16.元恋人の兄が、今度は婚約者候補らしく振る舞うと言い出しました
「アンナの婚約者に、俺も立候補するよ」
「駄目だ」
間を置かずに答えたのはコンラートだった。
アンナはまだレオンハルトの言葉を飲み込めず、二人のやり取りを聞いているしかない。
「ずいぶん早いですね、叔父上」
「当然だ。お前はヴァルデン侯爵家の嫡男だぞ」
「それが何か?」
「何か、ではない。いずれ侯爵位を継ぐ身だろう。お前と結婚すれば、この娘がヴァルデン侯爵夫人になるのだぞ」
先ほどコンラートが勧めていたフェリクスは、伯爵家の三男だ。家督を継ぐ必要がなく、同じ戦闘魔術師としてアンナの仕事にも理解があるだろう。
一方、レオンハルトは次期侯爵。妻となれば、侯爵夫人としての役割も求められる。
「アンナに戦闘魔術師として優れた才能があることは認める。しかし、それと侯爵夫人が務まるかどうかは別の話だ」
「俺はまだ侯爵じゃありませんよ」
「いずれなるだろう」
「まあ、それはそうですね」
レオンハルトはあっさり認めた。
「お前は侯爵家の嫡男で、魔術軍第一部隊の隊長だ。王国の戦闘魔術師の中でも最強と言われている。軍人としての実績も申し分ない。侯爵夫人にふさわしい教育を受けた令嬢との縁談だって、望めばいくらでもあるだろう」
「叔父上は俺の結婚相手まで探してくれるんですか?」
「そういう話をしているのではない」
「そうですか。聞いていると、俺もなかなか条件がいいみたいですけど」
「自分で言いますか?」
思わずアンナが口を挟むと、レオンハルトは楽しそうに笑った。
「叔父上がこれだけ褒めてくれることも珍しいからね」
「褒めているわけではない」
「でも、間違ったことは言ってないですよね?」
コンラートは返事に詰まり、隣にいたフェリクスが苦笑する。
「隊長。それでは、レオンハルト隊長がどれだけ結婚相手として条件がいいか説明しているだけでは?」
「だから、そういう話ではない」
「俺もそう聞こえましたけど」
「レオンハルトまで話をややこしくするな」
コンラートの眉間に皺が寄った。
「とにかく、お前は駄目だ」
「それを決めるのは叔父上じゃないでしょう」
レオンハルトの口調は相変わらず軽い。
だが、コンラートはすぐには言い返せなかった。
「冗談で言っているのなら、やめろ」
「冗談だとは言ってませんよ」
「では、本気なのか?」
「さあね」
どちらとも取れる返事だった。
いつもと変わらないレオンハルトの表情からは、本気なのか、コンラートをからかっているだけなのか、まるで読み取れない。
ただ、そもそも二人とも肝心なことを忘れていないだろうか。
「あの」
ようやく口を挟むと、話が途切れた。
「さっきから私の結婚の話ですよね?」
「そうだな」
「私は誰とも結婚するって言ってません」
「ごもっともです」
真っ先に頷いたのはフェリクスだった。
「隊長、今度こそ終わりにしましょう。アンナさん本人がこれだけはっきり断っているんですから」
「……わかった」
不満は残っているようだが、コンラートも本人の意思を無視してまでフェリクスとの話を進めるつもりはないらしい。
「フェリクスとの話は、これで終わりにする」
「お願いします」
「ただし、エルネストとのことまで認めたわけではない」
アンナは一瞬返事に迷った。
「……私たちは今、付き合っていません」
「なら問題ないだろう」
「そういう話でもないと思うんですけど……」
どうにも話が噛み合わない。
コンラートはそれ以上アンナに答えず、レオンハルトへ向き直った。
「それに、レオンハルトも本気で言っているわけではないのだろう」
「どうしてそう思うんです?」
「私が勝手に話を進めたから、止めようとしただけに決まっている」
言われてみれば、それなら納得できる。
フェリクスを断れば次の相手を探すと言い出したコンラートを止めるために、自分が候補だと名乗っただけなのかもしれない。
「さあ、どうでしょうね」
けれど、レオンハルトは肯定しなかった。
「否定しないのか?」
「叔父上がそう思うなら、それでも構いませんよ」
コンラートは眉を寄せた。
「本気だというなら、口先だけでなく態度で示してもらいたいものだ」
「隊長!」
フェリクスが制止するより早く、レオンハルトの顔に面白そうな笑みが浮かんだ。
「なるほど。婚約者候補らしくすればいいんですね」
「私はそういう意味で言ったのではない」
「でも、態度で示せと言ったのは叔父上でしょう?」
「……好きにしろ」
コンラートはそれ以上取り合わず、フェリクスへ向き直る。
「私は司令部へ行く。フェリクス、行くぞ」
「はい」
返事をしたフェリクスが、アンナへ申し訳なさそうに頭を下げる。
「アンナさん、騒がせてすみませんでした」
「いえ。フェリクスさんのせいではありませんから」
二人が詰め所を出ていくのを待っていたかのように、ディートリヒが口を開いた。
「しかし隊長、婚約者候補ですか」
「何?」
「いや、ずいぶん思い切ったことを言うなと思って」
「そうかな」
「そうでしょう。隊長と結婚したい令嬢なんて、王都にいくらでもいるでしょうに」
「そんなにですか?」
思わず尋ねてしまう。
レオンハルトの身分や地位は知っていても、結婚相手としてどれほど人気があるのかまでは考えたことがない。
「そりゃそうだろ。侯爵家の嫡男で、第一部隊の隊長だぞ」
「次期侯爵ってだけでも縁談には困らないのに、本人が戦闘魔術師としてこれだけ強いからね」
リゼットも当然とばかりに頷く。
「軍人としての実績も十分。容姿も申し分ありません」
「おや、珍しく褒めてくれるね」
当のレオンハルトは、すっかり楽しんでいる様子だった。
「珍しくも何も、王都でも指折りの美男子でしょう」
「そこまで言われると、照れるなあ」
「性格も、まあ……」
「そこで止まるの?」
「戦場では頼りになります」
「結婚相手の話をしてるんだけど」
「普段も悪い人じゃないですよ。報告書を溜めるくらいで」
「まだそれ言う?」
隊員たちの間に笑いが広がった。
昨日も似たようなやり取りを見たばかりだが、こうして遠慮なく冗談を言い合えるのも、レオンハルトが慕われているからなのだろう。
「でも、本当に人気ありますよ。隊長本人がその気になれば、相手に困ることはまずないでしょうね」
マルティナまでそう言うのだから、よほどなのだろう。
「そんなにですか……」
コンラートから聞かされたときよりも、毎日レオンハルトと一緒にいる隊員たちから言われた方が、妙に実感があった。
エルネストの兄で、ヴァルデン侯爵家の嫡男。
いずれ侯爵となる人であり、魔術軍第一部隊の隊長でもある。王国最強の戦闘魔術師とまで呼ばれるほどの実力も備えていた。
どれも知っていたはずなのに、「結婚相手」という意味で考えたことなどなかった。
こうして並べてみれば、コンラートが「相手はいくらでも選べる」と言ったのもわかる気がする。
そんな人が、どうして自分の婚約者候補に名乗り出るのだろう。
「隊長」
「何?」
「さっきの、本気だったんですか?」
「さあね」
「さあねって……」
「叔父上は、俺が本気じゃないと思ってるみたいだけどね」
「じゃあ、本気なんですか?」
「どうだろうね」
「またそれですか」
アンナが眉を寄せても、レオンハルトは笑うばかり。
「隊長、司令部から連絡です」
ちょうどそのとき、隊員の一人から声がかかった。
「今行く」
「あ、隊長」
「続きはまた今度ね」
ひらりと手を上げて去っていくレオンハルトを、アンナは呼び止められなかった。
結局、何一つ答えてもらえていない。
コンラートを止めるためだったようにも思える。
けれど、それだけなら、あとからそうだと言えば済む話だ。
それどころか、コンラートに「態度で示せ」と言われて、レオンハルトは婚約者候補らしくするとまで言っていた。
遠ざかっていく背中を見送りながら、アンナは途方に暮れる。
レオンハルトが結婚相手として申し分のない人だということは、嫌というほどわかった。
けれど、問題はそこではない。
本気なのか、そうではないのか。
それすらわからない相手に、これから「婚約者候補らしく」振る舞われるらしい。
「……どうしよう」
思わず漏れた声に、近くにいた隊員たちが笑った。




