07.魔力量は普通なのに、戦闘魔術の威力がおかしいようです
魔術科に転科してから、アンナは毎日のように実技訓練を受けていた。
今日の課題は、標的を壊さずに魔術を命中させることだ。
「では、もう一度。今度は、できるだけ少ない魔力でお願いします」
「はい!」
教師に促され、アンナは実習場の奥に並んだ木製の標的へ右手を向ける。
強い魔術を放つこと自体は、それほど難しくない。問題は、弱くすることだった。
慎重に魔力を集め、ほんの少しだけ外へ押し出す。
「えいっ!」
放たれた光が標的に命中した。
次の瞬間、大きな音とともに木板が真っ二つに割れる。
「……また壊しちゃいました」
「ですが、前回より威力は抑えられています。隣の標的は無事ですからね」
「前回は二つ壊しましたもんね……」
アンナは肩を落とし、割れた標的を見つめた。
魔術を使えるようになったときは、あんなに嬉しかったのに。思いどおりに扱うのは、想像以上に難しい。
「先生、どうして私はこんなに威力が出ちゃうんでしょうか。魔力量は普通なんですよね?」
「ええ。ですが、魔力量と瞬間的な出力は別のものです。特にあなたの場合、魔力回路が非常に特殊ですから」
「魔力回路、ですか?」
「先日の精密検査で確認したでしょう。普通、人間の魔力回路は一本です。その回路を通して魔力を送り出すので、回路の太さによって一度に放出できる量がある程度決まります」
教師は説明用の板に、一本の太い線を描く。
「魔力量が多くても、回路が細ければ一度に大量の魔力を放出することはできません。逆に回路が太ければ、それだけ大きな出力を得やすくなります」
「じゃあ、私の回路はものすごく太いんですか?」
「いいえ。むしろ一本一本は細いのです」
教師は先ほどの線の隣に、何本もの細い線を描き加えた。
「あなたの魔力回路は、このように細い回路が何本も束になっています。しかも、それぞれが独立しているのではなく、互いに影響を及ぼし合っているのです」
「影響?」
「一つの回路を通った魔力が、隣の回路の魔力を増幅させる。そして増幅された魔力が、さらに別の回路へ影響する。通常なら回路が増えても出力は足し算にしかなりませんが、あなたの場合は掛け算に近い増え方をするのです」
「……掛け算?」
「ええ。ですから、あなたは普通の魔力量しか持っていないにもかかわらず、非常に大きな瞬間出力を生み出せるのですよ」
アンナは自分の右手に目を落とす。
見た目は何も変わらないのに、この手からあれほど強い魔術が放たれる。
その理由が少しわかった気はするものの、まだ不思議な感覚だった。
「それって、珍しいんですか?」
「少なくとも、私は同じ魔力回路を持つ人間を診たことがありません。学園に残っている検査記録にも、該当する例は見つかっていないそうです」
「そんなに……?」
「魔力量が多い生徒なら、毎年何人も入学してきます。しかし、あなたのような出力を持つ生徒となると話は別です。しかも、今のあなたはまだ魔術を習い始めたばかりでしょう?」
「はい」
「これから制御を身につければ、どこまで扱えるようになるのか。正直なところ、私にも予想がつきません」
教師は割れた標的へ目を向ける。
「もっとも、今はその力を抑えることから覚えなければなりませんが」
「……ですよね」
アンナは苦笑した。
どれほど大きな威力を出せても、狙った以上のものを壊してしまうのでは困る。
今のままでは、安心して魔術を使うことさえ難しい。
「もう一度お願いします」
「今日はここまでにしましょう。あなたは一度に大きな出力を生み出すので、気づかないうちにかなり消耗します」
そう言われてみれば、少し頭が重い。
まだ練習したかったものの、教師の言うことももっともだ。
アンナは渋々頷き、実習場の端にある長椅子へ腰を下ろす。
水筒を取り出したところで、入口に見覚えのある姿を見つけた。
「アンナ」
「エルネスト!」
反射的に立ち上がりかけて、アンナは動きを止める。
別れたのだから、会えたことをこんなに喜ぶのもおかしい気がした。
けれど、嬉しいものは嬉しい。
エルネストも少し困ったように笑っている。
「実習中だった?」
「ちょうど終わったところ。少し待ってて。着替えてくるから」
「うん」
アンナは急いで水筒を片づけた。
昨日、エルネストは父親と話すために屋敷へ戻っている。
その結果を聞くのは怖かった。もし侯爵が襲撃を命じていたのなら、今度こそエルネストとの関係を完全に断たなければならないかもしれない。
それでも、何も知らないままでいるよりはよかった。
二人は中庭のベンチに並んで座った。
「昨日、父上と話したんだ」
「……うん」
「父上は、何も命じてなかった」
アンナは意外に思いながら、隣を見る。
「侯爵さまじゃなかったの?」
「うん。ただ、今朝になって誰が男たちを動かしたのかわかった」
エルネストは一度言葉を切った。
「叔父上だった」
「叔父さま?」
「父上の弟。コンラート・ヴァルデン。魔術軍第三部隊の隊長をしてる」
初めて聞く名前だった。
侯爵家の人間だということはわかったものの、アンナにはまったく面識がない。
「どうして、その人が私を?」
「僕たちのことを知ったからだって」
「……それだけ?」
「叔父上は、僕が平民の君と付き合っていると知って、別れさせなきゃいけないと思ったらしい」
アンナはしばらく黙って考え込んだ。
自分とエルネストが交際していると知っただけで、王都から追い出そうとしたというのだろうか。
「どうして?」
「僕のためだよ」
「……私と別れるのが?」
「叔父上は、そう思ってる」
あまりにも理解できず、アンナは眉を寄せる。
エルネストも困ったように息を吐いた。
「叔父上も次男なんだ。父上ほど戦闘魔術の才能がなかったから、自分にできることで家に貢献しようと考えて、家にとって有益な結婚をした。それで実際、今も夫婦仲はいい」
「それは……よかったね?」
「うん。叔父上自身、最初は好きでもない相手と結婚することに抵抗があったらしい。でも、一緒に暮らしていくうちに情が芽生えて、今ではあの結婚を選んでよかったと思ってる」
「それで、エルネストにも同じようにしろってこと?」
「たぶん。今は僕も感情的になってるだけで、アンナと離れて落ち着けば、もっとふさわしい相手がいるってわかる。その相手と結婚して幸せになれば、いずれ叔父上に感謝するだろうって」
「ええ……私を王都から追い出そうとして?」
「……うん」
「短剣まで向けられたんだけど」
エルネストの表情が険しくなる。
「それは叔父上も命じてない」
「そうなの?」
「王都を離れさせろとは言ったけど、傷つけろとは言ってないって。男たちも、君が逃げたから自分たちの判断で捕まえたと認めてる」
アンナは思わず口を尖らせた。
「でも、その人が命じなかったら、私は襲われてないよね?」
「もちろん。父上も同じことを言ったらしい」
「侯爵さまが?」
「叔父上にかなり怒ってる」
アンナには、そちらのほうが少し意外だった。
侯爵も二人の交際には反対していた。
それなのに、アンナを追い出そうとした弟を叱っているという。
「侯爵さまは、私と別れればそれ以上は何もしないって言ってたものね」
「うん。実際、父上は何もしてなかった。だから余計に怒ってるんだと思う」
「勝手に話を進めたから?」
「それもあるし、君を傷つける結果になったから。叔父上は僕のためにやったって言ってるけど、父上からすれば、頼んでもいないことを勝手にして、こんな騒ぎを起こしたわけだから」
「……それは怒るかも」
アンナの口元に、思わず苦笑が浮かぶ。
少なくとも、侯爵が約束を破ったわけではなかったらしい。そのことには、少し安心した。
「かなりね。叔父上のことは、父上がきちんと話すって。男たちについても、このまま警備隊に任せるそうだよ」
「そっか」
それなら、アンナにできることは今のところない。
もちろん、怖い思いをしたことが消えるわけではなかった。それでも、誰が自分を狙ったのかわからない状態ではなくなったのは大きい。
ひとまず、これ以上のことは調査や処分の結果を待つしかないだろう。
「それと、もう一つある」
「まだあるの?」
「こっちは……アンナにとって悪い話ではないと思う」
そう言いながらも、エルネストはあまり嬉しそうではなかった。
アンナは不思議に思い、彼の顔を見つめる。
「父上に、君が魔術科へ転科したことを話したんだ」
「うん」
「君に戦闘魔術の才能があるなら、平民でも大した問題じゃないって」
アンナはその意味を理解できず、瞬きをした。
「……どういうこと?」
「僕との結婚を認めてもいいってことだと思う」
「え?」
思わずエルネストを見返す。
それは少し前まで、二人が望んでいたことだった。
侯爵が認めてくれれば、別れなくてもいい。エルネストが家と争う必要もなくなる。
ずっと願っていたはずのことなのに、なぜか素直には喜べなかった。
「私に、戦闘魔術の才能があるから?」
「うん」
「なかったら?」
「……たぶん、何も変わってない」
「そう」
やっぱり、嬉しくない。
アンナは膝の上に置いた自分の手を見つめる。
魔術が使えるようになったこと自体は嬉しい。もっと学びたいし、上手に扱えるようにもなりたい。
けれど、それによって突然「エルネストの相手としてふさわしい」と判断されるのは、何かが違う気がした。
普通科に通っていた頃と、アンナ自身は何も変わっていないのだから。
「エルネストは、どうしたいの?」
「研究を続けるよ」
答えはすぐに返ってきた。
「侯爵さまが認めると言っても?」
「うん。アンナと約束したから」
人工魔晶石を完成させ、自分の力で生きていけるようになってから迎えに行く。
別れた日に、エルネストはそう言った。
「それに、父上が君を認めたから戻るんじゃ、何も変わってない気がするんだ」
「何も?」
「結局、父上が駄目だと言えば別れて、いいと言えば戻ることになるだろ」
「あ……」
言われてみれば、その通りだった。
今回、侯爵が二人の結婚を認めたとしても、また別の理由で反対されたらどうなるのだろう。
父親の判断一つで、自分たちの関係が左右される。その状況は、何も変わっていない。
「僕は、もうそれは嫌なんだ」
エルネストはまっすぐ前を見ている。
「今度は、自分で選べるようになってから迎えに行きたい」
アンナは胸が温かくなるのを感じた。
エルネストは、侯爵に認められるためではなく、自分たちの未来を自分で決められるようになるために研究を続けようとしている。
その気持ちが嬉しかった。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ、待ってる」
エルネストがこちらを向いた。
「研究が完成するのを、でしょう?」
「もちろん」
「そこは変わらないんだ」
「だって、楽しみだもの」
エルネストが笑い、アンナもつられて笑顔になる。
しばらくして、ふと二人の間にある隙間へ目を落とした。
以前なら、このくらい近くに座っていれば、どちらからともなく手をつないでいた。
今も、少し伸ばせば届くところにエルネストの手がある。
けれど、もう以前のように気軽に触れることはできない。
その距離が、少し寂しかった。
「……早く完成するといいね」
「頑張るよ」
「うん」
アンナはそれ以上何も言わず、隣に座るエルネストの横顔を見つめた。
その日の夕方、ミモザ雑貨店にヴァルデン侯爵家から使者がやってきた。
父と母と一緒に応対したアンナは、差し出された書状を受け取る。
そこには、今回の件についてヴァルデン家の者が関与していたことへの謝罪と、怪我に対する見舞金を支払いたい旨が記されていた。
「……こんなに?」
提示された額を見て、アンナは思わず声を上げる。
膝を擦りむいた見舞いとしては、どう考えても多すぎる金額だった。
「受け取らなくてもいいのよ」
母のエレナが心配そうに言った。
アンナはもう一度金額を確かめ、それから書状を畳む。
「ううん。もらう」
「アンナ?」
「だって、怖い思いもしたし、怪我もしたもの」
あのとき、男たちに追いかけられた恐怖は今でも覚えている。
もし魔術が使えなかったら、どうなっていたのだろう。考えるだけでも恐ろしかった。
お金を受け取ったところで、起きたことがなくなるわけではない。
侯爵を許すかどうかとも、コンラートという叔父を許すかどうかとも別の話だ。
「だから、もらえるものはもらっておく」
そう言うと、父のマルセルが何とも言えない顔をした。
「……たくましくなったな」
「そう?」
「少し前まで、魔術とは無縁だった娘とは思えないわね」
母にまで言われ、アンナは笑ってしまう。
自分でも、少し変わったと思う。
それは、魔術が使えるようになったからだけではない。
エルネストと別れ、襲撃を受け、思いがけず魔術科へ転科することになった。
ほんの短い間に、これまで想像もしなかったことが次々と起きている。
そんな中で、誰かに言われるままではなく、自分のことは自分で決めたいと思うようになっていた。
その翌日。
教室へ入ってきた担任教師に呼ばれ、アンナは顔を上げた。
「アンナ。授業の前に少しいいか?」
「はい?」
「君の魔術について、確認したいことがある」
「適性検査なら、もう終わりましたけど……」
「学園から軍へ報告したところ、戦闘魔術師としての適性を詳しく確認したいと返答があった」
「軍が?」
「ああ」
思いがけない話に、アンナは目を丸くする。
自分の魔術について軍へ報告されたことにも驚いたが、まさか詳しく調べたいという返答があるとは思わなかった。
アンナは思わず、同じ教室にいたエルネストへ視線を向ける。
彼も初耳らしく、驚いた顔をしていた。
「近いうちに、軍から担当者が来るそうだ」
戦闘魔術師。
ついこの間まで、自分とはまるで縁がないと思っていた言葉だ。
魔術科へ転科してからも、アンナはまだ思いどおりに魔術を扱えずにいる。今日の訓練でも、標的を壊さないようにするだけで精いっぱいだった。
そんな自分に、軍が興味を持っているという。
アンナは驚きを隠せないまま、教師の顔を見つめた。
戦闘魔術師という存在が、少しずつ自分に関わるものになり始めていた。




