08.壊してもいいと言われたので、全力で撃ったのですが……
軍から担当者が来ると聞いてから数日後、アンナは教師に連れられて学園の応接室へ向かった。
室内では、軍服を着た二人の男が待っていた。
「君がアンナさんだね」
声をかけてきたのは、四十代ほどの男だった。
アンナが入室すると、椅子から立ち上がり、穏やかな笑みを向けてくる。
「私はガイゼル。魔術軍で戦闘魔術師の訓練に携わっている。今日は君の魔術を確認させてもらいたい」
「よろしくお願いいたします」
アンナが頭を下げると、ガイゼルは手元の書類を確かめながら話を続けた。
「学園からの報告では、非常に高い瞬間出力を記録したそうだね」
「はい。ただ、まだ習い始めたばかりなので……」
「今の段階で完成された技術を求めているわけではないよ。今日は君がどれほどの力を持っているのか、確かめたいんだ」
「はい」
穏やかな口調に少し緊張が和らいだものの、アンナはまだ落ち着かなかった。
ほんの少し前まで、普通科に通っていた自分が、軍の人間と魔術について話している。
戦闘魔術師など、これまで自分とはまるで関係のない人たちだと思っていた。それなのに、今日はその訓練を担当する人物が、アンナの魔術を見るためにわざわざ学園まで来ているのだ。
何だか不思議な気分だった。
案内されたのは、王立学園の上級演習場だった。
校舎の奥にある斜面を上った先に位置し、市街地よりも高い場所にある。周囲に建物はなく、大規模な魔術の訓練にも使われる施設だ。
広い演習場の奥には、分厚い金属製の標的が設置されていた。その周囲の地面には複雑な術式が描かれており、普段の授業で使う標的とは明らかに様子が違う。
「軍の訓練でも使用している標的だ。防御結界も張ってあるから、安心していい」
「はい」
アンナは標的の前に立ち、教師から教わった手順を思い出した。
最初は普段の授業と同じように魔術を放ち、続いて威力を抑えた攻撃にも挑戦する。
後者はまだ思いどおりにはいかなかったものの、ガイゼルは特に叱ることもなく、魔術を放つたびにその様子を注意深く観察していた。
ひととおり確認を終えると、隣の男が記録している紙に目を通す。
「なるほど。では最後に、できる限りの威力で撃ってみてくれ」
「壊してしまっても大丈夫ですか?」
「そのための標的だよ。万が一に備えて、防御結界も張ってある」
「わかりました」
アンナは改めて標的へ向き直った。
今度は、威力を抑えなくていい。
そう思った途端、先ほどまでとは比べものにならないほど楽に魔力が集まってきた。いつもは途中で止めようとしていた魔力を、今度はそのまま右手へ送り込んでいく。
「いきます!」
右手から眩い光が放たれた。
次の瞬間、凄まじい轟音が演習場に響き渡る。
「きゃっ!」
反射的に目を閉じたアンナを、猛烈な風が襲った。
足元が大きく揺れ、何かが砕け散る音が立て続けに響く。耳を塞ぎたくなるほどの轟音はなかなか収まらず、アンナはその場から動くこともできなかった。
ようやく静かになったところで、恐る恐る目を開ける。
「……え?」
標的が、ない。
先ほどまで分厚い金属製の標的が立っていた場所には、大きく抉れた地面が広がっていた。
しかも、被害はそれだけではなかった。標的の背後にあった土の防壁まで吹き飛び、その向こうの地面にも深い亀裂が走っている。
アンナは呆然とその光景を眺めた。
全力で撃っていいとは言われたものの、まさかここまで壊してしまうとは思わなかった。あれほど頑丈そうだった標的が、跡形もなく消えている。
「……あの」
おそるおそるガイゼルを振り返った。
「すみません。壊しちゃいました」
しかし、返事はなかった。
ガイゼルは標的があった場所を見つめたまま、動こうとしない。隣にいた男も、記録用の紙を手にしたまま固まっていた。
「……結界は?」
しばらくして、ようやくガイゼルが口を開いた。
「消失しています。術式そのものが破壊されました」
「……馬鹿な」
その反応に、アンナはますます不安になった。
軍の訓練でも使っている標的だというから、多少のことでは壊れないと思っていたのに。防御結界まで破壊してしまったとなると、さすがにまずかったのではないだろうか。
「あの、本当にすみません。私、こんなになるとは思わなくて……」
「いや、君が謝る必要はない。全力で撃てと言ったのは私だ」
ガイゼルは抉れた地面をしばらく眺め、深く息を吐いた。
「アンナさん。学園からの報告には、魔力量は平均的だとあったね」
「はい」
「それなのに、これほどの威力が出ているとは……」
信じがたいものを見たというように、ガイゼルはもう一度、標的のあった場所を確かめた。
「私はかつて第一部隊に所属していた。今は教官を務めているが、現役時代も含めて、これほどの瞬間出力は見たことがない」
「……え?」
「しかも、君はまだ魔術を学び始めたばかりだ。これからどこまで成長するのか、想像もつかないな」
アンナは改めて演習場を見渡した。
標的があった場所には、何も残っていない。あれほどの破壊を引き起こしたのが自分の魔術だということさえ、まだ信じられなかった。
「君の魔力回路が特殊だという報告も受けている。ぜひ、その才能を伸ばしてほしい」
「……私に、できるでしょうか」
「もちろん、訓練は必要だ。だが、これほどの出力は努力だけで得られるものではない。君には、ほかの者にはない才能がある」
ガイゼルの言葉には、長年戦闘魔術師の訓練に携わってきた者としての確信が感じられた。
「今後も、学園での訓練結果を確認させてもらいたい。君自身は、戦闘魔術を学ぶことについてどう考えている?」
「学びたいです」
今度は迷わず答えられた。
「まだ全然うまく使えませんけど、自分に何ができるのか、知りたいです」
「そうか。国境の情勢を考えれば、戦える魔術師が増えるのは軍としてもありがたい」
「国境……」
その言葉を聞いて、アンナの気持ちも引き締まった。
セレディア王国とグランベル王国の関係が悪化していることは、アンナも知っている。
ミモザ雑貨店でも、最近は魔晶石を使った商品の仕入れ値が上がっていた。
遠い国境で起きていることが、少しずつ王都の暮らしにも影響を及ぼし始めている。
「戦争になるんでしょうか」
「ならないに越したことはない。ただ、国境での衝突は増えている。この先どうなるかは、我々にも断言できない」
「魔晶石も、グランベルから入ってきているんですよね?」
「ああ。国内でも採れないわけではないが、量も質も十分ではない。グランベルからの輸入が完全に止まれば、軍だけでなく国全体に影響が出る」
魔晶石が不足すれば、店で扱う商品にも今以上の影響が出るだろう。
そこまで考えたとき、アンナはふと、エルネストの研究を思い出した。
「あの、人工魔晶石では駄目なんでしょうか」
「人工魔晶石?」
「はい。魔晶石と同じように魔力を蓄えられるものです」
「研究されていることは知っている。ただ、実用化できる段階のものは、まだないはずだが」
「学園に、研究している人がいます」
ガイゼルが興味を示したように、アンナの話へ耳を傾ける。
「もう試作品もできています。まだ少ししか魔力を蓄えられないそうですけど」
「学生が?」
「はい」
「それは興味深いな」
ガイゼルはしばらく考えたあと、アンナへ尋ねた。
「本人が構わないのであれば、一度話を聞いてみたい。すぐに軍で使えるという話ではないが、どの程度まで研究が進んでいるのかは知っておきたい」
「わかりました。聞いてみます」
エルネストがずっと続けてきた研究に、軍の人が興味を持ってくれた。
まだ実用化には遠いのかもしれない。それでも、研究の成果を知ってもらえる機会になるなら、ぜひ話を聞いてもらいたかった。
放課後、アンナは研究棟へ向かった。
何度も通った廊下なのに、今日は妙に緊張する。研究室の前まで来たところで、思わず足が止まった。
別れてから、ここへ来るのは初めてだった。
以前は用事などなくても訪ねていた。エルネストが研究している横で宿題をしたり、帰る時間まで二人で話していたり。あの頃は、扉を叩くのに緊張したことなどなかったのに。
今日はちゃんとした用事がある。それなのに、なかなか手が動かなかった。
アンナは小さく息を吐き、ようやく扉を叩いた。
「はい」
「アンナです。少し、お話ししてもいい?」
すぐに足音が近づいてきたかと思うと、扉が開いた。
「アンナ?」
顔を出したエルネストは、思いがけない訪問者に驚いたようだった。
「どうしたの?」
「伝えたいことがあって」
「入って」
促されるまま研究室へ足を踏み入れると、懐かしい光景が広がっていた。
室内は以前とほとんど変わっていない。机の上には研究資料が広がり、その傍らには人工魔晶石の試作品が置かれている。
「あ、ごめん。今、片づけるから」
エルネストが慌てて資料を持ち上げたのは、机の横に置かれた椅子からだった。
いつもアンナが座っていた椅子だ。
「ありがとう。でも、今日はすぐ帰るから大丈夫」
「……そっか」
ほんの一瞬、残念そうな表情が浮かんだのを見て、アンナまで寂しくなってしまう。
以前なら、用事が済んでもそのまま居座っていたのに。今は、そうする理由がない。
「それで、何かあった?」
「今日、軍の人が来たの」
「この前言ってた?」
「うん。魔術を見てもらった」
「どうだった?」
「軍で使ってる標的を、壊しちゃったの」
「えっ」
予想外の報告だったのだろう。エルネストはすぐには言葉が出てこないようだったが、やがて確かめるように尋ねた。
「それ、壊れにくいやつじゃない?」
「やっぱり?」
「僕も詳しくは知らないけど、普通の訓練用よりずっと頑丈なはずだよ」
「それだけじゃなくて、防御結界も、その後ろの防壁も……」
「……待って。それ、全部アンナが?」
「うん。威力を抑えなくていいって言われたから、全力で撃ったんだけど……」
「…………」
そこで会話が途切れてしまった。
エルネストは何か言おうとしているようだったが、なかなか言葉が出てこない。アンナは少し不安になった。
「エルネスト?」
「……アンナ。それ、たぶん、とんでもないことだよ」
「そうなの?」
「普通の魔力量で、軍用の標的だけじゃなく防御結界まで破壊したんだろ? 魔術を習い始めたばかりなのに、そんな出力を出せるなんて……」
エルネストはまだ信じられない様子だった。
「そんなにすごいことなの?」
「すごいなんてものじゃないよ。魔力量が多い人でも、そこまでの威力を出せるとは限らないんだ。アンナの魔力回路は、本当に特別なんだと思う」
「……そうなんだ」
ガイゼルにも似たようなことを言われたが、エルネストにまでここまで驚かれると、改めて自分の魔術が普通ではないのだと感じた。
「軍の人は何て言ってた?」
「今まで見たことがない出力だって。これからも訓練の様子を確認したいって言われた」
「……そっか」
少し考えたあと、エルネストは別のことを尋ねてきた。
「そういえば、来たのは誰だった?」
「ガイゼルさんっていう人。戦闘魔術師の訓練を担当してるんだって」
「ガイゼル……もしかして、ガイゼル教官?」
どうやら聞き覚えのある名前らしい。
「知ってるの?」
「うん。父上が第一部隊の隊長だった頃の部下だよ。今は前線を退いて、教官を務めているんだ」
「そうなんだ」
「前に、父上がアンナの戦闘魔術の適性を調べたいって言ってたんだ。ガイゼル教官が来たなら、今回の調査も父上の指示かもしれない」
「……そうなの?」
「うん。父上は魔術軍団長だからね。アンナほどの才能が見つかれば、当然、軍としても関心を持つだろうし」
そこまで話したところで、エルネストの表情が少し曇った。
「ただ、父上は能力を何より重視する人だから……アンナの才能を知って、また何か言い出すかもしれない」
「エルネスト……」
「でも、アンナの才能がすごいことに変わりはないよ。そこは僕も嬉しい」
そう言って微笑んでくれるエルネストに、アンナも自然と笑みを返した。
自分の才能を喜んでもらえるのは嬉しい。それがエルネストなら、なおさらだった。
「あ、それでね。エルネストに伝えたかったのは、こっち」
「何?」
「人工魔晶石のこと、軍の人に話したの」
「僕の研究?」
「うん。グランベルから魔晶石が入ってこなくなったら困るって話になったから、人工魔晶石ならどうなんだろうって」
「それで?」
「試作品ができてるって言ったら、一度話を聞きたいって」
「……軍が?」
思いもよらなかった話らしく、エルネストはしばらく考え込んでいた。
「父上の耳にも入るだろうな……」
「あ……そうだよね」
アンナはそこで初めて、軍の責任者がエルネストの父親であることを思い出した。
研究の話を聞いてもらえれば喜んでくれると思っていたが、エルネストにとっては複雑なことなのかもしれない。
「まさか、父上が率いる軍から僕の研究に興味を持たれるとは思わなかったよ」
エルネストは机の上に置かれた試作品を手に取った。
「でも、今の試作品じゃ軍で使えるようなものじゃない。蓄えられる魔力量も少ないし、作るのにも時間がかかる」
「前よりは増えてるんでしょう?」
「それはそうだけど」
「だったら、話してみたら? 今すぐ使えるかどうかじゃなくて、どこまで研究が進んでるのか知りたいって言ってたよ」
エルネストは手の中の試作品を眺めていたが、やがて納得したように頷いた。
「……そうだね。父上がどう思うかはともかく、軍でどういう使い方をするのか聞ければ、研究の参考にもなるかもしれない」
「じゃあ、会う?」
「うん。お願いしてもいい?」
「わかった。伝えておくね」
「ありがとう」
これで用件は済んだ。
あとは帰るだけなのに、アンナはなかなかその場を離れられなかった。
エルネストも特に急かすことなく、試作品を机へ戻している。
ふと、広げられた資料の一枚が目に留まった。
「これ、新しい術式?」
「ああ。魔力を安定して蓄えるためのもの。まだうまくいってないけど」
「見てもいい?」
「もちろん」
エルネストが紙をこちらへ向けてくれたので、アンナは自然とその隣へ移動した。
「ここまでは前と同じ?」
「うん。変えたのはこっち。流れ込む魔力が多すぎたときに──」
説明を聞きながら、アンナは紙を覗き込んだ。
エルネストが指で術式をたどり、わからないところを質問すると、いつものように丁寧に教えてくれる。
いつの間にか、以前と同じように話していた。
二人で一つのものを見ながら、わからないところを尋ねたり、思いついたことを口にしたり。別れる前は、こんな時間を何度も過ごしていた。
「あ、だったら──」
何か思いついて顔を上げたところで、アンナは言葉を止めた。
思っていたより、エルネストの顔が近い。
向こうも同じことに気づいたらしく、目が合ったまま、二人とも動けなくなってしまう。
「……ごめん」
先に身を引いたのはエルネストだった。
「ううん」
急に意識してしまい、アンナは机の上へ視線を戻した。
以前なら、このくらい近くにいることなど当たり前だった。それなのに、今は顔を上げることさえためらわれる。
胸の鼓動が、なかなか落ち着かなかった。
「……私、そろそろ帰るね」
「あ、うん」
アンナは鞄を持ち直した。
「軍の人には、会ってみたいって伝えておく」
「お願い」
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
研究室を出ようとした、そのときだった。
突然、学園中に鐘の音が響き渡った。
アンナは足を止め、思わず扉の方を振り返る。
「何……?」
いつもの鐘とは違う。
短い音が何度も繰り返され、研究棟の廊下にまで響いていた。
「緊急時の鐘だ」
エルネストの声に、アンナも緊張した。
二人が研究室を出ると、廊下にはほかの研究室から出てきた生徒たちが集まり始めていた。突然の鐘に、何が起きたのかわからないまま戸惑っている者も多い。
「全員、校舎の外へ出ないように! 詳しい指示があるまで、その場で待機しなさい!」
教師の声が廊下に響き、生徒たちのざわめきが一瞬弱まった。
「先生、何があったんですか?」
「国境から緊急の知らせが入った。グランベル王国軍が、ヴァルガ要塞への攻撃を開始したそうだ」
その言葉に、周囲が一気に騒がしくなった。
アンナは隣のエルネストを見た。いつもは穏やかな彼も、今は厳しい表情で教師の話を聞いている。
つい先ほど、ガイゼルと国境の衝突について話したばかりだった。
戦争になるのだろうかと尋ねたとき、彼は、この先どうなるかはわからないと答えていた。
それが、まさか今日のうちにこんな知らせが届くなんて。
アンナは無意識に鞄の持ち手を握りしめた。
遠い国境で起きていると思っていた出来事が、突然、自分たちのいる学園にまで届いてきたのだった。




