131 落とし込む
ランチタイムのピークを過ぎた食堂は、騒がしくなくて、リリーとのんびり食事が出来た。
事務室のことは、メルティとタリスに任せておけば良いだろう。
これで、大陸会議の資料に集中出来る。
……とはいえ。
やる気が出ない。
資料の完成図は頭の中に出来た。
大陸河川の有用性、河川の選定基準や管理に関する草案、実現可能な運用方法。各国を納得させる為に必要な情報も、合意文書の素案も。
でも、こんな資料に価値はない。
資料を見た後、各国でどういう意見が出されるかも想像がつく。そこで出される意見が無意味で、雑音だらけで、説得にかける時間が無駄なことも。話し合いたいことは、その先だ。せっかく集まるなら、もっと実りある意見交換を出来る状態にしておかないと意味がない。
その為には。
※
「アルベール」
「どうした?」
「秘書官として、ハルトヴィヒ王子と会って来て良いか?」
「……理由は?」
「会議の前に、参加国すべてと一対一で話しておきたい」
「今から?そんな時間は、」
「グラシアル代表は来てる。ティルフィグンの到着だって、すぐだろ。セルメアも移動を開始してるはずだ。残りの国だって、」
「西南諸国はどうする」
「会うよ」
「それから、資料を作成するって?」
「間に合わせる」
書類の山に埋もれていたアルベールが、額を押さえながら椅子の背にもたれかかって天井を見上げる。
国の代表として交渉するなら、アルベールの許可がないと出来ない。どうにか許可を取らないと……。
「西南諸国の言語が話せるのか?」
「言語?」
アルベールが、こちらに向き直る。
「向こうでは、ラングリオンの言葉は一般的じゃない。公用語は、ほとんど通じないぞ」
「通訳は?」
「大陸会議に向けた準備で忙しい。他の資料の翻訳に当たってるんだ。今、エルに付き合える奴は居ない」
「なら、こっちで探す」
「当てがあるのか?」
「ない。けど、探してみる」
「探すって……」
「今日中に探せたら、ハルトに会っても良いか?」
アルベールが、ため息を吐く。
「ハルトヴィヒ王子、だ。ちゃんと敬語で話してくれよ」
「秘書官として会う時は敬語ぐらい使うよ」
「心配はしないでおくが。今日の終業時間までに俺の前に連れて来れなかったら、その計画は諦めろ」
「わかった」
「ティルフィグンの到着は今日の予定だ」
「今日?なら、」
「会談の申し込みは、お前の結果次第。それから、移動中の国は城で待たずに会いに行け。その方が日数が稼げる」
その手があったか。
「わかった」
急いで探そう。
※
「あれ?カミーユは?」
「別件で居ないよ。どうしたの?」
「西南諸国の言語を使える奴を探してるんだ」
「西南諸国って、西の荒地か?」
「大陸西部の荒野よ。向こうの文献は少ないし、私は知らないわ」
「俺だって聞いたことないぞ。研究所の連中に当たってみるか?」
「そうだね。僕も手伝うよ」
「手分けして探すか」
皆が、ばたばたと出て行く。
「もう。勝手に行くんだから。……アリシアはどう?」
「残念ながら、私も力になれそうにない」
「アリシアには別に頼みたいことがあるんだ。近い内に、秘書官として姫と一緒に会ってくれないか?」
「もちろん、構わない。正式な筋で申し込んでくれれば、予定はそちらに合わせよう」
「助かるよ。後、グラシアルがディラッシュと関係改善に向けた交渉をしてるって本当か?」
「それは……。新体制になってから、各国と友好関係を築く為に女王とメルが諸国巡りをしていることは知っているだろう?」
「あぁ」
メルリシアは、大陸東方を回ってラングリオンに来ている。女王は西方の担当のはずだ。
「ディラッシュ王国は、女王が最後に回る国なんだ。訪問を受け入れてくれたとはいえ、何かと因縁のある国だからな。クエスタニアの協力を得られれば、南側から入国し、関係改善に向けた話し合いを行う予定だったのだが。その後の情報は届いていない。何か吉報でもあったか?」
もともと、グラシアルはクエスタニアに協力を打診してたのか。リックが拾ったのは、その情報だな。
「今回の大陸会議に、ディラッシュが参加する可能性がある。グラシアルの交渉は順調ってことじゃないか?」
「それは朗報だ。こちらも挨拶の準備をしておかなければな」
大陸会議の参加要請はディラッシュにも送られている。グラシアルとの関係が改善すれば、参加を選ぶ可能性は高いだろう。何より、アンシェラート関連の情報は欲しいはずだ。
「エル。さっきの話し、ユリアには聞いてみた?」
「まだ」
「そう。異国の言語ならユリアが知ってるかもしれないわ。こっちは任せて、行って良いわよ」
「ん。わかった」
急ごう。
「ごめんねぇ。西南諸国のことは、ちょっとわからないかもぉ」
「そんな変わった言葉を使う奴なんて知らないな」
「オルロワール家で探すのも無理そうね。とりあえず、魔法研究所でも探してみるわ」
ついでに、寄ってみるか。
「ええっ?西南諸国ですか?話せるわけないじゃないっすか」
「俺も知らないな。探してみても良いが、今日中ってのは難しいんじゃないか?」
他は……。
「西南諸国の言語も何も。見ての通り、今は冒険者がほとんど出払ってるぞ。っていうか、溜まってる依頼達成書を出せ」
忘れてた。
依頼達成書をギルドマスターに渡す。
「清算はオルロワール家でやるよ」
「忘れずにやっておけよ」
「ん」
駄目だ。
見つからない。
「お前は、どうしてそう、厄介事を持ってくるんだ」
こんなの、厄介ごとの範疇に入らないと思うけど。
「何か連絡は入ってないか?」
シャルロがカーリーを見る。
「いいえ。何も連絡は入っておりません」
つまり、俺が今日当たったところは、どこも駄目だったってことか。
「次は、どこを当たるつもりだ?」
「まだ行ってないのは、商人ギルドと……」
「西南諸国の言語を自在に操れる奴が、王都で仕事する理由なんてないだろう。探したいなら、港町にでも行け」
「今日中に見つけなくちゃいけないんだ」
もう夕方。時間がない。
「城の連中も研究所の連中も駄目なら、諦めろ」
後、出来る事。
「今から勉強してくる」
「ラングリオンの言語との相関がほとんどない言語を、教師もつけずに習得する気か?」
教師?
「居た」
「居た?」
「会いに行って来る」
「おい、どこに行く気だ?」
「養成所」
※
王立魔術師養成所。
門の外にある事務所を訪ねると、見たことのある受付嬢が居た。
「あら。久しぶりね」
「久しぶり。会長に会いたいんだ」
「会長?面会予約は入れてないわよね?」
「入れてない。でも、どうしても今日中に会わなくちゃいけないんだ。どうにかならないか?」
「そうね。聞いてみるけれど、期待せずに待っていてね」
受付嬢が事務所の奥へ行く。
あの受付嬢、昔は養成所側の受付けをやってたと思うけど。養成所の中と外の事務所は繋がってるから、居てもおかしくないか。
『久しぶりねぇ』
『そうだな』
『二人は、ここに来たことがあるの?』
『私とエルが出会ったのはぁ、ここだものぉ』
『錬金術の実験中に呼び出されたんだよねー?』
『そうよぉ』
『それ、ユールから何度も聞かされた話だわ。ここがそうなのね』
正確には、ここはまだ養成所の中じゃないし、学生の頃は門番に外出届を見せるだけで帰れたから、こっち側の事務所を使った覚えも全然ない。
……んだけど。
メラニーとユールのように懐かしい雰囲気を感じるから不思議だ。
「エルロック・クラニス」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
「許可が降りたわ」
「え?」
こんなに早く?
「付いて来て」
受付嬢と一緒に事務員たちが仕事をする脇を通る。
「関係者以外は、事務所の通り抜けなんて出来ないんじゃないのか?」
「許可は降りてるわ」
「武具も持ったままだけど」
「構わないわ。護衛も連れていない皇太子秘書官から、武器を取り上げるわけにはいかないでしょう?」
「知ってたのか」
「知ってるわ。私が見守ってきた学生のことは、全部」
「すごいな」
受付嬢が笑う。
「懐かしいわね。君たちの外出禁止令累計日数記録は、未だに塗り替えられてないのよ」
「そんな記録、残さなくて良いのに」
「無理よ。君たちの思い出を記録するのが私たちの仕事だもの」
奥の扉に入ると、養成所側の受付けに出た。
こっちは良く使ったな。学生が外出する時には必ず来る場所だ。
「さぁ、どうぞ」
事務所を通り抜けて、受付嬢が扉を開く。
王立魔術師養成所。
懐かしい。
何も変わってない。
校舎も、宿舎も、図書館も、講堂も。
そして、この空気も。
「会長は、あちらにいらっしゃいます」
木陰のベンチ。
いつも校舎の中に居るのに。なんで、こんなところに?
「では、私はこれで」
受付嬢が事務所に戻るのを見送ってから、ベンチの方へ行く。
「久しぶりだな。エルロック・クラニス」
「久しぶり」
会長が笑う。
「変わっていないな」
とんがり帽子と長い髭。
少し、老けたような気がする。
「お久しぶりです、会長。急な申し出にも関わらず、面会の場を用意して頂き感謝いたします」
丁寧におじぎをして見せると、会長がまた笑った。
「礼節の授業が役立ったようで何よりだ」
本当に。
学生の頃は、不要だと思ってたのに。
「聞こえるか?」
……精霊か?
目を閉じて、精霊の気配を探す。
あぁ。ずっと感じてた懐かしい空気の正体は、これだったのか。ここには、養成所を守る精霊がたくさん居る。
『エル』
この声。
「ミーア?」
『ふふふ。覚えててくれたんだね』
「ミーアこそ。まだ、俺のことを覚えててくれたのか」
『覚えてるよ。エルとは友達だもの』
「ありがとう」
ずっと変わらずに、ここに居るんだ。
「ミーアたちが、会長に教えたのか?」
『そうだよー』
「卒業生がここに来ることは稀だからな。では、用件を聞こう」
会長の方に向き直る。
「西南諸国の言語を教えてくれ。今日中に覚えたい」
会長が髭を撫でる。
「時間が足りないな」
「なんで?」
「日常会話程度なら習得出来るだろうが、交渉事となると、特殊な表現が必要になる。言語とは文化だ。相手に対して失礼にならない言葉選びをするには、一夜漬けでは無理だろう」
流石だな。詳しいことは何も言ってないのに、全部理解してる。
「でも、これだけ大きな議題を、予備知識なしで進めるのは無理がある。せっかく、各国のトップが集まって会談する特別な機会なのに。それを、無意味な会にしたくない」
「会議とは、力のある者の意見に左右されるものだ。事前の交渉など、大国と行えば充分だろう」
「会議の参加国は、すべて平等に意見を言う権利を持っている。その為の情報もまた、平等に配られるべきだ。大国だけで決めて良いなら、大陸会議なんて必要ない」
「よろしい。では、付いて来なさい」
……試しやがって。
※
『わぁ、本がたくさんあるわね』
『養成所の図書館だ』
『王立図書館よりも、エル好みの本がたくさんあるのよぅ』
学術書が豊富で、研究所の論文も卒業生の論文も、すべて保管されているからな。収蔵数は、王立図書館にも匹敵する。
この区画は、文化や地理、歴史を扱う資料や論文を置いているみたいだ。
会長が、奥の書棚の前で止まる。
「この棚にあるのは、すべて西南諸国に関する研究論文だ」
「え?この書棚全部?」
知らなかった。
西南諸国に関する研究が、こんなにあったなんて。
「養成所は魔法と錬金術の研究が盛んだが、歴史や文学を愛する学生も多い。更に、異国の文化に興味を持つ学生も居てね。そういった学生には、卒業の為に別の要件を出している」
「どんな?」
「専門家の元への留学だ。留学中のレポートも細かく残っているだろう」
道理で、養成所に居た頃に、この分野の話しを聞かなかったはずだ。
養成所には、異国の文化や歴史を専門に勉強する環境がない。せいぜい、大陸史で触れるぐらいだ。余程の興味がなければ、留学制度があることまでたどり着けないだろう。
「しかし、この中で卒業を選択した者はわずかだ」
「なんで?」
「彼らには、養成所を卒業する理由がない」
理由……。
卒業後に専門外の分野への進路が確定しているなら、退学をしたくもなるか。
実家を継がない貴族や留学生は、卒業後、錬金術研究所か魔法研究所への配属が決まっている。最近は、騎士になる道も用意されているみたいだけど。
卒業後に別の道を選ぶなら、学費の返納か兵役の義務が課せられる。学費が無料なのは、卒業生が国の為に働くことを前提としているからだ。
「退学しても、学費は残るんじゃないのか?」
「養成所は入学金を得て、学生を卒業させる義務を負う。離脱者に義務はない」
退学すれば学費の納付義務はないのか。
もともと、養成所は国費と寄付金で賄われているから、学費の返納なんて建前でしかないけれど。
「入学金って?」
「貴族からの寄付金だ。国が誘致した留学生の場合は、入学金は不要となる」
良かった。
でも、留学生の場合、卒業以外の選択はない。卒業しなければ市民証を得られず、国外退去処分になってしまうからだ。
「それで?退学すると決めてる奴が論文を残す理由は?」
会長が書棚を見上げる。
「学びというのは必ず人生の力になる。卒業の要件はあるものの、養成所は学生に対し、勉学の自由を約束し、積極的にその助けを行う義務がある。しかしそれは、その道の専門家や教師だけが行うものではない。君たちが学び、研究した記録もまた、後に続く者たちの大きな助けとなるのだ」
ここに保管されている、膨大な量の論文や資料。
「君も、先人から学んだことは多かったのではないか?」
確かに。
卒業生が残した資料は、どれだけ読み漁ったかわからない。一般の本からは手に入らないような綿密な情報や、変わったアプローチの研究が山のようにあった。
「読んでみると良い」
会長が選んだのは、西南諸国の信仰に関する論文だ。
蛇、ドラゴン、川……。
向こうの信仰の根底にあるものって、川や清流への信仰なのか。確かに、川の姿は、蛇やドラゴンの姿に通じる。
「ここで学んだことを、どう生かすかは人それぞれだ。その道を究める為に異国に渡る者も居れば、その分野を広めることに尽力する者も居る。……彼は、今も王都に残っているようだがね」
彼?
この論文の作者は……。
え?
まさか、こんなに近くに居たなんて。
※
「ベルトラン!来てくれ」
メラニーに探して貰った事務室に居たベルトランを引っ張って、アルベールの執務室へ走る。
「アルベール、見つけたぞ」
「見つけたって……」
「ベルトランが出来る」
少しの間を置いて、アルベールが腹を抱えて笑い出す。
「あぁ、お前は、そういう奴だよ。うん。良いんじゃないか?必要なら、いくらでも貸すぜ」
「まっ……、お待ち下さい、アルベール様。一体、何のお話ですか?」
「何の説明もせずに連れてきたのか?」
「急いでたんだから、仕方ないだろ?」
終業時間までに該当する人物を連れて来なきゃいけなかったんだから。
説得は、これから。
「ベルトラン。俺の仕事を手伝ってくれ」
「……」
「西南諸国の言語や文化に詳しいんだろ?」
「何故、」
「ベルトランが書いた西南諸国の宗教に関する論文を読んだんだ」
「どこで、」
「王立魔術師養成所。会長に教えて貰った。向こうの川に関する研究を深めたお前なら、交渉役としても適任だ」
アルベールが咳払いをする。
「エル。少しは落ち着け」
「落ちついてる」
「ベルトラン。エルロックは今、大陸会議の議題の一つを担当しているんだ。彼は西南諸国の通訳として君の力を必要としている」
「しかし、私はすでに別の仕事を任されております」
「それは他の連中に任せて構わない。こっちの方が優先度の高い仕事だからな。エルを手伝ってやってくれないか?」
ベルトランが、ため息を吐く。
「私は、もう、不要という意味でしょうか?」
「は?なんで、そうなるんだよ」
「エル。少し、黙っててくれるか?」
「……ん」
俺じゃ、説得出来ないって?
「ベルトランが言いたいこともわかるよ。自分を左遷させた張本人が、自分の元で働くように言ってくるなんて。普通なら、更なる嫌がらせをする為だと考えるだろうな」
『えっ』
『エルは、そんなことしないわよぅ』
「しかも、通訳や翻訳と言った仕事は管理者がやるような仕事じゃない。通訳は管理者のサポートとして行われることが多い仕事で、専門職と言うよりも秘書官のサブスキルとして求められる仕事だ。かつ、翻訳は大陸会議のようなイベント時に、臨時に雇用される事務職の代表でもある」
こんなに専門性の高い仕事なのに。
「でも、今話した内容をエルは知らない。城の内情については、全く無知だからな。だから、エルの言葉には語った以上の意味はないんだ。俺は今日中に西南諸国との交渉役を見つけて来るように指示し、エルは最も適任な者として君を連れて来た。その事実があるだけだ。ここまでは理解してくれるか?」
そこまで説明が必要なことか?
ベルトランが俺を一度見て、頷く。
「はい」
「じゃあ、本題に入ろう。貴族の君にとって、エルが出した仕事は不名誉なものに感じられるかもしれない。しかし、エルが君に頼もうとしている仕事は、国としても重要な仕事なんだ。君の協力が無ければ、エルがやろうとしていること、更に言えば、エルが担当している議題を成功させる為の道筋は途絶えてしまう。これは、異国との交渉だ。簡単な仕事ではない」
そう。頼みたいのは、それだ。
「少しは興味を持ってくれたか?」
「……はい」
全然、興味を持ったように見えない。
「この仕事は、機密性の高い情報を扱うことになる。やってくれると言うなら、この部屋……」
アルベールが、昨日、俺が仕事をしていた机を見る。
「その机で仕事をすることになるな。つまり、肩書きも俺の秘書官に変わる。どうだ?」
皇太子総務事務室で一緒に仕事をしてくれた方が楽だけど。ベルトランは、アルベールの部下になったから仕方ない。
「わかりました。アルベール様が仰るのなら従いましょう」
え?
「快諾してくれて感謝するよ」
「おい。何が快諾だよ」
「エル」
「今の話し、本当に納得したのか?やるかやらないかぐらい自分で決めろ。俺と仕事がしたいのか、したくないのか、はっきり言え」
ベルトランがアルベールを見ると、アルベールが追い払うように手を振る。
「俺の話しは終わりだ。仕事に戻るから、後は納得がいくまで話し合えば良い。ソフィー、コーヒーを」
「かしこまりました」
「アルベール様、」
「答えろ。ベルトラン」
こちらを一切見ずに、ベルトランが無言のまま俯く。
「あの……。エルロック様」
ソフィーが俺の側に来る。
「何だよ」
「アルベール様の御仕事の邪魔です。お帰り下さい」
『そうねぇ。ここだと、この人も話しにくいんじゃないかしらぁ?』
『エルも、ユールぐらい人間に気を使うべきだ』
なんで、自分の意見を言えないんだ。
「来い」
ベルトランの腕を引いて、執務室を出る。
どこか、話が出来るところ……。
「どこへ行くつもりだ」
そういえば、食堂には有料の個室もあったよな。
「手を放せ」
終業時間も近いし、もう仕事は終わりにしよう。
「なんていう怪力だ」
『エルが、怪力―?』
『エルより非力な人も居るのね』
『剣術大会準優勝だからな』
『ガラハドにも勝ったのよねぇ』
『すごかったよね』
『そうだな』
ずっと、アレクとガラハドと稽古してたからな。
皇太子総務事務室の扉を開いて顔だけ出すと、扉の脇に居たドニスがこちらを見る。
「エルロック様。お帰りなさいませ」
「悪い。今日は、もう終わりにする」
「かしこまりました。お疲れ様で……。え?ベルト……」
「お疲れ様」
事務室の扉を閉める。
※
食堂。
終業時間前だから、まだ空いてるな。
近くに居た適当なメイドを捕まえる。
「個室を使いたいんだけど」
いくらだっけ。銀貨を渡すと、メイドが微笑む。
「かしこまりました。御案内いたします」
メイドの案内で、四人掛けのテーブルがある個室へ。
椅子を二脚準備した後、席に着いた俺の前にメイドがメニュー表を出す。
「コーヒーを二つ」
「どのブレンドにいたしましょうか」
選べるのか。
「選んで」
メニューを見せても、ベルトランは黙ったまま。
なら、勝手に選ぼう。
「ビロヤで」
「かしこまりました」
メイドが頭を下げて、部屋を出る。
扉が閉まると、部屋が静かになった。
食堂から近いはずなんだけど、遮音性が高い場所みたいだ。
「ほら。ここなら誰も居ないぞ。言いたいことを言え」
目の前で、ベルトランが頭を抱える。
「お前は、一体、何なんだ?」
「俺がどこの誰かぐらい知ってるだろ」
「そんな意味じゃない。私は、貴族なんだぞ?その私をここまで乏しめて、これ以上、何をするつもりなんだ」
「お前が貴族だろうとなんだろうと関係ないし、乏しめてるつもりだってない」
「城の常識を何も知らず、次々と壊し……」
そんなに喋りたいことがあったなら、アルベールの前で言えば良いのに。
『長くなりそうねぇ』
『こんな狭いところに、いつまで居るつもりー?』
『あ、メイドさんが来たわ』
「お待たせいたしました」
メイドがコーヒーを並べる。
『オイラ、散歩に行ってきて良いー?』
頷く。
『待って、私も行くわ』
『いってらっしゃぁい』
「御一緒に、こちらのお料理はいかがでしょう」
「まかせるから、適当に選んで」
「かしこまりました」
別に、仕事を横取りしたつもりはないし、貴族の城内での地位を乏しめたいと思っていたわけでもない。
ただ、考え方の相違は根深い。
貴族とは、王家から信頼のある由緒正しい家系であり、その誇りを持って国の為に生きる存在なんだとか。だから、仕事なんて出来なくても管理職に就いていることに意味があるんだとかなんだとか。
本人曰く、仕事は真面目にやっていたらしい。そもそも、仕事の量が多過ぎるという訴えも確かだろう。そのツケを払っていたのは秘書官の二人組だけど。
左遷によって要職から外され、貴族の務めから外されたベルトランは、王家から見捨てられたも同じで、周囲からも屈辱的な仕打ちを受けているとかなんとか。
……面倒な話しだ。
「貴族なんて、止めれば良いのに」
「歴史と伝統ある血族が、お前みたいに無責任な行動を出来ると思っているのか」
「無責任じゃない。やるって決めた仕事を成功させたいから、協力を頼んでるんだろ」
「お前のように礼儀も知らない庶民と仲良く仕事なんぞ出来るわけがないだろう」
「仕事の出来不出来に、貴族も市民も関係ない」
「養成所を卒業しながら、研究所にも入らず、兵役もろくにこなさず、皇太子殿下の御慈悲に対して全く何もしてこなかったお前が。今度は秘書官の地位を得て、更に殿下の評判を落としているのに気づかないのか」
良く知ってるな。言ってることは間違ってない。
「アレクの評判を上げたいなら、俺に協力してくれ」
「……お前は、私の話しをちゃんと聞いているのか?」
「手伝って」
「アルベール様の命令には従う」
「やる気のない奴と仕事をするのは、ごめんだ」
ベルトランが、頭を抱える。
「どう言えば気が済むんだ」
「自分で選べって言ってるんだよ。あれだけの論文を仕上げたなら、西南諸国との仕事に興味あるだろ?」
「私が書いた論文を、どこまで読んだんだ?」
「全部読んだよ。面白かった。俺がやる仕事は、お前に向いてる。一緒に仕事をしたら絶対に楽しいと思う。だから、一緒に仕事をしよう」
ベルトランがため息を吐く。
「大陸会議の議題は全力で手伝うと約束する。……これで、文句はないか」
「もちろん。よろしくな」
手を差し出して、ベルトランと握手をする。
良かった。
無事に、西南諸国に詳しい奴の協力を頼めた。
「ついでに、論文のことで教えて欲しいことがあるんだけど」
「何年前の論文だと思ってるんだ」
「宗教に関する話で……」
※
部屋に戻ると、リリーがベッドの上で本を読んでいる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「ごめん。夕飯、一緒に行けなくて」
「大丈夫だよ。ジオとナターシャが教えてくれたから」
「そうか。ありがとう」
『あの場所に居るよりはましよ』
『そうだねー』
愚痴はともかく、西南諸国の話は面白かった。これから会う国の予備知識も仕入れられたな。
「シャワー浴びて来る」
「あ……」
「ん?」
振り返ると、リリーが首を振る。
「なんでもない」
本当に?
「話して」
リリーが俯く。
「あの、もう少し考えてから話したいから、また今度で良い?」
「わかった」
※
シャワーを浴びたら、少しすっきりした。
今日出来なかった分の仕事を進めよう。
タオルを頭にかけて机に向かうと、リリーが俺の髪を拭く。
「お湯を沸かしたんだよ。飲みたいものある?」
「コーヒー」
「わかった。ちょっと待っててね」
各国への説明資料だけは、ある程度まとめておきたい。特に、クエスタニアとティルフィグンは早めに会談が出来そうだ。準備をしておかないと。
そういえば。
「リリー。西南諸国の言語って知ってるか?」
「え?」
リリーが唸る。
「少しぐらいなら」
「すごいな」
一体、何か国語修得してるんだ。
「あの、聞いたり読んだりが少し出来るだけで、話したりは出来ないよ?」
「充分すごいよ。リリーは博識だな」
コーヒーの良い香りが漂って来た。
そういえば、リリーから貰ったサブレ、まだ食べてなかったんだ。
包みを開けて食べると、サクサクとした食感とバターの香りが広がる。
もう一つ手に取ったところで、さっきと形が違うことに気づく。サブレは、全部違う形をしてたのか。
可愛い。




