136 女王の手記
氷に閉ざされた極寒の地。
この国は古くからずっと、雪解けのわずかな恵みを糧に一年を過ごすような極めて貧しい国だった。
私たちの祖先が、何故、このような貧しい土地に住むことを選んだのかは分からない。
国民の間では、南の争いから逃れてきた温厚な一族と信じられている。
王族の間では、太陽の女神に導かれた一族と信じられている。
しかし、私はそのどちらも信じてはいない。
私は王族だったが、兄弟たちのように魔法を使うことなどは出来なかったからだ。
精霊と心を交わす術は知っていた。
むしろ、他の王族よりも良く見えると褒められたものだ。
しかし、私には魔力というものが無いらしい。
それがなければ魔法使いとしては役立たずで、王族の中でも役立たずだった。
ある不幸な年のことだ。
冬至が過ぎたというのに、いつまでも冬の終わりが見えない年だった。
暦の上では明らかに春だと言うのに、雪と氷が溶ける気配は一向になく、冬眠から目覚める生き物も居ない。
このまま春を迎えることが出来なければ、この国が飢えるのは明らかだ。
蓄えが目に見えて減り続けていくことに皆が不安を感じていた。
私たちは当然ながら太陽の女神を信仰していたが、頼みの女神もその力が弱いように感じた。
国で最も重要な祭り、太陽の復活を祈る冬至祭は、いつも通りつつがなく終えていたというのに。
太陽への祈りは、空が厚い雲に覆われていては届かない。
やがて、国一番の魔法使いが、冬の原因が神の台座にあることを突き止めた。
何らかの原因で、氷の大精霊がその力を大きくしていると。
しかし、原因が明らかになったところで、何が出来ると言うのか。
思考停止した大人たちが出した結論は、王族の一人を氷の大精霊に捧げることだった。
そして、当然、私が選ばれた。
神の台座が望める場所だった。
地面の隙間には滑車が取り付けられていた。
崖に入った亀裂は、小舟を降ろすのに丁度良い隙間だったらしい。
見下ろした空間からは、恐ろしい生き物が騒ぐような音が鳴り響いていた。
小舟に乗り込んだ私は、下に辿り着くまでロープを離さないよう指示された。
決して滑らかとも一定とも言えない恐ろしい揺れを起こしながら。
また、風が紡ぎ出す怪物のような咆哮に囲まれながら。
私一人とわずかな食料を乗せた小舟がゆっくりと落ちていく。
落ちた底。
生まれて初めて触れた海は、触れるだけで指が凍てつきそうなほど冷たかった。
繋がれていたロープを解くと、小舟が動き出した。
この小舟は何処へ行くのだろうか。
私が氷の大精霊への捧げものだったとしても、神の台座へ行くことなど出来はしないというのに。
かつて。
神の台座に辿り着いた者が居ることを私たちは記録の中で知っていた。
それは、遠く東の大帝国からやって来たらしい。
何艘もの船が、荒れ狂う高波や外海の生き物に呑まれていくのを私たちの祖先は目にしている。
その内のわずかな船が神の台座の目の前まで辿り着き、氷の断崖絶壁に当たって砕けるのも。
その内の更にわずかな人間が、氷の断崖絶壁の登頂に成功したことも。
そして、好戦的な東の大帝国は、神の台座から封印の棺と呼ばれるものを持ち去った。
盗まれた棺は、東の果てで開かれたらしい。
しかし、中に入っていたものは絶望だった。
絶望は東の果てを七日七晩で焼き尽くした。
その結果、そこは砂漠と呼ばれる枯れた土地に変わり果てたという。
絶望はその後、再び封印されたと伝え聞いている。
東の大帝国が何を求めていたのかはわからない。
しかし、それだけの惨事を起こしながら、東の大帝国が滅んだという話しを聞かないのも不思議な話だった。
祖先の残した古い話しに想いを馳せながら、私は小舟に揺られていた。
この話しが本当なら、こんな小さな舟で辿り着くことが不可能なのは明らかだ。
高波に攫われるか、外海の生き物に食われるか、はたまた氷の断崖絶壁に当たって砕けるか。
果てしなく続く暗闇は、死、そのもののようだった。
それでも、私は必死に小舟にしがみついていた。
太陽の女神だけは私を見捨てないと信じて。
必死に祈りの言葉を呟き続けた。
そこから先の記憶は定かではない。
気が付くと、私は海ではない場所へ打ち上げられていた。
そこは、大地と言うよりも木の根のような見た目をした場所だった。
遠く、波しぶきの音が聞こえる。
ここはどこだろうか。
確かめようにも、地面に張り付いた体は自分のものではないかのように、ひたすら重く、感覚も鈍い。
自分の生死すら疑った、その時。
それは、現れた。
ようこそ、神の台座へ。
その声は、はっきりと私の耳に届いた。
私は、神の台座に来た?
視界の中に二本足が映り、それは膝をついて私の顔を覗きこんだ。
人間?
しかし、私はこんな容姿の人間を見たことが無い。
全体的な雰囲気は若いにも関わらず、髪は老人のように真っ白で、前歯も欠けている。
それに加えて、血のように真っ赤な瞳。
しかも、瞳は片方しか開いていない。
あまりにも不自然な成りは精霊にすら見えなかった。
元気であれば、悲鳴の一つでも上げていただろう。
しかし、衰弱した私にはそんな余力などなかった。
そのまま私は気を失った。
その後、どのような過程があったかは分からない。
私は、あたたかい空間で目覚めた。
そこは小さな部屋のような場所だった。
寝床は柔らかく、布の下には落ち葉が積んであったようだ。
私は、そこで食事を得た。
彼が用意したものは、穀物をミルクで煮たものだったように思う。
何の穀物かと問われても、何のミルクだったかと問われても、はっきりとしたことを答えられないのだから、もしかしたら穀物でもミルクでもなかったのかもしれない。
ただそれは、私の体をあたたかく癒してくれた。
後に、その空間が木の洞であったことを私は知る。
彼はそこで、明かりを得る為に松明を灯し、暖を取る為、あるいは食事を作る為に火を起こしていたというのに。
煙が通り抜ける先を目で追ったが、見上げた天井は高く、ただ暗かった。
程なく、動けるほどに元気を取り戻した私は、自分の素性とグラシアルの現状を伝えた。
彼は氷の大精霊を知っていた。
その居場所までも。
ここは、間違いなく神の台座であったらしい。
彼は、私を氷の大精霊の元へ案内した。
神の台座は、見た目通りに氷で覆われた場所だった。
樹木と呼べるものは、家のように使っていたあの場所だけだった。
暖を取れる場所も。
だとすれば、私が打ち上げられた場所は何処だったのか。
しかし、それを知る方法は私にはない。
極寒の地で一人で行動することは危険だったし、何より、周囲に居る精霊たちは人間に好意的ではなかった。
それでも、氷の大精霊は私たちを丁寧に出迎えてくれた。
ここに居る精霊たちを統べる存在のはずだが、その瞳は、どの精霊よりも穏やかだったように思う。
彼と氷の大精霊は不思議な関係だった。
氷の大精霊は、彼と敵対しているようだった。
けれど、彼を嫌っているようではないのだ。
彼は、氷の大精霊に私と契約するよう勧めた。
そして、私だけを残して去った。
契約には誰かを立ち会わせてはならない習わしだからだろう。
大精霊との契約など夢のような話しだ。
これで国民を飢餓から救えることは間違いない。
私を役立たずと罵る者も居なくなるだろう。
ただ、私には精霊と契約する為の魔力がない。
氷の大精霊とは、特殊な契約が必要だ。
つまり、氷の大精霊の願いを聞かなければならない。
氷の大精霊が出した条件は、封印の棺だった。
封印の棺に眠っている炎の大精霊を探して欲しいと。
絶望の正体は、炎の大精霊?
国に残る記録が確かならば、探し出すことは不可能ではない。
私は快諾し、氷の大精霊と契約をすることにした。
最も、この時、本当はもう一つの条件があった。
パスカルとの約束で、語ることは出来ないが。
私は氷の大精霊と契約し、国へ帰ることにした。
帰る時も彼が助けてくれた。
それは、不思議な方法だった。
私は自分の国へ一瞬で帰ることが出来たのだ。
彼は、それを転移の魔方陣と言っていた。
精霊が描く魔方陣とは明らかに違うものだ。
いくつかの条件を満たせば使えるという話で、大陸のあちこちに存在するものでもあるらしい。
ただ、詳しいことは何も教えてはくれなかった。
氷の大精霊との契約によって、私は国を豊かにする術を身につけた。
それは、膨大な魔力を大地に還元し、自然を操る術。
氷に閉ざされていた私の国は、みるみる豊かになった。
しかし、大精霊との契約は、私には負担が大き過ぎることであったらしい。
当時、何の知識も持たない私たちは、大精霊と契約することの意味を何もわかってはいなかったのだ。
私は、自分に起こった変化を魔力がないせいだと結論付けた。
魔力が足りない。
魔力が欲しい。
私の要求に対し、国一番の魔法使いは、悪魔の召喚を提案した。
国一番の魔法使いは悪魔の魂を集めると、自分の命を捧げて、悪魔・リリスを召喚した。
国一番の魔法使いとは、私の兄だ。
優秀で国民からの信頼も厚く、次の国王になることを約束されていた兄だった。
王族であって王族でない私に対し、慈悲深く接し、そして私を氷の大精霊に捧げるよう推した兄だった。
私が戻った後、私を女王に指名したのも兄だった。
私は、従わなければならない。
私が兄から引き継いだ王族としての使命。
この国を豊かにするのだ。
リリスは、約束を順守する悪魔だ。
リリスは、私に知恵を授けた。
国を豊かにする為、溢れる力を制御する為、国を囲って装置を作ることを提案した。
三日で、私たちの国を完全に覆う巨大な城が構築された。
それは氷で出来た城。
城の中は潤沢な魔力で満たされ、魔力は大きな街道を通して国中へ運ばれた。
魔力で満ちた土地は、実り豊かな土地へと変わって行った。
周辺の諸侯も私の噂を聞きつけ、次々と傘下に入って来た。
敵対する勢力と戦う術も、リリスの知恵によって私たちは身に着けていた。
国は素晴らしく豊かになった。
そして、氷の大精霊は、私に約束を果たすよう求めた。
私は、すでに調べていた。
炎の大精霊が眠る封印の棺の場所を。
けれど、封印の棺の場所を教えるわけにはいかなかった。
今、氷の大精霊を失えば。力を失えば。すべてが崩れてしまう。
リリスは、大精霊にこう言った。
約束を果たせない代償として娘の魂を捧げる、と。
氷の大精霊は拒否した。
そして、私は約束を果たすその日まで、死を許されない身となった。
しかし、何の問題があるだろうか。
国は潤沢な魔力によって豊かになった。
私の意思を伝え、国の繁栄に寄与することを約束したリリスも居る。
秘密を隠し、私とリリスが存在する限り、この国は永遠の繁栄を約束されているのだ。
※
「では、ごゆっくりお召し上がりください」
夕食の準備が整って、メイドが全員、部屋から出た。
「どうだ。面白い内容だろう」
「あぁ」
あの容姿の描写。
女王は、ヴェラチュールに会っていたんだ。
他にも気になることはたくさんあるけど……。
「アリシア。俺の光は、何色に見える?」
「金色だ」
「どれぐらいはっきり見える?」
「それはつまり、姉妹で見え方に差が出るか聞いているのか?」
「あぁ」
「差はある」
やっぱり。
「リリーは、見える方なんだな」
「見え方に関しては圧倒的だ。視力に例えると解りやすいだろう。私たちは、遠く離れた光を認識することは難しい。しかし、リリーは遠く離れていても認識が可能だ」
「そんなに違うのか?」
「昔から、誰よりも早く精霊を見つけるのはリリーだったからな。それに、私は昔よりも見えなくなっている」
「力が消えてるってことか?」
「あぁ。この力は、複数の精霊と契約することで消えていくらしい。闇の精霊と契約した時には大きな変化は感じなかったが、リウムと契約を結び直した時から、明らかに見え方に差が出るようになったんだ。ポリーも同じことが起こっていたようだから、確かだろう」
「近くの光の見え方に差はないのか?」
「そうだな。近くに関して、以前と違うようには感じない。……ただ、ソニアから不思議な話しを聞いたことがある」
「不思議な話し?」
「私たちが女王の娘に選出されて、まだ日も浅い頃の話しだ。リリーは、慣れない城の中で精霊を追って迷子になったんだ」
いつも通りな気がするけど。
「何の精霊だったんだ?」
「わからない。白っぽい色だったらしいが、雪の精霊でもなく、氷の精霊でもなかったらしい。しかも、リリーが見ているというのに、一緒に居たイリスは見ていないと言うんだ」
「え?イリスが見てない?」
「そうだ。当時は、真空の精霊ではないかと結論付けられたが、それならばイリスが見落とすとは考えられない」
『真空の精霊がぁ、人間と追いかけっこなんてするわけないでしょぉ?』
「そうだな。この精霊が何だったのかは未だに謎だ。私が知る限り、該当するような精霊は居ない。極論を言えば、リリーにしか見えない精霊だ。心当たりはないか?」
……心当たりがあるから困る。
「リリーが精霊を追った先で、何か起きなかったか?」
「いや。特別なことは何もなかったはずだ。リリーが追った先にあったのは、しばらく使われていなかった中庭で……。そういえば、リリーが見つけたのがきっかけで、あそこが私たちの憩いの場になったんだったな。女王の娘の生活圏で屋外に出られる貴重な場所だったんだ」
つまり、その精霊はリリーを中庭に案内したってことか。
「アリシア。リリーの母親について教えてくれ」
「母親?あの場所は、親子関係が非公開となっていたんだ。今なら調べることも可能かもしれないが、生死も不明な上に、本人が口を割るかどうかもわからない」
「何故、親子関係が非公開じゃないといけなかったんだ?」
「それは、女王の娘のシステムに影響するからだろう」
「言うほど影響なんてないはずだ」
「つまり、非公開にした理由が別にあったと?」
「あぁ」
もう、否定する要素が何もない。
「一つ仮説がある」
「聞かせてくれ」
「古くからグラシアル王家に伝わる力。それは、女王の手記の通り、太陽の女神から与えられた力だ」
「リーシアは信じていなかったようだが」
「彼女は、王家の中で一番見えていた。つまり、この力を一番持っていた人間だ。国王はそれを知っていたから、適当な理由をつけて彼女を精霊と契約させなかったんだ。理由はアリシアが言っていた通り。精霊と契約することで、この能力が落ちるからだ」
「リーシアは魔力が無かったわけでは無いと?」
「そうだ。氷の大精霊との契約によって彼女に起きた体の変化が、精霊との同化だったとすれば魔力なんて関係ないってわかる」
「同化?」
「アリシアと契約している精霊には、知ってる精霊は居ないのか?」
アリシアが頷く。
「大丈夫だ。その説明は省いて構わない」
知ってる精霊が居たみたいだな。
「そして、リリーも。リーシアと同じように、強い力を受け継いで生まれている。二人に共通することは、母親が子供を産むと同時に亡くなっていることだ」
「亡くなっている?何故、断言できるんだ」
「同じだから」




