29.今さら結婚を認めると言われても、すぐに元通りにはなれません
「それで、君はレオンハルトとエルネスト、どちらを選ぶ?」
アンナは言葉を失った。
名前を聞き間違えたわけではない。
それでも、国王との謁見を終えたばかりの自分が、初対面のエルネストの父親からそんなことを尋ねられるとは思ってもいなかった。
「……何のお話ですか?」
「結婚相手の話だが」
やはり聞き間違いではなかったらしい。
「どうして私が、隊長とエルネストのどちらかを選ぶことになっているんですか?」
「レオンハルトは君の婚約者候補に名乗り出たのだろう」
「それは、そうですけど……」
「エルネストとは以前、交際していたと聞いている」
「……はい」
「なら、その二人だろう」
あまりにも当然のように言われ、どう返せばいいのか迷ってしまう。
「レオンハルトなら、私から言うことは何もない」
アルベルトは淡々と続けた。
「第一部隊隊長で、王国最強の戦闘魔術師だ。次期侯爵としても、すでに必要なものは身につけている。結婚相手として不足はないだろう」
ラグナスで共に戦ったアンナにも、レオンハルトの強さはよくわかっている。
第一部隊の隊員たちから信頼されていることも知っていた。
けれど、それと結婚するかどうかは別の話だ。
「でも、隊長が本当に私と結婚するつもりなのかは、私にもわかりません」
「本人が名乗り出たのだろう。ならば、必要なら本人に聞きなさい」
「聞きました。答えてくれませんでした」
アルベルトが眉を寄せる。
「……何をしているんだ、あいつは」
小さな声だったが、アンナにもはっきり聞こえた。
「エルネストでも構わん」
「……え?」
「以前は好き合っていたのだろう。まだ互いにその気があるなら、戻ればいい」
今度こそ、アンナはアルベルトの顔をまじまじと見た。
「……別れるように言ったのは侯爵さまですよね?」
「あのときとは事情が違う」
「そんな簡単に……」
「簡単ではない。状況が変わったから判断も変わっただけだ」
悪びれる様子もない。
エルネストと別れたときの苦しさを思い出すと、そんなふうに割り切れることが信じられなかった。
「では、侯爵さまは、エルネストのことを認めたんですか?」
「何をだ?」
「私とのことです」
「君とエルネストが互いに望むなら、反対する理由はない」
以前とはまるで違う答えだった。
けれど、アンナが確かめたいのは、それだけではない。
「エルネスト自身のことは?」
アルベルトはすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、答えはわかる。
「……まだ、認めてはいないんですね」
「研究については報告を受けている。人工魔晶石がラグナスで実際に使用され、戦果につながったこともな。だが、一度成功しただけで評価を決めるつもりはない」
「そうですか」
「もっとも、今はそれと君の結婚を同じ話にする必要もない」
思いがけない言葉に、アンナはアルベルトを見た。
「私が考えを改めたのは、君についてだからだ」
「私?」
「今日、陛下から何と言われた?」
「王国の英雄として……称えると」
「君は戦闘魔術師として大きな戦果を挙げ、陛下からも認められた。今後も王国に必要とされる人材になるだろう」
アルベルトはそこで一度言葉を切る。
「君をヴァルデン家に迎えることに、私から異論はない。むしろ、来てもらえるならその方がいい」
「……私を?」
「そう言っている」
以前は平民だからとエルネストとの交際を反対された。
今は、その同じ人物からヴァルデン家へ来てほしいと言われている。
自分では何も変わったつもりはない。
それでも、戦場へ行く前と今では、周囲から見た自分の価値が大きく変わったのだろう。
「だから、レオンハルトでもエルネストでも構わん。君が選びなさい」
「……今すぐ決めろと言われても困ります」
「なら、今すぐでなくていい」
アルベルトはあっさり答えた。
「君の結婚なのだから、最後に決めるのは君だ」
そこまでアンナの意思に任せると言いながら、レオンハルトかエルネストのどちらかを選ぶこと自体は、まったく疑っていないらしい。
どうにも納得がいかなかったが、これ以上話しても平行線になりそうだ。
「……考えておきます」
「ああ」
王宮を出ると、エルネストが待っていた。
「アンナ」
「エルネスト」
その顔を見た途端、朝からずっと張り詰めていた気持ちが緩んだ。
「……疲れた」
「お疲れさま」
「本当に疲れたよ。国王陛下にお会いするだけでも緊張したのに、そのあと知らない方たちにずっと話しかけられて、最後に侯爵さまと話してたの」
「父上と?」
「うん」
エルネストが隣へ並び、二人で歩き出す。
「何を話してたの?」
「……聞いたら驚くと思う」
「何?」
「私が、エルネストと隊長のどちらを選ぶのかって」
エルネストが足を止めた。
「え?」
「私も同じ反応したよ」
「父上がそんなことを?」
「うん。隊長は婚約者候補に名乗り出てるし、エルネストとは前に付き合ってたんだから、その二人だろうって」
「……すごい決めつけだな」
「私が決めればいいとは言ってたけどね」
「兄上か僕のどちらかを?」
「そこは最初から決まってるみたい」
エルネストは苦笑する。
「それで、隊長なら結婚相手として何も問題はないって」
「父上ならそう言うだろうね」
「エルネストでも構わないって言ってたよ」
「……え?」
「まだお互いにその気があるなら、戻ればいいって」
エルネストが驚いた様子でアンナを見た。
「父上が?」
「うん。だから私、言ったの。別れるように言ったのは侯爵さまですよねって」
「何て?」
「あのときとは事情が違うって」
エルネストは額に手を当てる。
「……言いそうだな」
「でもね」
アンナは少し迷ってから続ける。
「私とのことは反対しないけど、エルネスト自身を認めたわけではないみたい」
「うん」
エルネストは静かに頷く。
「人工魔晶石のことも知ってた。でも、一度成功しただけで評価を決めるつもりはないって」
「そこは父上の言う通りだと思う」
「エルネストも?」
「一つ作れたことは嬉しいよ。それがちゃんと使えて、アンナの役に立ったことも。でも、あれ一つで研究が完成したわけじゃないから」
「でも、あれがなかったら私は敵の魔術を壊せなかったよ」
「うん」
エルネストの声が弾む。
「だからこそ、一度きりで終わらせたくないんだ。次も作れるようにしたいし、もっと安定させたい。父上に認められるかどうかとは別に、僕が最後までやりたい」
「うん」
昨日も、壊れた人工魔晶石を前に、エルネストはまた作ると言っていた。
父親の評価とは関係なく、研究を続けたいのだろう。
「私ね」
しばらく歩いてから、アンナは口を開いた。
「侯爵さまがもう反対しないって聞いたら、もっと嬉しいと思ってた」
エルネストがこちらを向く。
「前は、侯爵さまに認めてもらえれば全部うまくいくような気がしてたから」
「僕もそう思ってた」
「でも、今はそれだけじゃないよね」
「うん」
返事はすぐに返ってきた。
「父上が戻ればいいって言ったから、それで元通りになるのは違うと思う」
「私も」
アンナも同じ気持ちで頷く。
「エルネストとのことは、侯爵さまに決めてもらうことじゃないもの」
「うん」
「私たちのことだから、ちゃんと二人で決めたい」
口にすると、少しだけ恥ずかしくなった。
けれど、エルネストは嬉しそうだった。
「僕もそうしたい」
今すぐ以前のような関係に戻るわけではない。
それでも、二人のことを決めるのはアルベルトでも、ほかの誰でもない。
「それに、私もこれからのことを決めないと」
「戦闘魔術師になるかどうか?」
「うん。学園のこともあるし、まだ何も決めてないから」
「そっか」
「エルネストは研究があるでしょう?」
「うん」
「じゃあ、お互いにやることがあるね」
エルネストはしばらく考え込む。
「でも、僕は父上がいいと言ったからって、それで安心するつもりはないよ」
「研究のこと?」
「それもある」
「ほかにも?」
「あるよ」
迷いのない返事だ。
「何?」
「まだ言わない」
「どうして?」
「言うだけじゃなくて、ちゃんとできるようになってから言いたいから」
何を考えているのか知りたくて、アンナは隣を歩くエルネストの横顔を見た。
「……気になるんだけど」
「もう少し待って」
結局、何のことかは教えてくれない。
それでも、以前のエルネストなら、こんなふうには言わなかった気がする。
しばらく歩いていると、手の甲に指先が触れた。
一度離れたあと、もう一度触れる。
隣を見ると、エルネストもこちらを見ていた。
「……手、繋いでもいい?」
昨日は、アンナから手を伸ばした。
今日は、エルネストからだ。
「うん」
差し出された手を握ると、エルネストの指がそっと重なった。
侯爵に許されたからではない。
以前と同じ関係に戻ったわけでもなかった。
それでも、自分たちで決めながら、少しずつ前へ進んでいけたらいい。
繋いだ手の温かさを感じながら、アンナはそう思った。




