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旧作3-1  作者: 智枝 理子
Ⅵ.大陸会議編
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122/149

132 敵対心を集める

「いってらっしゃい」

「うん。エルも、いってらっしゃい」

 昨日と同じ分かれ道でリリーを見送る。

 今日もメイド服で仕事らしい。

 

 ※

 

 皇太子総務事務室に寄って必要な書類を選び、昨日作成した資料と一緒にアルベールの執務室へ。

「おはよう。アルベール、ベルトラン」

「おはよう」

「おはようございます」

 別に、俺に対して敬語である必要なんてないのに。

「ベルトラン、この資料の翻訳を頼む。出来たら教えてくれ」

「この資料は、一体、いつ?」

「今日中に出来たらありがたいけど」

「違う。いつ、作成したんだ?」

「昨日の夜だよ。もう少し綺麗な仕上がりにするつもりだけど、内容に大きな変更はないから、渡した資料を読みながら大筋の翻訳を作ってくれ」

 資料を読めば、今回の仕事の概要も掴めるだろう。

「アルベール、ティルフィグンとの会談を……」

「今朝、申し込んでおいた。ハルトヴィヒ殿下は、明日のランチを一緒に過ごしたいと仰られているが、どうする?」

「行く」

 こんなに早く実現するなんて。

「じゃあ、連絡しておこう」

「セルメアは、どこまで来てる?」

「アレクに聞いた方が早いんじゃないか?」

「わかった」

 ツァレンとシールがやってる亜精霊討伐は、大陸会議参加者の移動ルートの確保が目的だったのか。

 セイレーン討伐もその一環だったんだろう。北の港は、王都の玄関口だ。

 

 ※

 

 事務室に戻って仕事を始めようとしたところで、机の前にメイドが来た。

「はじめまして、エルロック様。本日より、このお部屋を担当することになりましたドロシーと申します。よろしくお願いします」

 アレクが用意した新しいメイドか。

 服装はエルザと同じ。頭につけているのもホワイトブリムだ。

「よろしく」

「早速ですが、コーヒーの好みを伺ってもよろしいですか?お好きな御茶請けは何でしょう?お茶を出すお時間は気にされますか?それから……」

 うるさいな。

「何も要らないから、適当にコーヒーだけ出してくれ」

「かしこまりました。御用がある際は仰ってください」

 ドロシーが敬礼をして、部屋を出る。

 そんな仕草をするなんて、元王国兵士か?

 

 事務室は静かだ。

 メルティとタリスが上手くやってくれたらしく、事務員たちから質問が来ることもない。執務室の仕事が押してなければ良いけど。

 二人なら、大丈夫か。

 

 資料の作成に集中してると、目の前に書類が置かれた。

「エルロック」

「ベルトラン?もう出来たのか?」

「違う。この書類には不備が多過ぎる。だいたい、この項目は何だ」

「だって、必要だろ?」

「不要だ。削れ」

「理由は?」

「商人ギルドが文句を言って来る」

「なんで?」

「……わかるだろう」

「わからない。ちゃんと説明しろ」

「それぐらい、言わなくても理解しろ。庶民の出だから分からないかもしれないが、そういうものなんだ」

「説明になってない。大陸会議の場でも説明できるように言え」

「だから……」

 

 ※

 

「エルロック様。コーヒーをお持ち致しました」

「ん」

 この香り……。

 一杯目と違うコーヒーだ。

 すごく好きな奴。

 城にも置いてたのか。

「だから、お前は、どうしてそんなに話を聞かないんだ」

「聞いてる。でも、これが必要な理由も説明しただろ?」

「屁理屈を」

「なら、表現を変える。これなら問題ないだろ?」

「それなら譲歩も可能だ。次は……」

 

 最近の情勢に関する知識が、こんなに足りないなんて思わなかった。

 冒険者仲間から聞く情報も役立ってはいるものの、商人ギルドや経済に関する詳しい情報は、ベルトランの方が上だ。文字に起こした時の説得力に差が出る。

 書類作成等の仕事をしていた形跡は見当たらないけど、すべての書類に目を通して指示していたのは確かだったんだろう。秘書官への嫌がらせをするぐらいなら、まともに仕事してれば良いのに。

 

「出来た」

 かなり良い資料が出来上がった。

「じゃあ、翻訳を頼む」

 ベルトランが、手に取った資料で俺を叩く。

「人のランチの時間まで奪うつもりか」

「あぁ、悪い」

 もう昼か。

「明日の会談、一緒に来てくれないか?」

「会談?」

「王子との会談」

「な……」

「場所はアルベールから聞いてくれ」

「私は、西南諸国の翻訳しか担当していないはずだ」

「仕事を手伝ってくれって言っただろ?俺より城内の常識に詳しいんだから、今みたいに表現の間違いがあった時に突っ込んでくれれば良い」

 ベルトランが頭を抱える。

「正装で出席するんだろうな」

 そういえば、服装にも気を使わなきゃいけないんだっけ。

「アレクが用意するから心配ない」

「殿下の御手をわずらわせるようなことはするな」

「……わかったよ」

 部屋を出ていくベルトランを見送って、大きく伸びをする。

 残りのコーヒーを飲み干そうと、カップを持ち上げたところで。

「お疲れ様です」

 目の前に、可愛いメイドが立つ。

 全然気づかなかった。

「いつから?」

「え?朝からだけど……。あっ、朝からです」

 昨日からメイドの恰好させて歩かせてたのは、この部屋に配属させる為?

「コーヒーのおかわりをお持ち致しますか?」

「休憩時間だろ?一緒にランチに行こう」

「はい」

 リリーが微笑む。

 このコーヒーを淹れてくれたの、リリーだったのか。

 

 ※

 

 昼時の食堂は、相変わらず混みあっている。

 魚介のショートパスタを選び、適当なメイドにコーヒーを頼んでから、リリーと一緒に二人掛けの席につく。

「大陸会議まで、ずっとメイドを続けるのか?」

 トマトクリームのパスタを頬張っているリリーが首を傾げる。

 知らないらしい。

「今日は、エルのサポートを頼まれてるの。午後は何を手伝ったら良い?」

 書類の運搬を頼むこともないし、掃除はドロシーや他のメイドの仕事だ。コーヒーを淹れる以外に仕事なんてない。

「隣に椅子を持って来て、読書してて良いよ」

 その方が、暇つぶしになるだろう。

「それ、仕事するって言わないよね?」

 怪物退治で走り回ってたんだから、しばらく、ゆっくりして居れば良いのに。

 それに、頼むような仕事なんて……。

 あ。

「もしかしたら、西南諸国の言語で書かれた資料を読んでもらうかもしれない」

「え?そんなに詳しくないよ?」

「良いよ。適当で」

 ベルトランが作成した書類のチェックを頼もう。

 もう一人ぐらい、文書の調整役が居ても良いだろう。

 アレクが、いつまでメイドごっこをさせるつもりかわからないけど。

『エル、』

「エル!」

 急に立ち上がったリリーが、俺の後ろに走る。

 振り返ると、リリーが凍ったコップを持った男を取り押さえている。

 その周囲にも、砕けた氷が散らばっている。

『流石、イリスちゃん』

 イリスが凍らせた氷?

 すぐに、衛兵が駆け寄って来た。

「助けてくれ!このメイドが急に、」

「いきなり水をかけてきたから、取り押さえただけです」

「わざとじゃない!」

「わざとです!」

「故意であったことは確認済みだ。大人しく来い」

 衛兵が、リリーが取り押さえていた男を連れて行く。

 あいつが俺に水をかけようとして、イリスがそれを凍らせて、リリーが取り押さえた際に氷が砕けたって所だろうけど。

 目撃者の話も聞かずに連行するなんて。偶然?それとも、リリーが皇太子近衛騎士だって知ってるのか?

 リリーが席に戻る。

「イリス、どこから魔法を使ったんだ?」

『リリーのエプロンの中。隠れてたから、誰にも見られてないと思うよ』

 なら、良いけど。

―後ろから刺されないように気を付けろよ。

 貴族の連中の嫌がらせか。

「コーヒーをお持ち致しました」

 メイドが、二人分のコーヒーを置いて去る。

 室内帽を被った普通のメイド。

 ……けど。

「リリー。飲み物には手をつけないでくれ」

「もしかして、何か入ってるの?」

「その可能性が高い」

 異物混入を防ぐ為に、飲み物はメイドに注文するようになっている。

 でも、騒ぎの直後に運ばれた飲み物なら、疑った方が良いだろう。注目が別の所に集まっている間に、飲食物に異物を混入させるのは常套手段だ。

『また、毒ぅ?』

「またって、どういうことだ?」

『事務室の水差しから毒が出たんだ』

「水差し?」

『今朝、ドロシーが持って来たものよ』

『それをひっくり返したのもドロシーだが』

『エルは、全然気づいてなかったねー』

 水差しがあったことも知らなかったけど。

 自分で持って来た水差しをひっくり返すなんて、本当にメイドか?

「毒が出たことは、私とドロシーしか知らないよ。内緒で片づけて、アルベールさんに報告したの」

「毒に気づいた理由は?」

 リリーがハンカチを出す。

「こぼれた水を、これで拭いたの。この布は、一定の毒に反応するんだって」

「毒の種類は?」

「詳しくは教えて貰えなかったけど……」

『無味無臭で、致死性の高い毒だってさ』

 ……あれか。

「このコーヒーも調べてみて良い?」

 食堂で毒物が使われるとは思いたくないけど。

「反応するものが決まってるなら、先に他の毒の可能性がないか調べる必要がある。色や見た目は?」

 リリーがコーヒーを見る。

「いつも通りかな?」

「匂いは?」

 リリーが匂いを嗅ぐ。

「良い匂いだと思う」

 コーヒーの香りも、違和感がある気配はない。付属の銀のスプーンをリリーに渡す。

「中に何も入ってないか?」

 溶けきっていない薬や異物が残っている可能性があるけど。

「なさそう」

 かき混ぜて浮いて来るものもないし、固形物が入っている様子はない。

 リリーが引き上げた銀のスプーンも変化なし。

 今時、銀食器で反応するような毒は使わないと思うけど。

「じゃあ、ハンカチを使ってみてくれ」

「うん」

 リリーがハンカチの一部をコーヒーに浸すと、焦げ茶色に染まる。

『コーヒー色?』

『そうだな』

『そっちのカップはぁ?』

 同じように、リリーが、もう一つのコーヒーを調べる。

『えっ』

「変わった」

『強い反応ねぇ』

 浸された場所が、真っ赤に染まる。

 毒の反応。

 まずい。

「衛兵!」

 大声を上げて、立ち上がる。

「今すぐ食堂を閉鎖しろ!毒物が見つかった!」

 食堂で見回りをしていた衛兵が、笛を鳴らしながら慌ただしく走り出す。

「全員、その場から動くな!」

「食堂は閉鎖!出入り禁止だ!」

「危険ですから、何も食べないで下さい!」

 面倒なことになったな。

「エル、どういうこと?」

「見ての通りだ。食堂で毒物が発見されたら、すべての食材の調査と、この場に居る全員の所持品検査が始まる」

『思った以上に、大事になったね……』

「リリー。水差しから出た毒も、真っ赤に染まったか?」

「え?色は、これより薄かったと思うよ」

「それなら、コップ一杯飲んだとしても致死量にはならない」

「どんな毒か知ってるの?」

「あぁ」

 国で規制されているにも関わらず、今でも盗賊ギルドが取り扱ってる毒の一種だ。

 要は、間違いなく盗賊ギルドが絡んでる。

 

 ※

 

 発見者だったおかげで、毒物発見の経緯について話すついでに所持品検査も終え、証拠品を渡した後、早々に解放された。

 毒物が発見されたら、混入経緯が究明されるまで食堂は閉鎖だ。

 この影響は大きい。

 閉鎖の間、城で働く人間は、食事を自分で用意するか、外食をしなければならなくなるからだ。

 住み込みで働く兵士やメイドに対しては、兵宿舎で炊き出しが行われるけど。メニューは限られるし、北側の宿舎に行ったり来たりしなければならない分、かなり不便になる。

 食堂に毒物を持ち込む行為は、城で働く全員を敵に回す行為なのだ。

 

 犯人探しは長引くだろう。

 毒が入っていたのは、二つ運ばれてきたコーヒーの内一つだけ。犯人が毒物を複数所持していたとは考えられないから、所持品検査で見つかる可能性は低い。というか、毒物を混入した奴が、呑気に食堂に残っているわけがない。俺かリリーが倒れれば、すぐに食堂で犯人探しが始まるのだ。その前に逃げているだろう。

 

 ※

 

 結局、ランチは中途半端だった。

 時間もあるし、外にでも食べに行くか。

「秘書官様」

 リリーと一緒に廊下を歩いていると、メイドに呼び止められる。

 見慣れないメイド服だな。頭はホワイトブリム。誰かの専属メイドか?

「会議で着用して頂く皇太子秘書官の御衣装が出来ました」

 ……次は、偽情報での呼び出しか。

「忙しいから、後にしてくれ」

「ですが、早めにお召しになって頂かないと、お直しが……」

 付き合ってられない。

「あの、いらっしゃって頂かないと、私……」

 無視して歩いていると、隣に居たリリーが、服の袖を引く。

「エル、行ってあげよう?」

「お願いします。秘書官様」

 一体、どれだけの貴族が関わってるんだ。

「リリー。エミリーに頼んで、軽く食べられるものを貰ってきてくれないか?」

「え?」

 ここからアレクの部屋に行けるかわからないけど。

 イリスが一緒なら、迷わないだろう。

「わかった」

 リリーが王族の居室の方へ歩く。

 ちゃんと、場所はわかってるみたいだな。

「衛兵」

 巡回中の衛兵を呼ぶと、すぐに五人編成の小隊が集まった。

「何か御用でしょうか」

「ついて来てくれ」

「御意」

「あの、秘書官様、何故、衛兵を?」

「俺が行かないと困るって言ったのはお前だぞ。早く案内しろ」

「はい……」

 

 ※

 

 城門がある南側に向かってる。

 この辺りは部外者の出入りも緩く、誰でも使えるような部屋が並ぶ場所だ。

「こちらです」

 メイドが示したのは、主に謁見の待合室として使われる部屋。

 こんな場所に呼び出して、引っかかる奴がいると思ってるのか?どう考えても、皇太子秘書官の衣装合わせの場所として使うような部屋じゃない。

『八人だ』

 多いな。

 闇の魔法の対策をされていたら、もっと居るかもしれない。

「おい。この中には誰が居る?俺と衛兵の前で偽証した場合は、それなりの罪に問われるからな」

「私、何も知りません。皇太子秘書官様を連れて来いとしか……。その、中には……。御衣装なんてありませんでしたが……」

「衛兵。中には最低でも八人居る。食堂の騒ぎの関係者の可能性が高い。一人残らず捕まえてくれ」

「御意」

 武器を構えて顔を見合わせた後、衛兵が勢いをつけて扉を開く。

「全員、降伏せよ!」

 衛兵が部屋に飛び込むと、部屋の中に居た連中が襲い掛かって来た。

 数は、八人。

 隠れられるような場所はなさそうだし、あれで全部だろう。

 全員、盗賊ギルドの奴か?見たことある奴も混ざってる。

 形勢は、こちらが有利。手助けは要らなそうだな。

 メイドを見る。

「誰に頼まれたんだ?」

「この部屋に居る人です」

「お前がどこの家の人間かなんて、すぐにわかるぞ」

「ご主人様は関係ありません。ご主人様の為になるって……」

 急に、後ろから野太い悲鳴が上がった。メイドが悲鳴を上げて、その場にうずくまる。

 振り返った先に居たのは……。

「リリー?」

 リリーが、誰かを取り押さえている。

 まさか、あれも俺を狙ってた奴?

 騒ぎを聞いて駆けつけた衛兵に男を引き渡すと、リリーが走ってこちらに来た。

 巻き込みたくないから、遠ざけたんだけど。ばればれだったか。

「やっぱり、一緒に居るよ」

「そうだな」

 アレクがリリーにこんな恰好させて、俺の側に置いている理由。

 ……これは、単なる嫌がらせじゃない。

 本気で俺を殺そうとしてる奴が居る。

 

 ※

 

 外に出かけるのは諦めて、リリーと一緒にアレクの部屋へ。

 部屋の前には、鎧兜を身に着けた騎士が立っている。

 あの鎧は、女性用の皇太子近衛騎士のものだ。近衛騎士が城内で兜をかぶるなんて、滅多にないけど。

「誰だ?あれ」

『あれは、』

 メラニーが、途中で言葉を切る。横を見ると、何故かリリーが口に人差し指を当てている。

 内緒の相手?

 兜から長い黒髪が垂れ下がり、背中にはリュヌリアンを装備した皇太子近衛騎士。撫子のマントを身に付けていなくても、リリーの変装をしているのは明らかだ。

 中身が誰かも想像付く。

 でも、アレクの指示なら、合わせておくか。

「リリーシア様。アレクシス様にお目通り願えますか」

「え?」

「え?」

 なんだ。その反応は。

 リリーが解ってなかったのは仕方ないとして。

「まさか、事情が飲み込めてない訳じゃないだろうな」

「……すみません」

 本当に気づいてなかったらしい。

 女装して、声を変えるドロップまで使ってるのに。アレクからどんな指示を受けてるんだ?

「エル、どういうこと?」

「見たままだよ。中身がばれないように気をつけろよ」

「はい」

 応えて、マリユスが扉を開く。

「エルロック様がお戻りです」

 

 部屋の中では、アレクとグリフが食事をしている。

「おかえり。一緒に食べるかい」

「食べる」

 アニエスとエミリーが椅子を用意する。

「私、その前に、ポケットの中身を補充してくるね」

「お手伝いします」

 エミリーとリリーが、奥の部屋に入って行った。

 あの、毒を調べたハンカチ。この先も使うことになると思いたくないけど。

「賑やかなランチだったようだね」

「鬱陶しいなんてもんじゃない。おかげで、しばらく食堂が使えなくなった」

 席に付いて、テーブルの上のパンを取る。

 事務室と食堂での毒物発見に、虚偽の情報での呼び出し。盗賊ギルドの所属らしい八人組に、リリーが捕らえた暗殺者風の刺客。

 大陸会議前で緊張が高まってるこの時期に、城内でここまで騒ぎが起こるなんて。

 こんな調子で嫌がらせをされるなら、食堂が再開したところで、行くのは無理だろう。

「明日は、朝からここにおいで。会食は殿下の部屋だよ」

「別の場所を用意しなかったのか?」

「いくつか薦めたのだけどね。極秘の会談なら、部屋を移動する必要はないと仰られていたよ」

 王族の居住区で、陛下の近衛騎士が護るとはいえ。頼れるのがヒルダだけなら、心許ないか。

「ベルトランに同席を頼んでるけど、入れても大丈夫か?」

「単独行動の許可は出せないけど、エルの同行者という形を取れば問題ないよ」

「わかった。後、ちゃんとした衣装で出席しろって言われてる」

 アレクが笑う。

「そうだね」

「セルメアの居場所は?」

「公爵領を抜けた辺りかな」

「近い内に、リリーと一緒に会いに行って来て良いか?」

「私の近衛騎士は貸せないよ」

「今はメイドだろ?」

「護衛はドニスに任せれば良い。馬車と、エルの強行軍に付き合える王国兵士を用意しておくよ」

 王国兵士って。

「バーニーじゃないだろうな」

「違うよ」

 なら、良いけど。

 

 ※

 

 ランチを終えて、リリーと一緒に事務室へ。

 廊下が騒がしい。

「何かあったのかな」

 人の出入りが多いのは、給湯室だ。

 廊下の前には、数人のメイドが居る。

「大丈夫?」

 リリーが、座り込んでいるメイドに寄り添う。一人だけ、ぐったりしてるな。

「何があったんだ?」

「給湯室で小火騒ぎがあって……」

「この子は、部屋で仮眠していて逃げ遅れたんです」

 給湯室は、メイドの待機、休憩部屋でもあるからな。

「大丈夫か?」

「……」

 視線が定まらず、受け答えが曖昧で、意識が朦朧としてる。かなり危険な状態だ。

「医療班は?」

「今、呼びに行っています」

 食堂でも騒ぎがあったから、連絡が取りにくい状態なのかもしれない。

『これはぁ、ジオの出番ねぇ?』

 え?

 風の魔法に癒しの効果なんて……。

 いや。風の精霊は大気の精霊でもある。煙を吸った中毒症状には効果がありそうだ。

 でも、やり方が解らない。

『ロマーノで、ジオの魔法を体感したことがあるだろう』

 あれか。

 俺の周りの空気だけ、呼吸が出来る環境に変えてくれたんだっけ。

『仕方ないなー。補助してあげるよー。リリーのエプロンに隠れて顕現するからねー』

「ん」

 大気の魔法。

 呼吸を楽にする魔法。

 優しい風のイメージ……。

 魔法を使っていると、うつろだったメイドの目が、はっきりと開く。

「ここは……?」

 意識が戻って来たみたいだな。

 視線も定まってるし、支えなしで座れるようになって来た。

「今日の担当は?」

「はい。午後は事務室廊下の清掃担当で……。皇太子秘書官様っ?」

 これだけ元気なら大丈夫だろう。

「医療班が来るまで、もう少し休んでてくれ」

「はい……?」

 他に重症患者は居ないみたいだし、仕事に戻るか。

 

 メイドしか使わない部屋で起きたなら、俺を狙った一連の騒ぎとは無関係だと思いたいけど……。

 

「おかえりなさいませ。エルロック様、リリー様」

「ただいま」

「ただいま、ドニスさん」

 外も騒がしかったけど、事務室の中も騒がしい。

「こっちは、何の騒ぎだ?」

 気付いた事務官たちが、こちらを見る。

「エルロック様」

「少し、対策が必要なことが……」

 セドリックが、折り畳まれた書類を三通出す。

 中身は、どれも同じ内容。

 辞職願。

 俺のやり方と合わなかったのか、俺と敵対してる連中に属してるのか。

 この中に水差しに毒を盛った奴が居る?

 ともかく、三人も抜けられたら大問題だ。

「仕事にどれぐらい影響がある?俺が手伝うことは?」

「いえ、大丈夫です。こちらで何とかしてみます。メルティム様とタリス様にも相談しますから、エルロック様は御自分のお仕事を優先して下さい」

「こうなった原因は俺にある。急ぐものがあるなら言ってくれ」

「大丈夫です。皆、やる気を出してます。これから、欠員の補充をアルベール様にお願いしようと思っています。どうか、私たちに任せてください」

 ……皆、優秀な事務官だ。

「わかった。任せるよ」

 ざわついていたのは、今後の対策を皆で話し合っていたからか。

 大丈夫。頼りにできる。

 席に着くと、リリーが目の前に立つ。

「エル、コーヒーはどうしよう?」

「今は要らないよ」

 設備点検もあるから、給湯室はしばらく使えないだろう。

「何か手伝う事、ある?」

 そうだな……。

「夕飯、何食べたいか考えておいて」

「えっ?お昼食べたばっかりだよ?」

「昨日、行けなかったから。今夜は一緒に出かけよう」

 ランチだって、結局行けなかったからな。

「考えておくから、書類の整理をしてても良い?」

 暇なのか。

「良いよ。任せる」

 これ以上騒ぎが起きる前に、仕事を終わらせないと。

 


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