31.戦場から帰ってきた隊長が、今度は婚約者候補として距離を詰めてきます
グランベルから停戦の申し入れがあった。
その知らせは、王都にもすぐに広まった。
まだ停戦が決まったわけではない。
これから両国で条件を話し合い、合意に至らなければ戦いが再開される可能性もある。
それでも、ラグナスを奪取した直後に相手国から申し入れがあったという事実は、人々に戦争の終わりを期待させるには十分だった。
王立学園でも、話題は停戦交渉のことで持ちきりだ。
「このまま戦争が終わるといいね」
昼休み、シャロンがそう言ってアンナを見た。
「アンナは特にそう思うでしょう?」
「うん。まだ前線にいる人もいるから」
ラグナスで一緒に戦った人たちの顔が浮かぶ。
第一部隊も、アンナが王都へ戻ってからも前線に残っていた。
「でも、一部の部隊は王都へ戻ってくるんでしょう?」
「そうみたい」
「第一部隊も?」
「うん」
今朝、軍から連絡が届いていた。
停戦交渉に伴う部隊再編のため、第一部隊も王都へ帰還するという。
「じゃあ、例の婚約者候補も帰ってくるのね」
「……シャロンまで知ってるの?」
「知ってるわよ。というか、今のアンナの話で学園に広まらないことなんてある?」
アンナは思わず周囲を見た。
目が合った生徒が、慌てたように顔を逸らす。
以前なら、普通科の一年生でしかなかったアンナを、ほかの学年や魔術科の生徒が気に留めることなどなかった。それが今では、廊下を歩くだけで視線を感じる。
新聞に写真まで載ったのだから、仕方がないのかもしれない。
「縁談がたくさん来てるって話も聞いたけど、本当?」
「……本当」
「すごいわね」
「全然嬉しくないよ。会ったこともない人ばっかりだし」
「その中にレオンハルト・ヴァルデンがいるのが一番すごいのよ」
「隊長はちょっと違うと思うけど……」
「そうやって普通に隊長って呼んでるのも、たぶんアンナくらいだから」
シャロンに呆れられ、アンナは首を傾げた。
「でも、本当にすごいわよね」
不意に別の声がして、アンナは振り向いた。
声の主は、少し離れた席にいた魔術科の女子生徒だ。
侯爵家ほどではないが、それなりに名のある貴族の令嬢だったはずだ。
「何が?」
「レオンハルトさまが婚約者候補になっていることよ。以前はエルネストさまとお付き合いしていたでしょう?」
「……うん」
「今のアンナなら、もっとふさわしい相手を選べるものね」
何気なく言われた言葉に、アンナは眉を寄せた。
「どういう意味?」
「だって、今のアンナはラグナスの英雄でしょう? 王家からも認められて、貴族から縁談が来るくらいなんだから。エルネストさまより、レオンハルトさまの方が――」
「私が英雄になったら、エルネストの価値まで変わるの?」
女子生徒は口をつぐむ。
「前は、平民の私じゃエルネストに釣り合わないって言われてたのに。今度はエルネストが私に釣り合わないって、おかしくない?」
「それは……」
「エルネストは何も変わってないよ。私がラグナスに行く前から、ずっとすごい人だもの」
そこまで言ってから、アンナは少しだけ気まずくなった。
もう付き合っているわけではない。それでも、エルネストまで勝手に値踏みされるのは嫌だった。
「だから、そういう言い方はしないで」
「……ごめんなさい」
女子生徒は素直に謝り、自分の席へ戻っていった。
その背中を見送りながら、シャロンが小さく笑う。
「アンナって、そういうところは全然変わらないわね」
「何が?」
「何でもない」
「気になるんだけど」
尋ねても、シャロンは教えてくれなかった。
第一部隊が王都へ戻ったのは、それから二日後だった。
アンナがレオンハルトと再会したのは、学園から帰る途中のことだ。
「アンナ」
呼ばれて振り向くと、見慣れた黒髪と金色の瞳が目に入った。
「隊長!」
ラグナスで毎日のように見ていた姿なのに、王都で会うと少し不思議な感じがする。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「第一部隊のみなさんも戻ってきたんですか?」
「全員いるよ。今頃はそれぞれ帰ってるんじゃないかな」
「よかった」
前線から無事に帰ってきたと聞いて、ようやく肩の力が抜ける。
「アンナはすっかり有名人だね。帰ってくる途中にも新聞を見たよ」
「隊長まで言わないでください」
「いい写真だったのに」
「撮られてることすら知らなかったんです」
「そうなの? ずいぶん堂々と写っていたけど」
「国王陛下の前だったんですから、緊張してたんですよ」
レオンハルトはますます面白がっているようだった。
「そういえば、父上が君の家まで行ったんだって?」
「はい。私も驚きました」
「俺も驚いたよ。父上がそこまでするとは思わなかった」
「侯爵さま、本気で私をヴァルデン家に入れるつもりみたいです」
「みたいだね」
他人事のような返事に、アンナはレオンハルトを見上げた。
「隊長も関係あるんですけど」
「知ってるよ」
「だったら、もう少し何かありません?」
「何かって?」
やはりこの人が何を考えているのか、よくわからない。
アンナが諦めて歩き出すと、レオンハルトも隣に並んだ。
「そうだ。弟君、俺に会いたがってるんでしょう?」
「どうして知ってるんですか?」
「父上から聞いた。俺の話になった途端、大騒ぎだったって」
「……否定できません」
あの日以来、トーマから何度質問されたかわからない。
「じゃあ、挨拶しておこうかな」
「今からですか?」
「都合が悪い?」
「いえ。たぶんトーマは大喜びします」
アンナは少し考えてから付け加えた。
「お母さんたちも、隊長には会ってみたいと思います」
「婚約者候補だから?」
「それを私に聞きます?」
レオンハルトは答えず、楽しそうにアンナの隣を歩いていた。
「ただいま」
ミモザ雑貨店の扉を開ける。
「おかえり、姉ちゃん」
店番をしていたトーマが顔を上げ、そのまま動きを止めた。
アンナの後ろにいるレオンハルトを凝視している。
「……え」
「トーマ?」
「姉ちゃん、その人……」
トーマはアンナとレオンハルトを交互に見た。
「隊長」
「それはわかる! レオンハルト・ヴァルデンだろ!?」
「トーマ」
奥から出てきたエレナに名前を呼ばれ、トーマが慌てて口を押さえる。
「す、すみません。レオンハルトさま……」
「いいよ。君がトーマ?」
「はい!」
レオンハルトに名前を呼ばれただけで、トーマの背筋が伸びた。
「北街道の大型魔物を一人で倒したとき、本当に懐まで入ったんですか?」
挨拶もそこそこに尋ねる。
「トーマ、いきなり何を聞いてるの」
「だって気になるだろ!」
「入ったよ。離れたところから撃っても効きにくい相手だったからね」
あっさり答えられ、トーマの目が輝いた。
「やっぱり! じゃあ、至近距離から一撃で?」
「一撃ではなかったかな。最初の一発で動きを止めて、次で仕留めた」
「すげえ……」
トーマは完全にアンナの存在を忘れている。
「姉ちゃん、ラグナスでも見たんだよな?」
「似たようなことなら何度も」
「似たようなことって言うなよ!」
「だって隊長、すぐ敵の近くまで行くから」
「その方が早いときはね」
「ほら!」
何が「ほら」なのかわからない。
そこへマルセルも出てきて、ようやくまともな挨拶になった。
「娘がお世話になりました」
「いえ。ラグナスではアンナさんに随分助けられました」
レオンハルトがそう返すと、両親が揃ってアンナを見る。
「本当なの?」
「一緒に戦ってたんだから、お互いに助けるでしょう?」
「姉ちゃん、王国最強の戦闘魔術師に助けられたんじゃなくて、助けたって言われてるぞ」
「トーマはちょっと静かにして」
エレナに促され、レオンハルトを店の奥へ通す。
「隊長、お茶でいいですか?」
「うん。ありがとう」
「姉ちゃん……」
「今度は何?」
「いや、もういい」
なぜかトーマに疲れた顔をされた。
しばらく話したあと、レオンハルトが思い出したように言った。
「そうだ。今日はもう一つ用事があったんだ」
「用事?」
「王家から夜会の招待状が届いてるでしょう?」
「ああ……はい」
ラグナス奪取における功労者を称える夜会だと聞いている。
第一部隊をはじめ、今回の戦いで功績を上げた者たちが招かれており、アンナにも昨日招待状が届いていた。
「その夜会、俺がアンナをエスコートすることになったから」
「……え?」
アンナだけでなく、家族まで言葉を失う。
「隊長がですか?」
「うん」
「どうして?」
「ラグナスで一緒に戦ったから、というのが一番わかりやすい理由かな」
「ほかにもあるんですか?」
「俺がアンナの婚約者候補だからでしょう」
さらりと言われ、トーマが目を見開いた。
「ほ、本当に婚約者候補なんですか?」
「一応ね」
「一応なんですか?」
「そこは君のお姉さんに聞いて」
レオンハルトがアンナに視線を向けると、トーマもつられて姉を見た。
「私に振らないでください」
アンナが睨んでも、レオンハルトは平然としている。
「それと、当日のドレスはこちらで用意するよ」
「えっ。いりません」
今度はすぐに断った。
「夜会に出られるものなら、軍か王宮に相談すれば──」
「俺がエスコートするんだから、そこは任せて」
「でも……」
「心配しなくても、アンナに似合うものを選ぶよ」
「そういう心配ではなくて」
言いかけたものの、レオンハルトの様子を見る限り、これ以上断っても聞き入れてもらえそうになかった。
アンナがエレナを見ると、なぜか母は少し面白そうな顔をしていた。
「いいんじゃない?」
「お母さん?」
「せっかく選んでくださるんだから、お任せしたら?」
「……わかりました」
両親の前でいつまでも断るのも失礼な気がして、アンナは折れた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
レオンハルトは満足そうに頷く。
レオンハルトが帰ったあと、トーマはしばらく店の扉を見つめていた。
「……本物だった」
「何だと思ってたの?」
「わかってるけど! 実際に会ったら、想像してたよりずっと格好よかった……」
トーマは興奮を抑えきれない様子でアンナに向き直る。
「姉ちゃん、もうレオンハルト・ヴァルデンでいいんじゃないの?」
「何が?」
「結婚相手だよ! あんなに強くて格好いい人が、姉ちゃんをエスコートしてくれるんだぞ?」
「だからって結婚するわけじゃないでしょう」
「でもさ、どっちかを選べって言われてるんだろ? エルネストさんには悪いけど、あんなに強くて格好いいレオンハルトさまの方が絶対いいって!」
「トーマ」
思わず強い声が出た。
「エルネストと隊長を、そういうふうに比べないで」
「……ごめん」
しゅんとした弟を見て、アンナも少し言いすぎたかと思う。
けれど、トーマはすぐに顔を上げた。
「じゃあ、姉ちゃんはエルネストさんの方が好きなの?」
「……もう! どうしてそうなるの!」
昨日はどちらを選ぶのかと聞かれ、今日は実際に会った途端、レオンハルトを勧められる。
アンナは頭を抱えた。
翌日、ヴァルデン家から大きな箱が届いた。
「……もう?」
早すぎる。
恐る恐る蓋を開けると、中には丁寧に畳まれたドレスが収められていた。
アンナが普段選ぶものとはまるで違う。それでも派手すぎるとは感じなかった。
深い緑を基調とした生地に、細かな刺繍が施されている。
隣から覗き込んだエレナが、感心したように息をついた。
「綺麗ね」
「……うん」
「あなたの瞳にも合いそう」
アンナはもう一度ドレスを見る。
あれほど自信たっぷりに言っていただけあって、本当に自分に似合うものを選んでくれたらしい。
「隊長って、こういうことまでできるんだ……」
戦場では誰よりも強く、王都へ戻れば十四歳の弟が目を輝かせるほど有名で、女性へ贈るドレスまで迷いなく選べる。
アンナは箱の中を見つめたまま、小さく息を吐いた。
どうやら次の夜会は、国王との謁見とはまた違う意味で緊張することになりそうだった。




