20.第一部隊の外套をまとい、いよいよ激戦地ラグナスへ!
日の出前、アンナが集合場所へ向かうと、第一部隊の面々はすでに出発の準備を終えていた。
「おはよう、アンナ」
「おはようございます、隊長」
レオンハルトはアンナの荷物に目をやると、傍らに置いてあった外套を取り上げる。
「これ、君の分」
渡されたのは、見覚えのある短い外套だった。第一部隊の隊員たちが、軍服の上から身につけているものと同じだ。
肩から背を覆う布地には防御術式が織り込まれ、第一部隊を示す意匠が施されている。
「これって、第一部隊の外套ですよね?」
「そう。ラグナスでは陸軍を含めて複数の部隊が動くから、誰と行動しているのかわかった方がいい。君にも着けておいてもらうことになった」
「でも、私は第一部隊ではありませんよね?」
「もちろん正式に所属したわけじゃないよ。正規隊員のものとは違って、所属章も階級章もついてない」
改めて隊員たちの外套と見比べると、確かに細部が違っていた。
「ラグナスにいる間の貸与品だと思って」
「わかりました」
アンナは受け取った外套を羽織った。
軍服そのものは、ヴァルガで初めて戦場へ出たときから着ている。
濃色の上着と同色のズボンに、編み上げのブーツ。腰には魔晶石や魔術具を収めるための軍用ベルトもある。
けれど、第一部隊の外套が加わると、これまでとは少し違って見えた。
留め具に手をかけたものの、慣れない形でうまく噛み合わない。
「そこ、逆だよ」
「あ……」
レオンハルトが外套の端を取り、留め具を直してくれた。
思いがけず距離が縮まり、すぐ近くに彼の顔があることに気づく。
「これでいい」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
何事もなかったようにレオンハルトが離れていく。
アンナは直してもらった留め具にそっと触れた。
婚約者候補として振る舞うと言われているだけに、こうして距離を詰められると、どう反応すればいいのかわからない。
当のレオンハルトは、まるで気にしていない様子だ。
「隊長、全員揃っています」
マルティナが報告に来た。
「荷物も確認済みです。いつでも出られます」
「ありがとう。じゃあ予定どおり出ようか」
レオンハルトが隊員たちへ向き直る。
「ラグナスまで移動する。途中の休憩と隊列については昨日伝えたとおり。何かあれば俺かマルティナに」
「了解!」
返事が揃うと、隊員たちはそれぞれ持ち場へ向かった。
「アンナ、行くよ」
「はい!」
呼ばれたアンナも急いで後を追う。こうして第一部隊は、ヴァルガ要塞を出発した。
ラグナスへ向かう街道には、第一部隊以外の兵士の姿も多かった。
兵士を乗せた馬車や、武器と食料を積んだ荷車が同じ方向へ進んでいる。
その脇を騎馬の部隊が追い越していくこともあり、前線へ近づくにつれて人の流れは増していった。
ヴァルガ要塞へ来たときとは、アンナ自身もずいぶん勝手が違う。
途中で休憩に入れば、誰かに言われる前に第一部隊の面々と同じ場所で身体を休め、出発の声がかかれば自分で荷物をまとめる。
隊員たちからも気軽に話しかけられるようになり、次の陣地ではまともな寝床があるだろうか、食事はヴァルガよりましだろうかといった話にも自然と加わっていた。
もちろん、正式な第一部隊の隊員になったわけではない。
今も王立学園の学生であり、軍に所属しているわけでもなかった。
戦場ではレオンハルトの指示を受け、第一部隊に守られることもある。
それでも、ヴァルガ要塞へ来た初日のような居心地の悪さは、もう感じなかった。
移動には軍から借りた馬を使っている。
魔術科へ転科してから、戦闘魔術師には騎乗が必要になることもあると、短いながら訓練を受けていた。
第一部隊の面々ほど自在に扱えるわけではないが、軍馬に乗って街道を進む程度なら問題ない。
「アンナ、そろそろ休憩だってさ」
近くを走っていたディートリヒが声をかけてきた。
「次の分岐を越えたところで止まるらしい」
「わかりました」
「馬は平気か?」
「今のところは。でも、ずっと乗っていると結構疲れますね」
「そりゃそうだ。俺たちと同じつもりで無理するなよ」
「はい」
少し前方では、マルティナがレオンハルトと話を終え、隊列の後方へ馬を走らせていく。
移動中も前後を行き来して、隊員の位置や遅れがないかを確認していた。
やがて予定どおり休憩に入り、アンナも馬を降りた。
思っていた以上に脚が強張っている。
軽く動かしていると、水筒を手にしたリゼットが隣へやってきた。
「大丈夫?」
「はい。ちょっと疲れましたけど」
「慣れないうちはそうよ。今のうちにちゃんと休んでおきなさい」
リゼットはアンナの隣に腰を下ろした。アンナも水を飲み、ようやく一息つく。
「そういえば、朝から見てたんだけど」
「何ですか?」
「隊長、ずいぶん世話を焼くわね」
「……やっぱり、そう見えます?」
「外套まで直してもらってたでしょう」
「見てたんですか?」
「目の前でやってたもの」
リゼットに笑われ、アンナは少し迷ってから声を落とした。
「私、よくわからないんです」
「何が?」
「隊長が普通に気遣ってくれているのか、婚約者候補としてやってるのか」
「ああ」
事情を察したらしく、リゼットが頷く。
「隊長って、もともと面倒見は悪くないからね。部下のこともよく見てるし」
「やっぱりそうですよね」
「でも、アンナにやってることが全部隊長としてかって聞かれたら、それも違うと思うけど」
「……やっぱりですか?」
「朝のあれなんて、自分でやる必要ないでしょう。留め具が逆なら、口で教えれば済むもの」
確かに、そう言われればそのとおりだ。
「じゃあ、やっぱり婚約者候補として……」
「それは本人に聞かないとわからないわよ」
「聞いても教えてくれないんです」
「でしょうね」
あまりに迷いのない返事に、アンナはリゼットを見た。
「わかるんですか?」
「隊長って、肝心なところはなかなか教えてくれないもの」
リゼットは笑いながら水筒の蓋を閉める。
「でも、嫌なら嫌って言えばいいのよ。隊長なら、そこは無視しないから」
「それは、わかってます」
答えに迷いはなかった。
レオンハルトは勝手に婚約者候補へ名乗り出たし、それらしく振る舞うとも言った。
それでも、アンナが嫌だと言ったことまで押し通したことはない。
だからこそ、どう受け止めればいいのか困ってしまう。
「なら、今はそれでいいんじゃない?」
「そうでしょうか」
「少なくとも、ラグナスに着く前から答えを出さなきゃいけない話じゃないでしょう」
「……そうですね」
アンナが頷いたところへ、少し離れた場所からマルティナの声が飛んでくる。
「あと五分で出発するわよ! 馬の確認をしておいて!」
「ほら。行きましょうか」
「はい」
二人は立ち上がり、それぞれの馬へ戻った。
再び街道を進み始めてしばらくすると、レオンハルトが隣に馬を並べる。
「疲れてない?」
「大丈夫です」
「そう。まだ少しかかるから、無理なら言ってね」
「はい」
返事をしながら、アンナは隣を走るレオンハルトをちらりと見た。
隊長としての気遣いなのか、婚約者候補としてなのか。先ほどリゼットと話したばかりなのに、やはり答えは出そうにない。
アンナはひとまず考えるのをやめ、前方へ目を戻した。
「それにしても、ずいぶん多いんですね」
「今回は魔術軍だけが動くわけじゃないからね」
「グランベル軍も、それだけ大きく動いているということですか?」
「そういうこと」
レオンハルトは前を向いたまま続ける。
「ラグナスは両国とも簡単には譲らない。特に鉱山が集中している一帯はね」
授業で習った地図を思い出す。
セレディアとグランベルの国境に広がるラグナスは、長く帰属を巡って争われてきた地域だ。現在、主要な魔晶石鉱山の多くはグランベルが押さえている。
「今回は、ラグナスを取り戻すための戦いなんですか?」
「王国はそう言うだろうね」
レオンハルトの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「グランベルは、自分たちの領土を守る戦いだと言うだろうけど」
「……どちらも、自分たちの土地だと思っているんですよね」
「少なくとも、国としての主張はそうだね。何十年も揉めてる場所だから、簡単にどちらが正しいとは言えないよ」
今回の戦争も、突然グランベルが攻め込んできて始まったものではない。
国境で先に軍事行動を起こしたのはセレディアだった。
それが報復を呼び、ヴァルガ要塞への攻撃につながり、今では両国が大きな軍を動かしている。
それでもセレディアにとって、魔晶石を他国に頼り続ける現状が大きな問題なのは、アンナにもわかる。
そこで、エルネストの研究が頭に浮かんだ。
「隊長」
「何?」
「もし、エルネストの人工魔晶石が実用化できたら……ラグナスを巡って争う理由も減るんでしょうか」
「戦争がなくなるか、ってこと?」
「そこまでは……」
「なくならないと思うよ」
あまりにあっさりした答えに、アンナは少し目を瞬いた。
「土地が欲しい理由は、魔晶石だけじゃないからね。国境の位置も、街道も、税収もある。昔の争いを理由にする人間もいる」
「そうですよね」
「でも、魔晶石を確保するために無理をする必要がなくなるなら、争う理由の一つは減る」
レオンハルトは少し間を置いてから、言葉を継いだ。
「だから、あいつの研究は案外大きなことになるかもしれないよ」
「隊長も、エルネストの研究を評価しているんですね」
「研究のことは、俺にはよくわからないけどね」
そう断ってから、レオンハルトは続ける。
「ただ、よくやるとは思ってるよ。同じような実験を何度もして、細かく記録を取って、失敗したらまた条件を変えてやり直すんだろ?」
「そうみたいです」
「俺なら三日で嫌になる」
「三日なんですか?」
「一日かもしれない」
思わず笑ってしまった。
「隊長、そういうことは苦手なんですね」
「苦手というか、嫌い。細かい作業も、同じことを地道に続けるのも」
レオンハルトは悪びれる様子もなく言う。
「だから、ああいうことを何年も続けられるのは、素直にすごいと思うよ。俺にはできない」
アンナには、少し意外だった。
レオンハルトは戦闘魔術師としてエルネストとは比較にならないほど強い。兄弟のうち、父親から期待されてきたのもこちらなのだろう。
それでも、自分にはできないことを弟ができるのなら、ためらいなく認める。その言葉には、弟を見下すような響きが少しもなかった。
「エルネストは、昔からそうだったんですか?」
「そうだね。一度気になったら、納得するまでずっとやってる。俺は途中で飽きるけど」
「……本当に違いますね」
「兄弟だからって、何でも似るわけじゃないよ」
「でも、似ているところもあります」
レオンハルトがこちらに目を向ける。
「どこが?」
「それは……また今度にします」
「気になるな」
「今度です」
レオンハルトはまだ聞きたそうだったが、それ以上追及してこなかった。
アンナは上着の内側にしまった手紙を思い出す。
エルネストは戦場にはいない。けれど、王都で続けている研究が、いつかこの戦場にも届くのだろうか。
次に会えたときには、研究がどこまで進んだのか聞いてみたい。そう考えると、帰る日がいっそう待ち遠しくなった。
それからしばらく進んだところで、前方を走っていたディートリヒが振り返った。
「見えてきたぞ」
アンナも顔を上げる。
街道の先に、いくつもの陣幕が見えた。
その数は、ヴァルガ要塞で見たものとは比べものにならない。遠くまで兵士や荷車が行き交い、さらに向こうでは土煙が空へ舞い上がっていた。
「あれが……ラグナス」
「そう」
隣からレオンハルトの声が返ってくる。
「ここからが本番だよ」
先頭では、マルティナが陣地へ入る第一部隊の隊列を整えている。
ディートリヒも速度を落とし、アンナたちが追いつくのを待っていた。
アンナは第一部隊の外套の留め具に、そっと指を添える。
やがて一行は、各地から集まった兵士たちで埋め尽くされた陣地へ入っていった。




