130 回転効率
「ちゃんと行けるのか?」
「行けるよ!」
リリーが頬を膨らませる。
『ボクも行くから大丈夫だよ』
近衛騎士の衣装を着ているし、王族の居住区に居るなら心配要らないと思うけど。
「いってらっしゃい」
「エルも、いってらっしゃい。お昼に会えたら会おうね」
「あぁ」
早足に歩くリリーを見送る。
混雑する食堂で何とか朝食を済ませられたものの、寝坊したせいで、アレクの部屋まで送る時間がない。イリスが居るとはいえ、一人で行けるのか?
『いつまで見てるのぉ?』
『遅刻するぞ』
そろそろ、始業の時間だ。
……大丈夫。
急ごう。
※
「おはよう」
「おはようございます」
「おはようございます。エルロック様」
間に合った。
事務室では、すでに事務員たちが仕事を始めている。
机の配置が変わってるな。
ベルトランの机が無くなって、その場所にセドリックの机が来ている。新人事務官の二人には、新しい机が用意されたみたいだ。
そして、この前、俺が仕事してた場所には……。
「なんだ、これ」
コの字型に並べられた広い机。素材やデザイン、机の高さまで全て統一されているから、これで一揃いの机なんだろう。
机を磨いていたエルザが顔を上げる。
「城の倉庫で眠っていた机ですよ。古いですが、ご覧の通り頑丈です。職人が表面を加工し直していますから、使い勝手もよろしいかと」
机の表面を撫でてみると、年代物と思えない程、滑らかな仕上がりになっている。
「休みの間にやったのか?」
「はい」
「そこまでしなくても良いのに」
「無作法に床で仕事されるよりはましです。これだけ広い机でしたら、不自由はないかと。今日は、椅子に座って御仕事をして下さいますね?」
微笑んでるけど、有無を言わさない迫力があるな。
「わかったよ」
ちゃんと座って仕事をしないと、今度は何を用意されるかわからない。
でも、これだけ広い机なら、書類の置き場所に困ることはないだろう。
「その椅子は、机を加工した職人が置いて行ったものです。座る際は注意してくださいね」
「変な仕掛けでもあるのか?」
「はい」
今度は楽しそうにエルザが微笑む。
見た感じ、背もたれのある普通の椅子に見えるけど。どんな仕掛けがあるんだ?
っていうか、机がこんな形をしていたら出入りが不便だな。椅子に座る為に、わざわざ回り込まなくちゃいけない。机を跨いで中に入るって案もあるけど、エルザに文句を言われるだろう。
「エル、居るか?」
振り返ると、扉からアルベールが顔を出す。
「おはよう、アルベール」
「おはよう。……また、変わった机を引っ張り出して来たな」
「エルザが用意してくれたんだよ」
アルベールが笑う。
「お前にぴったりじゃないか。これなら、好きなだけ散らかせるぜ」
「どういう意味だよ」
「書類が全部乗りそうで良かったよ。ソフィー、運んでくれ」
「はい」
アルベールの後ろに居たメイドが、書類の入った箱を山積みしたワゴンを運んでくる。
それを見たエルザが、慌てて手伝いに行った。
必要な分を厳選したとはいえ、一度で運ぶのは無理があるだろ。
「後、書類の管理用に近衛騎士を一人つけることにした」
「は?」
「外にも衛兵を置いたからな」
―エルに専属の護衛をつけても良いな。
冗談かと思ってたのに。
「やり過ぎだ。近衛騎士がやるような仕事じゃないぞ」
「うちの新しい騎士は、やる気十分だぜ?ドニス、来てくれ」
「ドニス?」
入って来たのは、見覚えのある騎士。
「アルベール様の近衛騎士、ドニスと申します。先日は、お世話になりました」
怪我、良くなったんだな。
「元気そうで良かった」
「はい。主命により、機密文書の保全とエルロック様の護衛に当たります。よろしくお願いいたします」
「あぁ。事務室なんて暇だろうけど、よろしくな」
「はい」
ドニスと握手を交わす。
剣術大会でオルロワール家の名代として選ばれた騎士なら、十分過ぎる実力だ。
大会の時は騎士じゃなかったと思うけど。アルベールの近衛騎士になったのか。
「機密文書管理の為、この部屋の鍵はドニスが管理する。セドリックの了解も得てるぜ」
事務室の鍵は室長が管理することになってるけど。
「ちゃんと、室長の辞令は出たのか?」
「あぁ。今朝、渡したぜ」
良かった。
前例がないことなら揉めるかと思ったけど、上手くやったらしい。
でも、この先、貴族連中の嫌がらせが出る可能性は十分ある。しばらく、ドニスが鍵を管理するのは良い案だろう。
「エルには、これを渡しておく」
手紙?
随分、分厚いな。しかも、開封済みだ。
宛名はオルロワール伯爵。差出人は……、リック?
「上手く使うと良い」
大陸河川に関係ある内容ってことか。
「他に聞いておきたいことはあるか?」
昨日の内に一通り聞いてあるからな。他に気になるのは……。
「ちゃんと休んでるのか?」
「睡眠はちゃんと取ってるぜ。ロジーヌがうるさいからな」
休んでないな。
「次の休みは、リリーとオルロワール家に行く」
「あぁ、あの話しか。マリーが仕切る予定だ」
「ちゃんと出席しろよ」
アルベールが笑う。
「いつもと立場が逆だな」
「どういう意味だよ」
「出席するよ。父も会いたいだろう」
「は?なんで、」
「ドニス、頼んだぞ」
「御意」
俺の言葉を無視して、アルベールが手を振って出て行く。
メルリシアと伯爵が出席するなら、正式な晩餐だ。そんな堅苦しい会になるなんて聞いてない。
「では、私は任務に当たります」
軽く頭を下げ、ドニスが扉の脇に立つ。
室内で警備に当たるらしい。
「エルロック様」
「ん?」
エルザ。
ソフィーも居ないし、書類は運び終わったのか。本当に、全部机に乗ってるな。
「私がこのお部屋のお手伝いをするのは、本日までです。明日からは別のメイドが来る予定です」
「別の?この部屋って、担当のメイドが居ないのか?」
「城内では、室長様が御自分のメイドを連れてくるのが通例です」
確かに、貴族が室長ならそうなるか。
「ただ、新しい室長様は御自分でメイドを用意することは無いでしょうから、アレクシス様が御用意されるかと」
「わかった」
エルザぐらい優秀なメイドが居なくなるのは痛いけど。
部屋付きメイドは、書類の管理と客人の取り次ぎをしてくれれば充分なんだから仕方ない。
「何かお手伝いすることはございますか?」
机の方は、今すぐ仕事に取りかかれる準備が整っている。
「大丈夫」
「では、コーヒーの準備をして参ります」
エルザが頭を下げて部屋を出る。
さてと。
「セドリック」
「はい」
机まで行って声をかけると、セドリックが顔を上げる。
「室長就任おめでとう」
「ありがとうございます。エルロック様のおかげです」
「俺は推薦しかしてない。決めたのはアレクだよ。……で、事後報告で悪いんだけど、この部屋を引き続き使わせてほしい。大陸会議の議題を担当することになったんだ。資料の作成の為には、アルベールと細かい連絡を取る必要がある。執務室だと遠いし、手狭で不便なんだ」
「はい。アルベール様からも伺っております。御自由にお使い下さい」
「助かるよ。休み前までに終わらなかった仕事は今日中に片付けるから」
「とんでもない。重要なお仕事を優先して構いません」
「やりかけの仕事ぐらい手伝うよ。それが終わったら、俺は居ないものと考えて構わないから、セドリックが主導して仕事を回してくれ」
「……わかりました。やってみます」
自信がなさそうだな。
「困ったことがあったら、何でも聞きに来て構わない。やり方は一通り指示したけど、もっと良い方法が出来たら室長の判断で変えて良い。ただし、内容に不足がある場合、書類は差し戻す。その時は、メルティとタリスの要望も聞いてやってくれないか?」
「かしこまりました、エルロック様。何か、私たちが御手伝い出来ることはありますか?」
急いで頼むようなことはなさそうだけど。この先、どんなトラブルが起きるか予想できない。
「大陸会議の日取りが正確に決まったら、頼ることになるかもしれない」
「はい。お任せください」
頼もしいな。
早く残した仕事を片付けて、大陸会議の資料の作成に取りかかろう。
コの字に並べられた机の外から回り込んで、内側の椅子に座る。
「?」
今、この椅子、揺れなかったか?
椅子の足がぐらついてるわけじゃないよな。
なんだか変な感覚だけど……。
体をずらそうとしたところで、ぐらつくことなく床にしっかりと足を着けている椅子が、動く。
『どうしたの?エル』
椅子に深く座って床を足で軽く蹴ると、体が椅子ごと回る。
『おー。エルが動いてるー』
『どうなってるの?』
『ふふふ。面白いわねぇ』
座ったまま一周した。
面白い椅子だな。
回りながら眼鏡をかけて、アルベールから貰った手紙を開く。
これは……。
―あんな迷子の面倒を見るのはごめんだ。
―俺には他にもやることがあるんだよ。
クエスタニアで別行動中、リックが調べてたのはこれか。かなりの量がある。
まず、クエスタニアにおける河川の運用方法。
河川の利用に関しては、クエスタニアの方が進んでるな。タグボートの運用を河川沿いの都市で競争していたなら、かなり高い技術を持ってそうだ。
西南諸国の事情は……。
相変わらず芳しくないみたいだな。
それから、ディラッシュ王国が大陸会議に参加する可能性がある?
ディラッシュは、グラシアルとの関係悪化により、大陸会議への参加を休止している国だ。けど、最近は新体制になったグラシアルが関係の修復を働きかけており、大陸会議への参加が期待されるらしい。これは、アリシアにも確認した方が良いな。
ディラッシュが来るなら、大陸河川に加えた方が良い河川が増える。調整しないと。
っていうか。
情報が増えれば増えるほど、資料の作成に変更や調整を加える必要が出てくる。
話し合いに必要なものが、どんどん厳選できなくなっていく。
今回の目標は、各国が、大陸河川の選定に協力して取り組むことへの合意を得ること。
その為に必要な資料を作ることは可能だ。
でも、そんな中途半端で発展もない結果で終わらせる為の資料なんて、意味があるのか?もっと先の話し合いだって可能なのに。
『エルザが戻って来たな』
部屋に入ってきたエルザが、机にコーヒーを置く。
「いつまで、ぐるぐる回っているおつもりですか?」
「ん?あぁ」
エルザの正面で止まる。
「お気に召されたようで何よりです。回転椅子と呼ぶそうですよ」
「便利な椅子だな」
これなら、机に広げた資料も手に取りやすい。
コーヒーを飲んでいると、誰かが来た。
「エルロック様。あの、お忙しいところすみません。少し質問してもよろしいでしょうか」
「良いよ」
「この件なんですが……」
※
時間が、後、どれぐらい残されてるのかわからない。
グラシアル代表のメルリシア、クエスタニア代表のハルトが、すでに王都に居るのだ。隣国のティルフィグンの到着は早いだろう。ディラッシュの参加は不透明なものの、セルメアが到着すれば、すぐにでもアンシェラート関連の会議が始まる。
大陸河川に関する議題を後回しにして貰ったとしても、稼げる日数は僅か。
アルベールが焦るのも無理はない。
……でも。
駄目だ。
進まない。
大陸会議の資料に手が付けられない。
事務室の運営が軌道に乗ってない。俺が無理矢理やり方を変えたせいで、皆、やり方に慣れてない。
こっちをどうにかしないと、何も出来ない。
新しいやり方のマニュアルを再構成しないと。担当を上手く分けつつ、柔軟に対処出来るように……。
※
「エルくーん、久しぶり」
扉が開くと同時に陽気な声が聞こえてきた。
「メルティに、タリス?」
秘書官の二人組が、なんでここに?
「わお。面白い机だねー」
「メルティ。事務員たちが驚いているぞ。静かにしろ」
「何しに来たんだ?書類に不備でもあったか?」
「不備はない。だが、ここまで出来るなら、こちらとしても頼みたいことがある」
「私たちも、優秀な事務員さんとお話ししたいんだよねー。良いー?」
「執務室の仕事はどうするんだよ」
「一日ぐらいサボっても大丈夫だよー」
「こっちも余裕が出来たんだ」
助かった。
「なら、頼む」
やりかけの書類をまとめて二人に渡す。
「あぁ」
「任せてー」
ようやく、取り掛かれる。
必要な書類を探そうと椅子を回したところで、誰かが椅子を正面に直す。エルザだ。
「その前に。そろそろ、ランチに行かれては?」
懐中時計を見る。もう、こんな時間だったのか。
「リリーちゃんが待ってるよー」
「え?」
そうだ。一緒に行こうって約束したんだ。
「行ってくる」
椅子を回して机を回って扉の側に行くと、ドニスが立っている。
「ランチは済ませたか?」
「はい。お先に頂いて来ました」
良かった。
「じゃあ、資料を頼む」
「はい。お任せください」
事務室の外に出ると、メイド服を着たリリーが待っていた。
「エル」
「リリー。遅くなって、ごめん」
「大丈夫」
「っていうか、こんな時間まで休めなかったのか?」
ランチの時間は、とっくに過ぎてるのに。
「休めなかったっていうか……。さっきまで、お菓子を作ってたんだ。エルにもあげるね」
お菓子を作ってたから、ランチの時間に気づかなかったのか?
リリーから貰った包みを開ける。
「サブレ?」
「うん」
一つ取って、口に運ぶ。
バターの良い香り。それに、食感もサクサクしててすごく良い。
「美味い」
「良かった」
後で仕事中につまもう。
サブレを包み直して、仕舞う。
「行こう」
「うん」
リリーの手を引いて、廊下を歩く。
「何、食べたい?」
「食堂に行くんじゃないの?」
「気晴らしに外に出ても良いだろ?」
「でも、午後も仕事があるから……」
「その服で?」
「たぶん……?」
リリーが首をかしげる。
いつも、ロザリーの服の着せ替え人形になってるから、服の意味なんて考えてないかもしれないけど。
リリーが着ている服は、いつものとは趣向が違う。アニエスたちと同じ、アレクの専属メイドの衣装だ。
「アレクのメイドになったわけじゃないよな?」
「違うよ。ちゃんと近衛騎士だよ」
その恰好で言われても、説得力ないけど。
あ。
「リュヌリアンはどうしたんだ?」
リリーがため息を吐く。
「しばらく持っちゃダメだって」
……本当に、アレクのメイドになったわけじゃないよな?




