09.別れた恋人が、戦場へ行くかもしれません
「久しぶりだね、エルネスト。相変わらず、妙なものを作っているのかい?」
研究室の扉が開くなり聞こえてきた声に、エルネストは顔を上げた。
「兄上!」
そこに立っていたのは、軍服姿の兄、レオンハルトだった。
同じ黒髪に金色の瞳を持ち、顔立ちもよく似ている。だが、戦闘魔術師として前線に立つ兄はエルネストよりも体格がよく、堂々とした雰囲気を纏っていた。
「王都に戻っていたの?」
「今朝、王都に戻ってきたんだ。開戦後の部隊編成について打ち合わせがあって、そのまま軍本部へ行ってきたところだよ」
「忙しいんじゃ……」
「忙しいよ。だから、弟の顔を見たらすぐ戻る」
そう言いながらも、レオンハルトは遠慮なく研究室へ入ってきた。
久しぶりに訪れた弟の研究室が気になるのか、机に並んだ器具や資料を眺めている。
「それで、これが人工魔晶石?」
「そう」
兄が覗き込んだのは、机の上に置いていた試作品だった。
「今ある魔晶石の代わりになるの?」
「まだ無理。蓄えられる魔力量が少なすぎるし、作るのにも時間がかかるから」
「戦場で大量に使うには程遠い、と」
「そもそも、軍で使うために研究しているわけじゃないから」
「知ってるよ。医療や一般家庭でも使えるものにしたいんだろう?」
思いがけない言葉に、エルネストは驚いた。
「覚えていたの?」
「弟が何年も研究しているものくらい覚えてるさ」
レオンハルトは試作品をしばらく眺めてから、話を続けた。
「ただ、戦争が始まった以上、軍が興味を持つのは避けられないだろうね。グランベルからの輸入が滞れば、魔晶石は真っ先に不足する」
「もう軍の方から話を聞きたいと言われているよ」
「早いな」
「まだ試作品の段階だとは伝えてある。それでも一度話をしたいって」
「だったら、会えばいい」
「簡単に言うね」
「話を聞くだけならね。軍の設備や資金が使えるなら、お前にも利点はあるだろう?」
「軍事利用を前提に研究を変えるつもりはないよ」
「それも言えばいい。向こうが受け入れるかは別だけど、自分の希望を伝えないことには交渉にもならないよ」
エルネストは机の上の試作品を見つめた。
父なら、まず軍に役立つかどうかを考えるだろう。だが、兄は軍での利用価値を認めながらも、研究の目的を変えろとは言わない。
同じ戦闘魔術師でも、兄は昔からそのあたりが違っていた。
「それより、聞いたよ」
レオンハルトは近くの椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「コンラート叔父上が、ずいぶん余計なことをしたらしいね」
「……もう聞いたの」
思わず顔をしかめると、兄は肩をすくめた。
「父上が怒っていたからね。叔父上も悪気はないんだろうけど」
「悪気がなければ何をしてもいいわけじゃないよ」
「もちろん」
あっさりと同意したレオンハルトは、少し考えるように言葉を続けた。
「叔父上は、自分の結婚がうまくいったせいで、あれが正解だと信じすぎてるんだよ。自分も家のために相手を選んで幸せになったんだから、お前も同じようにすればいいと思ったんだろうね」
「だからって、アンナを王都から追い出そうとする?」
「そこは完全にやりすぎだ。父上が怒るのも当然だよ」
兄も叔父の行動を肯定するつもりはないらしい。そのことには少し安心したものの、続く言葉で気持ちは一変した。
「ただ、これで諦めてくれればいいけどね」
「……どういう意味?」
「叔父上のことだから、『やり方が悪かった』とは反省しても、『自分が間違っていた』とは思ってないんじゃないかな」
言われてみれば、いかにも叔父が考えそうなことだった。
父に叱責され、今回の件については反省したとしても、エルネストの結婚相手は家のために選ぶべきだという考えまで改めるとは限らない。
「やめてよ」
「俺に言われても困るよ」
「兄上からも言っておいて」
「機会があればね」
気軽に答える兄に、エルネストはため息をついた。
こちらにとっては笑い事ではないのに、レオンハルトはどこか楽しそうだ。
「そういえば、父上から聞いたよ。お前、アンナ嬢とのことを認めると言われたんだって?」
「……アンナに戦闘魔術の才能があるとわかったからね」
「それで断った?」
「そんな理由で認められても、納得できない」
「青いねえ」
呆れたような声に、エルネストは兄を見返した。
「父上が認めたのなら、理由なんて何でもいいから受け入れてしまえばよかったのに」
「兄上まで、そんなことを言うの」
「もちろん、口約束じゃ駄目だよ。正式に書面を交わして、後から撤回できないようにしておく。何だったら父上を追い詰める方法、一緒に考えてやってもいいよ」
「……父上に恨みでもある?」
「いや? 父上のことは尊敬しているよ。当主としても、軍人としてもね」
「それなら、どうして追い詰めようとするの」
「尊敬していることと、父上の言うことを何でもそのまま聞くことは別だろう?」
あまりにも当然のように言われ、エルネストは返す言葉に詰まった。
「それに、一度認めさせてしまえば、あとはお前たち次第だ。父上が何を理由に考えを変えたかなんて、結婚してしまえば関係ない」
「僕は関係ある」
「だから青いって言ってるんだよ」
また笑われてしまった。
兄の言うことが、まったく理解できないわけではない。
父が結婚を認めるというなら、その機会を逃さず、後から覆されないようにしてしまう。
それも一つの方法だろう。
けれど、エルネストはもう、父の判断一つでアンナとの関係を左右されたくなかった。
アンナに戦闘魔術の才能があろうとなかろうと、彼女と一緒になりたい。
そのために、自分の力で道を切り開くと決めたのだ。
「まあ、お前がそれでいいなら、俺が口を出すことじゃないけどね」
レオンハルトはそれ以上追及せず、話題を変えた。
「そういえば、そのアンナ嬢。魔術科に転科したそうだね」
「うん」
「軍にも報告が上がってるよ」
「知ってるの?」
「直接見たわけじゃないけどね。軍用の標的を防御結界ごと吹き飛ばしたと聞けば、嫌でも覚えるさ」
そのときのアンナの様子を思い出し、エルネストは思わず笑みを浮かべた。
「本人は、壊しちゃったって気にしてたけど」
「むしろ軍としては歓迎したいところだね。制御は訓練で身につけられる。でも、あれほどの瞬間出力は、努力だけで得られるものじゃない」
「……やっぱり、すごいんだ」
「報告どおりならね。あれほどの瞬間出力を持つ戦闘魔術師は、そうそういないよ」
第一部隊の隊長を務める兄が、そこまで言うのだ。
自分が褒められたわけでもないのに、嬉しさが込み上げてきた。
少し前まで魔術など使えなかったアンナが、思いがけない才能を見つけ、軍からも認められ始めている。
本人はまだ戸惑うことも多いようだが、エルネストにはその成長が誇らしかった。
「嬉しそうだね」
「嬉しいよ」
「別れたんじゃなかった?」
「……別れたけど」
「それでも嬉しい?」
「当たり前でしょう」
迷わず答えると、レオンハルトは満足そうに笑みを深めた。
「それなら、まだ大丈夫そうだ」
「何が?」
「叔父上が次の相手を連れてくる前に、頑張ったほうがいいんじゃないかと思ってね」
「やめてよ」
冗談めかして返したものの、まったく笑えない話だった。
アンナと別れたからといって、気持ちまでなくなったわけではない。
研究を完成させて、自分の力で迎えに行く。そのつもりでいるのに、叔父にまた余計なことをされてはたまらなかった。
「ところで兄上。これから前線へ戻るの?」
「ああ。第一部隊はヴァルガ要塞へ向かうことになる」
先ほどまでの軽い調子とは違い、レオンハルトの声には軍人としての厳しさが滲んでいた。
「やっぱり、ヴァルガ要塞が……」
「グランベル側も本気だよ。今のところ要塞は持ちこたえているけど、増援は必要になる」
「兄上も戦うんだよね」
「それが仕事だからね」
当然のように答える兄を前に、エルネストはそれ以上何も言えなくなった。
レオンハルトは優秀な戦闘魔術師であり、これまでにも何度となく危険な任務を経験している。兄の実力を疑ったことなどないが、それでも戦争となれば話は違う。
どれほど強い戦闘魔術師でも、必ず無事に帰ってこられるとは限らないのだから。
「そんな顔をするなよ。まだ死ぬ予定はない」
「縁起でもないことを言わないで」
「悪かった」
兄は軽く笑って謝ったが、エルネストにはとても笑えなかった。
「ただ、今回の戦争が長引けば、戦闘魔術師はいくらいても足りなくなる。学園の魔術科からも、適性の高い学生には実地訓練への参加を募る話が出ているよ」
「学生を?」
「いきなり戦わせるわけじゃない。後方で現役の戦闘魔術師について学ばせる。今までも適性の高い学生ならあったことだ」
「でも、アンナは転科したばかりだよ」
口にした瞬間、しまったと思った。
案の定、兄はわずかに眉を上げる。
「俺はアンナ嬢とは言ってないけど」
「……」
「なるほど。真っ先に彼女が浮かんだんだ」
「兄上」
「悪かったよ」
謝りながらも、レオンハルトはどこか面白がっているようだった。
もっとも、続く言葉は冗談ではなかった。
「実際、候補には入ると思う。あれだけ突出した適性があるなら、通常の課程だけで育てるより、現役の戦闘魔術師から直接学ばせたいと考える人間はいるだろう」
「ヴァルガ要塞へ行く可能性も?」
「ある」
短い答えに、胸が締めつけられる。
アンナが魔術を学びたいと言ったときは、心から応援したいと思った。
軍から才能を認められたことも嬉しかったし、これからどんな戦闘魔術師になるのか楽しみでもあった。
けれど、その先に戦場があることを、どこかで考えないようにしていたのかもしれない。
ついこの間まで普通科に通っていたアンナが、戦争の始まった国境へ向かうかもしれない。
そんなことになるとは、少し前まで想像もしていなかった。
「止めたい?」
兄に問われ、エルネストはすぐには答えられなかった。
行ってほしくない。危険な場所になど近づいてほしくない。
できることなら、戦争が終わるまで安全な王都にいてほしかった。
けれど、アンナが自分の意思で戦闘魔術を学び、その道を進みたいと望むのなら、それを止める権利が自分にあるのだろうか。
「……アンナが自分で決めることだから」
「うん」
「僕が決めることじゃない」
ようやく答えると、レオンハルトは静かに頷いた。
「なら、本人に聞くしかないね」
「うん」
そう答えたものの、不安が消えたわけではなかった。
アンナはようやく自分の力を見つけ、自分の進む道を選び始めたところだ。
その選択を尊重したいという気持ちと、危険な場所へ行ってほしくないという願いは、簡単に折り合いがつくものではない。
たとえ彼女が戦場へ行くことを選んだとしても、応援できるだろうか。
今はまだ、自信を持って頷けそうになかった。
「じゃあ、俺は戻るよ」
椅子から立ち上がったレオンハルトは、来たときと同じように気負いのない様子だった。
「兄上」
「何?」
「……気をつけて」
兄は一瞬意外そうな顔をしたあと、いつもの笑みを浮かべた。
「ああ。また王都に戻ったら顔を出すよ」
その言葉に頷き、エルネストは兄を見送った。
扉が閉まると、先ほどまで賑やかだった研究室が急に静かになったように感じられた。
机の上には、作りかけの人工魔晶石が置かれている。
兄はこれから戦場へ向かう。そして、アンナもいずれ同じ場所へ行くことになるかもしれない。
その一方で、自分はこの研究室に残る。
戦闘魔術に適性がない以上、兄やアンナと同じように前線で戦うことはできない。
頭ではわかっていたはずなのに、戦争が始まった今、その事実が以前よりも重く感じられた。
だからといって、戦闘魔術師になれない自分を嘆いていても何も変わらない。
エルネストは椅子に座り直すと、途中になっていた術式を手元へ引き寄せた。
自分には、自分にできることがある。
人工魔晶石は、まだわずかな魔力しか蓄えられない小さな試作品にすぎない。
だが、研究を重ねて実用化できれば、魔晶石の不足に苦しむ人々の助けになるはずだ。
それは戦場へ向かう兄やアンナとは違う、自分なりの戦い方なのかもしれない。
エルネストは改めて術式へ目を落とした。
アンナが自分の道を進もうとしているのなら、自分も立ち止まってはいられない。
いつか彼女を迎えに行くためにも、この研究を必ず完成させるつもりだった。




