128 柔らかな香り
一通り読み終わった。
「帰る」
後は、明日で良いだろう。
アルベールが笑う。
「終業時間、ぴったりだな」
「アルベールも早く帰れよ」
「あぁ。また明日」
「また明日」
執務室を出る。
リリーの仕事も終わってたら良いけど。
……とりあえず、部屋に戻るか。
※
従者の棟。
「エル!」
居た。
部屋に入るなり飛びついて来たリリーを受け止める。
「おかえりなさい」
「ただいま、リリー」
リリーを抱きしめる。
帰還した時と、服が変わってる。この前一緒に買いに行った服だ。リリーが自分から選んだのか?
だったら、嬉しいんだけど……。
「知らない人のにおいがする」
「知らない人?」
どういう意味だ?
においって……。
あぁ。この上着は、事務室でも着てたからな。換気をしたとは言え、部屋に染み付いた臭いは簡単に消えない。
「シガレット臭いってことか」
「シガレット?」
知らないのか。
「商人なんかが好む嗜好品だ。その服、気に入ったのか?」
「え?……うん」
「可愛い。リリーに似合うよ」
「……ありがとう」
……可愛い。
その仕草も態度も、リリーらしくて。
「出かけよう。何食べたい?」
今から出かければ、城門が閉まるまでに帰れるだろう。
「フィデ……。なんとかっていうの」
「フィデ?」
料理名だよな。似たような名前は……。
「フリカッセ?フォンデュ?ビスク?」
「バニーが、パエリアみたいって」
「フィデウアか」
「それ!」
……バニーって。
バーニーから教えて貰ったのか。確かに、港町らしい料理だけど。
「どんな料理なの?」
「パスタで作るパエリアだよ」
「王都にもある?」
「あるよ。行こう」
確か、パッセの店の近くにあったはずだ。
「その前に、着替えるから待ってて」
「うん」
※
レストラン、ドスムンドス。
「乾杯」
「乾杯」
テーブルには、きのこのソテーに魚介とオリーブのエスカベッシュ、ブニュエロといった前菜が並んでいる。
「これは、揚げた魚のマリネ?」
「そうだよ」
「美味しい」
「そういえば、昼にグラシアル風のタルティーヌを食べたんだ」
リリーにも食べさせたかったな。
「王都にグラシアル料理のお店が出来たの?」
「いや。アルベールが出してくれたんだ。グラシアルの料理見習いから聞いたレシピらしい」
最近は新しい店が増えてるから、グラシアル料理を扱う店があってもおかしくないけど。
「だったら、この前、私が食べたのと同じかも」
「同じ?」
「うん。オルロワール家で、メルが主催した昼食会があったんだ。パンと色んな具を用意して、自分でオープンサンドを作りながら食べたの。マリーの為の昼食会だったんだけど、アリシアとポリーも参加して、楽しかったよ」
姉妹揃って楽しんだなら、もう、行く理由がなさそうだな。
「今度、リリーをオルロワール家の食事会に連れて行くって約束したんだけど、どうする?」
「行きたい」
「なら、メルリシアが帰るまでに予定を調整してもらうよ」
適当に理由をつけて、アルベールを休ませないと。
あれじゃ、大陸会議まで持たないだろ。
「エルに、お土産があるんだよ」
「お土産?」
「うん。港町で見つけたの」
リリーが宝石の付いたブレスレットを出す。
見慣れないデザインだ。この宝石は、キャッツアイか?独特の猫目模様が入ってる。
「変わったデザインだな」
「西南諸国のアクセサリーだよ」
「西南諸国?……本当だ。蛇の形をしてるな」
蛇が自分の尾を咥える形で輪になっている。本当に、蛇やドラゴンへの信仰が根付いてるんだな。
「魔法使いの再生のお守りなんだって」
「宝石に特殊な力でもあるのか?」
「違うよ。形に意味があって、ウロボロスって言うんだ。魔力の回復を早めてくれるんだって」
身に付けるだけで魔力が回復する?そんな細工があるようには見えないけど。
ウロボロスってデザインに、何か宗教的な意味があるのかもしれない。
右腕に付けて、蛇の頭の部分を手の甲側に合わせる。宝石は蛇の瞳になってたのか。
「宝石はトルマリンだよ」
「トルマリン?キャッツアイじゃなくて?」
「うん。珍しいよね。私のペンダントもトルマリンなんだ」
リリーが身に付けてるのは、透明な宝石だ。
こんなに色んな色があるなんて。西南諸国は、トルマリンの産地でも有名なのか。
「ただ、こんなに珍しくて状態が良いものを銀貨一枚で売って良いのかなって思うけど……」
宝石店で買ったわけじゃなさそうだな。
「どんな店で買ったんだ?」
「露天商だよ」
流れの商人か。西南諸国の人間かもしれない。
「適正価格はいくらぐらいだと思う?」
「私のなら、銀貨三枚ぐらいかな。エルのなら、宝石の珍しさと細工の珍しさで銀貨五枚以上でも買い手は付くと思う」
確かに、こんなに珍しいものなら、アレクも欲しがりそうだ。
「お待たせいたしました」
ウエイターが、テーブルの中央に大きな平鍋を置く。
「わぁ。すごい豪華」
特徴のあるショートパスタの上に、旬の海老や貝がたくさん乗っている。
「香ばしくて良い匂い」
まだ湯気の立つフィデウアを平皿に取り分ける。
ウエイターがリリーの前にグラナダエードを置き、空いたグラスと皿を下げて、ウエイターが頭を下げる。
「どうぞ、ごゆっくり」
「ありがとうございます」
リリーが、エードの匂いを嗅ぐ。
グラナダエード。甘いって話だけど、どうかな。
リリーが一口飲んで、驚く。
「すごく甘い」
「美味いのか?」
「うん」
気に入ったらしい。
取り分けたフィデウアをリリーの前に置く。
「ありがとう。いただきます」
「ん」
海の幸がたっぷり使われたフィデウアは、魚介の出汁が染みてて美味い。
「美味しい」
リリーが笑顔になる。
料理も美味しいし、良い店だ。
陽気で賑やかな音楽も鳴っている。ラングリオンでは見慣れない楽器の演奏だ。変わった仕掛けのある弦楽器は、サンフォーナだっけ。縦笛も横笛もラングリオンのものとは形が違う。踊るように独特な旋律を持つ良い音楽だ。
「そういえば、エルはバニーのこと知ってるんだよね?」
「あぁ。王都の冒険者なら、だいたい知り合いだ」
冒険者の基本は情報収集。単なる世間話だったとしても、冒険者から得られる情報は多いのだ。特に、各地の情勢は常に最新のものが揃っていて、実際に目で見た生の情報が聞ける。
「バニーって、有名人?」
「有名だよ。二つ名は冒険者の水先案内人だ」
「水先案内人?」
「初心者に手ほどきをすることが多いんだ。王都で冒険者になったなら、世話になった奴も多いんじゃないか?口は悪いけど、物知りで面倒見が良いんだ」
リリーがスプーンを口に入れたまま、首を傾げる。
「口が悪い?」
「叱られなかったか?」
「怒られることもあったけど、若い内は、がむしゃらにって言ってたよ」
「丸くなったな」
影で悪魔教官って呼ばれてたんだけど。
「近い内に、ルイスとキャロルのところに帰れる?エルに食べてもらいたいものがあるの」
「良いよ。休みを合わせてもらうようにアレクに言っておいてくれ」
「わかった」
ルイスとキャロルと何か作るのかな。
楽しみだ。




