなに時間はないけど。甘いものをつまむ時間ぐらいはあるだろう。
※
屋台でワッフルを四つとタルトを一つ買って、持ち込み自由のカフェへ。
ドリンクの料金に席料が含まれているから、ドリンクを注文すれば、席を自由に使うことが出来る。
「美味しい」
リリーが美味しそうにワッフルを頬張る。
機嫌良さそうにしていたかと思うと、急に表情が陰った。
「どうした?」
「前に来た時は、バニーと一緒に屋台を回って、食べ過ぎちゃったから」
バーニーはリリーの護衛をしてたって言ってたっけ。
「どこも美味いからな。街道の街が発展したのは、ただの王都への中継地点ってだけじゃなく、食い倒れの街として有名になったのもあるんだ」
「それ、すごくわかるかも」
この街に捕まると抜け出せなくなるから、逆に避けて通る旅人も居るぐらいだ。
目の前でワッフルを食べ終えたリリーが紅茶を飲む。
馬に乗っての移動は体力を使うんだから、しっかり食べておいた方が良いと思うけど。これは、半分に割っておくか。
苺ジャムが乗ったタルトを半分に割る。
「……苺?」
気づいたか。
リリーの口にタルトを突っ込む。
「これなら、半分に分けられるからな」
前は、半分に出来なかったから。
「そういえば、前は機嫌悪くなってたな」
リリーが首を傾げる。
「苺を口に放り込んだ後」
リリーが前の時のように俯く。
「あれは、機嫌が悪くなったわけじゃなくて……。エルが、物語みたいなことするから……」
「物語?」
「お話の中で、主人公の好きな人が、苺を主人公の口に入れて、初めて名前を呼んでくれるっていうシーンがあるの」
どこかで聞いたような……。
あぁ、状況が同じだ。
「リリーシア?」
リリーが顔を上げる。
そういえば、前も、こんな風に赤い顔してたな。
膨らんだ頬をつつく。
「リリーで良いんだっけ?」
「……どっちでも、大丈夫」
そう言って、リリーが両手で残りのタルトを口に運ぶ。
可愛い。
手元に残ったタルトを自分の口に入れる。
「甘くない?」
「甘い」
けど、酸味のあるジャムは、紅茶にも良く合う。
「ゆっくり食べて良いよ」
「でも、日が暮れるまでには到着しなきゃ」
日暮れか。
見上げた空は雲に覆われているものの、それでも太陽があるかどうかがわかるから不思議だ。
「まだ光の精霊の時間だな」
「え?見えるの?」
「まさか」
リリーには、きっと見えてるんだろうな。
「そういえば、今日、エルに言われたことを試してみたんだ」
「言われたこと?」
「魔法の色の実験。剣の刃が伸びる魔法をね、撫子色をイメージしてやってみたの」
「結果は?」
「撫子色になったよ」
やっぱり、そうか。
『リュヌリアンで試したら、光が空高く伸びて行ったよね』
「そう。雲を斬ったりはしなかったんだけど……。そんなに魔法の力を込めたつもりはないのに、イメージよりも、すごく伸びたの」
リュヌリアンを使うことで、魔法が強化された?
「月の女神の祝福を受けた結果、リリーの魔法の効果を高める祝福が付いたのかもしれない」
「そんなことがあるの?」
「魔法使いが杖を持つのも、属性に合わせた魔法を強化する為だからな。似たようなことが起きてるんだろう」
「そっか」
ただ、月の女神の祝福で、リリーの魔法が強化されるなんてことがあるのか?
月の魔法自体が、他の魔法を強化する側面を持ってる?
……なんか、イメージが湧かないな。
でも、月の魔法はすべての魔法を反射させることが出来る。その性質を生かせば、分散した光を一点に収束させること……、広がった魔法を一点に集中させ、魔法の威力を高めることが可能かもしれない。
リリーの魔法は広がりやすい性質を持っているみたいだし、それを収束させて放つことが出来るなら、強力な魔法になる。
「俺も見てみたかったな。撫子色の光」
「今、ここでやってみる?」
「だめ」
『駄目に決まってるだろ』
『やめておいた方が良い』
『そうねぇ』
「……はい」
安定して使うには、もっと情報が必要だ。
※
時間通りに合流し、北の港を目指す。
大陸会議が近づいて人の出入りが増えているとはいえ、街道はいたって平和だ。
この分なら、順調に港に到着するだろう。
借りていた本を出す。
「さっきから、何を読んでいるんだ?」
「妊娠出産の本」
読み終わった方をベルトランに渡す。
※
北の港。
丁度、日暮れぐらいか。
借りた本も読み終わったし、のんびり出来た。
馬車と馬は御者が管理してくれるらしい。十日の昼頃に一度顔を出す約束をして、国賓の出迎え組として政務官が滞在している宿へ。
宿の前には、騎士が立っている。
「こんばんは。皇太子秘書官のエルロックだ」
「官位章を見せていただいてもよろしいでしょうか」
官位章を確認すると、騎士が頷く。
「では、どうぞ」
四人で宿に入ると、メイドがこちらに来て、頭を下げた。
ロビーには、他に誰も居ない。
「秘書官のエルロックだ。政務官のケヴィンとアンナは居るか?」
「はい。ただいま、西南諸国のメヘン同盟の代表の方々をお迎えして、会議の最中でございます」
会議中か。出遅れたな。
「誰が来てるんだ?」
「今、いらっしゃるのは、モラルタ王国の第五王女のカリア様、ベガルタ王国の第三王子パロミデス様です」
あれ?
「他は?」
「従者の方々もいらっしゃっております」
「盟主は来てないのか?」
「盟主様は別行動で、まだいらっしゃってないと……」
急に、後ろの扉が開く。
「お待ちください、」
「カリア!早く来て、この騎士に状況を説明してやってくれ」
誰だ?
騎士の制止を振り切って入って来た人物。
王女を名指しで呼んでるってことは、モラルタ王国の関係者か、メヘン同盟の関係者?でも、身分が高い立場にしては、服装が商人にしか見えない。しかも、背中には大きな袋。
「あ」
リリーの声に気付いた相手が、リリーを見る。
「これはこれは。皇太子近衛騎士のリリーシア様ですね」
リリーの知り合い?
『こいつ、リリーがアクセサリーを買った店の商人だ』
腕輪を売っていた商人……?
「あの、どうして私の名前……」
「海での怪物退治に、地上での巨大スライム退治。見事なお手並みでしたよ」
それだけ暴れていれば、街の有名人にもなるだろう。
「そして、あなたが冒険者としても有名なエルロック様ですか」
俺のことまで知ってる。
誰だ?
少なくとも、国賓に近い身分のはず?
「お初にお目にかかります。皇太子秘書官エルロックと申します」
丁寧に挨拶してから、ベルトランに教わったように親指と小指を開いたこぶしを出すと、相手が笑顔で同じ形で手を合わせてきた。
「友情を」
「友情を」
そして、相手が握手の手を差し出す。
こちらの挨拶もしてくれるらしい。握手を返す。
「メヘン同盟の盟主、モラルタ王国第一王子サフィールと申します」
盟主。
身分を確認した騎士が、深く礼をする。
「失礼いたしました」
「王子殿下とは知らず、御無礼いたしました。お詫び申し上げます」
「構いませんよ。彼は自分の仕事をしただけです」
サフィールが笑顔で応える。
「殿下の御高配に感謝いたします」
騎士の方を見ると、騎士がもう一度頭を下げて外へ出た。
どうにも食えない奴だな。
身分証を持っているはずなのに、身分を提示することなく騒ぎを起こしたのは、なんで?
タイミング的に、俺たちの素性に気付いた上で、俺たちを追って来たんだろう。尾行されてる気配はなかったから、この近辺で様子を伺っていた可能性が高い。
「まさか、皇太子殿下の秘書官にお会いできるとは。会議の御準備で御多忙な折り、このような場所にいらっしゃるとは思っておりませんでした」
それは、こっちの台詞だ。
従者も連れずに何してたんだ?
「ここへ来たのは、メヘン同盟の盟主でいらっしゃるサフィール様に会う為です。急ぎ、お話したいことがあります。お時間を頂けますか?」
サフィールが口の端を上げて微笑む。
「それは、ありがたいことです。あなたは友情を交わした私の友。是非、用件を伺いましょう」
「お兄様?」
奥の部屋が開いたかと思うと、ぞろぞろと人が出てきた。身なりが良いのが王女と王子。数名の従者の後ろに居るのが、政務官の二人組ってところか。
「カリア。遅くなって悪かったな」
サフィールが俺の肩に腕を回す。
「私は、この方と話がある」
「どなたでしょう?」
また挨拶のやり直しか。
「皇太子秘書官エルロックと申します」
「皇太子様……、アレクシス様の遣いの方ですか?」
「はい」
リリーに目配せすると、リリーが頷く。
「皇太子近衛騎士、撫子のリリーシアです」
「書記官補佐秘書官ベルトランと申します」
「近衛騎士のドニスと申します」
「皆様、王都からおいで下さったのですね。お初にお目にかかります。私は、モラルタ王国第五王女、カリアと申します」
「はじめまして。メヘン同盟、盟主第一補佐、ベガルタ王国第三王子のパロミデスと申します。ラングリオンの皆様。兄上が何か非礼をいたしたのならお詫び申し上げます」
兄?
「詫びるようなことなどしていないぞ」
「だと良いのですが」
元々、人をからかうのが好きな性格なのか?
「失礼ですが、お二人は御兄弟ですか」
「パロミデス様は、お兄様の従弟です」
「そうでしたか。失礼いたしました」
その口ぶりからすると、カリアとパロミデスは従兄弟じゃないって聞こえるな。
第五王女と言ってるぐらいだし、少し複雑な血縁関係なのかもしれない。
「カリア。そちらの御二人は?」
サフィールが見た方、カリア王女とパロミデス王子の後ろには、政務官が立っている。
「私たちを港までお出迎え下さった政務官の方々です」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、殿下。私は、港で大陸会議に御参加の皆様のご案内を担当させていただいております、政務官のケヴィンと申します」
「同じく、政務官のアンナと申します。メヘン同盟の盟主様。港までお出迎えすることができず、申し訳ありません」
「御心配には及びませんよ。少しばかり早く着いたものですから、ラングリオン王国を観光していたのです」
リリーの活躍を知っているなら、スコルピョンの朔日か、バロンスの三十日には港に居たことになる。
かなり前からラングリオンに来て、情報収集をしてたのか。
「さぁ、エルロック様。ゆっくり話をしましょう」
「私たちも同席いたします」
カリア王女とパロミデス王子が一歩出る。
「構わないか?」
「構いません。こちらも、ベルトランとリリーシアの同席をお許しください」
「二人で酒を酌み交わしたいと思っていたところだが、仕方ない。まずは、盟主としてお話を聞くことにしましょう」
「感謝します」
「では、こちらの応接室をお使いください」
「ありがとう、皆様」
っていうか。
いつまで、肩を掴まれたままなんだ。
これが西南諸国のやり方?
※
どこで、これだけの情報を集めたんだ。
大陸河川に関する情報は、かなり正確に持っていた。リックがばらまいた情報を一番正確に把握していたに違いない。
もちろん、今回、初めて聞く話もあったみたいだけど、話の呑み込みが早いから、説明も楽だ。言語の壁もなく、専門的な言葉にも問題なく頷いてくれる。
むしろ、話に付いていけないカリア王女とパロミデス王子への説明に手間取ったぐらいか。通訳が必要な部分は、ベルトランが上手く解説してくれた。
「大変興味深いお話を聞けて光栄です。大陸河川の選定に当たり、ヴェストリ荒野の治安がご心配とのことでしたが。河川や水源に対する重要性は、我々も十分に認識しております。すでに存在する監視体制でも十分な成果は上げられるものと考えておりますが。恒常的な運用に当たって更なる体制の強化が必要ならば、話し合いに応じる用意はございますよ」
ヴェストリ荒野は、平坦な荒れた土地だ。各地に泥炭地も存在する過酷でやせた土地は、作物の実りに適さず、そこで暮らす人間にとって水は何よりも貴重な資源だ。国家間の争いも水源をめぐるものが多く、要所に存在する水源は国が厳重に管理している。
なんだか砂漠に似てる気もするけど。砂漠では、点在する水源はその地に住む人間が管理し、旅人に公平に分け与えるものだ。
でも、その分、水源を守る意識は高いだろう。
「そう仰っていただけて光栄です。メヘン同盟、および西南諸国の方々は、厳しい環境における高度な水源の維持、管理技術をお持ちでしょう。助言を請うことがあるかもしれません」
サフィールが、楽しそうに頷く。
「それは素晴らしい。我々でお力になれることがあるならば、是非お手伝いさせていただきますよ」
「感謝します」
「では、そろそろ酒宴と参りましょう」
会議は終わりか。
「お兄様。私から、いくつかお話したいことがございます」
「明日には、王都へ向かうという話だろう。彼とゆっくり話すことが出来るのも今夜ぐらいなものだ。それに勝る緊急の要件でもあると言うのか」
言いながら、サフィールが大きな包みから酒の瓶と酒杯を出す。
金属製のゴブレットだ。模様や細工も細かい。これだけで相当な価値がある杯だろう。
でも。
「ピューターのゴブレットですか」
「ご名答。ただし、ご安心を。こちらは、わが国で開発された鉛を一切使用していないものですから」
「触っても?」
「どうぞ」
ピューターは、スズに鉛を加えた合金だ。加工しやすいスズは、古くから扱いやすい金属として知られ、食器など身近なものに加工されることが多い分、強度が低い。その為、他の金属……、特に鉛を混ぜた合金として使われてきた。ただ、近世では、鉛中毒の危険から、鉛を含む合金の食器としての利用は廃れている。
そういった事情から、ラングリオンではガラスや陶器の工芸品を奨励し、現在では、ピューターはもちろん、鉛製品を含む金属の食器利用は禁じられている。
見た目は、古くからあるピューターのようだけど。
鉛を一切使用していない?純粋なスズのみで作られてる?それとも、毒性のない別の金属を混ぜてる?
ゴブレットの脚の裏には印章がある。
蛇が尾を咥える形。
「ウロボロス?」
メヘン同盟の印章に似てるけど、違う形だよな。
「良くご存知ですね」
サフィールが指を鳴らして、インゴットを出す。そのインゴットにも、同じ印章が刻まれている。
「グロリアスピューターです」
「グロリアスピューター?」
「メヘン同盟で厳正に管理された、新しい技術で作られた安全な合金。この印章は、その証です」
「配合は?一体、何の金属が……」
「流石にそれはお話しできませんよ。ただ、鉛をはじめ、毒性があると言われる金属は一切使っておりませんのでご安心を。さぁ、ベルトラン様も杯をどうぞ。パロミデス、お前も一緒に飲もう」
「兄上、皆様はお忙しい身。こちらに付き合わせるわけには参りません」
「一杯ぐらい構わないだろう」
「カリア様も何か……」
パロミデスが振り返ると、何か話していたリリーとカリア王女がこちらを見る。
「お兄様、リリーシア様と少し散歩に出かけてもよろしいかしら」
「もちろん、構わない」
「パロミデス様、しばしの間、お兄様をよろしくお願いいたします」
「……わかりました」
この二人は、盟主のお目付け役なのか。
『ちょっと出かけてくるよ』
「気を付けて」
「うん」
二人が部屋を出る。
「サフィール様。こちらもワインをお持ちしております。どうぞ」
ベルトランが、テーブルにワインを置く。
「これは素晴らしい。ですが、まずは我が国の酒をご賞味ください」
サフィールがすべてのゴブレットに酒を注ぐ。
中身は……。
「ラガー?」
「ヴァイツェンですよ」
飲んだことのない酒だな。
「さぁ、乾杯!」
そう言って、派手にゴブレットを合わせると、中身が当たりに飛び散った。
ベルトランもやってたし、これが礼儀なのか。
確かに、この乾杯の方法ならグラスが金属じゃないと割れそうだ。
ヴァイツェンは、ラガーのように泡のある酒だけど、グラシアルで飲んだラガーより爽やかな味だ。美味い。
「他にも色んな酒を持ってきてありますから、気になるものがあればどうぞ」
「兄上、ほどほどにしてくださいね」
「まぁ、気にするな」
酒にはどれぐらい強いのかな。
グロリアスピューターのヒントを貰えたらありがたいけど。
※
飲み慣れない酒だったせいか、少し酔いが回る。
ベルトランが途中で引き揚げてくれなかったら、酔い潰れるところだった。
あのゴブレットで飲むと、酒の味がまろやかになると言われたけれど、元の味を知らないから違いなんてわからない。ただ、味わいがあって美味い酒だったのは確かだ。
政務官の二人組と明日の予定と今回の成果について情報を共有し、ケヴィンに案内された部屋へ。
「おかえりなさい」
「ただいま。リリー」
ベッドが二つ並ぶ部屋。
リリーが居る方のベッドに行って、そのまま倒れこむ。
「大丈夫?」
「少し酔った」
リリーが膝の上に俺の頭を乗せて、髪を撫でる。
「話し合いは上手くいった?」
「あぁ。言語の壁もなかったし、好意的な意見も聞けた。……初対面だと思えない態度だったけど」
あの馴れ馴れしさは何なんだろうな。
リリーが、くすくす笑う。
「挨拶が良かったみたい」
「竜の挨拶?」
「うん。カリアさんが、ラングリオンでしてもらったのは初めてって言ってたよ。すごく好印象だったみたい。それから、ウロボロスの腕輪をしていたことも」
そういえば、付けっぱなしだったな。
リリーがくれたものだから付けてたんだけど。
「皇太子秘書官が、わざわざ出向いて、個別の会談を申し出てくれたことも驚いてた。小さい国の寄せ集めだから、軽く見られてるって思ってたみたい」
軽く見られてる、か。
実際、西南諸国の印象はそうだろう。大陸会議の議事録を見ても、西南諸国の意見が記述されていることはほとんどない。せいぜい、クエスタニアの意見を支持するとか、その程度。
常に周辺国と交流のある大国と、大陸端の小国家じゃ、会議における事前の情報収集能力に隔たりがあるんだから、発言の差が出るのは仕方ない。
もしかしたら、最初に名乗らずに現れたのも、こちらの態度を伺う為だったのかもしれないな。
これだけの情報を揃えているなら、俺が各国の要人と会っていたのも把握済み。皇太子秘書官がメヘン同盟と事前会談を望んでいるかどうか試そうとした。
その結果、こちらが個別の会談を望んでいた上に、挨拶も良かったから、好印象を持ってもらえたってところか。
「そういえば、なんでサフィールたちは、あんなに流暢な共通語が話せるんだ?」
「サフィール王子は、元はモラルタ王国の第五王子?で、カリアさんとパロミデス王子と一緒にクエスタニアに留学してたんだって。でも、政変で第一王子の座を獲得して……。それを手伝ってくれた商人の人たちと一緒に、他の国にも掛け合ってメヘン同盟を組んだって言ってたよ」
モラルタ王国の継承制度は知らないけど。
第一王子の座を獲得するなんて、相当、やり手の王子だな。
「後、カリアさんは、王子の婚約者だって」
「妹じゃないのか?」
「王族ではあるみたいなんだけど。遠縁みたい。サフィール王子とパロミデス王子の方が近縁だって」
「複雑だな」
西南諸国の王家は一夫多妻制が多いみたいだし、家族の幅は広いんだろう。
「グロリアスピューターのこと、何か聞いてないか?」
「鉛が入ってないか?」
「あぁ」
さんざん、それを使ったゴブレットで飲んでたわけだけど。
「大丈夫だよ。鉛は入ってない。銅と亜鉛。それから秘密の材料が、ほんの少し入ってるって」
どうしても教えられない材料が含まれてるらしい。
モラルタ王国の特産品として出す予定なら、細かい配合は秘密か。
「明日は、朝一で出発するって言ってたよ」
「じゃあ、早く起きて見送らないとな」
「早起き出来る?」
リリーの頬に触れる。
「起きられなかったら起こして」
「良いよ」




