142 守るべきもの
丁度、昼時だ。
フローラの店を通り抜けるついでに、晩餐会へ持っていく花束を頼んで、皆でランチへ。ウエストにあるピッツァの店で、フローラと決めたことを皆に説明する。
「ってわけだから、屋敷が使えるようになるまでは、もう少しかかりそうなんだ。家も明け渡す予定だし、それまで、二人はガラハドの屋敷で生活してくれ」
ルイスとキャロルが顔を見合わせる。
「それって、今までと変わらないってことだよね?」
「それって、今までと同じよね?」
「……そうだな」
荷物の整理が必要なだけで、今まで通りだ。
「あのね、エル。キャロルも話したいことがあるんだって」
「話したいこと?」
「え?話したいことなんて……」
あるんだな。
「話して」
今日のキャロルは、ずっと元気がない。
「リリーが話しても構わないわ」
「だめだよ。ちゃんと、キャロルから話した方が良いと思う」
リリーは、もう聞いてるのか。
引っ越しに関する話じゃなさそうだよな。
今朝のことでもないだろうし。
いや……。
「今朝、俺に話そうとしてたことか?」
「うん」
キャロルが頷いて、顔を上げる。
「あのね。私、ちょっと興味があることがあるの。……音楽院って知ってる?」
「音楽院?」
「ユリアの家がやってる音楽家の養成所よ。音楽堂の近くにあるの」
ユリアの家、エウリディーチェ家は古くから音楽家との付き合いがある家で、音楽家の育成にも力を入れている。でも、音楽院のことは詳しく知らないな。
「キャロルの年齢でも入れるのか?」
「入れるわ」
「通うのか?それとも、寮生活?」
「え?えっと……」
「通学が基本だよ。寮もあるみたいだけど」
ルイスも知ってるのか。
音楽堂はセントラルのウエストサイドだし、屋敷に引っ越せば通えそうだ。
「なら、通ったら良い」
「えっ?」
特に問題もなさそうだ。
「でも、貴族とか、貴族の後援を受けたようなすごい子が行くようなところで、すごくお金がかかるって……」
「興味があるんだろ?なら、行ったら良い」
「でも、返せるかわからないわ」
「返す?」
「だって、借りたものは返さなくちゃいけないでしょう?」
「何を借りるんだ?」
「だって……。新しい家を買ったり、フローラに頼まれて整備したり、これから、たくさんお金がかかるから……」
「大丈夫だよ、キャロル。僕も家を出て見習いで働く予定だし」
「そんなの駄目よ。せっかく皆で暮らせるのに」
ちょっと待て。
ルイスまで、何言ってるんだ?
「二人とも。金銭面の心配は一切必要ないぞ」
「薬屋も辞めちゃうのに?」
薬屋の収入を当てにしたことなんて一度もないけど。
「お前たち、俺が今、何をやってるのか知らないのか?」
「お城で働いてるんでしょう?」
「アレクシス様を手伝ってるって聞いてるけど……」
「俺の今の役職は皇太子秘書官。政務分野における近衛騎士みたいなものって言えばわかるか?」
「えっ?そうなの?」
「えっ?ちゃんとした仕事してたの?」
なんだ。その評価は。
『エル、ルイスとキャロルに何も言ってないの?』
『ちゃんと話したことはないんじゃないかしらねぇ』
「二人とも、エルが冒険者の活動もしてること、知らないの?」
「知ってるわ。でも、冒険者として稼げる人なんて、全然居ないんでしょう?」
「高額な仕事は命の危険があるものばっかりだって。シリルさんが納品するものも、すごく危ない場所に行かないと手に入らない貴重なものだって聞いてるよ」
「でも、エルは……」
慌てて、リリーの口を塞ぐ。
『もしかして、二人が冒険者を目指さないよう、周りに口止めしてたの?』
当然だ。
二人を危険な目に合わせるわけには行かない。
頷いたリリーから手を放す。
「えっと……。二人はエルが居ない間、生活に困ることはなかったの?」
「ないわ」
「薬屋の収入が十分あったからね」
「月のお小遣いも決められた通り貰ってたわ」
「余った分は、言われた通りオルロワール家に預けてたよ。でも、これは税金とかの支払いに使ってたんでしょ?」
「だから、オルロワール家からお金を借りたことは一度もないの」
「なんで、借りる必要があるんだよ」
「だって、エルは、お金に困ったらオルロワール家を頼るように言ってたから」
「違う」
ちゃんと説明したはずだけど。
……俺の説明が足りなかったのか?
「それは、俺がオルロワール家に預けてる金を自由に引き出せるって意味だ。薬屋をやらなくても、十分、二人を育てられるぐらいの蓄えはあるからな」
「えっ?エルって、そんなにお金持ちだったの?」
そもそも、二人同時に養子を引き取るなんて、それなりの資産が無ければ許可が下りないことなんだけど。……そんなこと、知るはずもないか。
「いつも派手な買い物するから不思議だったけど。そういうことだったんだね」
「どういう意味だ」
「エルって、気に入ったものがあったら、値段なんて考えずに何でも買っちゃうからさ」
「そうよ。私の部屋にある家具だって、私が可愛いなって言っただけで、一式全部買っちゃったじゃない」
『あー。やりそう』
『そうねぇ』
いつの話だ。
「出かける度に、お土産を買ってくるし」
「本当。お金遣いが荒いわ」
『二人とも、しっかりしてるね』
『誰に似たのかしら』
本当に。
良く出来た子供だ。
「とにかく。そういうわけだから、二人とも、余計な気なんて使わずに、やりたいことをやれ」
「えぇ?でも……」
養子になったんだから、もっと頼っても構わないのに。
……これだけ親らしいことを何もしてなければ、そう簡単に遠慮の要らない関係にはなれないか。
「あのね。ルイスとキャロルは、私たちの大事な家族だよ。だから、もっと私たちを頼って欲しいの」
「でも……」
「それに、私、キャロルの歌が好きだよ。聴いてると幸せな気持ちになれるの。好きなことがあって、もっと知りたいって思っていて、それを学べる場所があるなら。私は、キャロルに行って欲しいと思う。その為に出来ることがあるなら手伝うよ」
本当に。音楽を専門に学べる場所があるなんて知らなかったからな。
「俺もキャロルの歌が好きだよ。でも、音楽はキャロルが知っているよりも、もっと広い世界だ。学べば、もっと歌うことが楽しくなる。だから、音楽院に行ったら良い」
「だってさ、キャロル」
ルイスがキャロルを見る。
「ありがとう。エル、リリー。私、歌が好き。もっとたくさん、歌のことを知りたい。だから……。私、音楽院に行きたい」
ようやく、答えが聞けた。
「わかった。引っ越すまでに、音楽院に入れるよう手続きをしよう」
「ありがとう」
良かった。
二人のやりたいことを聞くことが出来て。
二人がこれだけ話してくれるようになったのも、リリーのおかげだろう。
「でも、面白いお屋敷だったね」
「えぇ。あちこちに仕掛けがあって」
「あちこちに仕掛け?隠し部屋以外に?」
「最初はリリーが壊した壁かしら」
「えっ?壊したわけじゃなくて……」
あの屋敷には、隠し部屋以外にも変わった仕掛けがあったらしい。
二階の執務室には、図書室に抜けられる隠し扉。
厨房には、大量のお湯を沸かす装置と、そのお湯を浴槽に流し入れる仕掛け。
設計者が相当な変わり者だったのは確かだろう。初めからあったものなのか、後から付け足された物なのかはわからないけど。
※
ランチを終えて、ルイスとキャロルを見送って。
リリーと一緒にウエストの商店街へ。
「何を探してるの?」
「ドレスに合いそうな靴」
「靴?」
「晩餐会の準備だよ。ポルトぺスタで買ったドレスがあっただろ?」
可愛いオレンジ色のドレス。
あの時は結局、歩きやすいブーツを選んだみたいだけど、晩餐会なら歩きやすさを重視する必要はないだろう。
『持ち歩いてたの?』
「ずっと荷物に入れっぱなしだ」
使う用事もなかったから。
「あの、ドレスって、着なくちゃ駄目?」
「伯爵も参加する正式な晩餐だからな」
「エルは何を着るの?」
「正装だ。ロジーヌが何か用意してるだろ」
リリーの着替えも、オルロワール家でする予定だ。
「私も、エルに何か買いたい」
「俺に?」
「いつも買って貰ってばかりだから」
別に、欲しいものなんてないけど。
『あのお店はどう?』
ナターシャ?
「良さそう。ネクタイもあるよ」
リリーが指した方には、男性用の服飾雑貨を扱う店がある。
必要なものは全部、ロジーヌが用意してそうだけど……。
?
なんだ?
視線を感じる。
……少し、様子を見てみるか。
「じゃあ、あの店に入ろう」
「うん」
二人で店に入る。
「どんなネクタイが良いかな」
「ネクタイは要らないよ」
「え?」
「着る服に合わせないと意味が無いからな」
『なら、なんで店に入ったんだよ』
『そうよ』
尾行が気になっただけだけど。
リリーが気づいてないなんて珍しいな。
この店じゃ、リリーに必要なものはなさそうだし……。
あ。良いものがある。
「タイチェーンを選んでくれないか?」
「タイチェーン?」
「あんなやつ」
店にはタイチェーンが付いたネクタイが飾られている。
華美な装飾は、晩餐に向いてるだろう。
「わかった」
リリーが、タイチェーンが飾られているコーナーに行く。
……早速、店員に捕まったな。
店の中からは、ショーウインドウ越しに外の様子も見える。
こっちの様子を伺ってる奴が居るみたいだけど、ちゃんと顔は確認できない。
「メラニー。あれ、誰かわかるか?」
『フランカだ』
え?フランカ?
だとしたら、尾行の目的はハンドの捜索か?
暗殺対象である俺の近辺に居る可能性は高いからな。
今のところ、それらしき人物は見当たらない。……けど、クロエ誘拐事件の時だって、ハンドとファルの尾行に気づいたのはリックの精霊だけだった。フランカだって、いつから俺を尾行しているのかわからないんだ。ラングフォルド家の子供たちが相当な技術の持ち主なのは確かだ。
「エル。どっちが好き?」
リリーが持ってきたのは、ワンポイントに小さな白い宝石がついたシルバーのタイチェーンと、薔薇の装飾のある金色のタイチェーン。
「こっちかな」
「わかった。買ってくるね」
リリーが頷いて、持っていく。
……買わせるつもり、なかったんだけど。
たまには良いか。
『なんで、そっちを選んだの?』
「リリーのドレスには、そっちの方が合うからな」
※
店を出て、今度は女性用の靴を置いている店へ。
「座って」
リリーを椅子に座らせて、ドレスに合いそうな靴を選ぶ。
可愛い形が結構あるな。
奥から出てきた靴屋の主人がこちらを見る。
「何をお探しでしたか?」
「オレンジ色のドレスに合わせる靴を探してるんだ。歩きやすくて、可愛いやつ」
「でしたら、こちらはいかがでしょう」
可愛い。アンクルストラップも付いてるから歩きやすそうだ。でも。
「もう少し装飾が欲しいな」
「装飾は別で付けられますよ。こちらに色々ございます」
髪飾りみたいな可愛い飾りがたくさん置いてある。
どれも二つセットで、クリップで靴に付けられるようになってるみたいだ。
「どうぞ、ごゆっくりご覧ください」
リボンも可愛いし、このドライフラワーを使ったのも綺麗だ。くず石を集めて作られたのもセンスが良い。色合いの違う大ぶりのファーの飾りは寒い季節に合いそうだ。
『エル。これが可愛いわ』
『ナターシャの場所、エルには見えてないからね』
これかな。
『そう。それ!』
『なんでわかったの?』
「声の方向ぐらい、わかるよ」
ナターシャはセンスが良い。
座っているリリーの方に戻ると、リリーがブーツを脱いでいる。でも、履いていたものがない。
「ブーツは?」
リリーが、奥の工房を指す。
「直してくれるみたい」
「そうか」
ずっと履いてる靴なら、修繕も必要だ。
丁度良いだろう。
「履いてみて」
リリーが靴に足を入れる。
タイツの上からだけど、サイズは丁度良さそうだな。アンクルストラップを付けて、ファーを飾る。
「わぁ。可愛い」
『でしょう?エルと一緒に選んだのよ』
「ありがとう」
座ったまま、リリーが足をひねって靴を眺める。
「立ってみても良い?」
「もちろん」
リリーが立ち上がる。
「いつもより背が高くなったみたい」
ヒールの高い靴だからな。
二、三歩歩いた後、リリーがくるりと回って戻ってくる。
「すごく歩きやすい」
「なら、これで決まりだな」
「うん」
リリーが靴を脱ぐと、店主がブーツを持ってきた。
早いな。もう修繕が終わったのか?
「どうぞ。履き心地をお確かめください」
「はい」
そう言って、リリーがブーツを履いて立つ。
「すごい。前よりしっくりくる」
留め具の交換だけじゃなく、調整もしてくれたのか。
「この靴と飾りを包んでくれ。修繕費はいくらだ?」
「修繕費は結構ですよ。娘からご活躍は聞いております。新しい騎士様にお引き立て頂ければ幸いです」
「娘?」
リリーの知り合いなのか?
「王国兵士として国へ奉仕させていただいております。先の遠征ではお世話になりました」
店主が頭を下げる。
遠征って、北の港への遠征か?
「私も、王国兵士の人たちには、すごくお世話になってます」
「いえ。女が兵士に志願するなど、はじめは反対したものですが……。リリーシア様と共に国に役立つ成果を出せたと喜んでおりました」
女性兵士なんて、珍しくないと思うけど。
リリーが姿勢を正す。
「はい。今回の遠征は女性だけで編成した少数部隊でしたが、精鋭揃いで士気も高く、とても頼りになりました。港や王都周辺の平和に貢献できたのも、王国兵士の皆の努力のおかげです。共に仕事を出来たことを誇りに思います」
『おぉ。近衛騎士っぽい台詞だね』
流石だな。リリーは、こういうことが難なく出来る。女王の娘時代に鍛えただろう王者の風格は健在だ。
急に態度を変えたリリーに、店主も居住まいを正す。
「そう仰っていただけて光栄です。剣術大会でも女性の優勝者は久しぶりのことと聞きます。今後の御活躍も期待しております」
「ありがとうございます」
リリーと一緒に店を出る。
手を繋いだリリーは、機嫌が良さそうだ。
「楽しそうだな」
「うん」
リリーが顔を上げる。
「知らないところでも、こんな風に繋がりが出来ていくのが、すごいなって思って」
「そうだな」
誰かの助けになることは、そこで終わりじゃない。そこで学んだこと、関わったことは、無限に広がっていく。
「ずっと、奇跡みたいな瞬間が続いてる気がする」
「大げさだな」
「だって。今を楽しめるのも、この先の未来を思えるのも。少し前の私には考えられないことだったから」
それは……。
「エルのおかげだよ」
違う。
リリーの手を引いて、立ち止まる。
「違う。奇跡でも、誰かのおかげでもない。リリーが今、こうしているのは、リリーが生きることを望んだからだ」
そうじゃなければ、あの時、パスカルとエイダは俺たちを助けたりしなかった。
「救われたのは俺の方だ」
リリーが居たから。今、ここに居る。
「じゃあ、エルも望んで」
リリーが両手を取って、俺を見上げる。
「誰かのせいにするんじゃなく、自分の意思で」
生きることを?
「……望むよ」
「本当に?」
ここまで生きてきたから見られた景色があるから。
「大切にする」
今なら、少しわかるかもしれない。
死が怖いって意味が。
そして、リリーがくれた言葉の意味も。
「だから、リリーも大切にして」
「私も?」
「俺の大切なリリーを」
ちゃんと守って。
リリーが笑う。
「はい。……大切にするね」
約束。
「あ」
通行人にぶつかりそうになったリリーを抱き寄せる。
こんなところで立ち止まってても仕方ない。
「行こう」
「うん」
リリーの左手を引いて、歩き出す。
出会った時から変わらない。
だから、これから先の未来もずっと、一緒に歩いていきたい。
こうして、右手を繋いで。
※
フローラの店で頼んでおいた花束を受け取って、オルロワール家へ行く。
尾行は相変わらず続いてるけど。流石に、オルロワール家までは入ってこないだろう。
ロジーヌに案内された部屋には、俺が着る服と、リリーの為のピンク色のドレスが用意されていた。
着替えスペースはパーティションで区切られている。
ピンクのドレスが置いてある方に行って、オレンジ色のドレスを出す。
「今日はこっち。先に着替えてくるから、待っててくれ」
ドレスは一人じゃ着られないだろう。
「エル」
「ん?」
「あのね。結局、二つ買っちゃったの。今日の服に合う方を選んでくれる?」
リリーが包みを二つ出す。
タイチェーンか。
「わかった。後で、ロジーヌに選んでもらうよ」
リリーから包みを受け取って、服が置いてある方に行く。
用意されてるのは、白いシャツに華麗なコート。シンプルなパンツにエナメルの靴。どれも初めて着るな。これが最近の流行らしい。
余計な装飾もないし、城で着る服もこれぐらいシンプルなら良いのに。
ネクタイとタイチェーンは、後でロジーヌに付けてもらうとして。
「リリー」
リリーの方を覗くと、リリーが胸元でドレスを抑えて立っている。
「結ぶよ」
「あんまり、きつくしないでね?」
「苦しかったら言って」
ドレスの背中の編み上げ紐を結ぶ。
ダンスをするわけじゃないから、そこまで締め付けなくても良いだろう。
ドレスにしわが寄らないように気を付けて結ぶ。
「髪を結ぶよ」
リリーをドレッサーの前まで連れてきて、鏡の前の椅子に座らせる。
長い黒髪を二つに分けて……。アシンメトリーにしても良いか。高さを変えて軽く丸めた団子を左右に作っていく。
可愛く丸まったお団子に、薔薇の髪飾りを添える。
「あ。このオレンジの薔薇……」
「リックから預かってたんだ。リリーに渡してくれって」
ドレスにも良く合う。
「お礼、言いそびれちゃった」
「その内、また会えるよ」
「うん」
リリーの足元に靴を置くと、ノックの音が鳴った。
『ロジーヌだな』
「どうぞ」
返事をすると、メイドを二人連れたロジーヌが入って来た。
「失礼いたします。……もう、お支度はお済でしたか?」
「いや。化粧はしてないよ。ストールとリボンも合わせてくれ。靴はここに置いてある」
「かしこまりました」
メイドがリリーの方へ行く。
腰のリボンとストールは、テーブルに置いておけば良いだろう。
「素敵なドレスですね」
「前にポルトぺスタで買ったんだ。髪飾りはリックから貰ったやつ」
「リリーシア様に良くお似合いです」
「ピンクのドレスじゃなくて良かったか?」
「はい。もう少し御用意したかったのですが、以前、お合わせになったことのあるドレスが、こちらしかなかったものですから」
「え?前に着たことがあるのか?」
「年始の舞踏会でお召しになったものです」
マリーに連れて行かれて、アレクと踊った時か。
「ネクタイをお結びしましょうか?」
「あぁ。頼む」
ロジーヌと一緒に着替えスペースに戻ると、ロジーヌが手際良くネクタイを結ぶ。
「エルロック様。晩餐が始まる前に、談話室へいらっしゃって下さい。アルベール様がお待ちです」
「わかった。これも選んで」
リリーから貰った包みを両方開く。
タイチェーンの他に、揃いのハンカチまで入ってる。
「素敵なお飾りですね」
「リリーが選んでくれたんだよ」
「本日は、こちらに致しましょう」
ロジーヌが金色の薔薇のチェーンをネクタイに添える。
『この服には、こっちが似合うわね』
『そうだね』
イリスもこっちに来てたのか?
揃いのハンカチは、折りたたんで胸ポケットへ。
「良くお似合いです」
ロジーヌが微笑む。
「他にお手伝いすることはございますか?」
「大丈夫だよ」
ロジーヌと一緒にリリーの方へ行く。
まだ化粧中らしい。
「何かございましたら、メイドにお申し付けください」
「はい」
「では、失礼いたします」
ロジーヌが部屋から出ていく。
リリーの化粧は、良い感じだけど……。
「もう少し華やかな色で良いよ。こっちの色を足して」
道具を借りて、目元に明るい色を足す。
「口紅は、これかこれ。前髪は軽く巻いて」
「かしこまりました」
支度が整うまで、もう少しかかりそうだな。
先にアルベールの用事を済ませよう。
「リリー。談話室に行ってくる。迎えに来るまで待ってて」
「わかった」
『私、リリーの方に居るわね』
ナターシャは残るらしい。
こういうの、好きそうだよな。
※
談話室に入ると、アルベールとフランカが居た。
「フランカ?俺を尾行してた癖に、なんでここに居るんだ?」
「気づいてたのか?」
「気づいたのはウエストの商店街だ。いつから尾行してたんだよ」
「今朝、ガラハドの家を出てからだ」
朝から、ずっと尾行されてたなんて。全然気づかなかった。
「ハンドは見つかったのか?」
「見つけたが捕まえていない」
「なんで?」
「うちに引き込んで捕まえることにしたんだ。今日、お前が休む部屋に忍び込めるよう手配してある。フランカとドニスが護衛に当たる予定だ」
お膳立ては済んでるらしい。
「泊まる予定なんてなかったのに」
「マリーは、リリーシアを自分の部屋に招くと言っていたぞ」
勝手に決めやがって。
「デザートの時間になったら、マリーが姫とリリーシアを別室に案内する予定だ。エルは、ドニスと部屋に移動してくれ」
「了解。でも、ハンドを捕まえたら帰るからな。っていうか、本当の名前は何だ?」
ラングフォルド家の人間は、聞き慣れない名前が多いけど。
「グローザ。俺と同じ時期にラングフォルド家に入った奴だ。情報収集部隊に配属されたが、行方不明になっていた」
「行方不明?……まさか、逃亡に成功したってことか?」
「そうだ。いつもだったら、逃亡者は早い段階で連れ戻されるのに。グローザは帰らなかった」
―逃亡しても焼印のついた犯罪者は常に国から追われる立場。
グローザにも焼印がある。
―実際、逃亡しても連れ戻されていたのかな。
―あの近辺を警備する騎士団も彼らの手の内だろうからね。
あの伯爵なら、確実に逃亡者を捕まえる手段ぐらい持っていたはずだ。
っていうか。
「クロエ誘拐時に仲間だったはずだろ?お前は居場所を知ってたのか?」
「居場所を知っていたのは父だ。俺は、父から盗賊ギルドのハンドに手伝いを求めるよう言われて、グローザを仲間に誘ったんだ」
―……古い馴染みだから、兄貴が声をかけたんだ。
あれは、伯爵の指示だったのか。
「グローザは、逃亡は咎められてないと笑っていた。家の仕事を手伝うのも、その時が初めてじゃなかったらしい」
逃亡者から情報が漏れる可能性もあったはずなのに、自由な行動を許していたなんて。
伯爵は、グローザが裏切らない自信があったのか?
「そういえば、フランカは焼印を消してもらったか?」
「まだ消えていない」
「見せてくれ」
フランカに袖をまくってもらって、焼印の場所に緑のスカーフを巻き、大地の魔法を使う。
かなり薄れてるけど、まだ形がわかるぐらい残ってるな。
ロニーの痣みたいに綺麗になれば良いけど。
……しばらく魔法を使った後、スカーフを外す。
跡が完全に消えた。
「グローザの焼印も消せるか?」
「もちろん。でも、俺がやらなくても、被害者なら治療を受けられるはずだ」
「そうか」
何か不満そうだな。
「そういえば、グローザは尾行の技術が高いんだよな」
リックと行動時に俺を尾行していたのは、ファルとグローザだ。でも、リックに言われるまで、俺もメラニーも尾行に全く気付かなかった。
「それだけじゃない。あいつは有能な暗殺者だ。狙った獲物を確実に仕留める。危険を感じたら、ストーイと言え」
「ストーイ?」
「作戦中止の合図だ。行動を止める」
身内の合図か。
「ん。わかった」
使うことにならないと思いたいけど。
「こっちの話は以上だ。何か質問は?」
「要は、何もしなきゃ良いんだろ?」
「護衛が居るとはいえ、危険なことに変わりはない。自分の身ぐらい自分で守れよ」
「わかってる」
アルベールが、ため息を吐く。
「だと良いが。暇なら、レオナールの執務室に寄っていけ」
「なんで?」
「いい加減、溜まってる冒険者ギルドの清算をしたらどうだ。すごい額になってるぞ」
そうだった。
「わかった」
他にも頼みたいことがあるし、行って来よう。
レオナールの執務室へ。
ノックをして扉を開く。
「エル」
「色々、頼みたいことがあるんだけど……?」
誰だ?見慣れない奴がレオナールの横に居る。
「彼とは初めて会うのかな。僕の侍従のグエンだよ」
「はじめまして。グエンダルと申します」
「侍従?秘書官じゃないのか?」
長身で寡黙そうな男だ。見習いって年でもなさそうだし、近衛騎士でもない。一緒に仕事をするなら秘書官が適当だと思うけど。
「父の言いつけで別の仕事をしていてね。戻ってきたばかりなんだ」
金融業で別の役職があるから、下手に秘書官を兼任できないってわけか。
「頼みたいことって言うのは、冒険者ギルドの清算かな」
「それだけじゃない。料理人への開店資金の融資、新しい屋敷に関する改装費用の話……」
レオナールが笑う。
「座って。ゆっくり話を聞こう」
忘れていた冒険者ギルドの報酬の入金と、デュグレへの資金融資の手配。そして、礼拝堂裏の居住施設の改装費用の肩代わり。
グエンの淹れたコーヒーを飲みながら、経緯も一通り説明した。
「ウエストの一等地を譲ってもらうなら、こっちの店をデュグレに貸してあげたら良いんじゃないかな」
「貰う約束はしたけど、店の広さは確認してない。通路を作っても余るぐらいあるのか?」
「あそこは、僕も気になっていた物件だからね。詳しい資料があるよ。グエン、用意してくれるかい」
「こちらに」
すでに用意していたらしい。
グエンがテーブルの上に資料を用意する。
「この部分を削って通路を作ったとしても、二階建てにすれば十分な広さは確保出来るね」
「今から二階部分を作るのか?来月から使うんだぞ?」
「半月もあれば間に合うよ」
「いつ作業に入れるかなんて、店子の立ち退き次第だろ」
「それも含めて、こちらに任せて貰えないかな。フローラと土地を分割するなら、最初から通路の工事を公共事業として請け負うことが出来るよ。改装工事もうちが指定した職人にしてもらえると安く見積もれるね」
随分、俺にとって都合の良い展開だな。
オルロワール家の指定なら間違いは無さそうだけど……。
「良いけど。条件は?」
「デュグレへの融資をやらせて欲しい」
それが本音か。
「俺が辞めさせたようなものだから、初期費用は俺が出して、店が軌道に乗るまで家賃もタダって約束なんだよ」
「エルの店を無料で貸す予定だったの?最近なら、エンドの物件でも十分な値が付くんだけどね。ウエストストリートでも同条件で貸すつもりかい」
「そうだな……。タダで貸すのは、一階部分だけ。店が軌道に乗って、二階も使うようになったら、家賃も考えるよ」
「じゃあ、その際の融資を僕から申し出ることにするよ」
「随分、高く買ってるじゃないか」
「あの味なら、すぐに人気の店になるからね」
業績に期待できる店に出資したがるのは当然か。
長期的に見るなら、経営に詳しいオルロワール家に融資して貰った方が良い。
「わかったよ。軌道に乗った後の面倒は任せる」
「ありがとう」
レオナールが微笑む。
「エルの薬屋の方はどうするんだい。売りに出すなら買うよ」
「あれは、ルイスに渡す予定だ」
「ルイスに?」
「研究所に見習いで入るって言われたんだ。そこで勉強して、資格を取得出来たら薬屋をやるらしい」
「それまで空くわけだね」
「だから、やらな……」
「いくつかプランを考えておくよ。所有権をエルが保持したまま、今の形で残せるように」
有無を言わせないな。
「わかったよ。良い案があったら乗る」
「ありがとう。でも、しばらく店を空けるなら、薬は研究所に引き取ってもらわなければならないよ」
「デュグレに貸さないなら、もう少し薬屋は続けるよ。ルイスの勉強にもなるし。それでも残ったら、レオナールに貸す前に処分する」
「時間がなければ、こちらで処分も出来るからね。他に手伝うことはあるかい。家政婦探しを手伝おうか?」
「そうだな。子供の世話が好きな奴で頼む」
「良い人を探しておくよ」
「後は、あれ。音楽院に入る手続きって知ってるか?」
「キャロルを入れることにしたの?」
「あぁ」
「手続きは、親子で面談を受けるぐらいじゃないかな。金銭面の心配があれば別の手続きが必要だけど。入るのも出るのも自由な場所だからね」
「そんなんで、ちゃんと学べるのか?」
「本人の意欲次第。指定の単位を取得すれば修了証を得られるけれど、授業料を支払えば、誰でも好きに使い続けられる場所なんだ。誰かに師事しても良いし、音楽院を足場に個人的な作曲活動を続けても良いし」
養成所と比べると、かなり自由な場所だな。
「修了証を得た後は、クエスタニアの音楽院へ留学を目指す子も多いみたいだね」
「留学か……」
まだ、先の話しだけど。
「後は、これかな」
レオナールが書類を出す。
これは……。
「近い将来のことを危惧しているわけではないけれど。子供のことを思うなら、作っておいて損はないよ。詳しいことはシャルロに聞くと良い」
「……ん。わかった」




