124 気が遠くなるほど長い
……いける。
低い体勢からジュレイドを突き刺して、エイルリオンを振り上げる。
「!」
嘘だろ?
避けやがった。
大きく体を反らせたガラハドがバク転する。着地と同時に大剣を構え直すと、こちらに大剣の切っ先を向けた。
突攻撃を横にずれてかわし、エイルリオンでガラハドの大剣を押さえつけながら、左手のジュレイドで……。だめだ。届かない。
エイルリオンとジュレイドを交差させ、力を込めてガラハドの大剣を地面に叩きつける。ジュレイドで押さえつけたまま、エイルリオンでガラハドをなぎ払おうとしたところで、ガラハドが大剣を振り上げた。
体勢を崩したせいで、また攻撃が入らない。
こっちが圧してるはずなのに。
そう思ったところで、腹部を殴られて吹き飛んだ。
……いってぇ。
大剣の柄で殴られたらしい。これで攻撃を食らうようなら、斬られてるのと変わらない。手を抜かれてる証拠だ。つまり、まだまだガラハドには余裕がある。圧してると思ってたのに。
風の魔法で吹き飛ぶ軌道を修正して、地面に足を着く。と、同時に風の魔法で加速して、ジュレイドで突き刺す。でも、エイルリンの攻撃が入る隙が見当たらない。ガラハドの攻撃をエイルリオンで受け止めて、ジュレイドで脇腹を斬る。
「右の剣が動いてないぜ」
わかってる。
ジュレイドはレイピアの技術で十分に使いこなせるけど、エイルリオンはそうはいかない。長剣の扱いは、剣術大会の稽古でアレクと練習したものの、ガラハドを御せるほどの技術はまだ身に付いてない。
でも。
振り下ろされたガラハドの剣を、逆手に持ったジュレイドで受け止める。軽く受け流すように。上手くいった。衝撃を軽減できたおかげで、腕が痺れてない。
素早くエイルリオンでガラハドを斬り払い、逆手に持ち直したエイルリオンでガラハドの剣を斬り上げ、体を回転させてジュレイドで……。
斬りつけようとしたところで、エイルリオンを弾いたガラハドの大剣が首に当たる。
負けた。
「惜しかったな」
仕切り直しだ。
攻撃の手を止めて剣を下げると、ガラハドも演習用の大剣を下ろす。
「今日はここまでだ」
「ここまで?」
まだ、疲れるほどやってないのに。
「隊長ってのは、偉そうにふんぞり返ってれば良いだけじゃないんだぜ。今日中に月初の報告書を仕上げなきゃいけないんだ」
今日はバロンスの二十九日。今月最後の平日だ。
エイルリオンとジュレイドを鞘に戻す。
「事務仕事ぐらい手伝ってやる」
「こんなところで油を売ってる暇があったら、殿下を手伝ったらどうだ?」
「アレクだって暇してるから良いんだよ」
「殿下が出来る仕事は制限されてるんだろ?クロフトの奴が、市街の復旧予算が降りないせいで、図書館の脇に瓦礫が放置されっぱなしだって言ってたぞ」
「王都の復旧作業はオルロワール家が主導してるんじゃなかったのか?」
「オルロワール家で主導してるのは公共施設と道路だ。一般向けの災害復旧の予算は別に組まれてて、予算を使うには殿下の承認が必要だ。書類は提出済みなんだが、どっかで止まってるみたいなんだよな」
書類がアレクまで回ってなくても、秘書官のメルティとタリスの承認があれば予算は執行できる。でも、あの二人が急を要する書類を止めてるとは思えない。
だとしたら、それより下、事務官で止まってる?
「他に止まってる書類は?」
「エンドの方で廃屋が崩れたのが数件。教会や孤児院も修繕が必要だ。応急処置はしてあるが、次に地震が来たら危険だな。ただ、こっちよりも一番隊の方が深刻みたいだぜ」
「わかった。確認してくる」
「頼んだぜ。皇太子秘書官様」
「様なんてつけるな。気味が悪い」
ガラハドが笑う。
「それぐらい仕事しろってことだ」
※
一番隊と二番隊からも話しを聞いた結果、かなりの量の書類が止まってることがわかった。
急いで確認しないと。
「この書類、ここに届いてるか?」
執務室には、メルティとタリス、エルザが居る。
「エルくーん!お仕事しに来てくれたのー?」
「そうだよ。これ、見てくれ」
メルティとタリスが、クロフトが書いたメモの一覧を見る。
「来てないよー」
「やけに予算の執行が少ないと思っていたら、書類の提出が遅れてたのか?」
「違う。急ぐものだけ書き出してもらったんだ。これ以外にも、山ほど守備隊から書類が提出されてるのに、何一つ執行されてないって聞いたぞ」
「えー」
「どうせ下の連中が仕事をしてないんだろ。くそっ。また計算が……」
計算?
そういえば、前も何か計算してたよな。
「ちょっと、その書類見せてくれ」
タリスの書類を取る。
……なんだ、これ。
「なんで、こんな単純な計算作業を秘書官がやってるんだよ。こんなの、事務官にやらせろ」
「データだけまとめて送られてくるんですー」
「そんなことやってるから書類があちこちで止まるんだよ。複雑な統計処理ならともかく、数えてグラフ化するだけの作業なら誰にでもできるだろ。ちょっと貸せ」
これも。……これも、こっちも。
こんな作業、全部、秘書官にやらせてるのか?
「これ、アレクもやってるのか?」
「アレク様は御自分の判断で書類を差し戻してますけどー。私たちがそれをやると、下の方たちの負担になるとクレームが来ますから」
「仕事の割り振りぐらい、ちゃんとしろ。何でもかんでも抱え込むから休みが無いんだろ」
メルティの机に乗ってる資料は……。
この辺も、事務に任せて良いな。
「エルザ。事務官が仕事してる部屋に案内してくれ」
「えー?私の担当はこのお部屋ですよ?」
「エルに付き合ってやれ」
「こっちは大丈夫だよー」
「むぅ。それなら、仕方ありません。御案内します」
※
エルザの案内で事務室へ向かう。
思ったよりも執務室から離れてるみたいだな。
本来、執務室はアレクが居るはずの部屋なんだから当然か。
「ここだけの話ですが。アレク様が執務室にいらっしゃれば、こんなことにはなっていないんですよ」
「どういう意味だ?」
「事務室に行けばわかると思います」
廊下沿いには、事務室や会議室がずらりと並んでる。
「こちらです」
皇太子総務事務室、か。長ったらしい名前だ。
エルザがノックをして扉を開くと同時に、紫煙が溢れる。
「皇太子秘書官のエルロック様がいらっしゃいました。皆様、ご挨拶を」
「挨拶なんて良いから、窓を開けろ」
「かしこまりました」
エルザと一緒に部屋の窓を全開にして、風の魔法を使う。
事務官たちが慌てて書類を押さえてるのが見える。書類が飛ばないように気を付けたつもりだけど。
一通り空気の入れ替えが済んだところで、エルザが窓を閉めた。
まだ臭いは残るけど、さっきよりはましだ。
「ここで一番偉い奴は?」
「私だ」
解りやすいな。一番偉そうな机を使ってる。
「名前は?」
「室長のベルトランだ」
「計算の早い奴に、この書類の計算をさせてくれ」
書類を渡すと、ベルトランが眼鏡をかけてページをめくる。
「こいつは、秘書官の仕事でしょう」
「何言ってるんだ。秘書官の仕事は予算の執行だぞ。細かいデータの集計や精査は、こっちの仕事だろ」
「仕事が多くて、そんなことやってる時間が無くてね……」
「だったら、急を要する案件を先にやれ。この書類が、ここで止まってるはずだ」
クロフトから貰ったメモを見せると、ベルトランがシガレットをふかしながら、のろのろと机の上の書類を漁る。
俺の側に戻って来たエルザが咳払いをする。
「城内における喫煙規定では、複数人が業務を行う事務室及び会議室での喫煙は禁止されております」
ベルトランを見ると、ベルトランが肩をすくめる。
「上司の許可があれば自由に吸えますから」
「だったら、俺は許可しない。この部屋での喫煙を今後一切禁止する」
「皆様。皇太子秘書官様の正式なご命令ですよー」
周りを見ると、シガレットを吸っていた数人も火を消した。
「計算が得意な奴は居るか?」
見渡すと、一人が手を挙げる。
「僕が……」
「お前には、今日中に任せた仕事があるだろう」
「その仕事は後回しにして良い。こっちを先に頼む」
「わかりました」
書類を持って行こうとすると、慌てて立ち上がった相手が、こちらに走って来た。
「名前は?」
「ヨアンです」
「ヨアン。出来れば今日中に……」
言葉の途中で、ベルトランが大きく二回手を鳴らす。
「全員、昼の休憩に入ってくれ」
昼?
ポケットから懐中時計を出す。
昼には少し早いけど、仕事の区切りが良いなら休憩にしても良い時間だ。
「書類は見つかったのか?」
「ランチの後に探しますよ」
そう言って、ベルトランが部屋を出る。
自分で探した方が早いな。
「ふふふ。エルロック様、目をつけられちゃいましたねぇ」
「どういう意味だ?」
「あの人、性格悪いですから」
「仕事は出来るんだろ?」
室長を任されてるんだから、それなりに能力があるはず……。
「ここの方々に聞いてみたらいかがですか?」
周りを見渡すと、事務官たちが目を合わせようともせずに次々と部屋から出て行く。
「あの……。秘書官様」
書類を持ったままのヨアンがこちらを見る。
「ベルトラン様は貴族の出で、優秀な方です。ただ……。その……」
「貴族の出であることと優秀なことはイコールじゃない。あいつの仕事ぶりを教えてくれ」
「不満がある人を、すぐに別の部署に回して……。それが、実質降格処分で……」
「俺が聞いてるのは仕事の話だ」
「仕事なんかできるわけないですよ!」
「せっかく商人ギルドで学んだ知識が全く役に立ちません」
まだ部屋に残っていた二人がこちらを見る。
商人ギルドでは、様々な分野の講座を開いている。
技術者や事務官を育成する専門の養成コースも開設されていて、修了者には修了証書が手渡されるのだ。この証書は仕事を探す際に、とても有利に働くことでも有名だ。
つまり。
「事務官養成コースを修了してるってことか?」
「ここに居るメンバーは全員修了しています」
「事務官の募集は商人ギルドの事務官養成コースを修了していることが前提ですから」
昔はそんなものなかったと思うけど。ここ数年で変わったのかもしれない。
「つまり、かなり高度な書類も頼めるってことか?」
「アレクシス様に宛てた書類は、良いものを作ってます」
「確かに」
アレクのところに来てたのは、秘書官向けの書類と全然違う。
「じゃあ、なんで?」
「上司に問題があるからに決まってるじゃないですか」
「あの人、メルティム様とタリス様の悪口ばかりです」
「女性が上司であることに不満があるようなんです」
「あんなに酷い書類を秘書官に回して来るのは、二人への嫌がらせってことか?」
「そうですよー」
これが、エルザが言ってたことか。アレクが執務室に居れば、回す書類に差なんてできないはずだ。
「なんで、アレクに言わないんだよ」
「メルティ様とタリス様は、出来ない仕事を押し付けられているわけではないから、と仰られております。それに、事務官の皆様の負担を減らすのも上司の役目だと」
「可能な仕事を全部引き受けてたら、何の為に事務官が居るのかわからないぞ。お前たちだって、不満があるならアレクに直接言えば良いだろ」
「エルロック様。アレクシス様にお会いすることがどれだけ大変なことだと思っていらっしゃるんですか?」
……そうだ。一般の事務官が皇太子に会うなんて、簡単なことじゃない。
「それに、休憩時間は御部屋から出て下さい。メイドが掃除できないって顔してます。掃除が遅れると、彼女たちが室長様に叱られるんですよ」
だいたい、あいつがどんな奴かわかった。
「今日は、俺がここの指揮をとる。ヨアン。ランチの後で良いから、この書類を今日中に仕上げてくれ。そっちの二人も、名前と得意なことを教えてくれないか」
「エリクです。文章作成業務なら任せて下さい」
「ラザールです。簡単な統計処理なら出来ますよ」
「わかった。仕事の割り振りを見直すから、休憩に入ってくれ。……そっちのメイドも、掃除を始めて構わない」
「エルロック様。清掃メイドは、事務官が仕事中には部屋に入ってはならない決まりです」
「そのルールは誰が決めたんだ」
「仕事の邪魔をしない為の基本的なルールです」
「今は仕事の時間じゃないし、俺は事務官じゃないから入って構わない。最初に、あっちを掃除してくれないか?その後、全員の机にある灰皿を処分して……」
言いながら、目の前にあった紙にメモを書いてエルザに渡す。
「エルザは、これをアレクに届けてくれ」
「私は、アレクシス様の御部屋に入る許可は頂いておりません」
「部屋の前に居る近衛騎士に渡すだけでも良い」
「ちゃんと、秘書官様の命令だと一筆書いてくださいね」
「わかったよ」
そんなに人の出入りが厳重なのか。
「ついでに、昼食も済ませて来てくれ」
「戻るのが遅くなりますよ?」
「構わない」
さてと。休憩時間の内に、出来るところまでやっておかないと。
※
あいつ、一日中、ここで何してたんだ?
仕事の優先順位も何もない。割り振りも滅茶苦茶だ。
しかも、守備隊関連の書類は、わざと後回しにしてたみたいだ。話しを聞く感じだと感情任せで仕事をするようだから、守備隊に対して気に食わないことがあったのかもしれないけど。それで迷惑を被るのが誰だと思ってるんだ。
……ともかく。
事務官たちがランチから戻って来た。
ベルトランが来ないってことは、アレクが上手くやってくれたんだろう。
「これから、午後の仕事を開始する。午前の仕事が中途半端になってるかもしれないが、仕事の割り振りを見直した。急ぎのものから順に片付けてくれ。それから、ここに、秘書官に提出する書類の概要と雛形をまとめた。セドリックに渡すから、順に回してくれ」
セドリックの机の上に書類を置く。
「不足してる内容があったら書き足して構わない。質問や気になることがあったら聞きに来てくれ。後で、やりたい仕事や得意な仕事に関する聞き取り調査も行う」
「わかりました。あの……。ベルトラン様は?」
「あいつは、もうここに来ない。新しい室長は追って決める」
さて。仕事を始めるか。
メイドに掃除して空けてもらった床には、ベルトランの机の上にあった書類の山が並んでいる。書類の山の中心に座って用箋挟に書類を留める。守備隊の予算に関する書類だけは先にまとめないと。クロフトが言ってた急ぎのものは俺の名前で承認したけど、提出先が昼休みで提出出来なかった。
エルザが戻ってきたら、頼もう。
後は、ガラハドが言ってた教会と孤児院の修繕も早くしないと。
「秘書官様」
「エルロックだ」
「エルロック様。先ほどの書類ですが、この項目を加えた方が良いと思うのですが……」
セドリックが別の用紙に書いたメモを持って来る。
あぁ、確かに。提出用と、ここで保管用の二通作成しておいた方が良いな。
「書き加えておいてくれ」
「よろしいのですか?」
「あぁ」
「あの、この項目についても見て頂きたいのですが……」
セドリックがメモを裏返す。
「ん。これも加えておいてくれ。書いたら、そのまま回して良い」
「わかりました。あの……」
何度目だ。
「用があるなら、はっきり言え」
「そこで御仕事をされるんですか?」
「俺が何処で仕事しようと関係ないだろ」
「……申し訳ありません」
※
出来た。
後、処理が終わってない守備隊関連の報告書は……。
『エルザが戻って来た』
扉が開いたかと思うと、大きな椅子が入って来る。
「エルロック様に椅子をお持ちしました。……って、どぉして床で仕事してるんですか?」
「見ればわかるだろ」
処理が必要な書類が多過ぎて、あんな狭い机じゃ作業できない。
「必要な書類があるなら私が御運びします。新しい机の準備は時間がかかりますが、椅子だけは良いものを御用意したので使ってください」
「机に置いてある書類、予算の執行許可を出したから担当部署に回してくれ」
「机は物置じゃありません。机で御仕事してください」
「書類の提出が済んだら、コーヒーを淹れて」
「本当に話を聞かない人ですね。クッションだけでもお使いになりません?」
「ん」
クッションは貰っておこう。
エルザが提出用の書類をまとめる。
「コーヒーはいつものでよろしいんですね?」
「あぁ。事務官の分も用意してくれ。紅茶が良い奴は紅茶を」
「私は給仕じゃありません」
「終わったら、そっちの箱にまとめた書類を執務室に届けて、このメモに書いた資料を用意してくれ」
「もーぅ。人使いが荒過ぎますー」
文句を言いながらエルザが事務官たちに注文を取りに行った。給仕に回すには勿体ないぐらい仕事が出来るメイドだって、わかってるけど。
これは、このままアレクに回して良さそうだな。クロフトの書類は、そのまま秘書官に回しても良さそうなのも多い。さっきの急ぎの書類だって、オルロワール家に持ち込めば、アルベールがアレクに回してくれたと思うけど。
そもそも、ここで止まってるのがおかしいだけか。
「では、いってきます」
注文を取り終えたエルザが、書類を持って出て行った。戻るまでに、残りを仕上げないと。
……あぁ。これは規定ではどうなってるんだっけ?
「王都の環境保護政策について詳しい奴は居るか?」
誰も手を上げない。
「エルロック様。ジョージが詳しいと思います」
セドリックは、ここの事務官の得意分野に詳しいのか。
ジョージの机まで行って、書類を渡す。
「ジョージ、この書類を頼めるか?」
「あっ……。はい」
「すぐに取りかかってくれ。こっちは俺がやっておく」
ジョージが作業中だった書類を用箋挟に挟む。そうか。これを任せてたんだっけ。
これなら、すぐに仕上がる。
「エルロック様、こっちを見てもらえませんか?」
隣の机を見る。
「こんな感じで良いでしょうか」
「十分だ。この項目が入ってるのもすごく良い。その調子で続けてくれ」
「はい」
「あの、私も良いですか?」
「なんだ?」
「この件なんですが、不備があるので聞き取り調査に行きたいのですが……」
「良いよ。行って来てくれ」
「はい」
「あの、私も行って良いですか?このデータが不足してて……」
事務官が持って来た書類を見る。明らかに母数が少ない。
「あぁ、頼む。調査が終わらなくても、終業の時間までには一度戻ってくれ」
「わかりました」
ついでに、それぞれの机から出来上がった書類を回収しておくか。
ヨアンに任せたのも、もう終わりそうだ。完成した書類を見る限りミスもない。タリスより計算早いんじゃないのか?
『ロニーが誰か連れて来たようだな』
ノックがあって、ロニーが入って来る。
「エル、新しい子を連れて来たよ」
「新しい子?」
「アルベールにベルトランを引き取って貰う代わりに、新人の事務次官を貰って来たんだ」
エルザに渡したメモを通じて、アレクにベルトランを左遷させるように頼んだんだけど。アルベールに押し付けることにしたのか。
女性なら、ベルトランと同じ職場に入れない方が良いだろう。
「名前は?」
「ミミです。よろしくお願いいたします」
「リュリュと申します。よろしくお願いいたします」
「事務官養成コースは修了してるんだよな?」
「はい」
「もちろんです」
なら、即戦力だ。
「机が足りないな……」
すぐに用意は出来ないんだっけ?でも、椅子なら足りてる。エルザが用意した椅子をベルトランの机に持って行く。
「今日は、この机を二人で使ってくれ。新しい机は次に来る時までに準備する。……セドリックから回した書類は、全員、読み終わったか?」
「もう少し待ってください」
今はラザールのところで止まってるのか。
「ここの仕事については後で説明する。ひとまず……」
山積みの書類の中から、二人の仕事を選ぶ。
「このデータ処理を頼む。やって欲しいことも書いておくから、わからなかったら聞いてくれ」
「はい」
「わかりました」
「ロニー、」
「私は手伝わないからね」
なんだ。手伝ってくれないのか。
「主君から渡すように頼まれたものがあるんだ」
ロニーが出したのは、布のかかったバスケット。
「何だ?これ」
「エルのランチだよ」
……忘れてた。
「ちゃんと食べて、夕食までに自分で返却するんだよ」
「ん。わかった」
ロニーと別れて、書類の山の中に戻る。
バスケットの中身はサンドイッチだ。これなら、食べながら作業できる。
『エルザが戻って来たな』
もう?
でも、丁度良いか。コーヒーの良い匂いがする。
「エルロック様」
呼ばれて顔を上げると、何故かエルザがこちらを睨む。
「皇太子秘書官ともあろう御方が、仕事の片手間に床で食事をするなんて無作法にもほどがあります」
「良いだろ」
「良くありません。別の御部屋にテーブルと椅子を御用意致しました。エルロック様のコーヒーもそちらに御運びしてあります」
「ここに持って来てくれ」
「アレクシス様の御命令ですよ。どうせランチの時間も忘れて馬鹿みたいに仕事をしてるだろうから引っ張り出すようにと」
「それ言ったの、ロニーだろ」
「私が承った伝言です」
何が伝言だ。
「新人に仕事を教えたら行くよ。秘書官に書類を持って行くのは、ジョージの仕事が仕上がるまで待ってくれ。事務官にコーヒーを配ったら休んでて良いから」
「だーめーでーすっ」
「エルロック様。コーヒーや紅茶ぐらい、自分で取りに行きます」
「新人に仕事を教えるのは、私がやりますよ」
「ランチは、ごゆっくり召し上がってください」
「事務官の皆様のおっしゃる通りです。少しは人の話を聞いたらどうですか。行きますよ」
バスケットを持ったエルザに引っ張られるようにして部屋を出る。
まだ割り振ってない仕事もあるし、新人の仕事ぶりも見ておきたいのに。
※
それぞれの仕事の進捗状況を確認して、仕事の合間にした聞き取りをまとめる。だいたいがベルトランへの不満。聞きたいのは、やりたい仕事と得意分野だったんだけどな。まぁ、アレクに提出しておけば、左遷の正当な理由付けになるだろう。
ともかく、ここに揃ってる事務官が優秀なのは良くわかった。
「エルロック様。そろそろ終業の時間です」
エルザが集めて来た書類を受け取る。
これだけ書類が綺麗にまとまっていれば、秘書官も仕事がしやすいだろう。予算の執行が順調に進めば、他のことも上手く回るはずだ。
体を大きく伸ばして、立ち上がる。
「セドリック。ちょっと来てくれないか」
「はい」
セドリックが、こちらに来る。
「室長をやる気はないか?」
「え?私ですか?」
「あぁ。アレクに推薦しておく。正式な書類は休み明けに上がるはずだ」
「私は、貴族の出でもなんでもないですが……」
「俺だって貴族でもなんでもない。今日一日の仕事ぶりを見た感じだと、セドリックが一番丁寧に仕事をする。月間報告書の作成も手伝ってもらったし、その調子で他の面倒も見てやって欲しいんだ」
セドリックが頷く。
「わかりました。謹んでお受けいたします」
周囲から拍手が起こる。
セドリックは、一番、俺が欲しい形で書類を仕上げて来るし、ここに居る事務官からの信頼も厚そうだ。室長として適任だろう。
「全員、区切りの良いところで、今日の仕事を終わりにしてくれ」
残りの作業を終わらせよう。
「どうぞ」
エルザが空のカップにコーヒーを淹れる。
……だめだ。終わらないな。休み明けもここに来るしかなさそうだ。
※
仕事に区切りをつけて、アレクの部屋へ。
「お疲れ様」
夕食の時間には間に合ったけど、秘書官の部屋に寄る時間はなかった。
「事務官の聞き取り調査結果だ」
アレクが眼鏡をかけて書類に目を通す。
「アレクが執務室に居ないから、事務官と秘書官への嫌がらせが常態化してたらしいぞ」
「メルティとタリスには、相当、我慢をさせていたようだね」
「そう思うなら、二人にちゃんと休暇を取らせろ」
「そうだね。ありがとう。この書類はアルベールにも見せるよ。ベルトランは、室長から事務官への降格処分と、事務室で喫煙を許可した規律違反で三か月間の減給処分が決まっている。不当な人事異動がなかったかの調査も行われるそうだよ」
叩けば埃がたくさん出てきそうな奴だからな。
「なんで、あんな無能が室長なんてやってたんだ」
「城内の管理職は職のない貴族の受け入れ先だからね」
「養成所を卒業してる人間が城で働くことなんてあるのか?」
養成所は、ほぼすべての貴族が入学すると言われてる場所だ。卒業生のほとんどは一度、研究所に配属され、その後は医者や技官として地元に帰ったり、地方に配属されたりする。もちろん、そのまま研究者として残る奴も多いけど。
「卒業生が城で働くことは滅多にないよ。養成所に入る為には、難しい試験に合格しなければならないし、入学したとしても途中で落第する者も居るんだよ」
俺の同期にそんな奴は居なかったけど。
「つまり、城の管理職には、養成所に入学も卒業も出来ない上に、自分で事業をやることもしないような無能がなるってことか?」
「もう一つ加えるなら、地元から追い出された貴族も、かな」
「ふざけてる。新しい室長はセドリックに頼んだからな。無能な貴族なんて配属するなよ」
「良い人選だね。こちらで昇任の手配をしておこう。優秀な秘書官が仕事をしてくれて助かるよ」
「おかげでアレクとチェスをする暇がなかった」
「夕食後にしよう。チェスの本も用意しておいたよ」
アニエスがチェスの本を持って来る。三冊ぐらいなら、寝る前に読めそうだ。
「ガラハドには勝てそうかい」
「勝つよ」
「そろそろ三番隊も引退したいとぼやいていたからね。引導を渡してあげると良い」
「何が引退だ。まだまだ現役だろ」
「どうかな」
引退したい理由がある?
……あれか。
「あの病にかかる奴は、もう居ない」
「クエスタニアでは、どうだったんだい」
それは……。
「ガラハドは、富める国も貧しい国も、豊かな国も乏しい国も、平和な国も争いのある国も、すべてを見ている。そして、それが現代でも変わらないことを知っているんだ」
ラングリオンにはメディシノが居て、治療薬や予防薬も開発されている。
けれど、情報が伝わらない場所もあれば、情報が伝わったとしても治療を受けられないこともある。それは事実だ。
でも。だからって。
病が蔓延した責任を一人で負う必要なんてない。
※
夕食後、アレクとチェスを三回やった。結果は一勝二敗。白番でダブルチェックを狙わなければ、勝てるんだけど。
『どこ行くの?』
「食堂」
『なんで?』
「本を読むのに、コーヒーが要るから」
皇太子の棟にも給湯設備はあるけど、一人分を淹れるのは面倒だ。
就寝に近い時間は食堂も空いている。給仕のメイドも居ないから、コーヒーはキッチンに直接注文しなければならない。
「コーヒーを頼む」
カウンター越しにキッチンを覗くと、知ってる顔が居た。
「エルじゃないか」
「久しぶり。ちゃんと料理人になってたのか」
「当前だ。お前こそ、秘書官になったんだって?大出世だな。今日は一日中、お前の噂でもちきりだったぜ」
「俺の?」
食堂と言えば、噂の宝庫だ。魔法部隊に配属になってすぐに、フラーダリーから食堂に潜入して城内の噂を集めろって言われたことがある。給仕に配属される予定が、何故か皿洗いの仕事を押し付けられて酷い目に合った。
こいつは、その頃に一緒に皿洗いをやってた奴だ。順調に出世したらしい。
「ランチの時間に、突然、アルベール様が辞令を持って来たんだ。その原因がお前なんだろ?」
「ベルトランの左遷の話しか」
「そうそう。貴族の鼻っ柱をへし折ったって、喜んでる連中もたくさん居たぜ」
アルベールの奴、派手にやりやがって。
「良い迷惑だ」
「お前は、もともと貴族連中から評判が良くないからな。後ろから刺されないように気を付けろよ」
「誰が刺されるかよ」
「お前が仕事出来るのも気に食わないんだよ。二か月はかかる仕事を一日でやったんだって?」
今日やった量が、二か月もかかる量だったとは思えないけど。噂に尾ひれがつくのはいつものことだ。
「俺が一人でやったわけじゃない。もともと、城には優秀な事務官が集まってるんだよ」
「お前が頭良いのは確かだと思うぜ。ほら、コーヒーだ」
コーヒーを持って、適当な席に着く。
アレクが用意したのは、どれも同じ人物が書いた本。
旧ラングフォルド伯爵。
結局、一度も顔を見たことが無い。
チェスの世界では、ラングリオンでチェスの普及に貢献した人物として知られるらしい。
ってことは、フランカやファルも出来るのかもしれないな。今度、聞いてみよう。
『寝ないの?エル』
欠伸も出るし、体も頭も疲れてるはずなんだけど。
上手く寝つける気がしない。
原因もわかってるんだけど、今はどうにもできない。
元気にしてれば良いけど。
……考えると、会いに行きたくなる。でも、今は駄目だ。
決めたから。
待つって。
だから、必ず帰ってきて。




