22.たった一つの成功作。僕はそれを、戦場にいる彼女へ送ることにした
西側の戦線へ着くと、東側とは状況がまるで違っていた。
陸軍の兵士たちが敵と近い距離でぶつかり合い、その間を縫うように魔術が飛び交っている。
敵味方が入り乱れているため、高台を崩したときのような大規模な攻撃を放てる場所はほとんどない。
「アンナ、ここでは大きいのは撃たないで」
「はい」
レオンハルトの指示を受け、アンナは前方へ目を凝らした。
「アンナ、こっちだ!」
先に前へ出ていたディートリヒに呼ばれ、アンナはその近くへ向かった。
味方から離れた敵を狙って魔術を放ち、すぐに次の標的を探す。
そのとき、前方にいたグランベルの戦闘魔術師たちが一斉に動いた。セレディア側へ向けて、いくつもの攻撃魔術が放たれる。
「第二班、防御! 第一班はそのまま前を押さえて!」
レオンハルトの声に、マルティナがすぐさま反応した。
「第二班、左側が薄いわ! 防御を厚くして! 第一班は敵を近づけないで!」
その直後、レオンハルトが剣を抜いた。
身体強化を使ったのだろう、目で追うのがやっとの速さで敵との距離を詰めていく。
行く手を阻むように魔術が飛んできたが、展開された障壁にぶつかって弾けた。それでもレオンハルトの足は止まらない。
剣に魔力がまとわりつく。迎え撃とうとした敵の障壁へ刃を叩き込み、そのまま斬り崩した。
別の敵が横から魔術を放つ。
レオンハルトはそちらを振り向きもしなかった。
側面に現れた障壁が攻撃を受け止めるのと同時に剣を振り抜き、正面の敵を倒すと、今度は攻撃魔術を放った。
先ほど横から狙っていた敵が、その魔術をまともに受けて吹き飛ばされる。
さらに別の敵が迫ってきたが、レオンハルトはためらうことなく応戦した。
剣と魔術のどちらかを使うのではない。相手との距離や攻撃の方向に合わせて、迷う様子もなく切り替えている。
レオンハルトが王国最強の戦闘魔術師だという話は、アンナも聞いていた。
けれど、これまでの戦場では自分が指示どおり動くことに精いっぱいで、彼がどう戦っているのかまで見る余裕はなかった。
剣を振るう一方で障壁を展開し、次の瞬間には攻撃魔術を放つ。そのどれもが、驚くほど速い。
「レオンハルト隊長が前に出たぞ!」
陸軍の兵士の声が響いた。
「押し返せ!」
その声に応じて、兵士たちが前へ出る。
「アンナ、俺たちも行くぞ!」
「はい!」
ディートリヒに呼ばれ、アンナも目の前の戦いへ意識を戻した。今は見ている場合ではない。
味方の進路を塞ごうとする敵へ魔術を放ち、第一部隊とともに前へ進む。
第一部隊の加勢を受け、西側の戦線もほどなく押し返し始めた。
「隊長って、剣もあんなに使えるんですね」
戦線が落ち着き、短い休息に入ったところでアンナが言うと、隣にいたディートリヒが笑った。
「今まで見てなかった?」
「剣を使えることは知っていました。でも、ちゃんと見る余裕がなくて」
「ああ、最初はそうなるよな」
少し離れたところにいるレオンハルトへ、アンナは目を向ける。
王国最強の戦闘魔術師であり、第一部隊の隊長。ラグナスへ来てからは、魔術軍では軍団長、副長に次ぐ最高幹部の一人だということまで知った。
侯爵家の嫡男で、社交界でも人気があるらしい。そのうえ、実際に剣を取ってもあれだけ強い。
ここまでくると、本当に何ならできないのだろう。
「何の話?」
いつの間にかレオンハルトが戻ってきていた。
アンナは少し迷ってから答える。
「隊長にも苦手なことってあるのかな、と」
「あるよ」
「そうなんですか?」
「俺を何だと思ってるの?」
「何でもできる人なのかなって……」
「そんなわけないだろ」
レオンハルトはおかしそうに笑う。
「細かい作業も、同じことを地道に続けるのも好きじゃないとは、前に聞きました」
「うん。好きじゃないね」
あっさり認められたものの、先ほどの戦いを思い返すと不思議でならない。
「それなのに、剣も魔術もあれだけできるんですね。何度も同じ練習を繰り返さないと、あそこまではできませんよね?」
「それはしたよ。今でもするし」
「じゃあ、地道に続けること自体が嫌いなわけではないんですか?」
「成果がわかるならね」
レオンハルトは少し考えてから続けた。
「剣なら、昨日できなかったことができるようになったとか、前より速くなったとか、やった分だけ変化がわかるだろ。魔術も同じだよ。発動が速くなったとか、精度が上がったとかね」
「なるほど……」
「何のためにやってるのかも、その結果どうなったのかもわかるなら、同じことを何百回やるのも平気だよ」
アンナが思っていた「地道なことが好きではない」という話とは、少し意味が違うらしい。
「じゃあ、逆に苦手なのは?」
「やっても成果が出るかわからないことかな。何日も何か月も続けて、それでも今やってることが正しいのかどうかさえわからないようなやつ」
「……研究とかですか?」
「そう。まさにああいうの」
アンナの頭にエルネストの研究室が浮かんだ。
人工魔晶石はまだ完成していない。
条件を少しずつ変えては試し、思った結果が出なければ記録して、また別のものを作る。その繰り返しだと聞いている。
「そう考えると、エルネストはよくやるよね」
レオンハルトが何でもないことのように言った。
「あいつの研究、まだ完成してないんだろ?」
「はい。少しずつよくなっているとは言っていましたけど、まだ天然の魔晶石の代わりにはならないって」
「それでも続けてるんだから、俺とは違うよ。俺なら、しばらくやって何も変わらなかったら、もう放り出したくなる」
エルネストを褒めようとして言っているわけではないのだろう。
レオンハルトはただ、自分とは違う弟の性質をそのまま認めている。
「そういうのは、俺よりエルネストの方がずっと向いてるよ」
「……はい」
アンナも、研究室に並んでいた人工魔晶石を思い出した。
同じように見えるものでも、少しずつ条件が違うと言っていた。
失敗したものもすべて記録して、また次を作る。
それは確かに、エルネストがずっと続けてきたことだった。
「私も、そう思います」
アンナが答えると、レオンハルトは「でしょう?」と楽しげに笑った。
ラグナスでの戦いは、その日では終わらなかった。
翌日も、その翌日も第一部隊は戦場へ出た。
東側を押し返せば中央へ向かい、そこを立て直した頃には西側から増援を求められる。
「第一班は先に中央へ! 第二班はここを引き継いでから移動!」
レオンハルトの声で、第一部隊が動き出す。
アンナもディートリヒとともに前線を移り、指示された場所へ魔術を放った。
セレディア軍は少しずつ前へ進んでいたものの、グランベル軍も簡単には退かない。昨日奪った場所を翌日には取り返され、また攻め直すこともあった。
そんな戦いが続けば、第一部隊にも疲労が溜まっていく。
腕を負傷して治療を受ける者が出れば、魔力が十分に戻らず、その日の出撃を途中で切り上げる者もいる。夜になって陣地へ戻る頃には皆が疲れ切り、食事を終えるなり眠ってしまう者も増えていった。
アンナも例外ではない。
横になればすぐに眠り、朝になればまた軍服に着替えて第一部隊の外套を羽織る。
そうして何日目かの朝を迎えたとき、補給を受けていたディートリヒが声を上げた。
「今日、これだけ?」
アンナもそちらを見る。
支給された魔晶石は、昨日までより明らかに少なかった。
「第一部隊には優先して回しています。ただ、ラグナス全体で消費量が想定を上回っています。このままですと、今後はさらに支給数を減らす可能性があります」
「こっちでもか……」
ディートリヒが受け取った魔晶石を軍用ベルトへ収める。
第一部隊ですら十分な数を受け取れなくなり始めているのなら、他の部隊はもっと厳しいのだろう。
それでも遠くでは、今日もグランベル側から魔術が飛んでくる。
「向こうは惜しみなく使ってくるな」
「鉱山を押さえてるからね」
レオンハルトは支給された魔晶石を確認すると、隊員たちを見回した。
「無駄撃ちは避けて。でも、必要なところでは使っていいよ。残したまま戦線を抜かれたら意味がないから」
「各班、残数は出撃前に確認して。途中でも減りが早ければ報告を」
マルティナが続ける。
隊員たちがそれぞれ魔晶石を確かめ、アンナも自分の分を軍用ベルトへ収めた。
今すぐ戦えなくなるほど少ないわけではない。けれど、この戦いがあと何日続くのかは、誰にもわからなかった。
◇◆◇
王都の研究室では、今日もエルネストが人工魔晶石の試作を続けていた。
軍から研究支援を受けるようになってから、以前は手に入らなかった材料や資料も使えるようになり、試せる条件は増えている。
それでも、試せることが増えたからといって、人工魔晶石が簡単に完成するわけではなかった。
材料の配合を変え、術式の一部を調整し、魔力を定着させる時間も変えてみたが、期待した結果は出ない。
一つでは足りない容量を補うため、複数の人工魔晶石を同じ術式につないだこともある。
だが、魔力の流れが一つに偏り、まともに取り出すことさえできなかった。
エルネストは測定結果を記録用紙へ書き込むと、次の試作品を手に取った。
測定器に置き、表示された数値を書き写そうとして、ペンが止まる。
「……え?」
見間違えたのかと思い、最初から測り直してみた。それでも数値は変わらない。
念のため別の測定器でも確かめてみると、これまでの試作品より蓄えられる魔力量が明らかに多いうえ、取り出す際の損失も小さかった。
エルネストはすぐに記録用紙を見直した。この試作品だけ、特別な条件で作ったわけではない。
同じ材料を同じ配合で使い、同じ術式を組み込んだものがもう一つ残っていたため、そちらも測定してみる。
出たのは、これまでと変わらない数値だった。
「どうして……」
もう一度、同じ条件で作ってみた。やはり再現できない。
何か見落としている可能性を考えて工程を一つずつ確認し、さらにもう一つ試作したものの、最初の一つと同じ結果は出なかった。
偶然なのか、それとも記録に残らないほど小さな違いがあったのか、今の段階では判断できない。
ただ一つ確かなのは、これまで作ったものとは明らかに性能の違う人工魔晶石が、今ここに一つだけあるということだった。
エルネストはその人工魔晶石を手に取った。
成功した理由を突き止めるなら、このまま手元に残して調べるべきだろう。
測定を重ね、それでもわからなければ分解して内部を調べることもできる。
研究を進めることだけを考えるなら、そうするべきだった。
けれど、人工魔晶石を見つめているうちに、前線にいるアンナのことが浮かんだ。
今もラグナスで戦っている。
その隣には、レオンハルトがいる。
兄がアンナの婚約者候補として名乗りを上げたと父から聞いて以来、そのことを考えなかったわけではない。
レオンハルトなら、戦場でアンナのすぐそばにいられる。
危険が迫れば、自分の力で守ることもできる。
今のエルネストには、そのどちらもできない。
手の中にある人工魔晶石へ目を落とした。
それでも、自分にしかできないことまでなくなったわけではない。
これを作ったのは、自分なのだから。
「ラグナスへ送るんですね?」
「はい」
前線へ物資を送る担当者に確認され、エルネストは小箱を差し出した。
「第一部隊宛てですか?」
「いえ。第一部隊と行動している、アンナという学生に届けてください」
「承知しました」
箱の中には、人工魔晶石と短い手紙を入れてある。
次に同じものを作れる保証はない。
これを手放せば、成功した原因を調べる機会を失う可能性もある。
それでも、前線でこれが必要になるときが来るのなら、研究室に置いておくよりアンナに持っていてほしかった。
「できるだけ早い便でお願いします」
「わかりました」
担当者へ箱を預け、エルネストは研究室へ戻った。
机の上には、これまでに作った人工魔晶石と、書きかけの記録用紙が残っている。
たった一つだけできた成功作は、もう手元にはなかった。
エルネストは新しい記録用紙を取り出すと、先ほどまでの工程を最初から確認し、次の試作に取りかかった。




