18.僕には反対したのに、兄上なら結婚を認めるそうです
レオンハルトから手紙が届いたのは、アンナがヴァルガ要塞へ向かってから数日後のことだった。
差出人を確認したエルネストは、研究の手を止めてすぐに封を切った。
『まず、アンナは無事だよ』
最初の一文を読んだ途端、知らず詰めていた息がほどける。
「……よかった」
前線へ向かったアンナのことは、ずっと気にかかっている。
研究に没頭している間は忘れられても、一区切りつくたびに、今頃どうしているのだろうと考えてしまう。
初めての戦場で怖い思いをしていないだろうか。
怪我はないだろうか。
そして何より、出発前に交わした約束どおり、無事に帰ってきてほしい。
気持ちを落ち着けて続きを読むと、数行先で再び手が止まった。
「……一撃で?」
グランベル軍が構築した防御陣を、アンナが一度の攻撃で破壊したという。
しかも、魔晶石から継続的に魔力を供給することで、損傷を修復する仕組みだったらしい。
『念のため書いておくけど、俺が無茶をさせたわけじゃないよ。アンナの方から撃たせてほしいと言ったんだ』
「兄上……むしろ、それはそれで心配なんだけどな……」
兄が初陣の学生に無謀な命令をするとは思っていない。可能だと判断した上で任せたのだろう。
それでも、アンナ自身が申し出たと聞いて安心できるものでもなかった。
手紙には、大きく魔力を消耗したものの、身体に異常はないことも書かれている。最後まで読み終えたエルネストは、もう一度最初の一文へ目を戻した。
『まず、アンナは無事だよ』
兄が何より先にそれを伝えてくれたことが、ありがたかった。
手紙を折り直して机に置くと、その隣に作りかけの人工魔晶石がある。
魔晶石から魔力を送り続け、障壁を維持する。敵軍の防御陣についての記述が、研究のことを考えさせた。
これまでは、天然魔晶石に近づけるため、いかに多くの魔力を蓄えられるかばかりを考えていた。
だが、容量を増やすことだけが使い道ではないのかもしれない。
エルネストは人工魔晶石を手に取った。
「一定量を、安定して送り続けるなら……」
魔力の流れを細かく調整するという点では、かつて学んだ戦闘魔術にも通じるところがある。
もっとも、戦闘魔術では瞬時に行う操作を、エルネストは時間をかけて行うしかなかった。
そんなことを考えながら、人工魔晶石へ魔力を流してみる。
試してみる価値は十分にあるだろう。
それから数日間、エルネストは人工魔晶石を使った実験を繰り返していた。
一つの人工魔晶石に大量の魔力を蓄えるのが難しいのなら、少量ずつ蓄えたものを複数繋げばいい。
そう考えて、手元にある試作品を並べ、魔力を一か所へ集める術式を組んでみた。
だが、最初の試みでは、一つの人工魔晶石にばかり魔力が流れ、ほかの石からはほとんど引き出せなかった。
「……流れが偏ってる」
術式を書き換えてもう一度試すと、今度は別々の石から引き出した魔力が途中でぶつかり、術式が停止した。
「これも駄目か……」
エルネストは机に並んだ人工魔晶石を見比べた。
どれも自分で作ったものだが、蓄えられる魔力量も、魔力の通りやすさも少しずつ違っている。
魔力の流れを細かく調整しても、石ごとに反応が異なるため、同じ術式では安定しない。
戦闘魔術で学んだ魔力操作を応用することも考えたが、流れを整える前に別の箇所で偏りが生じてしまう。
「まず、こっちを揃えないと……」
人工魔晶石そのものの性能に、まだばらつきがありすぎる。
エルネストは実験結果を書き留め、改めて試作品を手に取った。
まずは、石ごとの性質の違いをもう少し詳しく調べてみよう。
そう考えて次の実験の準備を始めたところで、研究室の扉が叩かれた。
「エルネストさま。旦那さまがお呼びです」
訪ねてきた使用人から父の呼び出しを告げられ、エルネストは手を止めた。
こんな時間に何の用だろう。
気にはなったものの、ひとまず研究器具を片づけ、執務室へ向かう。
扉を開けると、父は机の上の書類から顔を上げた。
「前線で、コンラートが余計なことをしたらしい」
「叔父上が?」
「第三部隊の副隊長を、アンナの結婚相手として紹介したそうだ」
「……何をしてるんですか、叔父上は」
思わず声が低くなる。
「本人には断られた。副隊長もコンラートを止めたそうだ」
アンナが断ったのなら、ひとまず安心だ。
だが、父の話には続きがあった。
「そのあと、レオンハルトが自分も婚約者候補になると言い出したらしい」
「……兄上が?」
今度こそ、言葉を失った。
数日前に届いた手紙には、そんなことは一言も書かれていない。
いや、考えれば当然だ。あの手紙が書かれたのは、アンナが初陣を終えた直後なのだから。
「本気なんですか?」
「そこまでは知らん」
あっさりした答えに、エルネストはそれ以上兄の真意を尋ねるのを諦めた。
だが、父がこの話をどう受け止めているのかは、聞かずにいられない。
「父上は……反対しないんですか?」
「レオンハルトにか?」
「はい。僕とアンナのことには反対したでしょう」
「したな」
「兄上ならいいんですか?」
アルベルトは少し間を置いてから答えた。
「レオンハルトが本気でアンナを選んだのなら、私が反対する理由はない」
「アンナに戦闘魔術の才能があるとわかったからですか?」
「いや。それは関係ない。レオンハルトが侯爵夫人にすると決めたのなら、身分の違いも含めて考えた上でのことだろう。あれが何も考えずに伴侶を選ぶとは思っていない」
兄ならば、身分の違う女性を選んでも、その判断を信頼してもらえる。
では、自分がアンナを選んだときはどうだったのか。
「……僕が選んだときは、そうは思わなかったんですね」
「ああ」
迷いのない返事だった。
兄は第一部隊の隊長として戦場に立ち、次期侯爵としても父から信頼されている。
それに比べて、自分にはまだ何もない。
研究は続けている。だが、人工魔晶石はいまだ試作品にすぎず、何かを成し遂げたわけではなかった。
「兄上に、やめるよう言うつもりはないんですか?」
「なぜ私が言う?」
「それは……」
「お前から言いたいのなら止めはしない」
言葉に詰まった。言えるはずがない。アンナはもう、自分の恋人ではなかった。
いずれ彼女を迎えに行きたいと思っている。家にも、父にも認めさせて、今度こそ堂々と彼女の隣に立ちたい。
けれど、それは自分が勝手に決めていることだ。アンナに待っていてほしいと強制できるわけではない。
「……言いません」
「そうか」
アルベルトはそれ以上、何も言わなかった。
研究室へ戻ってからも、エルネストはなかなか研究に集中できずにいた。
兄が女性から人気があることは知っている。
第一部隊の隊長で、次期侯爵。戦闘魔術師としても名を知られ、社交の場でも人付き合いに困るような性格ではない。
父が兄を信頼していることだって、今さらだ。
それでも、その兄がアンナの婚約者候補になったと聞いて、平静ではいられなかった。
エルネストはため息をつき、机の上の人工魔晶石へ手を伸ばす。
そこで、机の端に見慣れない封筒が置かれていることに気づいた。
「……あれ?」
研究室を留守にしている間に届けられたらしい。
何気なく差出人を確かめた途端、研究のことも兄のことも頭から消えた。
──アンナ。
すぐに封を切った。
『エルネストへ。 無事にしています。 最初にこれを書いておかないと、心配すると思ったので。』
思わず笑みがこぼれる。
「兄上と同じことを書いてる」
その先には、要塞での生活が綴られていた。
初陣のあとも何度か戦場へ出たこと。まだ人に魔術を向けることには慣れないものの、最初の日よりは周囲を見る余裕ができてきたこと。
第一部隊の人たちにも、ずいぶん助けてもらっているらしい。
『レオンハルト隊長には、とてもよくしていただいています。』
その一文を目にして、先ほど父から聞いた話がよみがえった。
少し前なら、兄がアンナの面倒を見てくれていることに安心しただけだっただろう。
今は、その先を読むのに少しだけ勇気がいる。
『最初はエルネストとはあまり似ていないと思っていました。でも、話していると、ときどき似ているところがあります。やっぱり兄弟なんですね』
「……どこが似てたんだろう」
兄が何をしたのかも、そのときアンナが何を思ったのかも書かれていない。
それが気になって仕方なかった。
さらに読み進めると、第一部隊の面々からレオンハルトが社交界でも人気だと聞いた話が続いている。
「それも知ってるよ……」
どうして今日に限って、兄の話ばかりなのだろう。
もちろんアンナに悪気などないことはわかっている。
それでも、父から聞いたばかりの話を思い出さずにはいられなかった。
やがて手紙は最後の数行に差しかかる。
『それから、出発する前に話したことを覚えていますか。 帰ってきたら、魔術の相談じゃなくても研究室へ行っていいかと聞いたことです。 私は覚えています。 帰ったら、本当に行ってもいいですか。』
エルネストはその文字を、何度も読み返した。
覚えている。忘れるはずがない。アンナが研究室を出る前、ためらいながら尋ねてきたのだ。
『今度は、魔術の相談じゃなくても?』
あのとき、自分はその方が嬉しいと答えた。
「……来てほしいよ」
手紙に向かって答えてから、便箋を取り出した。
『もちろんです。』
そこまで書いて、手が止まる。
「……なんで敬語なんだ」
新しい便箋を取り出す。
『もちろん。いつでも来て。』
今度も、読み返すうちにしっくりこなくなった。
以前なら、こんなことで悩みはしない。会いたければ会いたいと言えたし、来てほしければそのまま伝えられた。
けれど、今は恋人ではない。
自分から別れを選んだのに、以前と同じ距離で接するのは違う。
それでも、アンナの方から一歩近づいてきてくれたのに、自分から遠ざけたくもなかった。
何度も言葉を選び直し、ようやくペンを動かす。
『覚えているよ。
帰ってきたら、研究室に来てください。魔術の相談がなくても、待っています。
無理はしないで。
君が帰ってくるのを待っています。』
書き終えた返事を読み返し、便箋を封筒に収める。
待っていてほしいとは書けない。けれど、自分が待っていることなら伝えてもいいと思った。
エルネストは研究室を出ると、廊下で使用人を呼び止めた。
「これ、今日の前線便に間に合いますか?」
「確認いたします」
「お願いします」
封筒を渡しかけて、宛名へ目を落とす。
──アンナ。
その名前を一度見てから、今度こそ手渡した。
「できるだけ早く、お願いします」




