10.叔父上、今度はアンナに別の男を紹介するつもりですか?
その日の夕方、エルネストが屋敷へ戻ると、玄関ホールで従僕に呼び止められた。
「エルネストさま。コンラートさまがお見えです」
「叔父上が?」
思わず足を止めた。
コンラートは父アルベルトの弟で、同じヴァルデン家の一員だ。魔術軍第三部隊の隊長を務める現役の戦闘魔術師でもある。
そして、アンナを王都から追い出そうとした張本人だった。
「どちらに?」
「応接室でお待ちです」
「……わかった」
正直なところ、あまり会いたくはなかった。
それでも、自分を訪ねてきた以上、無視するわけにもいかない。
気の進まないまま応接室へ向かうと、コンラートは一人でソファに座っていた。
「来たか」
「僕に用があると聞きました」
「ああ。座りなさい」
勧められるまま向かいのソファに腰を下ろしたものの、エルネストは自分から話を切り出す気にはなれなかった。
ところが、コンラートもすぐには本題に入らない。普段なら言いたいことをはっきり口にする叔父が、珍しく言葉を選んでいるようだった。
「まず、先日のことを謝っておこう」
思いがけない言葉に、エルネストは驚いた。
「アンナのことですか?」
「ああ。私はあの娘を王都から離れさせようとした。だが、傷つけるつもりはなかったとはいえ、私が命じなければ、あのようなことにはならなかった」
「……はい」
「兄上にも散々叱られたよ。子どもたちの問題に、勝手に口を出すなとな」
コンラートは苦々しげに口元を歪めた。
「少々、やりすぎたことは認めている」
「少々ですか」
「そこは謝っているだろう」
どうやら、本当に悪かったとは思っているらしい。
ただ、あれほどのことをしておきながら「少々」で済ませるあたり、どこまで理解しているのかは怪しかった。
「それで、アンナには?」
「見舞金とともに、ヴァルデン家から正式に詫びを入れただろう」
「それは父上からでしょう」
「私の名前も書かせた」
そういう問題だろうか。
アンナに直接謝罪するつもりはないのかと尋ねたかったが、今ここで言い争っても仕方がない。
エルネストはひとまず口を閉じた。
「それでだ。私も今回のことで考えた」
「何をですか?」
「お前のことだ」
その一言で、嫌な予感がした。
「私は、お前をあの娘から無理に引き離そうとした。それがよくなかった」
「……はい」
「お前自身が納得しなければ意味がないからな」
意外にも、まともなことを言っている。
ようやく叔父もわかってくれたのだろうか。そう思いかけたところで、コンラートは当然のように続けた。
「だから、お前自身でもっと広く相手を見てみればいい」
「……何の話ですか?」
「ちょうどよい縁談がある」
エルネストは返す言葉を失った。
ほんの少しでも期待した自分が馬鹿だった。
「伯爵家の令嬢だ。年齢もお前と近い。聡明で、学問にも理解がある。お前が戦闘魔術ではなく研究の道を志していることも、先方にはすでに伝えてある」
「ちょっと待ってください」
「もちろん、すぐに婚約しろとは言わん。一度会ってみればいい」
「会いません」
「まだ話の途中だぞ」
「最後まで聞いても答えは同じです」
即座に断ると、コンラートは不満そうに眉を寄せた。
「何が気に入らない?」
「何も気に入らないとは言っていません」
「ならば、会うくらい構わないだろう。家柄だけで選んだわけではない。人柄の評判もいいし、お前の研究についても理解を示している。条件だけなら申し分ない相手だ」
そこまで聞いて、エルネストは小さく息を吐いた。
おそらく、本当によい相手なのだろう。
コンラートはこういうことで手を抜く人間ではない。自分がよいと思う結婚を勧める以上、相手についてもきちんと調べているはずだ。
だからこそ、余計に困る。
「叔父上」
「なんだ」
「何を反省したんですか?」
「だから、無理に引き離そうとしたことだと言っているだろう」
「それで、今度は別の女性を紹介するんですか?」
「何がおかしい」
問い返す声には、少しの迷いもなかった。
「私は、お前に誰と結婚しろと命じているわけではない。実際に会って、自分で判断しろと言っているだけだ」
「僕にはアンナがいます」
「別れたと聞いたが?」
痛いところを突かれ、言葉に詰まった。
コンラートはその反応を見逃さない。
「違うのか?」
「……別れました」
「なら、今は誰とも付き合っていないのだろう」
「そういう問題ではありません」
「では、どういう問題なんだ」
エルネストは答えかけて、口を閉じた。
アンナとは別れた。けれど、気持ちまでなくなったわけではない。
人工魔晶石を完成させ、自分の力で生きていけるようになったら迎えに行く。そう約束したし、そのために今も研究を続けている。
それでも、現在の二人が恋人ではないことだけは事実だった。
「叔父上は、叔母上との結婚がうまくいったから、僕にも同じことをさせたいんですか?」
「同じことをしろとは言っていない。ただ、私自身、結婚する前はあれこれ考えたものだ。好きでもない相手と結婚して、本当にうまくいくのかとな」
コンラートは昔を懐かしむように表情を和らげた。
「だが、実際に共に暮らしてみれば、そんな心配は必要なかった。今ではあの結婚でよかったと思っている」
「それは叔父上の場合でしょう」
「そうだ。だから、お前にも自分で確かめてみろと言っている」
話が通じているようで、微妙に通じていない。
叔父は自分の経験を押しつけているつもりなどないのだろう。
実際に会ってみなければわからない、という考え自体は理解できる。
だが、エルネストが断っている理由を、まるでわかっていなかった。
「お前はまだ若い。一人しか見えていなければ、その相手以外は考えられないと思うのも無理はない。だが、世の中には大勢の女性がいる。実際に会って話してみれば、考えが変わることだってある」
「変わらなかったら?」
「そのときは断ればいい」
あまりにも簡単に言われ、エルネストは額を押さえたくなった。
「最初から結婚する気がないのに会うほうが、相手の方に失礼です」
「一度会った程度で、そこまで期待するものでもないだろう」
「それでもです」
「頑固だな」
「叔父上に言われたくありません」
コンラートは不服そうだったが、エルネストとしても、こればかりは譲れなかった。
「それほどあの娘がいいのか」
「はい」
今度は迷わず答えられた。
「今は別れています。でも、別の人を好きになるためにアンナと別れたわけじゃありません」
「……なるほど」
腕を組んだコンラートが、しばらく考え込む。
ここまではっきり伝えたのだから、今度こそ諦めてくれるだろうか。
しかし、ようやく口を開いた叔父から出てきたのは、予想もしなかった言葉だった。
「では、あの娘のほうはどうなんだ?」
「アンナ?」
「あの娘も、お前以外の男を知らないから、お前しかいないと思っているのではないか?」
「何を言ってるんですか」
「おかしなことは言っていないだろう」
コンラートは至って真面目だった。
「お前には伯爵令嬢を紹介する。あの娘にも、きちんとした男を紹介する。それぞれほかの相手とも話してみたうえで、それでも互いがいいというなら、そのとき改めて考えればいい」
「やめてください。アンナを巻き込まないでください」
「巻き込むとは失礼な。無理やり結婚させると言っているわけではない」
「同じです」
「同じではない。会うかどうかは、あの娘自身に決めてもらう」
言い返そうとしたエルネストは、そこで口を閉ざした。
「お前が決めることではないだろう?」
「それは……」
「お前自身が私に相手を決められるのは嫌だと言っている。それなら、あの娘が誰と会うかをお前が決めるのもおかしな話だ」
腹が立つ。
だが、その部分だけなら間違ってはいなかった。
今の自分に、アンナへ「ほかの男とは会うな」と言える権利などない。
「それとも、お前はあの娘に、自分が迎えに行くまで誰とも付き合わずに待っていろと言ったのか?」
「……言ってません」
「なら、なおさらだ」
胸の奥がざわついた。
アンナにはアンナの人生がある。そんなことは、わかっていた。
研究がいつ完成するのかもわからないのに、自分を待っていてほしいなどと言えるはずがない。
けれど、アンナが別の誰かと出会うところを、これまで想像したことはなかった。
「叔父上」
「なんだ」
「それでも、余計なことはしないでください」
「だから、余計かどうかはあの娘が決めることだろう」
「先日のことがあったばかりですよ。叔父上から縁談を持ち込まれて、素直に喜ぶと思いますか?」
「……それは」
さすがに、コンラートもすぐには答えられなかった。
アンナを王都から追い出そうとした人間が、今度は結婚相手を紹介すると言ってくる。そんな話を持ちかけられて、彼女がどう思うか。
少し考えればわかるはずだった。
「少なくとも、今はやめてください」
「今は、か」
「そういう意味じゃありません」
慌てて否定したものの、コンラートは何かを考えるように黙ってしまった。
嫌な予感がする。
やがて叔父はソファから腰を上げた。
「まあいい。今日のところは帰ろう」
「今日のところは?」
「お前がそこまで嫌だと言うなら、伯爵令嬢の話は断っておく」
それは意外だった。
てっきり、もう少し食い下がられるものだと思っていたのに。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることでもない。本人にその気がないなら、先方にも迷惑だからな」
その考えがあるのなら、最初からこちらの話を聞いてほしかった。
だが、ひとまず自分の縁談については解決したらしい。
エルネストが安堵しかけたところで、扉へ向かっていたコンラートが足を止めた。
「だが、あの娘のことは別だ」
「叔父上」
「心配するな。今度は勝手なことはしない」
まったく安心できなかった。
「本人にきちんと話をして、本人に決めてもらう。それなら文句はないだろう?」
「あります」
「なぜだ?」
「とにかく、アンナには何もしないでください」
「お前も大概だな」
今度はコンラートのほうが呆れた様子だった。
「自分の相手は自分で決めたいくせに、あの娘のことになると途端に口を出す」
「それは……」
「まあ、急ぐ話でもない。私も少し考えてみる」
何を考えるつもりなのか。
せめてアンナには何も持ちかけないと約束してもらいたかったが、問いただす前にコンラートは応接室を出ていってしまった。
一人残されたエルネストは、深く息を吐いた。
伯爵令嬢との縁談は断った。それで終わるはずだったのに、どうしてアンナの縁談の話になっているのだろう。
しかも、叔父の言い分には、腹立たしいことに正しい部分もあった。
アンナが誰と会い、誰を好きになるか。それを決めるのはアンナ自身だ。
わかっている。わかっているからこそ、何も言えない。
エルネストはソファの背にもたれ、天井を仰いだ。
もし、アンナが知らない男と楽しそうに話していたら。
自分が研究室に籠もっている間に、彼女の隣に別の誰かが立つようになったら。
想像しただけで胸が苦しくなり、慌ててその考えを振り払った。
「……嫌だな」
思わず声が漏れた。
研究を完成させてから迎えに行く。その決意は少しも変わっていない。
けれど、それまで何も変わらずに待っていてくれると、どこかで勝手に思っていたのかもしれなかった。
アンナの時間も、自分と同じように進んでいる。
研究を完成させたとき、彼女がまだ自分を選んでくれるとは限らない。
そんな当たり前のことを、今さら思い知らされた。




