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17/24

17.元恋人の兄に朝から晩まで婚約者候補として接近されています

 翌朝、食堂へ向かっていたアンナは、廊下の先に少し見慣れてきた姿を見つけて足を止めた。


「おはよう、アンナ」


「おはようございます。……どうしたんですか?」


 壁際に立っていたレオンハルトが、待っていたとばかりに歩み寄ってくる。


「朝食はまだ?」


「これからですけど」


「じゃあ、一緒に食べよう」


「第一部隊の皆さんとですか?」


「俺と」


 当然のように返され、アンナはレオンハルトを見上げた。


「どうしてですか?」


「婚約者候補だから」


「……本当にやるんですね」


「叔父上に、口だけじゃなく態度で示せと言われたからね」


 昨日のやり取りを思い出し、アンナは返事に困った。

 コンラートを止めるために言っただけなのだろうと思っていたのに、どうやら本当に婚約者候補として振る舞うつもりらしい。


「ほら、行こう。朝食の時間がなくなるよ」


 促され、仕方なく隣を歩く。

 ところが、いざ二人で食事を始めてみると、思っていたほど居心地は悪くなかった。


「昨日は眠れた?」


「はい。初日よりはよく眠れました」


「それならよかった。身体は?」


「大丈夫です。魔力も戻ってます」


「なら、今日は問題なさそうだね」


 体調の話が終われば、今度は王都のことや学園のことを聞かれる。

 無理に話題を探している様子もないのに会話が途切れず、アンナもいつの間にか普段どおりに答えていた。


「隊長って、こういうことに慣れてますね」


「こういうこと?」


「女性と二人で食事をすることです」


「ああ。それくらいならね」


 さらりと言われて、アンナはそれ以上聞けなかった。

 考えてみれば、レオンハルトはヴァルデン侯爵家の嫡男だ。

 社交の場に出る機会など、平民のアンナには想像もつかないほど多いのだろう。


「隊長、本当にやってる」


 横から声がして振り返ると、第一部隊の隊員が呆れたようにこちらを見ていた。


「何が?」


「婚約者候補ですよ。昨日の今日で、もう二人で朝食ですか」


「やると言ったからね」


「律儀なんだか何なんだか……」


 レオンハルトは気にした様子もなく食事を続ける。

 からかわれている本人よりも、アンナの方が落ち着かない。




 その日の戦闘は、ヴァルガ要塞からさほど離れていない場所で起きた。

 初陣の日ほど大規模ではないものの、敵味方の魔術が飛び交う光景には、まだ慣れなかった。


「アンナ、前に出すぎないで」


「はい!」


 返事をしながら前方へ目を向ける。第一部隊の戦闘魔術師たちは、アンナよりずっと広く周囲を見ていた。

 敵の攻撃を防いだ直後には別の敵へ魔術を放ち、必要とあれば通常兵の援護にも回る。


 自分もいつか、あんなふうに動けるようになるのだろうか。

 そう考えたとき、敵兵の一人がこちらへ向かってくるのが見えた。


 アンナは咄嗟に右手を向ける。

 撃たなければ。

 頭ではわかっているのに、相手が人間だと思った途端、魔術を放てなくなってしまった。


「アンナ!」


 別方向から飛んできた魔術が敵兵の足元へ着弾する。

 敵が退いた隙に、味方の兵士が前へ出た。


「すみません」


「謝るのはあと。あれが見える?」


 レオンハルトが指した先には、敵陣の後方に設置された魔術具があった。

 そこから展開された術式が、前方の敵兵たちを薄い障壁で守っている。


「見えます」


「壊せる?」


 狙うのが人ではなく魔術具なら、迷う理由はなかった。


「はい」


「じゃあ任せる。中央は左右に展開してアンナの射線を確保! ディートリヒはそのまま前進!」


「了解! 右側、もう少し広がって! 左側は敵の攻撃に備えて!」


 右手にいたマルティナが、隊員たちの動きを見ながら指示を飛ばす。

 隊員たちは素早く位置を変え、アンナから魔術具までの射線が開いた。


 初陣の日ほどの威力はいらない。

 周囲の兵士を巻き込まないよう、魔術具だけを狙う。

 魔力を調整して放った一撃が命中すると、魔術具が砕け、敵兵を覆っていた障壁も消えた。


「今だ!」


 レオンハルトの号令で、第一部隊が攻勢に出る。

 障壁を失った敵兵たちはその勢いを支えきれず、やがて撤退を始めた。




 戦闘が終わっても、アンナの胸には先ほどのことが引っかかっている。


「隊長」


「何?」


「私、まだ人に向けて撃てませんでした」


「ああ」


 驚いた様子のないレオンハルトに、アンナは尋ねた。


「気づいてたんですか?」


「見てたからね」


「……戦闘魔術師になるなら、慣れないと駄目ですよね」


「必要なときに撃てるようにはならないといけない」


 きっぱりとした声が返ってきた。

 慰めのために答えを濁すつもりはないのだろう。


「でも、今日できないことを気にして、できることまでできなくなる必要はないよ。今日はあれを壊した。それで十分」


 そう言って、レオンハルトは先を歩いていく。

 アンナはその背中を見つめた。

 第一部隊の隊員たちが彼を信頼しているのは、強いからだけではないのだろう。




 要塞へ戻ってしばらくすると、レオンハルトに呼び止められた。


「アンナ、右手を見せて」


「右手ですか?」


「うん」


 言われるまま差し出すと、レオンハルトが手首を取った。


「痛みは?」


「ありません」


「痺れは?」


「それもないですけど……」


「じゃあ、今のところは大丈夫かな」


 手を離されても、アンナには理由がわからない。


「どうして急に?」


「今日、魔術を撃ったあとに何度か右手を握ってたでしょう」


 言われて初めて思い出した。

 少し違和感があって、確かに何度か指を動かしたのだ。


「見てたんですか?」


「俺の指揮下にいるんだから、それくらいは見るよ」


 そう言って一度離れたレオンハルトは、しばらくして手首を覆う革製の装具を持って戻ってきた。


「これ、使ってみて」


「私にですか?」


「大きな魔術を使うときの負担を少し減らせる。今の君には合うと思うよ」


 受け取りかけて、アンナは手を止めた。


「……これは隊長としてですか?」


「いや」


 短い否定に、嫌な予感がする。


「婚約者候補として」


「それなら受け取れません」


「即答だね」


「だって、そういう意味の贈り物なら困ります」


「そっか」


 意外にも、レオンハルトはあっさり引いた。


「じゃあ、貸すだけにしよう。返すのは王都に戻ってからでいいよ」


「……結局、使わせようとしてません?」


「ばれた?」


 悪びれもせず笑う相手に、アンナはため息をつくしかない。




 夕方、食堂へ向かおうと部屋を出たところで、またレオンハルトが待っていた。


「……今度は何ですか?」


「夕食」


「まさか、また一緒に?」


「そのまさか」


 今度は手まで差し出され、アンナは戸惑った。


「何ですか、その手」


「エスコート」


「食堂までですよ?」


「距離は関係ないでしょう?」


 迷った末、その手に自分の手を重ねる。

 レオンハルトは満足そうに笑うと、歩き出した。


 途中の扉は先に開け、アンナを通してから自分が続く。

 階段では当たり前のように手を差し出され、持っていた荷物までいつの間にかレオンハルトの手に移っていた。


「隊長、私、自分で持てます」


「知ってるよ」


「じゃあ返してください」


「嫌だ」


「どうしてですか」


「婚約者候補だから」


「それ、便利に使ってません?」


「便利だね」


 エスコートは驚くほど様になっているのに、本人はいつもの調子だった。

 食堂へ入ると、先に来ていた第一部隊の面々から一斉に視線を向けられる。


「……隊長、本当にやってる」


「朝も聞いたよ、それ」


「だって、今度はエスコートまでしてるじゃないですか」


 レオンハルトは気にする様子もなく、アンナの椅子を引いてくれる。


「どうぞ」


「……ありがとうございます」


 席に着くと、向かいの隊員が笑いながら話しかけてきた。


「でも、隊長にエスコートしてもらいたい令嬢なんて、王都にはいくらでもいるでしょうね」


「そんなに人気があるんですか?」


 アンナが尋ねると、隊員たちは顔を見合わせた。

 どうやら、わざわざ尋ねるまでもないことらしい。


「アンナ、本当に知らないんだな」


「知りませんけど……」


「夜会に出れば、ダンスの相手には困らないですよね」


「困ったことはないかな」


 本人まであっさり認めるのだから、相当なものなのだろう。


「隊長が出席するってわかると、娘を連れてくる家もあるくらいですから」


「それは俺のせいじゃないだろ」


「次期ヴァルデン侯爵ですからね。それだけでも十分なのに、第一部隊の隊長で、本人もこれですし」


「これって何?」


「顔ですよ」


「そこはちゃんと言ってくれるんだ」


「そういえば、前に王都へ戻ったときなんて、隊長宛ての招待状が詰め所にまで来てませんでした?」


「あったね」


「何通くらいでしたっけ」


「覚えてないな」


「俺たちが数えたでしょう。十通を超えたところまでは覚えてますよ」


「暇だったんだね、君たち」


「……そんなに?」


 思わず聞き返すと、レオンハルトが肩をすくめた。


「社交辞令も入ってるよ」


「隊長、それで誤魔化すのは無理がありますって」


「そう?」


「結婚してないのが不思議なくらいなんだから」


「俺にも都合があるんだよ」


 人気があること自体は否定しなかった。


 侯爵家の嫡男で、いずれは侯爵となる。

 第一部隊を率いるほど強く、戦場では部下から絶大な信頼を寄せられている。

 容姿にも恵まれ、女性をエスコートすることにも慣れていた。


 今日一日で、それ以外のこともわかった。

 話していて気まずくならない。

 周囲をよく見ていて、自分でも気づかなかった変化に気づいてくれる。

 装具の件では少し強引だったが、贈り物として受け取れないと言えば、無理に押しつけることはしなかった。


 結婚相手として考えるなら、本当に何が悪いのだろう。

 そこまで考えて、アンナは心の中で首を振った。

 悪いところがないことと、自分が結婚したいことは別の話だ。


「どう?」


「何がですか?」


「俺の評価、上がった?」


「自分で聞きます?」


「せっかく部下がこれだけ宣伝してくれたからね」


「宣伝したつもりはありませんよ」


 隊員からすぐに否定され、アンナは思わず笑った。

 夕食を終えて廊下を歩きながら、アンナは隣のレオンハルトを見上げる。


「隊長」


「何?」


「これ、いつまで続けるんですか?」


「これって?」


「婚約者候補です」


「ああ」


 レオンハルトは少し考えるような顔をした。


「叔父上が納得するまでかな」


「それだけですか?」


「さあね」


「またそれですか」


 本気なのか、コンラートを止めるためだけなのか。

 結局、今日一日付き合ってもわからなかった。


「言っておきますけど、私は隊長と結婚するつもりはありませんからね」


「うん」


「……それだけですか?」


「嫌だって言ってる相手に無理強いしても仕方ないでしょう」


 その言葉に、アンナは足を止めた。


「どうしたの?」


「……似てますね」


「何が?」


「エルネストとです」


「俺とあいつが?」


「はい。最初は全然似てないと思ってましたけど」


 エルネストも、自分の考えははっきり口にする。

 アンナが前線へ行くと決めたときには、行ってほしくないとも言われた。

 それでも最後には、アンナ自身の選択を尊重してくれたのだ。


「自分の意見は言うけど、最後は私に決めさせてくれるところ。そういうところは同じです」


「……そう?」


「はい。やっぱり兄弟なんですね」


 レオンハルトはしばらく黙っていたが、やがて苦笑した。


「今日一日、婚約者候補として頑張った結果が、弟と似てる、か」


「駄目なんですか?」


「いや」


 レオンハルトが再び歩き出す。


「思ったより手強いなと思って」


「何がですか?」


「こっちの話」


 尋ねても、それ以上は教えてくれなかった。


 昨日まで、レオンハルトとエルネストは顔こそ似ていても、まったく違う兄弟だと思っていたのに。

 けれど、どうやらそうでもないらしい。

 少なくとも今日、アンナは二人が確かに兄弟なのだと思えるところを、一つ見つけていた。

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