132 敵対心を集める
「いってらっしゃい」
「うん。エルも、いってらっしゃい」
昨日と同じ分かれ道でリリーを見送る。
今日もメイド服で仕事らしい。
※
皇太子総務事務室に寄って必要な書類を選び、昨日作成した資料と一緒にアルベールの執務室へ。
「おはよう。アルベール、ベルトラン」
「おはよう」
「おはようございます」
別に、俺に対して敬語である必要なんてないのに。
「ベルトラン、この資料の翻訳を頼む。出来たら教えてくれ」
「この資料は、一体、いつ?」
「今日中に出来たらありがたいけど」
「違う。いつ、作成したんだ?」
「昨日の夜だよ。もう少し綺麗な仕上がりにするつもりだけど、内容に大きな変更はないから、渡した資料を読みながら大筋の翻訳を作ってくれ」
資料を読めば、今回の仕事の概要も掴めるだろう。
「アルベール、ティルフィグンとの会談を……」
「今朝、申し込んでおいた。ハルトヴィヒ殿下は、明日のランチを一緒に過ごしたいと仰られているが、どうする?」
「行く」
こんなに早く実現するなんて。
「じゃあ、連絡しておこう」
「セルメアは、どこまで来てる?」
「アレクに聞いた方が早いんじゃないか?」
「わかった」
ツァレンとシールがやってる亜精霊討伐は、大陸会議参加者の移動ルートの確保が目的だったのか。
セイレーン討伐もその一環だったんだろう。北の港は、王都の玄関口だ。
※
事務室に戻って仕事を始めようとしたところで、机の前にメイドが来た。
「はじめまして、エルロック様。本日より、このお部屋を担当することになりましたドロシーと申します。よろしくお願いします」
アレクが用意した新しいメイドか。
服装はエルザと同じ。頭につけているのもホワイトブリムだ。
「よろしく」
「早速ですが、コーヒーの好みを伺ってもよろしいですか?お好きな御茶請けは何でしょう?お茶を出すお時間は気にされますか?それから……」
うるさいな。
「何も要らないから、適当にコーヒーだけ出してくれ」
「かしこまりました。御用がある際は仰ってください」
ドロシーが敬礼をして、部屋を出る。
そんな仕草をするなんて、元王国兵士か?
事務室は静かだ。
メルティとタリスが上手くやってくれたらしく、事務員たちから質問が来ることもない。執務室の仕事が押してなければ良いけど。
二人なら、大丈夫か。
資料の作成に集中してると、目の前に書類が置かれた。
「エルロック」
「ベルトラン?もう出来たのか?」
「違う。この書類には不備が多過ぎる。だいたい、この項目は何だ」
「だって、必要だろ?」
「不要だ。削れ」
「理由は?」
「商人ギルドが文句を言って来る」
「なんで?」
「……わかるだろう」
「わからない。ちゃんと説明しろ」
「それぐらい、言わなくても理解しろ。庶民の出だから分からないかもしれないが、そういうものなんだ」
「説明になってない。大陸会議の場でも説明できるように言え」
「だから……」
※
「エルロック様。コーヒーをお持ち致しました」
「ん」
この香り……。
一杯目と違うコーヒーだ。
すごく好きな奴。
城にも置いてたのか。
「だから、お前は、どうしてそんなに話を聞かないんだ」
「聞いてる。でも、これが必要な理由も説明しただろ?」
「屁理屈を」
「なら、表現を変える。これなら問題ないだろ?」
「それなら譲歩も可能だ。次は……」
最近の情勢に関する知識が、こんなに足りないなんて思わなかった。
冒険者仲間から聞く情報も役立ってはいるものの、商人ギルドや経済に関する詳しい情報は、ベルトランの方が上だ。文字に起こした時の説得力に差が出る。
書類作成等の仕事をしていた形跡は見当たらないけど、すべての書類に目を通して指示していたのは確かだったんだろう。秘書官への嫌がらせをするぐらいなら、まともに仕事してれば良いのに。
「出来た」
かなり良い資料が出来上がった。
「じゃあ、翻訳を頼む」
ベルトランが、手に取った資料で俺を叩く。
「人のランチの時間まで奪うつもりか」
「あぁ、悪い」
もう昼か。
「明日の会談、一緒に来てくれないか?」
「会談?」
「王子との会談」
「な……」
「場所はアルベールから聞いてくれ」
「私は、西南諸国の翻訳しか担当していないはずだ」
「仕事を手伝ってくれって言っただろ?俺より城内の常識に詳しいんだから、今みたいに表現の間違いがあった時に突っ込んでくれれば良い」
ベルトランが頭を抱える。
「正装で出席するんだろうな」
そういえば、服装にも気を使わなきゃいけないんだっけ。
「アレクが用意するから心配ない」
「殿下の御手をわずらわせるようなことはするな」
「……わかったよ」
部屋を出ていくベルトランを見送って、大きく伸びをする。
残りのコーヒーを飲み干そうと、カップを持ち上げたところで。
「お疲れ様です」
目の前に、可愛いメイドが立つ。
全然気づかなかった。
「いつから?」
「え?朝からだけど……。あっ、朝からです」
昨日からメイドの恰好させて歩かせてたのは、この部屋に配属させる為?
「コーヒーのおかわりをお持ち致しますか?」
「休憩時間だろ?一緒にランチに行こう」
「はい」
リリーが微笑む。
このコーヒーを淹れてくれたの、リリーだったのか。
※
昼時の食堂は、相変わらず混みあっている。
魚介のショートパスタを選び、適当なメイドにコーヒーを頼んでから、リリーと一緒に二人掛けの席につく。
「大陸会議まで、ずっとメイドを続けるのか?」
トマトクリームのパスタを頬張っているリリーが首を傾げる。
知らないらしい。
「今日は、エルのサポートを頼まれてるの。午後は何を手伝ったら良い?」
書類の運搬を頼むこともないし、掃除はドロシーや他のメイドの仕事だ。コーヒーを淹れる以外に仕事なんてない。
「隣に椅子を持って来て、読書してて良いよ」
その方が、暇つぶしになるだろう。
「それ、仕事するって言わないよね?」
怪物退治で走り回ってたんだから、しばらく、ゆっくりして居れば良いのに。
それに、頼むような仕事なんて……。
あ。
「もしかしたら、西南諸国の言語で書かれた資料を読んでもらうかもしれない」
「え?そんなに詳しくないよ?」
「良いよ。適当で」
ベルトランが作成した書類のチェックを頼もう。
もう一人ぐらい、文書の調整役が居ても良いだろう。
アレクが、いつまでメイドごっこをさせるつもりかわからないけど。
『エル、』
「エル!」
急に立ち上がったリリーが、俺の後ろに走る。
振り返ると、リリーが凍ったコップを持った男を取り押さえている。
その周囲にも、砕けた氷が散らばっている。
『流石、イリスちゃん』
イリスが凍らせた氷?
すぐに、衛兵が駆け寄って来た。
「助けてくれ!このメイドが急に、」
「いきなり水をかけてきたから、取り押さえただけです」
「わざとじゃない!」
「わざとです!」
「故意であったことは確認済みだ。大人しく来い」
衛兵が、リリーが取り押さえていた男を連れて行く。
あいつが俺に水をかけようとして、イリスがそれを凍らせて、リリーが取り押さえた際に氷が砕けたって所だろうけど。
目撃者の話も聞かずに連行するなんて。偶然?それとも、リリーが皇太子近衛騎士だって知ってるのか?
リリーが席に戻る。
「イリス、どこから魔法を使ったんだ?」
『リリーのエプロンの中。隠れてたから、誰にも見られてないと思うよ』
なら、良いけど。
―後ろから刺されないように気を付けろよ。
貴族の連中の嫌がらせか。
「コーヒーをお持ち致しました」
メイドが、二人分のコーヒーを置いて去る。
室内帽を被った普通のメイド。
……けど。
「リリー。飲み物には手をつけないでくれ」
「もしかして、何か入ってるの?」
「その可能性が高い」
異物混入を防ぐ為に、飲み物はメイドに注文するようになっている。
でも、騒ぎの直後に運ばれた飲み物なら、疑った方が良いだろう。注目が別の所に集まっている間に、飲食物に異物を混入させるのは常套手段だ。
『また、毒ぅ?』
「またって、どういうことだ?」
『事務室の水差しから毒が出たんだ』
「水差し?」
『今朝、ドロシーが持って来たものよ』
『それをひっくり返したのもドロシーだが』
『エルは、全然気づいてなかったねー』
水差しがあったことも知らなかったけど。
自分で持って来た水差しをひっくり返すなんて、本当にメイドか?
「毒が出たことは、私とドロシーしか知らないよ。内緒で片づけて、アルベールさんに報告したの」
「毒に気づいた理由は?」
リリーがハンカチを出す。
「こぼれた水を、これで拭いたの。この布は、一定の毒に反応するんだって」
「毒の種類は?」
「詳しくは教えて貰えなかったけど……」
『無味無臭で、致死性の高い毒だってさ』
……あれか。
「このコーヒーも調べてみて良い?」
食堂で毒物が使われるとは思いたくないけど。
「反応するものが決まってるなら、先に他の毒の可能性がないか調べる必要がある。色や見た目は?」
リリーがコーヒーを見る。
「いつも通りかな?」
「匂いは?」
リリーが匂いを嗅ぐ。
「良い匂いだと思う」
コーヒーの香りも、違和感がある気配はない。付属の銀のスプーンをリリーに渡す。
「中に何も入ってないか?」
溶けきっていない薬や異物が残っている可能性があるけど。
「なさそう」
かき混ぜて浮いて来るものもないし、固形物が入っている様子はない。
リリーが引き上げた銀のスプーンも変化なし。
今時、銀食器で反応するような毒は使わないと思うけど。
「じゃあ、ハンカチを使ってみてくれ」
「うん」
リリーがハンカチの一部をコーヒーに浸すと、焦げ茶色に染まる。
『コーヒー色?』
『そうだな』
『そっちのカップはぁ?』
同じように、リリーが、もう一つのコーヒーを調べる。
『えっ』
「変わった」
『強い反応ねぇ』
浸された場所が、真っ赤に染まる。
毒の反応。
まずい。
「衛兵!」
大声を上げて、立ち上がる。
「今すぐ食堂を閉鎖しろ!毒物が見つかった!」
食堂で見回りをしていた衛兵が、笛を鳴らしながら慌ただしく走り出す。
「全員、その場から動くな!」
「食堂は閉鎖!出入り禁止だ!」
「危険ですから、何も食べないで下さい!」
面倒なことになったな。
「エル、どういうこと?」
「見ての通りだ。食堂で毒物が発見されたら、すべての食材の調査と、この場に居る全員の所持品検査が始まる」
『思った以上に、大事になったね……』
「リリー。水差しから出た毒も、真っ赤に染まったか?」
「え?色は、これより薄かったと思うよ」
「それなら、コップ一杯飲んだとしても致死量にはならない」
「どんな毒か知ってるの?」
「あぁ」
国で規制されているにも関わらず、今でも盗賊ギルドが取り扱ってる毒の一種だ。
要は、間違いなく盗賊ギルドが絡んでる。
※
発見者だったおかげで、毒物発見の経緯について話すついでに所持品検査も終え、証拠品を渡した後、早々に解放された。
毒物が発見されたら、混入経緯が究明されるまで食堂は閉鎖だ。
この影響は大きい。
閉鎖の間、城で働く人間は、食事を自分で用意するか、外食をしなければならなくなるからだ。
住み込みで働く兵士やメイドに対しては、兵宿舎で炊き出しが行われるけど。メニューは限られるし、北側の宿舎に行ったり来たりしなければならない分、かなり不便になる。
食堂に毒物を持ち込む行為は、城で働く全員を敵に回す行為なのだ。
犯人探しは長引くだろう。
毒が入っていたのは、二つ運ばれてきたコーヒーの内一つだけ。犯人が毒物を複数所持していたとは考えられないから、所持品検査で見つかる可能性は低い。というか、毒物を混入した奴が、呑気に食堂に残っているわけがない。俺かリリーが倒れれば、すぐに食堂で犯人探しが始まるのだ。その前に逃げているだろう。
※
結局、ランチは中途半端だった。
時間もあるし、外にでも食べに行くか。
「秘書官様」
リリーと一緒に廊下を歩いていると、メイドに呼び止められる。
見慣れないメイド服だな。頭はホワイトブリム。誰かの専属メイドか?
「会議で着用して頂く皇太子秘書官の御衣装が出来ました」
……次は、偽情報での呼び出しか。
「忙しいから、後にしてくれ」
「ですが、早めにお召しになって頂かないと、お直しが……」
付き合ってられない。
「あの、いらっしゃって頂かないと、私……」
無視して歩いていると、隣に居たリリーが、服の袖を引く。
「エル、行ってあげよう?」
「お願いします。秘書官様」
一体、どれだけの貴族が関わってるんだ。
「リリー。エミリーに頼んで、軽く食べられるものを貰ってきてくれないか?」
「え?」
ここからアレクの部屋に行けるかわからないけど。
イリスが一緒なら、迷わないだろう。
「わかった」
リリーが王族の居室の方へ歩く。
ちゃんと、場所はわかってるみたいだな。
「衛兵」
巡回中の衛兵を呼ぶと、すぐに五人編成の小隊が集まった。
「何か御用でしょうか」
「ついて来てくれ」
「御意」
「あの、秘書官様、何故、衛兵を?」
「俺が行かないと困るって言ったのはお前だぞ。早く案内しろ」
「はい……」
※
城門がある南側に向かってる。
この辺りは部外者の出入りも緩く、誰でも使えるような部屋が並ぶ場所だ。
「こちらです」
メイドが示したのは、主に謁見の待合室として使われる部屋。
こんな場所に呼び出して、引っかかる奴がいると思ってるのか?どう考えても、皇太子秘書官の衣装合わせの場所として使うような部屋じゃない。
『八人だ』
多いな。
闇の魔法の対策をされていたら、もっと居るかもしれない。
「おい。この中には誰が居る?俺と衛兵の前で偽証した場合は、それなりの罪に問われるからな」
「私、何も知りません。皇太子秘書官様を連れて来いとしか……。その、中には……。御衣装なんてありませんでしたが……」
「衛兵。中には最低でも八人居る。食堂の騒ぎの関係者の可能性が高い。一人残らず捕まえてくれ」
「御意」
武器を構えて顔を見合わせた後、衛兵が勢いをつけて扉を開く。
「全員、降伏せよ!」
衛兵が部屋に飛び込むと、部屋の中に居た連中が襲い掛かって来た。
数は、八人。
隠れられるような場所はなさそうだし、あれで全部だろう。
全員、盗賊ギルドの奴か?見たことある奴も混ざってる。
形勢は、こちらが有利。手助けは要らなそうだな。
メイドを見る。
「誰に頼まれたんだ?」
「この部屋に居る人です」
「お前がどこの家の人間かなんて、すぐにわかるぞ」
「ご主人様は関係ありません。ご主人様の為になるって……」
急に、後ろから野太い悲鳴が上がった。メイドが悲鳴を上げて、その場にうずくまる。
振り返った先に居たのは……。
「リリー?」
リリーが、誰かを取り押さえている。
まさか、あれも俺を狙ってた奴?
騒ぎを聞いて駆けつけた衛兵に男を引き渡すと、リリーが走ってこちらに来た。
巻き込みたくないから、遠ざけたんだけど。ばればれだったか。
「やっぱり、一緒に居るよ」
「そうだな」
アレクがリリーにこんな恰好させて、俺の側に置いている理由。
……これは、単なる嫌がらせじゃない。
本気で俺を殺そうとしてる奴が居る。
※
外に出かけるのは諦めて、リリーと一緒にアレクの部屋へ。
部屋の前には、鎧兜を身に着けた騎士が立っている。
あの鎧は、女性用の皇太子近衛騎士のものだ。近衛騎士が城内で兜をかぶるなんて、滅多にないけど。
「誰だ?あれ」
『あれは、』
メラニーが、途中で言葉を切る。横を見ると、何故かリリーが口に人差し指を当てている。
内緒の相手?
兜から長い黒髪が垂れ下がり、背中にはリュヌリアンを装備した皇太子近衛騎士。撫子のマントを身に付けていなくても、リリーの変装をしているのは明らかだ。
中身が誰かも想像付く。
でも、アレクの指示なら、合わせておくか。
「リリーシア様。アレクシス様にお目通り願えますか」
「え?」
「え?」
なんだ。その反応は。
リリーが解ってなかったのは仕方ないとして。
「まさか、事情が飲み込めてない訳じゃないだろうな」
「……すみません」
本当に気づいてなかったらしい。
女装して、声を変えるドロップまで使ってるのに。アレクからどんな指示を受けてるんだ?
「エル、どういうこと?」
「見たままだよ。中身がばれないように気をつけろよ」
「はい」
応えて、マリユスが扉を開く。
「エルロック様がお戻りです」
部屋の中では、アレクとグリフが食事をしている。
「おかえり。一緒に食べるかい」
「食べる」
アニエスとエミリーが椅子を用意する。
「私、その前に、ポケットの中身を補充してくるね」
「お手伝いします」
エミリーとリリーが、奥の部屋に入って行った。
あの、毒を調べたハンカチ。この先も使うことになると思いたくないけど。
「賑やかなランチだったようだね」
「鬱陶しいなんてもんじゃない。おかげで、しばらく食堂が使えなくなった」
席に付いて、テーブルの上のパンを取る。
事務室と食堂での毒物発見に、虚偽の情報での呼び出し。盗賊ギルドの所属らしい八人組に、リリーが捕らえた暗殺者風の刺客。
大陸会議前で緊張が高まってるこの時期に、城内でここまで騒ぎが起こるなんて。
こんな調子で嫌がらせをされるなら、食堂が再開したところで、行くのは無理だろう。
「明日は、朝からここにおいで。会食は殿下の部屋だよ」
「別の場所を用意しなかったのか?」
「いくつか薦めたのだけどね。極秘の会談なら、部屋を移動する必要はないと仰られていたよ」
王族の居住区で、陛下の近衛騎士が護るとはいえ。頼れるのがヒルダだけなら、心許ないか。
「ベルトランに同席を頼んでるけど、入れても大丈夫か?」
「単独行動の許可は出せないけど、エルの同行者という形を取れば問題ないよ」
「わかった。後、ちゃんとした衣装で出席しろって言われてる」
アレクが笑う。
「そうだね」
「セルメアの居場所は?」
「公爵領を抜けた辺りかな」
「近い内に、リリーと一緒に会いに行って来て良いか?」
「私の近衛騎士は貸せないよ」
「今はメイドだろ?」
「護衛はドニスに任せれば良い。馬車と、エルの強行軍に付き合える王国兵士を用意しておくよ」
王国兵士って。
「バーニーじゃないだろうな」
「違うよ」
なら、良いけど。
※
ランチを終えて、リリーと一緒に事務室へ。
廊下が騒がしい。
「何かあったのかな」
人の出入りが多いのは、給湯室だ。
廊下の前には、数人のメイドが居る。
「大丈夫?」
リリーが、座り込んでいるメイドに寄り添う。一人だけ、ぐったりしてるな。
「何があったんだ?」
「給湯室で小火騒ぎがあって……」
「この子は、部屋で仮眠していて逃げ遅れたんです」
給湯室は、メイドの待機、休憩部屋でもあるからな。
「大丈夫か?」
「……」
視線が定まらず、受け答えが曖昧で、意識が朦朧としてる。かなり危険な状態だ。
「医療班は?」
「今、呼びに行っています」
食堂でも騒ぎがあったから、連絡が取りにくい状態なのかもしれない。
『これはぁ、ジオの出番ねぇ?』
え?
風の魔法に癒しの効果なんて……。
いや。風の精霊は大気の精霊でもある。煙を吸った中毒症状には効果がありそうだ。
でも、やり方が解らない。
『ロマーノで、ジオの魔法を体感したことがあるだろう』
あれか。
俺の周りの空気だけ、呼吸が出来る環境に変えてくれたんだっけ。
『仕方ないなー。補助してあげるよー。リリーのエプロンに隠れて顕現するからねー』
「ん」
大気の魔法。
呼吸を楽にする魔法。
優しい風のイメージ……。
魔法を使っていると、うつろだったメイドの目が、はっきりと開く。
「ここは……?」
意識が戻って来たみたいだな。
視線も定まってるし、支えなしで座れるようになって来た。
「今日の担当は?」
「はい。午後は事務室廊下の清掃担当で……。皇太子秘書官様っ?」
これだけ元気なら大丈夫だろう。
「医療班が来るまで、もう少し休んでてくれ」
「はい……?」
他に重症患者は居ないみたいだし、仕事に戻るか。
メイドしか使わない部屋で起きたなら、俺を狙った一連の騒ぎとは無関係だと思いたいけど……。
「おかえりなさいませ。エルロック様、リリー様」
「ただいま」
「ただいま、ドニスさん」
外も騒がしかったけど、事務室の中も騒がしい。
「こっちは、何の騒ぎだ?」
気付いた事務官たちが、こちらを見る。
「エルロック様」
「少し、対策が必要なことが……」
セドリックが、折り畳まれた書類を三通出す。
中身は、どれも同じ内容。
辞職願。
俺のやり方と合わなかったのか、俺と敵対してる連中に属してるのか。
この中に水差しに毒を盛った奴が居る?
ともかく、三人も抜けられたら大問題だ。
「仕事にどれぐらい影響がある?俺が手伝うことは?」
「いえ、大丈夫です。こちらで何とかしてみます。メルティム様とタリス様にも相談しますから、エルロック様は御自分のお仕事を優先して下さい」
「こうなった原因は俺にある。急ぐものがあるなら言ってくれ」
「大丈夫です。皆、やる気を出してます。これから、欠員の補充をアルベール様にお願いしようと思っています。どうか、私たちに任せてください」
……皆、優秀な事務官だ。
「わかった。任せるよ」
ざわついていたのは、今後の対策を皆で話し合っていたからか。
大丈夫。頼りにできる。
席に着くと、リリーが目の前に立つ。
「エル、コーヒーはどうしよう?」
「今は要らないよ」
設備点検もあるから、給湯室はしばらく使えないだろう。
「何か手伝う事、ある?」
そうだな……。
「夕飯、何食べたいか考えておいて」
「えっ?お昼食べたばっかりだよ?」
「昨日、行けなかったから。今夜は一緒に出かけよう」
ランチだって、結局行けなかったからな。
「考えておくから、書類の整理をしてても良い?」
暇なのか。
「良いよ。任せる」
これ以上騒ぎが起きる前に、仕事を終わらせないと。




