06.戦闘魔術の才能があれば、平民でも構わないそうです
「入れ」
父の声が返ってきた。
エルネストが扉を開けて執務室へ入ると、執務机の向こうでアルベルトが書類から顔を上げる。
「何の用だ」
「アンナのことです」
「またその話か。あの娘とは別れたはずだろう」
「別れました。父上との約束どおりに」
「ならば、今さら何を──」
「アンナが襲われました」
アルベルトの手がぴたりと止まる。
「……何?」
「学園からの帰り道で、男二人に声をかけられたそうです。僕について話があると言われ、そのあと王都から出ていけと迫られた」
エルネストは父をまっすぐに見据えた。
「父上が命じたのですか」
「何をだ」
「アンナを王都から追い出すことです」
「命じていない」
返事は即座だった。
エルネストは父の表情を注意深く窺う。しかし、そこに動揺した様子は見られない。
「本当ですか」
「お前があの娘と別れた以上、そんなことをする必要がどこにある」
「以前は、僕が別れなければ王都から離れてもらうとおっしゃったでしょう」
「だから、お前が別れた。それで話は終わりだ」
確かに父はそう約束した。
エルネストがアンナと別れれば、それ以上は何もしない。
だからこそ、あれほど大切にしていた恋人に別れを告げたのだ。
それでも、今回の襲撃が父と無関係だとは、簡単には信じられなかった。
「男たちは、『ヴァルデン侯爵家のご子息について話がある』と言ったそうです」
「それだけか?」
「それから、『お前を王都から出せと言われている』と」
「誰に言われたのかは?」
「聞いていないそうです」
「ならば、なぜ私が命じたことになる」
「僕に関係する話をして、以前父上が言っていたのと同じことを要求したからです」
アルベルトはすぐには答えず、少し考え込んだ。
やがて机の上の呼び鈴を鳴らし、入ってきた従僕に家令を呼ぶよう命じる。
「調べるおつもりですか」
「当然だ。ヴァルデン家の名を出している以上、無関係では済まされん」
その口調は、いつもと変わらなかった。
ほどなくして家令がやってくると、アルベルトは襲撃について簡単に説明した。
拘束された男たちの素性と、誰から指示を受けたのかを調べるよう命じる。
「それから、学園側にも確認を取れ。こちらでも事情を把握しておく必要がある」
「かしこまりました」
家令が一礼して退出すると、エルネストは少しだけ肩の力を抜いた。
少なくとも、父自身が襲撃を命じたわけではなさそうだ。
しかし、それなら誰が、何のためにアンナを王都から追い出そうとしたのか。
考えていると、アルベルトがふいに尋ねてきた。
「……コンラートには話したのか」
「叔父上に?」
思いがけない名前に、エルネストは顔を上げる。
コンラートはアルベルトの弟で、エルネストにとっては叔父にあたる。
魔術軍第三部隊の隊長を務める現役の戦闘魔術師で、彼もまたヴァルデン家の一員だ。
「お前とあの娘のことだ」
「いいえ。僕からは何も」
「そうか」
アルベルトは短く答えたきり、何かを考えるように黙り込んだ。
「父上は話したんですか?」
「いや」
「では、どうして叔父上の名前が出るんです?」
「コンラートなら、どこかから聞いていてもおかしくはないと思っただけだ」
「それだけですか?」
「今のところはな」
そう答えたアルベルトの表情は、どこか険しい。
エルネストは嫌な予感を覚えた。
「叔父上が関係していると思っているんですか」
「まだ何もわからん。勝手に決めつけるな」
「でも──」
「あれは昔から、思い込むと先走るところがある」
アルベルトは眉間を押さえる。
「善意で動いているつもりだから、余計に厄介なんだ」
父が叔父についてそんな言い方をするのは、初めて聞いた。
エルネストもコンラートのことはよく知っている。
だが、まさかアンナの襲撃に関わっているかもしれないなどとは、考えたこともなかった。
「まさか、叔父上が……」
「だから決めつけるなと言っている。調べればわかる」
アルベルトはそれ以上の推測を許さず、話を切り上げた。
「それより、あの娘は無事なのか」
思いがけない問いに、エルネストは父を見返す。
「……膝を擦りむいた程度だそうです」
「そうか」
「短剣を向けられたそうです」
その言葉に、アルベルトの眉がぴくりと動く。
「それで膝の怪我だけか?」
「魔術を使ったからです」
「魔術?」
父の反応が明らかに変わった。
「あの娘が?」
「そうです」
「普通科の生徒ではなかったのか」
「入学時の魔力量は平均程度だったそうです。それで本人も魔術科を希望しなかった。ただ、今回のことで別の適性が見つかって、魔術科へ転科しました」
アルベルトは手元の書類を机へ置いた。
「何の適性だ」
「……詳しくは知りません」
「お前、今日あの娘と話したのだろう」
「話しましたけど」
「ならば聞いておけ」
「どうしてですか」
「戦闘魔術の適性なら話が違う」
エルネストは思わず眉を寄せた。
「何がですか」
「決まっている。あの娘の評価だ」
あまりにも当然のように言われ、一瞬、意味が理解できなかった。
「……評価?」
「魔力量が平均でも、実戦で男二人を退けるほどの魔術を、訓練も受けずに発現させたのだろう。戦闘魔術の適性がある可能性は高い」
「それが何だっていうんですか」
「戦闘魔術師になれるだけの者が、どれほど希少だと思っている」
アルベルトは魔術軍団長だ。
王国軍が万単位の兵を抱える中、魔術軍は治癒や補助を担う者まで含めても千人ほど。
その中で、敵の攻撃に晒されながら魔術を使い、前線で戦える戦闘魔術師は百数十人しかいない。
それほど希少な才能だからこそ、父が高く評価すること自体は理解できる。
しかし、続く言葉は予想外だった。
「本当に優れた才能があるなら、平民であることなど大した問題ではない」
エルネストは唖然とした。
今、父は何と言ったのだろう。
「……何を言っているんですか」
「聞こえなかったか?」
「聞こえました。だから聞いているんです」
つい先日、父はアンナについて「あの娘には何がある」と言った。
才でも実績でも構わない。何の利もない相手をなぜ選ぶのかと、そう問い詰めてきたのだ。
それが、魔術の才能があるかもしれないと知っただけで、この態度である。
「アンナは何も変わっていません」
「何?」
「普通科にいたときも、魔術科にいる今も、アンナはアンナです」
「そんなことはわかっている」
「わかってないでしょう」
思わず声が強くなった。
父が能力を重視することは、以前から知っている。
だが、アンナの評価がこれほど簡単に覆るとは思わなかった。
「父上は、アンナに才能がなければ認める価値もないと思っていた。でも、戦闘魔術師になれるかもしれないと知った途端、平民でも構わないと言い出した」
「何かおかしいか?」
アルベルトは本当にわからないという顔をしていた。
「人間の評価が、その能力によって変わるのは当然だろう」
「僕はそういう話をしているんじゃありません」
「ならば何の話だ」
「僕が好きなのは、魔術が使えるアンナじゃない。魔術なんて使えなかった頃から好きだったんです。戦闘魔術師になれるかどうかなんて、僕には関係ない」
「ならば都合がいいではないか」
「……は?」
「お前が好きな娘に、偶然こちらが評価できるだけの才もあった。それだけの話だろう」
あまりにも父らしい答えに、エルネストはしばらく何も言えなかった。
父にとっては、それほど単純なことなのだろう。
能力があるなら評価する。能力がなければ、侯爵家の婚姻相手として認める理由はない。
エルネストがアンナのどこを好きになったのかなど、父の判断には関係しないらしい。
「戦闘魔術の適性について確認しておけ」
「嫌です」
「なぜだ」
「アンナは、父上に評価してもらうために魔術科へ転科したわけじゃないからです」
アルベルトが眉を寄せる。
「知りたければ、正式な手続きを踏んで確認してください。僕から聞き出して報告するつもりはありません」
「お前は──」
「それに」
エルネストは父の言葉を遮った。
「たとえ父上がアンナを認めても、今すぐ元に戻るつもりはありません」
今度こそ、アルベルトが意外そうな顔をした。
「なぜだ」
以前なら、父からそんな言葉を引き出せるのであれば、何でもしたかもしれない。
けれど、アンナと別れたあの日、約束したのだ。
「研究を完成させます」
「……またそれか」
「はい」
人工魔晶石を完成させ、自分の力で生きていけるようになる。
そうしたら、アンナを迎えに行く。
その決意は、別れを告げた日から変わっていなかった。
「僕は、自分の力でアンナを迎えに行くと決めたので」
「くだらん意地だな」
「そうかもしれません」
父にはそう見えるのだろう。
それでも、今度は迷わなかった。
「でも、アンナと約束したんです」
エルネストは父に一礼すると、執務室を出た。
アンナを襲わせたのが誰なのかは、まだわからない。
ただ、父の態度を見る限り、本人が命じた可能性は低そうだった。
それよりも気になるのは、父が口にした叔父の名前だ。
コンラート・ヴァルデン。
もし本当に叔父が関わっているのなら、なぜアンナを王都から追い出そうとしたのだろう。
今はまだ、答えが出ない。
調査の結果を待つしかないが、その間にも自分にできることはある。
研究を完成させることだ。
父に認めてもらえるかどうかに関係なく、自分の力で生きていけるようになる。
そして今度こそ、アンナを迎えに行く。
その約束だけは、何があっても果たすつもりだった。




