138 一つ目の巨人
城の北側には兵宿舎が存在する。
そして、王都をぐるりと囲む城壁の北大門もそこにある。
「この子が、陽炎だよ」
リリーが自分の愛馬を撫でる。陽炎もリリーのことを気に入ってるのか、リリーの方に顔を寄せた。
「良い馬だな。陽炎。リリーを頼むよ」
『心配しなくても大丈夫だよ』
……そうだな。
イリスも付いてるし、大丈夫だろう。
「リリー、気を付けて」
「うん。エルもね」
元気に返事をして、リリーが陽炎と共に北大門へ向かう。
門で待っていたカミーユとバーニーと合流すると、リリーが振り返って、大きく手を振った。
いってらっしゃい。リリー。
出発する三人を見送る。
リリーは、腕にカーバンクルの腕輪をつけて、虹のワンピースとタイツを着た上に撫子のマントを羽織っている。
三人の影が小さくなって、北大門が閉じ始める。
さて。こっちの準備はどうなってるかな。
北大門前の広場では、複数の魔法使いが巨大な筒状の布に向かって風の魔法で空気を送り込んでいる。広場を埋め尽くすほど巨大な風船を膨らませているところらしい。
三番隊の演習所を借りて行う予定だった実験が、今、ここで行われている。
研究所の連中だけじゃなく、魔法部隊の連中も手伝ってるみたいだな。
さっきよりは、かなり膨らんでるけど……。
作業を監督しているセリーヌの方へ行く。
「手伝うか?」
「大丈夫よ。いくらあんたでも、魔力の温存はしておいた方が良いわ」
「どういう意味だよ」
「これが資料よ」
セリーヌから受け取った資料を見る。
巨大風船の下にロープで籠を吊るした図が描いてある。
風船の下には空気を温める為の装置が付いていて、籠に乗った人間が、これで巨大風船を操作するらしい。
「あの布袋に風を送り込んで、中に入った空気を暖めるのよ。そうしたら風船みたいに空に浮かぶわ」
原理は解ったけど。
「これじゃ、方向の制御は出来ないんじゃないのか?」
「風の精霊に頼んで風を読んでもらうのよ」
行き先は風まかせ?
「目的地と逆方向に風が吹いていたら?」
「魔法でどうにかするしかないわね。一応、籠の中に風の魔法陣が描いてあるわ」
魔法で、風に逆らって進めって?
「使用方法が現実的じゃない」
「当然よ。高さの制御しか出来ないんだから」
「舵が取れるようなものは付けられないのか?船の構造と似た感じに出来るなら、スクリュープロペラでも付ければ……」
「あのねぇ。元々、高い位置から周囲を見渡す為の、物見塔みたいな役目を目指してたのよ。空を移動することなんて想定してなかったわ」
「だったら、なんで?」
―馬車と、エルの強行軍に付き合える王国兵士を用意しておくよ。
当初の予定では、馬車で王都を出発する予定だった。
移動手段として巨大風船を使うように勧められたのは今朝だ。
「エルなら使えると思ったから、貸してあげるって言ってるの。馬車より移動も早いし、移動中の小隊を捕まえやすいでしょう」
確かに。
セルメア一行が通る予定のルートを馬車で逆走して、会えそうな街で待つ予定だったけど。移動中の一行と合流出来るなら、待つことなく会える。
会談の場をどうするかは別に考えなくちゃいけないけど。
「乗るのは俺だけじゃないんだぞ。安全なんだろうな」
「熱に耐性のある丈夫な布で作ってあるもの。ドラゴンに攻撃されない限り平気よ」
フォルテは退治済みだし、いきなり攻撃を仕掛けてくるようなドラゴンは居ないだろうけど……。
「私も同行するわ」
「セリーヌが?」
「見ての通り、膨らませるのはものすごく大変なの。一度しぼんだら帰って来れない。エルが会談中、熱気球を膨らませ続けておく役目が必要でしょ?」
「熱気球?」
「これの名前よ」
詳しい人間が同行して管理してくれるのは助かるけど。
「責任者は?」
「私よ。これは、私がリーダーをやってる同好会で作ったんだもの」
「同好会?」
「そういうのがあるの。錬金術研究所、魔法研究所、魔法部隊……。色んな人の集まりよ。要は遊びで作ったってこと」
―錬金術研究所の実験らしいっすよ。
パーシバルは、こう言ってたけど。三番隊への連絡が適当だったのは、正式な集団じゃなかったからか。
「そろそろ熱を加えるわ」
セリーヌが手のひらサイズの丸い玉を出す。
「特殊な炎の玉よ。これを、熱気球の装置に付けるの」
セリーヌが熱気球の方に行って、籠の辺りにある装置に炎の玉を設置する。あれで火力の調節が出来るらしい。
新しい魔法の玉か。
普通の魔法の玉は手で握れるぐらいの大きさで、持ち運びも便利だ。
でも、セリーヌが持っていたのは、それよりも二回りほど大きい。あれだけ大きいなら、より大きな力を込めることが出来そうだ。持ち運びは不便そうだけど。
『あれで、本当に空を飛べるの?』
『飛べるんじゃなぁい?』
熱を加えられ、空気が暖められたことによって、風船部分が宙に浮かぶ。横倒しになっていた籠が起き上がったかと思うと、熱気球は、すぐに地上から浮かび上がった。
「押さえて!」
「捕まえろ!」
「火力下げて!」
「籠を掴め!」
「早く!」
「重し持って来い!」
セリーヌを乗せたまま浮かび始めた籠を、そこに居た連中が必死に捕まえて地面に降ろしている。何人かが籠に括り付けてる重しは、資料には砂を詰めた袋って書いてあったな。上空で急な浮上が必要になった場合、重さの調節に使うらしい。
遮るものが何もない空を飛ぶとはいえ、トラブルへの対処は高さの制御だけ。
……まぁ、どうにかなるか。
「エル。準備が出来たわ。行きましょう」
「まだ同行者が来てない」
『来ているぞ』
振り返ると、ドニスとベルトランが居た。
「おはよう。いつから来てたんだ?」
ドニスが丁寧に礼をする。
「おはようございます、エルロック様。御挨拶が遅れて申し訳ありません。あまりにも、壮大なことが起こっていたので、つい見とれておりました」
「エルロック。あれは、どういうことなんだ?」
「あれは、熱気球。今回は、あれに乗って空を飛んで移動する」
「え?」
「空……?」
※
『おー。すごいねー』
良い景色だ。
『気持ち良いわ』
『僕、炎の傍に居るね』
『……』
『バニラは、エルの中に居た方が良さそうねぇ』
バニラは、高いところが苦手なんだっけ。ベルトランも何かぶつぶつ言いながら、籠の中でうずくまっている。
「すごい。今、私たちは鳥のように空を飛んでいるんですね」
ドニスは平気らしく、楽しそうに景色を眺めている。
『あっちに行くなら、高度を上げてー』
「セリーヌ、上昇してくれ」
「わかったわ」
セリーヌが火力を上げると、熱気球は更に上空へ昇る。
「地上を見て。すごい速さで流されてるわ。移動中の部隊を見つけたら、早めに教えてね」
「あぁ」
風に乗って進む分、あまり風は感じないな。移動速度は、地上の景色の推移で確認するしかない。
要人を乗せた馬車を護衛する騎士団なら、規模も大きくて目立つし、見晴らしの良い草原を移動中なら見つけやすそうだけど。目指す方角は間違えないようにしないと。
『僕も探すね』
『私も手伝うわ』
『落ちないようにな』
「お前ら、俺から離れるなよ」
『はぁい』
『高度はこれぐらいで良いよー』
「セリーヌ、この高度を維持してくれ」
「わかったわ」
ドラゴンが飛翔する高さよりは低いかな。
上空は思ったより寒くない。
魔法を使わずに出来ることは、熱気球の高さを変えることだけ。風の流れを読みながら進む方向を決めるなんて。精霊の助けなしに操縦するのは難しいな。
※
『誰かが戦ってるよ』
『騎士かしら』
見下ろすと、ひときわ目立つ巨大な亜精霊と戦闘している集団が見える。あれは、巨人の亜精霊か?
近くにラングリオンの紋章が描かれた大きな旗が立っている。戦ってるのは王国軍で間違いない。
全員騎馬。その中に、銀朱と青藍のマントが見えた。
「ツァレンとシールだ」
でも、一緒に居るはずの要人を乗せた馬車が見当たらない。
近くに居ないとすれば……。
周囲を見渡すと、騎士団の砦があるのが見えた。
「セリーヌ、あの騎士団の砦に降りてくれ」
「え?良いけど、どうして?」
「下で騎士団が亜精霊と戦ってる。大陸会議の参加者は砦に避難してるはずだ。俺はツァレンとシールと合流するから、先に行っててくれ。ジオ、セリーヌを手伝って」
『えー?』
「頼むよ」
「良いわよ。置いて行かなくて。私も風の精霊の力を借りられるし、降下の準備ぐらい出来るわ」
風の精霊と契約してたのか。
「なら、行ってくる」
「待って。まさか、この高さから飛び降りる気?」
「そのつもり」
「何考えてるのよ。せめて、高度をもう少し下げないと……」
「待って下さい、私の役目はエルロック様の護衛です」
「下にアレクの近衛騎士が居るから平気だよ。ドニスはベルトランとセリーヌを頼む」
籠から身を乗り出したところで、セリーヌに服を捕まれる。
「待ちなさい!あんた一人降りただけで、重さのバランスが崩れるのよ!」
「なら、同じ重さの岩でも置いていくか?」
「余計なことしないで。……良いわ、これで大丈夫。大事な会談前なんだから、服は汚さないようにね」
「わかったよ。じゃあ、行ってくる」
熱気球から飛び降りる。
落下。
『手伝うー?』
「平気」
砂の魔法を使ってるから、思ったよりも安定して飛べる。
真っ直ぐ、あの巨大な亜精霊めがけて落ちれば良いだろう。
ジュレイドを抜いて、下に向かって構える。
変わった亜精霊だな。毛むくじゃらじゃないからトロルじゃなさそうだ。他に巨人の亜精霊と言えば……。
「あ」
亜精霊の脳天にジュレイドが突き刺さる。
しまった。
顔を確認するまで気づかなかった。
こいつは、一つ目巨人の亜精霊、サイクロプス。
サイクロプスの左肩に着地して、引き抜いたジュレイドで急いで目に向かって斬りかかったけど、間に合わない。
そのまま体を振り回されて体勢を崩す。落ちかけたところで、風の魔法で編んだロープをサイクロプスの首に巻き付け、振り回されながらサイクロプスの背に足をつけて落ちないように耐える。
『右!』
俺を追い払おうと伸びてきた右手をジュレイドで斬りつけると、右手が遠くに離れた。
今の内によじ登ろう。
でも、視界に左手が伸びてきたのが見える。俺を捕まえようとしているらしい。
……ここから一つ目を狙うのは無理。
いつまでも背中に張り付いてるわけにもいかないし、別の方法を考えよう。
左手を斬りつけ、ついでに首にも攻撃して、サイクロプスの背中を蹴って宙を舞う。
「エル!」
ツァレン。
そのまま宙を飛んで、ツァレンが乗っている馬の背に足をつけて、ツァレンの背に捕まる。
「落ちるなよ」
足場が一人用の鞍の後ろじゃ、今にも振り落とされそうだ。
「立った方が楽」
「はぁ?」
ツァレンの肩を掴んで立ち上がり、ツァレンの肩を跨いで、右足だけ鞍の前驕へ乗せる。真空の魔法でくっ付いていれば簡単には落ちないだろう。左足は馬の後ろ側に乗せてバランスを取る。
「本当に楽になったのか?」
「少し」
周囲を見ると、馬に乗った兵士がサイクロプスに向かって矢を放っているのが見える。
「全然、一つ目に届いてない」
「矢は陽動だよ。足を攻撃して倒れたところで、一つ目に攻撃する予定なんだ。でも、なかなかしぶとくてな」
「魔法なら届くかも」
炎の魔法で矢を作って、サイクロプス目がけて放つ。
でも、魔法の矢は当たる前にサイクロプスにふり払われた。
「強い力じゃないと駄目か」
「そうでもないぜ。一つ目に矢が一本でも刺されば、かなりのダメージになる。あいつも、それがわかってるから目に攻撃を食らわないように必死なのさ」
つまり、俺が一撃でも与えられれば状況は違ったってことか。
ちゃんと観察してから降りてくれば良かった。サイクロプスだって、もっと早い段階で気づいていれば対処も出来たのに。
目の前を走り抜けた騎兵が、弦を引き絞って矢を放つ。
弦……。
「弓を貸して」
「エルの力じゃ届かないと思うぜ」
「魔法を使う」
「魔法?変わった方法でも使うのか?」
「そんな感じ」
「その辺に降ろすことはできないぜ。歩兵は簡単に足で踏み潰される。馬上から狙えるか?」
「やってみる」
かなり揺れるけど、真っ直ぐ立つことは可能だ。
落ちそうになったら、ツァレンが俺の右足を掴んで引っ張ってくれるだろう。
「ほら、弓だ。矢は矢筒から好きなのを選べ」
「ん」
ツァレンから弓を受け取って、馬に括り付けてある矢筒から適当に一本取り出す。
亜精霊の糸みたいに、弦に魔法の力を込めることが出来るなら……。
『弦が光ってる……』
思った通り。
弦に魔法を込めることは可能だ。
弓を引き絞る。
……この揺れじゃ、狙いを定めるのが難しいな。
でも、走りは一定だ。
リズムを合わせて。
呼吸を整えて。
集中して……。
サイクロプスが、こちらを見た瞬間。
矢を放つ。
矢は減速することなく真っ直ぐに突き進むと、そのままサイクロプスの一つ目に突き刺さった。この速さで飛ばせば振り払われることもないらしい。
攻撃を食らったサイクロプスは、一つ目から矢を引き抜いて、こちらを睨む。
……効果はあったみたいだけど。流石に、矢一本で倒すのは無理か。
『目をつけられちゃったわねぇ』
『こっちに向かって走って来るよ』
「ツァレン。逃げてくれ」
「了解」
『あ、雷に打たれたわ』
シールの魔法だ。
体が痺れたのか、サイクロプスの動きが鈍る。
良い手だ。
「金属製の矢はあるか?」
「銀の矢ならあるぜ」
「もう一回、目を狙うから、曲がる時は教えて」
「了解」
矢筒から銀の矢を探し出して、さっきのように弦に魔法の力を込めながら弓を構える。
大丈夫。さっきも当てられたし、外さない。
集中……。
だんだん、目に見える世界がゆっくりになる。
足元の揺れも。
追ってくるサイクロプスの動きも。
周囲で走り回る騎兵の動きも。
それらの次の動作までもが、手に取るようにわかる。
音が消えて。
真っ直ぐ、狙う場所へ続くラインが浮かび上がる。
行ける。
そう思うより先に右手から離れた銀の矢は、さっき見た線の通りに突き進むと、サイクロプスの一つ目を貫いた。
「シール!」
大声で呼ぶと、シールが雷の魔法を使う。
タイミングばっちりだ。
放たれた雷は、避雷針代わりになった銀の矢に向かって落ちた。
「エル、曲がるぜ」
「了解」
振り落とされないように、ツァレンの肩に捕まる。
雷の直撃を一つ目に食らったサイクロプスは、体を大きく仰け反らせた後、唸るような咆哮を上げ、消滅した。
「任務完了だな」
減速した馬から飛び降りる。
けど、膝が震えて上手く着地出来ずに、地面に手を突く。
「エル!」
馬はすぐには止まれない。そのままツァレンが走り抜けていった。
『大丈夫?』
「少し休めば平気」
『無理をし過ぎたんだろう』
『馬の上で立つなんて、無茶するよねー』
体を地面に倒して仰向けに寝転がると、戻ってきたツァレンが馬上から俺を見下ろす。
「大丈夫か?」
「平気。セルメアは近くの砦に居るのか?」
「あぁ。避難してもらってるぜ。っていうか、空に浮かんでたあれは何だったんだ?」
「研究所の同好会が作った玩具」
研究所以外のメンバーも居るみたいだけど。
「いつから研究所に入ったんだ?」
「俺が作ったんじゃないぞ」
「エル!無事か?」
馬で走ってきたシールが、俺の近くで馬を止める。
「心配要らないよ」
体に反動をつけて立ち上がる。
『大変。服が汚れちゃったわ』
「大したことない」
体についた埃を払う。
「周辺の安全は確保できたし、砦に行くとするか」
「そうだな。丁度、迎えも来たようだ」
「迎え?」
ドニスが、馬を走らせて来るのが見える。
「待ってろって言ったのに」
「オルロワール家の騎士か」
「ドニスだよ」
「残念だな。迎えが来なけりゃ、お姫様抱っこして連れて行ってやろうと思ってたのに」
「はぁ?冗談じゃない」
ツァレンとシールが笑う。
「彼が二人乗りの馬で迎えに来てくれたことに感謝するんだな」
本当に。
助かった。
※
迎えに来たドニスの馬に乗せてもらって、騎士団の砦へ。
状況の説明は終わっているらしく、騎士団の計らいで会談の準備も整っていた。
話し合いは、どこかの街に寄ったタイミングか、移動中の馬車を借りて行うしかないと思ってたから、助かった。
帰還の挨拶もそこそこに、ベルトランと合流して、セルメアから来た客人が待つ会議室へ行く。
「お初にお目にかかります。ラ・セルメア共和国大統領閣下。ラングリオン王国皇太子秘書官エルロックと申します」
「お初にお目にかかります。同じくラングリオン王国書記官補佐秘書官ベルトランと申します。ラ・セルメア共和国の大統領閣下にお会いできて光栄です」
「ラ・セルメア共和国大統領ヴィルサーと申します。こちらこそ、先の戦争の調停役として貢献された英雄にお会い出来て光栄ですよ」
大統領と握手を交わす。
「大統領閣下の御訪問は、我が主も大変歓迎いたしております。閣下の御迎えに当たり、安全な道程になるよう最大限に配慮したつもりですが、亜精霊の襲撃を招く事態となってしまったことを深くお詫びいたします」
ベルトランと一緒に、丁寧に頭を下げる。
「どうか、御顔を上げて下さい」
言葉に従って、顔を上げる。
「現在は、アンシェラートの影響により、不測の事態が起きやすいことは承知しております。ラングリオンの皆様が、私どもの安全を第一に御考えくださっていることは十分に理解し、感謝しております」
「そう仰っていただけると幸いです。お怪我はございませんか?」
「御覧の通り、私の従者を含め健康そのものですよ」
「それを聞き安心いたしました」
「こちらこそ、素晴らしい騎士を派遣していただき、感謝いたしております。ところで、お話ししたいことがあるということでしたね。是非、お聞かせ願えますか?」
「はい」
促されて、大統領と共に席に着く。
今回の大陸会議の代表の中では、年長に当たる方だろう。四十代後半のはずだけど、落ち着いた雰囲気の中に覇気がある様子は、とても若々しい。
大陸河川のことは、噂程度に聞いていたらしい。
ローレライ川からアスカロン湾へ抜ける運河造成計画を話すと、出資の申し出までしてきた。具体的な話しは計画が本格始動してからになるけど、大陸河川に関しては賛成の意向とみて間違いないだろう。有意義な意見交換も出来た。
つい最近まで敵対していた国とはいえ、大統領はラングリオンとの友好関係構築に積極的らしい。ローレライ川に、共同で橋を架ける案まで貰った。
すでにローレライ川に架かっている橋は、どこも戦争の歴史が残っている。そこで、戦争の歴史の一切ない橋を架けることで、両国の平和と友好の象徴としたいらしい。
その案も持ち帰る約束をして、セルメアとの会談は無事に終了。
土産に持って来たショコラを渡すと、喜んでその場で口にしてもらえた。
「流石、ラングリオン王国です。食品加工技術の高さには、いつも驚かされます。エルロック様は、我が国にもお越しいただいたことがあるでしょう。お気に召した場所はおありでしたか?」
俺の行動は筒抜けか。
「ラ・セルメア共和国と言えば、琥珀の産地として有名です。マーメイドの涙と呼ばれる美しい琥珀は、皇太子殿下も気に入られておいででした」
「モールモス地方へ行かれたのですね。しかし、我が国は他にも素晴らしい特産品がいくつもありますよ」
※
「では、旅のご無事を祈っています」
「はい。大陸会議でお会いできるのを楽しみにしておりますよ」
さんざんセルメアの特産品の紹介を受けた後、ようやく解放された。
「お疲れ様」
「ツァレン、シール」
会談中、扉の前に居てくれたらしい。
「時間がかかったけど、旅程に影響はないか?」
「問題ない」
「次の街までは、そんなに遠くないからな」
良かった。
「エルは、俺たちより先に帰還するんだよな?」
「あぁ。今日中に帰る予定」
「空をひとっ飛びってわけか。なら、こいつを主君に届けて貰って良いか?」
「良いよ」
ツァレンから報告書を受け取る。
「サイクロプス退治は助かったぜ。でも、騎士の仕事に手出しは無用だ」
「エル。あんな危険な合流方法は今後しないように。私の魔法や、仲間の矢が当たってたかもしれない」
『説教タイムねぇ』
「そんなに危ない方法じゃなかったと思うけど」
「空から降ってきといて何言ってるんだよ」
「出先では護衛と一緒に行動するよう言われてるはずだろう」
「二人が居たし、平気だろ?」
「俺たちは今、エルの護衛に専念出来ないんだからな」
「私たちは今、エルの護衛に専念出来ない」
『早々に謝った方が良いぞ』
謝らないと終わらないのか。これ。
「悪かったよ。今後気を付ける」
「というわけだ。ドニス、エルを頼んだぜ」
「はい。お任せください」
「帰る前に、騎士団長に会いたいんだけど」
「挨拶を忘れないとは感心だな」
「案内しよう。こっちだ」
シールの案内で砦の騎士団長に会って、会談の場を整えてくれたことへのお礼を言って。昼食の誘いを断ったら、土産にサンドイッチの山を貰った。
それから、砦の物見塔の上へ。
熱気球は、物見塔にロープで繋がれて浮かんでいた。
ドニスの話では、熱気球から下ろしたロープを、どこでも良いから砦に繋いでくれと頼んだら、物見塔の上に結んでくれたらしい。
良く、こんな得体のしれない浮遊物を受け入れてくれたと思うけど。国旗を振って挨拶をしたら、案外、柔軟に受け入れてくれたらしい。まぁ、乗組員が三人だけなら、砦に迎え入れたのが悪人だったとしても対処は可能と判断したんだろう。
詳細な説明は、その後、縄梯子で降りた後にしたらしい。
「セリーヌ!」
呼びかけると、熱気球の中からセリーヌが顔を出す。
「おかえりなさい、エル。今、縄梯子を下ろすわ」
下ろしてもらった縄梯子を登って、籠に乗る。
続いて、ベルトランとドニスも乗り込み、縄梯子を回収する。
「出発する時は、繋いであるロープを切ってもらう予定よ。下の兵士に頼んでね」
「わかった」
空を見上げる。
今にも雨が降りそうな曇天だ。
『風向きが良くないねー。オイラが補助するから、上手く飛ぶんだよー』
行きは魔法を使わないで済んだけど、帰りはきつそうだな。
「ドニス、ベルトラン、準備は出来てるか?」
「大丈夫だ」
「はい。問題ありません」
籠から物見塔を見下ろす。
「出発する!ロープを切ってくれ!」
「了解!」
返事をした後、兵士がロープを切る。
熱気球は、風に煽られて一気に砦から離れた。
ドニスが国旗を振ると、下の兵士も国旗を振ったのが見えた。
「さて、行くか」
『エル。少し南に流されながら進むよー』
「セリーヌ。直線では帰れないけど、良いか?」
「良いわよ。どうしても難しいなら、風の魔法の玉があるから言ってね」
「風の?それって、これみたいに大きい奴か?」
装置についている炎の玉を指す。
「そう。中玉サイズよ」
「これで中玉?」
「日常使っているのが小玉。これが中玉よ」
ってことは、大玉サイズもあるのか。
「必要になったら言うよ。時間がかかりそうだから、ランチを食べながら行こう」
「空中でピクニックなんて、なかなか出来ない体験ですね」
「素敵でしょう?」
「はい」
ドニスは楽しそうだな。
ベルトランは相変わらず、身を屈めたままだ。
ハムとサラダのサンドイッチを食べながら、風の魔法を使って、熱気球を誘導する。
かなり流されてるな。これなら、帰るのにどれだけ時間がかかるかわからない。
『あれー?デルフィだー』
デルフィ?
『また君は面白いところに居るじゃないか。こんなに巨大な風船がぷかぷか空に浮かんでるなんてなんて素晴らしいんだろう。これは冒険者の新しい移動方法?それとも国の最新研究成果?あぁなんて素敵なんだい』
目の前に見たことないものがあったから飛んできたのか。本当に新しいもの好きなんだな。
『そうだわ。デルフィに手伝って貰ったら良いんじゃない?』
「嫌だよ」
代償に何を願われるかわかったもんじゃない。
『手伝って欲しいことがあるの?何だい水臭いじゃないか。困っていることがあるなら言ってごらん』
『だから……』
『ナターシャ。余計なことは言わない方が良い』
『そおよぉ。お仕事中なんだからぁ』
『なぁに?気になるじゃないかもう。わかったよ。意地悪はしないって約束するから君たちの話を聞かせてくれないかい』
話の内容によっては、意地悪をするつもりだったのかよ。
『どぉするのぉ?エル』
「俺たちは、王都を目指してるんだよ」
『王都?方向が全然違うじゃない』
『風には逆らえないからねー』
『だから、僕達、困ってるんだ』
『そういうこと。おいで一緒に帰ろう』
「一緒に?」
急に、風向きが変わる。
「え?何?どういうこと?」
「風の精霊が味方してくれるってさ」
「エルの知り合いなの?」
「そんなとこ」
「どこかで聞いた気がする声だけど……」
ウォルカの妻なら、セリーヌも会ったことがあるのかもしれない。
「気のせいじゃないか?」
「そうね。……ありがとう、風の精霊さん。感謝します」
『ふふふ。これぐらい大したことないよ。どうせ、目的地は同じだ』
王都に戻るところだったのか。
『もしかして、探していた絵の具が手に入ったの?』
『正解だよ。君の炎の精霊は勘が良いね』
『良かったね、デルフィ』
『ありがとう』
今までずっと探してたのか。
菫色の染料。
いや。熱気球にも吸い寄せられてくるぐらいだ。あちこちで道草を食ってたんだろう。
リリーは、どの辺に居るのかな。
北を目指して出かけて行ったから、会うことはないだろうけど……。
『なんだい。ご機嫌だね。面白いことでもあったのかい』
「いや。なんでもない」
いつも、突然目の前に現れるから。
撫子のマントをはためかせながら見える場所を駆けていても驚かないだろうな。
※
思ったよりも早く帰れた。
皇太子総務事務室の机を借りて個別の会談の結果をまとめる。ついでに、大陸会議に向けた資料を仕上げていこう。
ベルトランには、空いてるスペースで西南諸国との会談に向けた資料の作成を頼んだ。作業は一緒にやった方が早いだろう。
「エルロック様、アルベール様からです」
ドロシーが、目の前に書類を置く。
急ぎの書類?
内容は……。
西南諸国にて、平和と友好を目的とした大規模な同盟が成立。
名称は、メヘン同盟。
盟主はモラルタ王国。
今回の大陸会議は、同盟の代表団が参加予定。
同盟参加国と元首が書かれた下には、同盟の紋章が描かれている。
蛇が自らの尾を咥えるデザイン。
「これって、ウロボロスじゃないのか?」
ベルトランにメモを見せる。
「ウロボロスとは、蛇やドラゴンが尾を咥える意匠の全般を指す。メヘンはウロボロスの一種、あるいは、ウロボロスの形の元となった蛇神を指す固有名詞だ」
「神?そういえば、向こうは動物への信仰もあるんだっけ」
「そうだ。だが、これは西南諸国における商人ギルドの派閥の通称だったはずだが……」
「派閥?」
「商人ギルドの実態は、力を持った商会の集まりだ。国家との取引きが多い分、派閥も多い。派閥ごとに癒着のある権力者が変わる」
「シガレットの件か」
「そういうことだ」
貴族の派閥と商会の派閥は同じ。
「我が国のように王権が強い国家では、商人の派閥争いが表面化することは少ないが。クエスタニアのように権力が一本化されていない国家では、国王、都市、教皇といった具合に、どの派閥を支持するかで恩恵が大きく変わる。逆に、権力者がどのような恩恵をどの商人に与えるかで、財政状況が変化する」
どっかで聞いた話だな。
「それ、主義の違いで穏便派と急進派もあるのか」
「宗教の問題も関わるとなれば、複雑なことも増えるだろう。共和制の国家だと、また違った影響がある。共和国は市民による投票によって国の代表が決まる。自分たちにとって都合の良い法を作ってくれる代表を支持すれば、直接、法に影響力を持つことが可能だ」
商人が派閥を組んで代表を担ぎ上げて、自分たちに得する法を作ってもらうってわけか。
「それが事実なら共和国は商人の国になりかねないぞ」
「大統領を目指す者は、何らかの派閥の後援を得ているものだ。しかし、圧倒的多数を占めるのは一般市民。グラシアル女王国では都市部の市民しか政治に参加できなかったと言うが、セルメアではすべての成人市民が政治に参加することが出来る」
「詳しいな」
「当然だ。城で働く以上、国家情勢については詳細に把握しておかなければならない」
グラシアル女王国に議会政治があることは、あまり知られていない。ベルトランの言う通り、参加できるのは一部の市民だけだったみたいだけど。
「女王国は大きな政変があった。共和制を目指すと言っている以上、セルメアのように市民全員が政治に参加できる体制を構築するのだろう。そうなると、どのような後援を受けようが、大多数を占める一般市民の声を蔑ろにした政治は出来なくなる」
一般市民の声、か。
課題が多そうなシステムだ。
「メヘン商人連盟は、西南諸国の中でも大きな商人ギルドの派閥だ。モラルタ王国との関係も深く、ラングリオンから出向く商人の仲介役になっている」
「ラングリオンとも関係が深い連盟なのか」
「そうだ。どういった経緯で同じ名を名乗ることになったのかはわからないが。モラルタ王国が盟主である以上、現状ではラングリオンにとって友好的な同盟とみて良いだろう」
「ん」
同盟の詳細については、大陸会議でも説明があるだろう。
重なっていた書類をめくる。
もう一枚は、大陸南部の国の情報。
クエスタニア南部には、大陸の北部と南部を隔てる険しいテウルギア山脈がある。山脈は東西に長く伸びて大陸の北部と南部を分断しているが、更にアルス山を頂点に南側にも伸びている。南部はノトリア山脈と呼ばれ、この東にはアルマデル国が、西にはパウリナ国がある。どちらもラングリオンと同盟を結び、言語も公用語を使用している友好国だ。
アルベールから貰った書類を見る限り、両国は順調に海路でラングリオンを目指しているらしい。
ちなみに、アルマデル国とパウリナ国の間には、冒険者ギルドの総本山であるアルス自由都市が存在している。切り立った崖の合間にあるとか、山中にあるとか、変わった地形に存在しているらしい。一度も行ったことはないから、噂程度にしか知らないけれど。




