143 合図
思ったより、時間がかかった。
「おかえり、エル」
「ただいま。リリー」
部屋に戻ると、支度を終えたリリーが、紅茶を飲んでいる。
「遅くなってごめん。そろそろ食堂に行こう」
「うん」
カップを置いて、リリーが膝にかけていたハンカチをテーブルに置く。
いつもと、かなり雰囲気が違う。
ふんわりとした薄いオレンジ色のドレス。スカート部分は細かい刺繍が施された白いレースに覆われている。座ることを想定したのか、腰のリボンは、左手前で可愛らしく結んである。ストールもずれにくいように白薔薇のコサージュで留めてあるみたいだ。
足元から覗く靴もドレスに合ってる。
「お姫様。お手をどうぞ」
丁寧にリリーに手を差し伸べると、リリーが微笑む。
「はい」
思わず、目を奪われる。
陶器のように白い肌、ほのかに染まる頬、甘く色づいた瞼に輝く瞳。
柔らかそうな唇は、優しいピンク色をしている。
化粧の傾向を、さっきと変えた?
柔らかな雰囲気が、リリーらしくて良い。
「エル?」
重なった手を取って、キスをする。
「綺麗だよ」
「え?」
いつにも増して、綺麗。
「あの……。ありがとう」
可愛い。
※
食堂へ。
入り口には、ホストのマリーが立っている。
マリーと言えばピンクだけど。今日は落ち着いたワインレッドのドレスにしたらしい。
「エル、リリー。待ってたわ」
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
リリーと一緒に花束を渡す。
「素敵なお花ね。ありがとう。……リリー。とても綺麗よ。オレンジ色も似合うのね」
「ありがとう、マリー。マリーも、とっても素敵だよ。薔薇の髪飾りも似合ってる」
「ふふふ。ありがとう。今日は、のんびり楽しんでいってね」
「うん」
リリーと一緒に食堂の中へ入る。
とりあえず、伯爵夫妻には挨拶しておくか。
「伯爵、伯爵夫人」
「エルロック」
「本日は、お招きありがとうございます」
リリーと一緒に会釈をする。
「リリーシア様。お会いするのを楽しみにしておりました。ロクサンヌと申します」
「お初にお目にかかります。皇太子近衛騎士、撫子のリリーシアです」
「美しい騎士様にお会いできて光栄です。どうか、お見知りおきを」
夫人に合うのは久しぶりだな。
この顔、本当にマリーとそっくりだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「エルロックも大きくなりましたね。良く顔を見せてくださる?」
マリーも、これぐらいおおらかだったら良かったのに。
「少し大人びたように見えますね。秘書官として真面目に働いていると聞いていますよ。マリーの研究の手伝いをしてくれたとも。皇太子殿下も、さぞお喜びでしょう」
「お褒め頂き光栄です」
「良い噂ばかりとも限らないが……」
まぁ、言いたいことは色々あるだろう。
夫人につつかれて、伯爵が咳払いをする。
「成長したな。元気そうで何よりだ」
「ふふふ。そうですね」
……怒られなかったなんて、珍しいな。
「リリーシア様。貴女の御話しは、マリーからも良く聞いておりますよ。剣術大会での御武勇も拝見いたしました。ラングリオンでは、まだまだ女性の騎士は少ないもの。女性を代表して、リリーシア様が騎士となられたことに感謝申し上げます」
「はい。光栄です」
性別に関係なく、騎士になる為の門徒は狭い。養成所に騎士課程が出来たとはいえ、そう簡単になれるものじゃない。
「お噂以上に可愛らしい方ね。お困りのことがあれば、いつでも当家いらっしゃってね。歓迎いたしますよ」
「ありがとうございます」
「では、そろそろ失礼いたします」
「また、ゆっくりお話をしましょうね」
夫妻を見送ると、リリーが俺の腕を掴んで、大きく息を吐く。
「どうした?」
「緊張して……」
会場では、メルリシアをアルベールが、アリシアをレオナールがエスコートしている。
挨拶に行こうとしたところで、食堂の後方で演奏が始まった。
マリーが席に付いたらしい。
他の客人たちも自分の席に向かう。
「エルロック様、リリーシア様。お席へ御案内いたしましょうか」
「いや、良いよ」
案内を断って、リリーを右側の一番手前の席へ案内する。
向かって左側の席が、アルベール、メルリシア、伯爵、アリシア、レオナール。
右側には、マリーと伯爵夫人が座っている。その手前が、俺とリリーの席だ。
椅子を引くと、リリーが椅子に腰かける。
「ありがとう」
まだ、緊張してるみたいだな。
リリーの隣に座って、楽団を見る。
「こんなに豪華な晩餐会なんて、はじ……」
途中で言葉を切って、リリーが口元を抑える。
「どうしたんだ?」
『お喋りしちゃいけないと思ってるんじゃない?』
「そんなに堅苦しく考えなくて良いよ」
給仕がグラスに乾杯用のドリンクを注ぐ。
『リリーは、こういうの慣れてないからね』
そうか。ラングリオンの礼儀なんて、リリーは知らないはずだ。
「正式な晩餐では、ホストの到着や着席を合図に演奏が始まるんだ。客はホストの着席後、決められた席に付く。身動きの取りやすい男性は、女性をエスコートするのがマナーだ。って言っても、身内の晩餐だし、堅苦しく考える必要はない」
結局は、ただの食事会だ。
『そう?この先こういうことがあるかもしれないんだし、リリーはちゃんと覚えておかなきゃいけないんじゃない?』
「心配しなくても、席を担当してるメイドが教えてくれるよ」
このテーブルの案内を申し出たメイドが、この席の担当だろう。
「客が座れば、乾杯用のドリンクがサービスされる。曲が終わればマリーが挨拶をして乾杯。その後は、食事を楽しめば良いだけだ」
「うん」
まだ硬い表情のリリーの頬に触れる。
「まずは、ゆっくり音楽を楽しんだらどうだ?」
リリーが頷いて、楽団を見る。
「楽しい曲だね」
「あぁ」
少し表情が柔らかくなったリリーが、こちらを向く。
「また、エルと一緒に演奏したいな」
「バイオリンとピアノがある場所なら、どこででも出来るよ」
「そっか」
リリーが弾くなら、あの屋敷にピアノを置いても良さそうだ。
晩餐会は、なごやかに進んだ。
前菜の一品目に出されたのは、ディルとサルモのタルタル。ディルとサルモはグラシアルでは定番の組み合わせだ。それをラングリオンらしい料理法で仕上げている。
今回のコンセプトは、グラシアル料理を取り入れたラングリオン料理ってところか。
続いて出されたのは、大振りの茹で海老とブロッコリーに酸味のあるマスタードソースを添えたもの。このソース、ローグが勧めてくれたマスタードを使ってる?海老の旨味ともすごく合うんだな。
サラダは、フレッシュなサラダを好むマリーにしては珍しく、ローストした南瓜をベースにしたものだ。熟成されて甘みが深くなった南瓜は、季節感があって良いだろう。変わった食感の野菜はアイスプラントか。久しぶりに食べたな。
横から、給仕が空いた皿を下げる。
あれ?食事のサービス係が変わった?前菜を運んできたのは、良く見るメイドだったはず……。
振り返ると、長い黒髪の給仕が慣れない手つきで皿を持っていくのが見えた。
『コランタンだね』
あいつか。
そういえば、給仕をやらせるって言ってたっけ。紹介もされないから気づかなかったな。あの長い黒髪は鬘か?あれだけ長ければ、結んでいたとしても邪魔になるし、食事のサービスをするには向かないだろう。
仕事として、食器の片づけだけやらせてるみたいだけど。皿一枚運ぶのにあれじゃ、完全に役立たずだ。
「カリフラワーのポタージュ、雪の結晶添えでございます」
見慣れたメイドがスープを運んで来る。
真っ白いポタージュの上には、雪の結晶の形に切られた野菜が乗っている。
「これも、飾り切り?」
「そうだよ。カリフラワーの芯の部分で作ってるみたいだな」
「すごく綺麗」
形が崩れないよう、丁寧に切られてる。流石だな。
リリーがポタージュを食べて笑顔になる。緊張も、大分ほぐれたらしい。
良かった。
丁寧に裏ごしされたポタージュは、口当たりが滑らかで美味い。玉ねぎの甘みも感じる。
魚料理は、ルージェのポワレ。上品な仕上がりのブールブランソースだ。彩りの良い野菜も添えられている。
口直しのソルベは、香る薔薇のソルベ。リックから苗を貰い、オルロワール家で育てた食用薔薇で作られた上品なソルベだ。
メインの肉料理は、鴨のロースト。リンゴンベリーソースは、グラシアル料理で良く使われるものだ。ジンジャマーマレードソースも凝ってるな。どっちも合う。添えられてるのは、ルタバガのマッシュ。グラシアルで作られた野菜だろう。
フロマージュは、ハーブを練りこんだオルロワール家の特製チーズと、あっさりめのものを選ぶ。ついでにリリーには、甘めのものも勧めておいた。きっと、好きだろう。
ハーブのチーズを食べたリリーが口元を抑える。
「これ、すごい……」
「だろ?」
ここでしか食べられない特別なチーズだからな。
リリーが頬に手を当てて微笑む。
「お気に召していただけて光栄ですわ。そちらは当家自慢のチーズ。時代に合わせ、創意工夫をしながらオルロワール家に代々受け継がれてきた味なのですよ」
「歴史が詰まってるから、誰もが喜ぶ味に仕上がるんですね」
リリーがチーズを口に含んで、幸せそうに笑う。
「美味しい」
「本当に可愛らしいお嬢さんね。どうやってグラシアルから連れてきたのかしら」
『露店で金貨なんて見せびらかしてるから、放っておけなかったんでしょ?』
「しょうもない迷子だからな」
夫人が上品に笑う。
「その話は、あちこちで良く聞きますよ。あなたを振り回すという噂も本当のようね」
『マリー以上に噂好きなんだね』
母親だからな。
「本日のデザートをお持ちいたしました」
デザート?
別室で食べるはずじゃ……。
そう思ってると、巨大なケーキがメルリシアの前に置かれた。
「プリンセストルタだ」
リリーは知ってるらしい。
「薔薇を飾った姫君のケーキでございます」
「まぁ、素敵」
メルリシアが喜んでるな。
ピンク色のマジパンでドーム状に覆われているから、中身がわからない。
「あれ、グラシアルのケーキなのか?」
「うん。マジパンで覆ったケーキで、中にはスポンジやフレッシュクリーム、ジャムが入ってるの。上に飾ってある薔薇もマジパンで作ってるんじゃないかな」
聞くだけで甘そうだ。
「エルは苦手かも」
「たぶんな」
「じゃあ、一緒に演奏しよう」
「え?」
「メルが、エルのツィガーヌを褒めてたから」
今、ここで?
確かに、楽団は次の演奏の準備中だけど……。
立ち上がったマリーがこちらに来る。
「お母さまから聞いたわ。今すぐ準備する?」
『伝言が早いね』
夫人の方を見ると、夫人が微笑む。
……仕方ない。
「じゃあ、ピアノとバイオリンを貸して」
「わかったわ」
マリーが楽団に話を付けに行く。
『大丈夫なの?』
前にプリュムで演奏したし、大丈夫だろう。
リリーが椅子から立ち上がるのを手伝って、ピアノの場所へ連れて行く。
「座って」
「ありがとう」
リリーを椅子に座らせる。
高さは……。
「調整しますね」
「ありがとうございます」
団員に任せておけば大丈夫か。
「急な変更になって悪い」
「いいえ。こちらのバイオリンをお使いください」
ガスパーロが作ったバイオリン。
これなら、何でも弾けそうだ。
「楽譜が要るなら用意するわ」
楽しそうに、いくつか音を鳴らしているリリーを見る。
「リリー。何を弾く?」
「ツィガーヌじゃないの?」
「もう少し明るい曲が良い」
「じゃあ、春?」
「冗談だろ?」
今は秋だ。
そういえば、前もいきなりスプリングソナタを弾き始めたっけ。
「わかった」
わかったって……。
冗談?
「楽譜がなくても弾けるか?」
「うん」
頭の中に曲をイメージする。
……弾けそうだな。
「マリー。準備が出来た」
「え?結局、何を弾くの?」
「冗談だよ」
眉をひそめつつ、マリーが客の前へ出る。
「皆様。本日のゲストのエルロック様とリリーシア様が、バイオリンとピアノの演奏をして下さることになりました。どうぞ、お楽しみください」
マリーの挨拶が終わった。
リリーを見ると、リリーが楽しそうに微笑む。
「良い?」
出だしから速い曲だから。
呼吸を整えて……。
「ん。良いよ」
バイオリンを構えて合図を送ると、リリーがピアノを弾き始める。
……合わせて。
演奏は体が覚えてる。
良く聞いて、付いてきて。
掛け合いも気持ち良い。流石、リリーだ。
中間部分は、少し落ち着く。
っていうか、遅い。そんなにゆっくり弾けって?
視線を送ると、リリーが笑う。
あぁ、もう。楽しそうだな。
こっちも楽しいんだからしょうがない。
……ようやく主導権を取り戻せた。
誘うから、乗ってきて。
そう、そんな感じ。
こっちに付いてきて。
……って、言ってるのに。
全然、聞いてくれない。
駄目だ。客の方なんて見てられない。
これ、こんな曲だったかな。
振り回されてるけど、まぁ、良いか。
ずっと先まで音が華やかに伸びていく。
最後の一音まで、楽しい音を響かせて。
※
曲が終わって、お開きになる。
伯爵夫妻が退出して、女性は別室でデザートタイム。残ったメンバーは談話室に移動してコーヒーを飲む。
「良い演奏だったよ」
「最後に、あんな演出が用意されていたとはな。曲を決めたのはマリーか?」
「違う。弾くのが決まったのは、さっきだよ」
「さっき?」
「なんだって?良くマリーが許したな」
マリーは完璧主義だから、晩餐会の進行を変えるのは嫌がりそうだけど。
「夫人が言いくるめたんだろ」
アルベールとレオナールが顔を見合わせる。
夫人には、この兄弟妹の誰も逆らえないらしい。
「でも、練習なしとは思えない演奏だったな」
「途中からは二人の世界だったね」
スケルツォ・タランテラ。
冗談の一言で、これに決まるなんて。
演奏といい、リリーに振り回されっぱなしだったな。
「疲れたから、もう休む」
空になったカップをテーブルに置いて、立ち上がる。
「あぁ。案内はドニスに頼んでくれ。そのまま護衛に当たる」
「ん。わかった」
「おやすみ、エル」
「おやすみ」
挨拶をして部屋を出ると、外にドニスが居た。
「もう休むから、部屋に案内してくれ」
「御意。こちらへどうぞ」
※
一階の客室。
『フランカが中に居るな』
部屋に入って、明かりを灯す。
『グローザは窓の外に居る』
わかりやすい場所だな。
コートをコート掛けにかけて、カーテンを閉める為に窓に近づくと、部屋の隅に隠れていたフランカも、静かに窓に近づく。
歩くリズムを完全に俺に合わせてるから、目の前に居るのに足音が一切しない。
カーテンを閉めたけど、特に何もなさそうだ。
振り返って、ベッドの方へ戻る。
明かりを消して寝静まるまで襲ってこないかな。
タイチェーンとハンカチを外し、忘れないように荷物に仕舞って。
それから、堅苦しい服を脱いで、いつもの服に着替える。
あぁ、疲れた。
体を大きく伸ばして、ベッドに入って明かりを消す。
……あ。やばい。
枕に細工がしてある。かなり香りを抑えてるけど、これ、眠り薬だ。
荷物の中から出したマントを丸めて枕元に置き、窓側から見えないようベッドから抜け出す。
『どうしたの?』
ゆっくり呼吸をする。
『大丈夫か?』
頷く。
そんなに吸ってないから平気なはずだ。
しばらくして、微かに物音が聞こえた。
こちらの様子を伺ってるのかもしれない。
ベッドの膨らみに違和感はないはずだし、誰かが眠っているように見えるはずだ。
闇の魔法で隠れながら窓の様子を伺うと、窓から微かに光が差し込む。
ちゃんと眠ってるか確認してるのか?
それとも、俺が闇の魔法で隠れていないか探ってるのか。
でも、閉めたはずのカーテンから明かりが入ってるってことは、もう窓は開いてるんだ。窓を開く音が、さっきの微かな音だったとしたら、普通なら気づけない。これだけ警戒していて、ようやく気付くレベルだ。
明かりが消えた。
『入って来た』
と、同時に。
金属音だけが鳴り響く。
……何かが動いた音は一切しなかった。冷や汗が出るな。
「止まれ。作戦は中止だ」
暗闇の中、窓から差し込むわずかな明かりだけを頼りに、二人に近づく。
「フランカか」
「引け。盗賊ギルドの依頼は取り下げられた」
「こいつは親父の仇だ」
「兄弟を保護した」
「だから何だ」
少し目も慣れてきた。これだけ時間があれば十分だ。
グローザを闇の魔法で縛り、グローザの短剣に向かって砂の魔法を使うと、短剣が崩れる。
「!」
先に気づいたフランカが数歩引き、光の玉を天井にぶつけて明かりを灯す。
「衛兵!」
フランカが叫ぶと、待機していたドニスと衛兵たちが、明かりと共に部屋になだれ込んできた。
「嵌めやがったな!」
闇の魔法で影を縛られたグローザは身動きが取れない。
衛兵二人が、グローザの両脇を完全に捕らえた。
「エルロック様。御怪我はありませんか?」
「平気だ」
「今度は、こいつの犬になったのか。フランカ」
「……」
「どうせ、お前は首輪無しには生きられないんだろ」
グローザとフランカがにらみ合う。
「エルロック様。連行してもよろしいでしょうか」
「あぁ」
闇の魔法を解くと、衛兵がグローザを連れて行く。
「ストーイ!」
え?
一瞬。何が起こったかわからなかった。
気づいた時には、フランカに突き飛ばされてた。
「フランカ、」
フランカの腕にナイフが刺さってる。
鍔のない隠し武器だ。向こうにも複数のナイフが床や壁に刺さっている。
「そいつを調べろ」
フランカの言葉に、すでに床に組み伏せられていたグローザを衛兵が調べはじめた。
治療を……。
大地の魔法を使って、フランカの腕からナイフを抜く。
「毒は?」
フランカがナイフを見る。
「使われてない」
良かった。
一本しか刺さってないし、軽症だ。薬を出して傷跡に塗る。
グローザの方を見ると、あちこちからナイフが出てきている。
どれだけ隠し持ってたんだ?
グローザが大きく舌打ちをする。
「犬の分際で動きやがって」
「俺は、他人の意思にすがって生きようと思ったことはない」
ストーイと叫んだのはグローザだ。
あれは、ラングフォルド家の子供全員の動きを止めることが可能な言葉。
フランカの動きを止めて、足の動きだけで放てる暗器で俺を攻撃するつもりだったみたいだけど。フランカは言葉を無視して、俺を助ける為に動いた。
……そういえば、頼まれてたっけ。
取り押さえられているグローザの方に行く。
「エルロック様。危険です」
「やらなくちゃいけないことがあるんだ」
グローザの服の袖をまくる。
「何すんだよ」
大地のスカーフを出し、焼印の場所に巻いて魔法を使う。
どれぐらいやれば良いかな。完全に消えるまでには、時間がかかりそうだけど。
一度スカーフを外して状態を見てみると、焼印が薄れている。
「な……」
もう少し。
もう一度スカーフを巻いて、魔法を使う。
「暗殺依頼の取り下げがあったこと、知ってたんだろ」
答えない。
ってことは、やっぱり知ってたな。
「ギルドの意向を無視して俺を殺せば、お前は盗賊ギルドからも国からも追われる立場になる」
「だから何だ」
これぐらいで良いかな。
スカーフを外すと、焼印が消えている。
「!」
「これで、お前とお前の親父との繋がりは消えた」
「ふざけんな。なんで、こんなこと……」
「俺を狙う理由もなくなっただろ?」
「んなわけあるかよ」
「俺を殺しても、お前には何も残らないぞ。それとも、存在しない首輪にすがって生きてくつもりか?……この先、どうやって生きていくかぐらい自分で考えろ」
立ち上がって、グローザから離れる。
衛兵はグローザの両足を縛ることにしたらしい。身動きの取れなくなったグローザが連行されていった。
「フランカ。助かったよ」
「あの攻撃じゃ、すべて命中しても致命傷にはならない。……グローザも解ってたはずだ」
……それでも、親の仇に一矢報いたかったんだろう。
逃亡したグローザを伯爵が放置していたのは、関係が崩れないと確信していたからだ。
焼印は伯爵との繋がりの象徴でもある。
本気で逃亡して伯爵との関係を断つつもりなら、真っ先に焼印の形がわからなくなる加工をするはずだ。消すことが不可能でも、原形がわからなくなるような上書きすることは可能だったはずだ。なのに、グローザは何もしなかった。
裏切らない自信があったから、伯爵はグローザが盗賊ギルドに所属することを許してたんだろう。
「お前は、俺が親の仇だと思わないのか?」
「あいつは、元々、俺の仇だ」
双子の片割れを殺されたんだっけ。
「それに、グローザが狙うべき相手は、伯爵に関する情報を売った俺であって、お前じゃない」
―彼は、幼い頃からずっと復讐する機会を伺っていたんだ。
「復讐は終わったのか」
「あいつは、法で裁かれた。……これ以上出来ることはない」
「立派な法律家になれそうだな」
「法律家になるつもりはない」
「先が楽しみだ」
フランカは自分で未来を選べることを知っている。
グローザも、そうなれば良いけど。
※
着替えに使っていた部屋で、自分の武具とリュヌリアンを回収して、まだ応接室でデザートを食べながら寛いでいるリリーを迎えに行く。
「リリー」
「エル!」
走ってきたリリーを抱き留める。
「おかえりなさい」
そのまま首に腕を回してきたリリーを抱き上げる。
「明日も仕事だし、連れて帰るからな」
「えー?リリー、帰っちゃうの?」
「二人とも、忙しい立場のようだからな」
「そうなったら、もう離れないでしょ。連れて行って良いわよ」
マリー、メルリシア、アリシアに混ざって、一人だけドレスを着てない奴が居ると思ったら。ポリシアか。
「お前も居たのか」
「失礼ね。ちゃんとメルの護衛をしてたわよ」
晩餐会で見かけなかったけど、どこかに居たらしい。
「馬車を用意しましょうか?それとも、裏口を使う?」
「裏口から帰るよ。っていうか、そこから出て良いか?」
「窓から出る気?衛兵に勘違いされても知らないわよ」
「平気だよ」
こっちの方が裏口に近いし、闇の魔法で隠れて帰れば問題ない。
「ちょっと待ってよ。私は連れて行って良いなんて言ってないわ」
メルリシアか。
相変わらず、やかましいな。
「答えなさい。あなたが約束した、リリーの夢って何よ」
リリーの夢?
「知らないのか?」
「だって、リリー、教えてくれないんだもん」
メルリシアが、リリーのように頬を膨らませる。
「リリーは素敵な恋をするのが夢だから、もう城には帰らないって言って出て行ったのよ」
『あー。そうだったね』
リリーが女王の娘として出発した時の話か。
「でも、違うって」
「それとは別に、昔から考えていたことがあるようだな」
「アリシアは聞いてるの?」
「聞いてないよ」
「マリーは知ってる?」
「私?……どうかしら。私が知る限り、リリーは、ずっとエルの為に行動していたから」
「もーぅ。そんな話じゃなくって」
リリーを見ると、静かな寝息を立てて眠っている。
そういえば、リリーは俺の為に砂漠まで行ったんだよな。
「無理に聞き出さなくても良いじゃない。どうせ、迷子を直したいとか、そんなことよ」
「リリーは自分が迷子だなんて自覚は一切ないぞ」
「あー。そうよねー」
ポリシアが笑う。
「もう。皆、真面目に話してよ」
「そうだな……。リリーから聞いた話しと言えば、皆でサブレを食べている時に、こんな生活がするのが夢だって言っていたぐらいか」
「そういうことじゃなくって、なんかこう、お姫様になりたいとかそういう感じの!」
なんか、想像つくな。
この姉妹にディーリシアを加えて、今みたいに賑やかに食べてたんだろう。
「たぶん、アリシアが言ったのが、リリーの夢に一番近いよ」
「えっ?」
リリーを抱えたまま、窓を大きく開く。
「ちょっと、教えてよ!」
窓から外に出て、闇の魔法を使って裏口に向かって走りながら、眠っているリリーに顔を寄せる。
あの時、教えてもらった夢。
……あれは、俺にとっても大切な夢だから。
他の誰かに渡すつもりなんてない。
※
ガラハドの屋敷。
寝惚けながらも、顔を洗いたいと言ったリリーをブリジットに任せ、紅茶の準備をして部屋に戻る。
荷物の整理をしていると、レオナールから貰った書類が出てきた。
『誰にするか決めたのぉ?』
「あぁ」
『嫌だって言うと思うけどぉ』
「なんで?」
『なんとなくぅ』
やってくれると思うけど。




