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30.王国の英雄になった翌日、貴族から縁談が次々と届き始めました

 翌朝、食卓に広げられた新聞を前に、アンナはしばらく動けなかった。


『ラグナスの英雄、国王陛下より勲章を賜る』


 大きな見出しの下には、昨日の謁見についての記事が載っている。

 その隣には写真まであった。

 国王の前に立つ自分の姿が、少しぼやけながらもはっきりわかる。


「……写真まで載るなんて聞いてない」


「今はこうして写真に残るものね。私が子どもの頃は、新聞に載るのもせいぜい似顔絵だったのに」


「撮られてることにも気づかなかったよ」


「それだけ緊張してたのね」


「うん。国王陛下の前で失礼がないようにするだけで精一杯だったもの」


 アンナは改めて記事へ目を落とした。


 記事は、王立学園に入学した平民の少女が戦闘魔術の才を見出され、前線へ赴いた経緯から始まっていた。

 ヴァルガ要塞での敵の防御陣の破壊、ラグナスでの大規模魔術の阻止。

 そして、多くの将兵を救った功績が大きく取り上げられている。


「……私一人で戦ったみたい」


「新聞だけ読んだら、そう見えるわね」


 エレナも隣から記事を覗き込んでいる。


「第一部隊の人たちもいたし、ほかの戦闘魔術師の人たちも一緒だったのに」


「そういうふうに書きたいのかしら」


「たぶん」


 昨日、アルベルトから聞いた話が頭をよぎった。

 国民には英雄が必要なのだという。

 ラグナス奪還という勝利を印象づけるため、その象徴としてアンナを広く知らしめる。


 説明されたときは実感が湧かなかった。

 けれど、こうして自分の写真と記事を目の前にすると、もう他人事ではいられない。


「でも、これだけ大きく載ったら、今日は大変そうね」


「何が?」


「お店よ」




 エレナの予想は当たった。


「新聞のアンナさんでしょう?」


 午前中だけで、何度そう尋ねられたかわからない。

 昔から店へ来ている客には「アンナちゃん、すごいじゃない」と喜ばれ、初めて見る客からも声をかけられた。

 中には買い物よりアンナを見ることが目的らしい者までいる。


「……奥にいたら?」


 エレナの勧めはありがたい。アンナは素直に頷いた。


「そうする」


「姉ちゃん、英雄なのに逃げるの?」


「英雄だから逃げるの」


 トーマに言い返して店の奥へ向かおうとすると、見慣れない男が入ってくる。


「マルセル殿とエレナ殿はいらっしゃいますか」


「私ですが」


 マルセルが応じると、男は丁寧に頭を下げ、封書を差し出した。

 上質な封筒に押された封蝋が目に入り、アンナも足を止める。

 男が帰ったあと、家族で中身を確認したエレナが驚いた声を上げた。


「……縁談ね」


「誰の?」


「あなた以外に誰がいるのよ」


「私?」


 差出人は、アンナでも名前くらいは聞いたことのある伯爵家だった。

 息子との顔合わせの機会を設けたいという。


「会ったこともない人なんだけど」


「向こうは昨日のあなたを見ているんじゃない?」


 昨日、アルベルトから言われたことを思い出す。


 ──国王陛下から英雄として称えられた、若い未婚の女性だ。戦闘魔術師としても優秀となれば、縁を結びたいと考える家はいくらでもある。


 あのときは、まさか翌日には縁談が届くとは思っていなかった。


「……侯爵さまにも、これから縁談が増えるだろうって言われたの」


「あら、そうなの?」


「うん。でも、こんなに早く来るなんて……」


「それだけ注目されているってことね」


 しかも、それで終わりではない。

 昼までにもう一通届き、さらに別の家からも使者が訪れた。


「昨日の今日なのに……」


 三通の封書を前に途方に暮れていると、店先が騒がしくなった。

 窓の外には、見覚えのある黒塗りの馬車が止まっていた。

 扉には銀色の紋章。以前、エルネストを迎えに来たヴァルデン家の馬車だ。


「……ヴァルデン家?」


 エレナも気づいたらしく、驚いた声を上げた。


「どうして……?」


 アンナが立ち上がったところで、馬車の扉が開いた。

 降りてきた人物には見覚えがある。


「侯爵さま?」


 昨日、王宮で初めて会ったばかりのアルベルトだった。

 ほどなく店の扉が開き、アルベルトが入ってきた。

 トーマはその顔を食い入るように見つめている。


「もしかして、アルベルト・ヴァルデン!? い、いや、侯爵さま……?」


「トーマ、侯爵さまを知ってるの?」


「本人を見るのは初めてだけど……」


 トーマはまだ視線を外さない。


「レオンハルト・ヴァルデンに似てる」


「隊長に?」


「……隊長?」


 怪訝そうなトーマをよそに、アルベルトが口を開いた。


「いかにも、アルベルト・ヴァルデンだ」


 マルセルとエレナにも緊張が走る。

 侯爵であり、現在の魔術軍団長でもある人物が、突然小さな雑貨店へやってきたのだ。無理もない。

 アルベルトは二人へ向き直る。


「突然の訪問、失礼する。本日はご息女についてお話があって参りました」




 アルベルトを店の奥へ通し、家族全員で話を聞くことになった。


「昨日、アンナさんとは王宮で話をしました」


 アルベルトはまず両親に向けて話し始める。


「陛下からも功績を認められた通り、アンナさんは優れた戦闘魔術師です。私は、彼女をヴァルデン家へ迎えたいと考えています」


「え?」


 思わずアンナまで声を上げてしまう。

 昨日も似たことは言われている。まさか翌日には両親のもとへ出向いてくるとは。

 戸惑いを隠せないまま、マルセルが尋ねる。


「それは……エルネスト君とのことでしょうか」


「それも選択肢の一つです」


「一つ?」


 エレナも「一つ」という言葉が気になったらしい。


「長男のレオンハルトが、すでにアンナさんの婚約者候補に名乗り出ています」


「レオンハルト・ヴァルデン!?」


 トーマの声が店の奥に響き渡る。


「トーマ、声が大きい」


「だって姉ちゃん、レオンハルト・ヴァルデンだぞ!?」


「知ってるよ。隊長なんだから」


「だから、その隊長って何だよ!」


「ラグナスでお世話になった部隊の隊長。昨日も話したでしょう?」


 トーマは口を開けたまま、言葉も出ない様子だ。


「……姉ちゃんが言ってた隊長って、レオンハルト・ヴァルデン?」


「そうだけど」


「何で言わなかったんだよ!」


「名前まで聞かれなかったから」


「普通言うだろ!」


「そんなに有名なの?」


 エレナまで呆れたように娘を見る。


「アンナ。レオンハルトさまを知らなかったの?」


「名前はエルネストから聞いていたけど……」


「王国最強の戦闘魔術師だぞ!」


 トーマが勢いよく割り込んでくる。


「第一部隊の隊長で、前の戦争でも──」


「トーマ」


 マルセルに止められたものの、興奮は収まらないらしい。


「姉ちゃん、本当に一緒に戦ったの?」


「うん」


「じゃあ、あれも見た? 敵の中に一人で突っ込んで、近いところから魔術を撃つやつ」


 思い当たる光景が、いくつも浮かんだ。


「……そういえば、やってた」


「本当に!?」


「何度も見たよ」


「何でそれを今まで言わないんだよ!」


「だから、そんなに珍しいと思わなかったの」


「珍しいに決まってるだろ!」


 トーマはとうとう頭を抱えてしまう。


「レオンハルト・ヴァルデンを知らないって、本当に王都民かよ……」


「戦闘魔術師なんて、今まで興味なかったんだもの」


 アンナの返事に、エレナが苦笑する。


「でも、侯爵さまも昔から有名な方でしょう?」


「侯爵さまも?」


 侯爵まで有名人だというのか。アンナには初耳だった。


「私たちが子どもの頃は、侯爵さまが王国最強の戦闘魔術師だったのよ」


「えっ」


「第一部隊の隊長もなさっていたでしょう?」


「昔の話です」


 アルベルトはそれ以上語ろうとしない。

 昨日初めて会ったとき、レオンハルトとよく似ているとは思った。

 だが、かつて同じ第一部隊の隊長を務めていたとは知らない。


「ともかく」


 アルベルトが話を戻す。


「レオンハルトなら、結婚相手として私から言うことはありません。エルネストについても、アンナさんと互いに望むのであれば反対するつもりはありません」


 マルセルとエレナは、すぐには返事をしなかった。

 無理もない。アンナでさえ、昨日同じような話をされて困ったのだ。


「最終的に決めるのはアンナさん本人です。ご両親に結論を求めるために来たわけではありません」


「では、どうして今日……?」


 マルセルの問いに、アルベルトの視線がテーブルの端に置かれた三通の封書へ向かう。


「すでに他家から縁談が来ているようですね」


「ええ。今朝から」


「今後はさらに増えるでしょう」


 断言され、マルセルとエレナは顔を見合わせた。

 すでに三通もの縁談が届いているだけに、否定することもできない。


「ですから、その前にヴァルデン家にもアンナさんを迎える意思があることを、ご両親へお伝えしておこうと思いまして」


 昨日の言葉が、ようやく現実味を帯びてくる。

 この人は本当に、自分をヴァルデン家へ迎えるつもりなのだ。




 アルベルトが帰ったあとも、家族はしばらく黙り込んでいた。


 最初に口を開いたのはトーマだった。


「……姉ちゃん」


「何?」


「レオンハルト・ヴァルデンが、姉ちゃんと結婚したいって言ってるんだよな?」


「結婚したいとまでは言われてないよ。婚約者候補に名乗り出ただけで……」


「それでもすごいだろ! 王国最強の戦闘魔術師だぞ! そんな人が姉ちゃんの結婚相手になりたいなんて!」


「だから、まだ何も決まってないってば」


「もし本当に結婚したら、俺の兄ちゃんになるんだよな……」


 トーマは夢でも見ているような顔をしていたが、ふいに表情を変えた。


「……あれ? でも、エルネストって人は?」


「エルネスト?」


「姉ちゃん、前に付き合ってたんだろ? 何度も話してくれたじゃん」


「うん」


「侯爵さま、エルネストさんでもいいって言ってたよな」


「そうだけど……」


 トーマはしばらく考え込んだあと、真剣な顔で尋ねた。


「……姉ちゃん、どっちにするの?」


 アンナは思わず頭を抱えた。

 昨日は侯爵に、今日は弟に、同じことを聞かれている。

 どうして二人とも、どちらかを選ぶことが決まっているように話すのだろう。

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