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23.婚約者でもないのに、敵軍から婚約者として狙われています

 ラグナスへ来てから数日が経った。

 セレディア軍は少しずつ前進していたが、戦いが長引くにつれ、第一部隊の消耗も激しくなっていた。


「残りいくつ?」


「三つ。そっちは?」


「二つ」


 出撃前、隊員たちが軍用ベルトの中身を確かめている。話しているのは魔晶石の数だった。

 アンナも自分のベルトを開いた。

 ヴァルガから持ってきた分に加え、ラグナスへ到着してからも何度か補給を受けている。

 それでも連日の戦闘で使い続ければ、減る方が早い。


「次の補給は?」


「まだ未定だってさ。第一部隊には優先して回してくれてるらしいけど、そもそも全体の在庫が少ないらしい」


 第一部隊ですら、この状態なのだ。他の部隊はもっと厳しいに違いない。

 アンナは残った魔晶石を確かめ、ベルトを閉じた。


 その日の攻勢では、主要鉱山へ続く防衛線を崩すことになっていた。

 作戦を確認するために集まった将校たちの前で地図が広げられ、現地の指揮官が中央付近を指す。


「ここはアンナに入ってもらいたい。正面を第一部隊が押さえてくれれば、射線も確保できるでしょう」


「問題ありません」


 レオンハルトは現地の指揮官にそう答えると、マルティナへ向き直った。


「第一班を正面に。アンナは俺とディートリヒの近くで動かす」


「了解しました」


 マルティナは地図に記された各班の配置を確認した。

 初日にアンナを後方へ置いた方がいいと言っていた指揮官が、今では彼女を戦力として作戦に組み込んでいる。

 その変化が、アンナには少しくすぐったく感じられる。




 出撃まで少し時間があり、アンナが天幕の外で装備を確認していると、一人の若い将校から声をかけられた。


「アンナさん」


「はい」


「先日の戦闘では助かりました。あの高台を崩してもらえなかったら、うちの部隊もかなり被害が出ていたと思います」


「いえ。私は言われたところを攻撃しただけですから」


「それでもですよ」


 将校は笑い、ふと何かを思い出したように話題を変える。


「レオンハルト隊長の婚約者だとは聞いていましたが、あれほどの戦闘魔術師だとは知りませんでした」


「……婚約者?」


「違うんですか?」


「違います。隊長が婚約者候補に名乗りを上げただけです」


 訂正すると、今度は相手が目を丸くした。


「そうなんですか? 軍ではもう婚約するものだと聞いていましたが……」


「どうしてそんなことに……」


 将校と別れたところへ、レオンハルトが歩いてきた。

 アンナはすぐに呼び止める。


「隊長」


「何?」


「私、隊長の婚約者だと思われているみたいです」


「ああ……そこまで話が大きくなってるんだ」


 レオンハルトは少し困ったような様子だ。


「知っていたんですか?」


「噂になってるのはね」


「どうしてですか?」


「叔父上じゃないかな」


「コンラート隊長?」


「俺が候補に名乗りを上げたあと、父上のところへ行ったらしいよ。兄上からも何とか言ってやってください、って」


 コンラートなら言いそうだった。

 アンナが戦闘魔術師として力を持っていることは認めても、それと次期ヴァルデン侯爵夫人としてふさわしいかどうかは別らしい。

 ただ、アンナがそんなものになりたいと言った覚えなどないのだが。


「第三部隊の隊長が、第一部隊の隊長の結婚話で軍団長に直談判したからね。それで余計に広まったんじゃない?」


「コンラート隊長は、止めようとしていたんですよね?」


「そのはずだよ」


「……それで広まったんですか」


「結果だけ見れば」


 何とも言えない気分になっていると、レオンハルトは面白そうに笑った。


「まあ、俺が候補なのは本当だし」


「婚約者ではありません」


「そこはちゃんと訂正してるよ」


 さらりと返され、アンナはそれ以上何も言えない。

 初めて名乗りを上げられたときには、冗談ではないかとさえ思っていた。

 けれど、レオンハルトは今も候補を降りるつもりがないらしい。


「そろそろ行くよ」


「はい」


 アンナは考えるのをやめ、第一部隊とともに前線へ向かった。




 戦闘が始まってしばらくして、レオンハルトがアンナを呼んだ。


「アンナ、こっち」


 呼ばれるまま場所を移した直後、それまでアンナがいた地面を魔術が抉った。


「狙われてるね」


「私がですか?」


「さっきから君が動くたびに向こうも位置を変えてる」


 ラグナスへ来てから、アンナは何度も強力な魔術を使っている。

 敵に目をつけられても不思議ではない。


「ディートリヒ、アンナの右をお願い」


「了解!」


 ディートリヒが位置を変え、アンナの右側を守る。

 そのまま敵の攻撃を避けながら戦っているうちに、アンナも違和感を覚えた。

 直接身体を狙うより、逃げ道を塞ぐような攻撃が多い。前へ出てきた敵兵も、アンナに剣を振り下ろすのではなく、取り囲もうとしていた。


「アンナ、下がって!」


 レオンハルトの声と同時に、目の前へ迫っていた敵兵が吹き飛んだ。

 しかし、別の敵兵がすぐにこちらへ走ってくる。


「女は殺すな! 生け捕りにしろ!」


「……え?」


 なぜ、と考えるより早く、さらに声が飛んだ。


「レオンハルトの婚約者だ! 傷つけすぎるな!」


 アンナは耳を疑った。

 味方の陣地で広まっていた噂を、なぜ敵まで知っているのだろう。


「隊長、今……」


「聞こえた」


 レオンハルトの声から、普段の軽さが消えていた。


「アンナ、俺から離れないで」


「はい!」


「第二班を左へ! こっちは俺たちで押さえる!」


「了解! 第二班、左へ! 前を空けないで!」


 マルティナの指示に従い、第二班が左側へ展開する。

 レオンハルトは剣を抜き、アンナを狙って迫った敵を斬り払った。別方向から飛んできた魔術も障壁で防ぎ、その間にアンナは彼の死角から近づこうとした敵を魔術で撃ち倒す。


「右から来るぞ!」


 ディートリヒの声に振り向き、アンナは迫っていた敵へ魔術を放った。敵が足を止めたところへ、ディートリヒが攻撃を重ねる。

 敵はなおもアンナを狙ってきたが、レオンハルトとディートリヒを越えて近づける者はいない。

 その間にも、第一部隊はレオンハルトの指示に従って敵を押し返していく。

 やがて敵は後退し、ようやく周囲の攻撃が途切れた。




「ごめん」


 戦線が落ち着いたところで、レオンハルトが唐突に口を開く。


「どうして隊長が謝るんですか?」


「俺が候補に名乗りを上げなかったら、少なくともこんな狙われ方はしなかった」


「でも、噂を広めたのは隊長じゃありませんよね」


「発端は俺だからね」


 レオンハルトはしばらく考え込んでいたが、やがて口を開く。


「次から、君は後方に──」


「嫌です」


 言い終わる前に答えると、レオンハルトが意外そうに眉を上げた。


「まだ戦えます」


「それは知ってるよ。でも、今は強いから狙われてるだけじゃない。捕まえること自体が目的になってる」


 その意味はアンナにもわかる。捕まれば、レオンハルトを脅す材料にされるかもしれない。

 けれど、周囲では隊員たちが残った魔晶石を確認していた。補給が足りない中で、これから主要鉱山を奪い返さなければならない。


「私が抜けても、大丈夫なんですか?」


 レオンハルトはすぐには答えなかった。


「……大丈夫とは言えないね」


「だったら、隊長のそばに置いてください」


「……俺のそば?」


「はい。隊長のそばが一番安全でしょう?」


 レオンハルトは王国最強の戦闘魔術師だ。先ほども、敵は誰一人として彼を抜けなかった。

 それ以上に安全な場所を、アンナは思いつかない。

 ところがレオンハルトはなぜか黙り込み、やがて小さく息を吐いた。


「そういうこと、あんまり簡単に言わない方がいいよ」


「どうしてですか?」


「……わかってないならいい」


 何のことかわからず見返すアンナに、レオンハルトは困ったように笑う。


「わかった。俺のそばにいて。俺の指示なしで離れないこと」


「はい」




 再び攻勢が始まると、アンナは言われた通りレオンハルトの近くで戦う。

 ディートリヒも近くで前線を押さえ、敵がアンナへ回り込もうとすれば先に進路を塞ぐ。

 何度か狙われたものの、敵が近づく前にレオンハルトが防いでくれた。

 その隙にアンナも魔術を放ち、第一部隊と陸軍が前進する。


「第一班、そのまま前へ! 第二班は右から回って!」


 レオンハルトの命令を受け、各班が動く。

 正面と側面から攻められた敵の隊列が乱れ、やがて防衛線の一角が崩れる。


「見えたぞ!」


 誰かの声に、アンナも前方を見た。

 高所から見下ろした先に、鉱山が広がっていた。その上では、グランベルの旗が風にはためいている。

 あと少しで鉱山に迫れる。しかし、そこへ続く道にはまだ敵が残っていた。

 アンナは軍用ベルトから最後の魔晶石を取り出す。


「隊長」


 魔晶石を見せると、レオンハルトは前方の敵の配置を確かめた。


「使って」


「はい」


 アンナは魔晶石から魔力を引き出し、自分の魔力とともに術式へ流し込んだ。

 味方の位置を確認してから、敵が固まっている防衛地点へ狙いを定める。

 放った魔術が着弾し、轟音とともに土煙が上がった。陸軍がその隙を逃さず、一斉に前進する。


 敵は防衛地点を捨てて後退した。

 この日の攻勢でセレディア軍はさらに前進できたものの、鉱山そのものはまだグランベル側の手にある。

 そして、アンナの軍用ベルトには魔晶石が一つも残っていなかった。




 陣地へ戻って間もなく、偵察兵が報告に駆け込んでくる。


「報告! グランベル軍に補給部隊が到着しました!」


「物資は?」


「魔晶石です!」


 不足している物資の名に、近くの隊員たちの表情が強張った。


「量は?」


「荷車六台分を確認しています!」


 アンナは空になった軍用ベルトを見つめる。

 第一部隊ですら、残りはわずかしかない。それなのに敵には、荷車六台分の魔晶石が届いたという。


「それと、敵陣で魔術師が集結しています! かなりの人数です!」


「どこに?」


 レオンハルトがすかさず問い返す。


「主要鉱山の後方です!」


 アンナは遠くの敵陣へ目を向けた。

 夕暮れの中、グランベルの陣地に一つ、また一つと魔術の光が灯り始めている。

 その手前では、まだグランベルの旗が風にはためいていた。

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