15.元恋人の兄が、突然私の婚約者に立候補してきました
翌朝、アンナが第一部隊の詰め所へ顔を出すと、すでに何人かの隊員が集まっていた。
「あ、来たわね。身体は大丈夫?」
声をかけてきたのは、リゼットだった。
「はい。少し疲れは残っていますけど、魔力もだいぶ戻りました」
昨日の戦闘を終えたあと、軍医から今日は無理をしないようにと言われている。
あれほど一度に魔力を使ったのは初めてだったが、一晩眠ったことで身体の重さもかなり抜けていた。
「ならよかった。それで、昨日みたいなのは今日も撃てそう?」
「一発なら……たぶん。でも、撃ったあとはまたしばらく動けなくなると思います」
「なら、使いどころは隊長に任せておけばいいわ。あの人、その辺の判断はまず間違えないから」
「戦場じゃ頼りになるんだけどな」
近くにいたディートリヒが付け加えると、背後から声がした。
「戦場じゃ、は余計じゃない?」
二人が揃って振り返る。
「隊長、おはようございます」
「おはよう。俺がいないところで何の話?」
「隊長は戦場では頼りになるという話です」
「褒めてるようではあるけど引っかかるな」
納得のいかない様子のレオンハルトに、ディートリヒは机の端に積まれた書類を指し示した。
「昨日の報告書、終わったんですか?」
「……これからやるよ」
「やっぱり」
「昨日は戦闘があったんだから仕方ないだろう?」
「俺たちも出てましたよ」
「君たちと違って、俺は隊長だからね。忙しいんだよ」
「だったら、なおさら早く書いてください」
容赦のない返答に、レオンハルトは肩をすくめるばかり。
そんなやり取りがおかしくて、アンナもつい笑ってしまった。
昨日、ここへ来たばかりの頃は、第一部隊というだけで緊張していた。
王国でも指折りの戦闘魔術師ばかりが集まる精鋭部隊。その中に実戦経験すらない自分が混ざることが、ひどく場違いに思えていたのだ。
けれど、一緒に戦場へ出たことで、彼らに対する印象も少し変わった。
普段は隊長をからかい、言いたいことも遠慮なく口にする。それでも戦場に出れば、誰もレオンハルトの指示を疑わない。
昨日、アンナが大きな魔術を撃つと決まったときも、命令一つで動き、必要な場所を空け、敵の攻撃を防いでくれた。
あの人に任せておけばいい。
先ほどのリゼットの言葉も、軽い調子とは裏腹に、本気でそう信じているからこそ出たものなのだろう。
「隊長」
詰め所の入口から呼びかけられ、レオンハルトがそちらへ顔を向けた。
「第三部隊のコンラート隊長がお見えです」
「叔父上が?」
意外そうな声を上げるレオンハルトのそばで、マルティナも入口へ注意を向けている。
叔父上。
その呼び方を聞いた途端、アンナの胸がざわついた。
エルネストの叔父、コンラート・ヴァルデン。
アンナを王都から遠ざけるため、ならず者を使って襲わせた張本人だ。直接顔を合わせるのは、これが初めてとなる。
ほどなくして現れたのは、黒い髪に金色の瞳を持つ男性だった。
エルネストやレオンハルトと同じ、ヴァルデン家の色。こうして実際に目にすると、二人と血の繋がった叔父なのだとよくわかる。
その隣には、もう一人、軍服姿の男性が付き従っていた。
アンナは無意識に身体へ力を入れた。
「叔父上。どうしたんです?」
「こちらへ来る用があったのでな。ついでにアンナと話をしておこうと思った」
コンラートの視線が、アンナを捉える。
「君がアンナか」
「……はい」
初対面の挨拶を交わすような相手でもないのだろう。コンラートは名乗ることもなく、しばらくアンナを見てから口を開いた。
「先日の件については、悪かった」
予想していなかった言葉に、アンナは驚いた。
「君を王都から遠ざければ、エルネストも諦めると思っていた。だが、やり方を誤った。その結果、君を危険な目に遭わせたことについては私の責任だ」
どう答えるべきなのか、すぐには言葉が出てこなかった。
謝罪されることなど、考えてもいなかったのだ。
「……謝っていただいたからといって、なかったことにはできません」
「ああ。それを求めるつもりはない」
コンラートは言い訳をしなかった。
だからといって、すぐに許せるわけでもない。
あのとき感じた恐怖も、エルネストと引き離された悲しみも、謝罪一つで消えるものではなかった。
アンナはそれ以上何も言わず、小さく頭を下げるだけに留めた。
「それとは別に、昨日の戦闘について聞いた」
「もうご存じなんですか?」
「魔晶石を使った防御陣を、一撃で破壊したそうだな」
「第一部隊の皆さんに守っていただいたからです。私一人でできたことではありません」
「それでも、最後に破壊したのは君だろう」
昨日から何度か聞いた言葉だ。
「戦闘魔術師として相当な素質があることは間違いない。私も、君を見誤っていたらしい」
「……ありがとうございます」
自分を王都から追い出そうとした本人からそんなことを言われ、どう返せばいいのかわからない。
戸惑いながら礼を述べるアンナに、コンラートは一つ頷くと、隣に立っていた男性を示した。
「そこで、こいつを連れてきた」
「……はい?」
「フェリクス・クラウゼン。クラウゼン伯爵家の三男で、第三部隊の副隊長だ」
突然の紹介に戸惑いながらも、アンナは慌てて男性へ向き直った。
「初めまして。アンナです」
「フェリクス・クラウゼンです。よろしく」
フェリクスは人当たりのよい笑みを浮かべている。
何のために紹介されたのかわからないまま挨拶を終えると、コンラートが当然のように尋ねてきた。
「こいつならどうだ?」
「……何がでしょうか」
「結婚相手だ」
「はい?」
今度こそ、聞き間違えたのかと思った。
結婚相手とは、いったいどういうことなのだろう。話が突然すぎて、何を言われているのか理解が追いつかない。
隣では、フェリクスが額に手を当てていた。
「隊長。まさかとは思いますが、アンナさんには今初めて話したんですか?」
「そうだが?」
「やっぱり……」
「何か問題があるか?」
「俺には『会わせたい娘がいる』としか言いませんでしたよね」
「先にあれこれ説明する必要もないだろう。実際に会ってから考えればいい」
「そういうところなんですが……」
困ったようなフェリクスの笑みを見る限り、彼も事情を知らずに連れてこられたらしい。
「クラウゼン伯爵家の三男なら、家督を継ぐ必要もない。第三部隊の副隊長を任せているくらいだから、戦闘魔術師としても腕は立つ」
「隊長、本人を前にして品定めみたいに紹介するのはやめてもらえませんか」
「事実を言っているだけだ」
「そういう問題ではなくてですね」
フェリクスが何を言っても、コンラートは気にした様子もない。
そのままアンナへ向き直り、話を続ける。
「結婚相手としては悪くないだろう。君もこれだけの力があるなら、いずれ軍に入ることも考えるだろうし、同じ戦闘魔術師なら仕事への理解もある」
どうやら、本気で勧めているようだった。
「お断りします」
アンナが即座に答えると、コンラートは不思議そうな顔をした。
「何が不満なんだ?」
「フェリクスさまに不満があるわけではありません」
会ったばかりなのだから、不満も何もない。
「私は結婚相手を探していません。それに、誰と結婚するかは自分で決めたいです」
「だが、一度くらい話してみても──」
「隊長」
フェリクスが口を挟んだ。
「その辺にしておきましょう」
「お前はアンナが気に入らないのか?」
「俺の話ではありません。アンナさんが嫌だと言っているでしょう」
きっぱり言われ、さすがのコンラートも口を閉じた。
フェリクスはアンナに向き直り、申し訳なさそうに言う。
「すみません。隊長は昔から、これがいいと思うと先に話を進めるところがありまして」
「フェリクス」
「長く副隊長をやっていますから、今さら否定できませんよ」
コンラートは不満そうだったが、それ以上反論はしなかった。
どうやら、こうして先走る上官をフェリクスが止めるのは、初めてではないらしい。
「……わかった」
やがてコンラートがため息をついた。
ようやく諦めてくれたのだろうか。アンナがほっとしたのも束の間、続いた言葉に耳を疑うことになる。
「なら、もっと良い相手を探そう」
「そういう意味ではありません!」
思わず声を上げると、フェリクスも呆れた様子でコンラートに問いかけた。
「隊長、今の話を聞いてましたか?」
「聞いていた。フェリクスでは嫌なのだろう?」
「だから違います!」
「なら、何が問題なんだ」
「結婚相手を探していないと言ったじゃないですか!」
どう説明すれば伝わるのだろう。
結婚する相手を自分で決めたいと言っているのに、コンラートは候補を替えればいいと思っているらしい。
これ以上何を言えばいいのかわからず、アンナが頭を抱えたくなったところで、それまで黙って話を聞いていたレオンハルトが口を開いた。
「叔父上」
「なんだ?」
「もっと良い相手を探してるんですよね」
「そうだ」
コンラートは当然のように答えた。
その返事を聞いたレオンハルトが、今度はアンナへ向き直る。
「それなら、俺はどう?」
「……え?」
「アンナの婚約者に、俺も立候補するよ」




