24.絶体絶命の戦場に、元恋人からの贈り物が届きました
グランベル軍に魔晶石が届いたという報告から、まだ一時間も経っていなかった。
「中央、後退します!」
前線から駆け戻った兵士の声に、司令部の将校たちが地図へ集まる。
「昨日確保した第三防衛地点は?」
「すでに奪い返されました。敵の魔術部隊が次々と前へ出てきています!」
報告を受け、地図上の駒が後方へ移された。
昨日は主要鉱山を見渡せるところまで進んだというのに、今は確保した場所を守ることさえできずにいる。
「第一部隊を中央へ出す」
レオンハルトの申し出に、現地の指揮官が頷いた。
「お願いします。こちらも可能な限り兵を回します」
レオンハルトはマルティナへ向き直る。
「中央へ出たら左右の戦線の状況を確認して、俺に伝えて」
「了解しました」
アンナも第一部隊とともに司令部を出て、中央戦線へ向かった。
敵の攻撃は、昨日までとは明らかに違っていた。
グランベルの魔術師たちが、惜しげもなく魔術を放ってくる。障壁を破ってもすぐに次が張られ、こちらが押し返せば、後退した魔術師が魔晶石で魔力を補って再び前へ出てきた。
「また来るぞ!」
「さっき下がった連中じゃないのか!?」
「補充して戻ってきたんだ!」
第一部隊も応戦するが、同じようにはいかない。
アンナは残っている魔力で敵を撃ちながら、できる限り無駄な攻撃を避けていた。
昨日、最後の魔晶石を使ってしまった軍用ベルトは空のまま。使った魔力を補う手段はなかった。
「アンナ、右!」
「はい!」
レオンハルトの声に応じ、右から迫る敵へ魔術を放つ。
敵の障壁が砕けた隙にレオンハルトが踏み込み、剣を振るうと同時に放った魔術で二人の敵兵を吹き飛ばした。
「アンナ、前!」
今度は近くで戦っていたディートリヒの声だ。
アンナが障壁を失った敵へ魔術を撃ち込むと、ディートリヒがその横を抜け、奥から迫る敵を食い止めた。
そこへ新たな魔術が飛んでくる。レオンハルトの障壁が、アンナたちの前で攻撃を受け止めた。
「きりがないな」
その声には、まだ余裕がある。けれど、アンナにもわかっていた。
レオンハルトがいくら強くても、魔力が尽きないわけではない。
第一部隊の隊員たちも同じだった。
こちらが消耗する一方で、敵は魔晶石を使って魔力を補充している。その差が、少しずつ戦線を押し戻していた。
「隊長!」
マルティナが左の戦線から戻ってきた。
「何?」
「左が押されています。このままだと中央まで崩れます」
レオンハルトは左側の戦況を確かめ、すぐに指示を出す。
「第二班を左へ。こっちは俺たちで持たせる」
「了解! 第二班、左へ!」
隊員たちが配置を変え始めた、そのときだった。
「隊長、あれ!」
ディートリヒが空を指す。アンナもその先を見て、息を呑んだ。
「……何、あれ」
主要鉱山の向こう側、グランベル軍の陣地上空に細い光の線が浮かんでいた。
一本だけではない。いくつもの光がつながって巨大な円を描き、その内側にも新たな線が伸びていく。
見たこともないほど複雑な術式が、少しずつ形を成していた。
「魔術陣……?」
「この距離から見える大きさって、冗談だろ」
ディートリヒの呟きに、アンナは答えられなかった。
魔術陣はまだ完成していない。それなのに、すでに主要鉱山の上空を覆うほどの大きさになっている。
「隊長」
「うん。まずいね」
いつもと変わらない口調だったが、レオンハルトの目は上空の術式を捉えたままだ。
「司令部に伝えて。敵が大規模魔術を準備してる」
「はい!」
伝令の隊員が走り出した。その間にも、空の魔術陣は広がり続けている。
第一部隊は中央戦線を後続の部隊に引き継ぎ、いったん司令部へ戻った。
ほどなくして、敵陣を偵察していた魔術師も駆け込んでくる。
「術式の解析ができました!」
「何の魔術だ?」
現地の指揮官に問われ、魔術師は地図の前へ進んだ。
「攻撃魔術です。ただ、特定の地点を狙うものではありません。広範囲をまとめて攻撃するための術式です」
「範囲は?」
「まだ完成していないので正確にはわかりません。ただ、このまま術式が拡大すれば──」
魔術師が地図の上で大きな円を描く。
前線だけではない。司令部も物資の集積所も、その後方に設けられた治療所も、すべて円の内側に入っていた。
セレディア軍が展開する地域の大半が攻撃範囲になる。
「……この戦場ごと吹き飛ばす気か」
将校の一人が呟いたが、否定する者はいなかった。
「あれがまともに発動した場合、どれほどの被害が出る?」
レオンハルトの問いに、偵察の魔術師は険しい顔をする。
「わかりません。ですが、荷車六台分もの魔晶石と、あれだけの人数の魔術師を使っているのなら……」
一度言葉を切ってから、続けた。
「全軍が壊滅しても、おかしくありません」
天幕の中が静まり返る。
アンナは地図から目を離せなかった。そこにいるのは、戦える兵士だけではない。治療所には負傷して動けない者が大勢いる。
今から全員を攻撃範囲の外まで逃がす時間など、あるはずもなかった。
「こちらを皆殺しにする気か」
現地の指揮官が吐き捨てるように言う。
「完成する前に潰すよ」
レオンハルトの言葉に、第一部隊の面々が地図の周囲へ集まった。
「術者がいるのは主要鉱山の後方。中央から入って、そこまで一気に抜ける」
「敵も死守するでしょうね」
マルティナが地図上の敵陣を指した。
「するだろうね。だから俺が先頭に立つ。俺が開けたところへ部隊を続かせる」
レオンハルトはマルティナへ視線を移す。
「後方から隊列を確認して、遅れてるところがあれば詰めさせて」
「了解しました」
「ディートリヒはアンナの近くで」
「わかりました」
最後に、レオンハルトはアンナへ向き直った。
「アンナは俺の近くから離れないで」
「はい」
「無理に撃たなくていいよ。今ある魔力を使い切らないように」
少しでも多く敵を倒したい。けれど、ここで魔力を使い果たしてしまえば、肝心なときに何もできなくなる。
アンナは迷いを振り切って頷いた。
「わかりました」
第一部隊が再び中央戦線へ戻り、敵陣への突破を図ると、グランベル軍もすぐに反応した。
先頭のレオンハルトが敵を崩し、その後ろを第一部隊が押し広げていく。アンナも必要なときだけ魔術を放ち、前進を妨げる敵を退けた。
「アンナ、左!」
すぐ近くからディートリヒの声が飛ぶ。
アンナが左から迫る敵へ魔術を放つ間に、ディートリヒが正面の敵を押し返した。
「前へ! 隊長が開けたところを詰めて!」
マルティナの号令を受け、後続の隊員たちが突破口へ続く。
激しい抵抗を押しのけるたび、主要鉱山が少しずつ近づいてきた。
「見えた!」
敵の陣地の奥に、大勢の魔術師がいた。
その周囲には大量の魔晶石が並べられ、そこから引き出された魔力が上空の魔術陣へ流れ込んでいる。
「あと少しだ! 押し切るぞ!」
第一部隊がさらに前へ出た。だが、グランベル側も新たな部隊を投入してくる。
敵の魔術が一斉に降り注ぎ、進路を塞いだ。一つ防いでもすぐ次が来る。さらにその後ろから、別の攻撃が続いた。
レオンハルトが剣を振るい、正面の敵を吹き飛ばす。それでも空いた場所をすぐに別の兵が埋め、術者たちとの距離は縮まらなかった。
「隊長!」
後方で隊員が膝をついた。マルティナが駆け寄り、負傷の程度を確かめる。
「負傷者一名! 自力で動けます!」
レオンハルトは前方を見据えたまま、短く舌打ちした。
「……下がる! ディートリヒ、アンナと一緒に先に下がって!」
「了解!」
「第一部隊、後退!」
マルティナの号令で隊員たちが退き始める。レオンハルトは最後尾に残って敵を牽制し、全員が離脱するのを待ってから後退した。
敵の攻撃が届きにくい位置まで下がると、負傷した隊員が腰を下ろし、仲間が傷の手当てを始める。
あと少しだった。
術者たちの姿まで見えていたのに、その距離を詰められなかった。
そして第一部隊が退いている間にも、頭上では新たな光が魔術陣へ書き加えられていく。
あれが完成すれば、ここにいる第一部隊だけではない。後方の兵士も、治療所から動けない負傷者も、まとめて巻き込まれる。
「……あそこなら」
アンナは魔術陣を見上げた。
「何?」
「あそこまでなら、届くと思います」
「魔術陣まで?」
「はい。今までと同じくらいの威力を出せれば……壊せるかもしれません」
けれど、今のアンナにはそれだけの魔力が残っていない。
レオンハルトも、そのことは承知しているはずだった。
「魔晶石があれば、か」
「……はい」
レオンハルトは隊員たちへ問いかける。
「残ってる魔晶石は?」
「俺は一つです」
「こっちはもうありません」
「俺も一つ。ただ、ほとんど残ってませんよ」
答えを聞くうちに、アンナにも無理だとわかった。
第一部隊に残っている分をすべて集めても、これまでと同じ威力を出せるだけの魔力には到底足りない。
それどころか、ここでアンナに渡してしまえば、隊員たちは残った魔力だけで次の戦闘に出ることになる。
「駄目だね。これじゃ足りない」
レオンハルトが空を見上げる。アンナは空になった軍用ベルトへ手をやった。
自分なら届く。壊せるかもしれない。それなのに、その一撃を放つための魔力がない。
「隊長!」
周囲の戦況を確認していたマルティナが、上空を指した。
「魔術陣の形成が速くなっています!」
巨大な円の内側が、次々と光で埋まっていく。
「もう一度行く」
レオンハルトが剣を握り直した。
「でも、さっき──」
「わかってる。でも、待ってたら完成する」
「私も行きます」
アンナの申し出に、レオンハルトは首を横に振った。
「駄目」
「隊長」
「君の魔力は残しておいて」
その声には、迷いがない。
「俺たちが術者を減らす。必要な威力が下がれば、君の残ってる魔力でも届くかもしれない」
アンナを残し、自分たちだけでもう一度あの敵陣へ突入するつもりなのだ。
「でも、隊長たちだって魔力が──」
「だから、次で止める」
簡単に言うが、先ほどより状況は悪くなっている。何か言い返そうとしたアンナに、レオンハルトは少しだけ表情を緩めた。
「大丈夫。まだ動けるよ」
安心させるために言っているのだろう。
けれど、先ほどまでの激しい戦いを見ていたアンナには、その言葉をそのまま信じることなどできなかった。
「マルティナ、行ける?」
「もちろんです」
「ディートリヒは?」
「行けます」
二人だけではない。疲労の滲む第一部隊の面々も、すぐに駆け出せるよう身構え、レオンハルトの号令を待っている。
レオンハルトが部隊へ声をかけようとした、そのときだった。
「アンナという方はいますか!」
後方から大声が聞こえた。
こんなときに自分の名前を呼ばれるとは思わず、アンナは振り返る。
一人の兵士が馬から飛び降り、こちらへ駆けてきた。
「私です」
「王都から、あなた宛ての荷物です」
「私に?」
兵士の手には、小さな箱がある。
「本来なら、こんなところまで個人宛ての荷物を持ってくる場合じゃないんですが……荷札を見て、もしかしたらと思って」
兵士は息を整え、続けた。
「『人工魔晶石』と書いてあったので」
「……え?」
アンナは箱を受け取り、荷札に目を落とす。
──エルネスト・ヴァルデン。
急いで箱を開けると、中には一つの魔晶石が収められている。
アンナはそれを手に取った。
上空では、セレディア軍をまとめて消し飛ばしかねない巨大な魔術陣が完成しようとしていた。
自分の魔力だけでは届かない。軍にも、もう十分な魔晶石は残っていない。
けれど、もしかしたら──。
アンナは、エルネストから届いた人工魔晶石を握りしめた。




