12.戦場で出会った元恋人の兄は、王国最強の戦闘魔術師でした
出発の朝、アンナは荷物を抱えてミモザ雑貨店の前に立っていた。
「本当に忘れ物はない?」
「大丈夫。昨日、お母さんと一緒に三回も確認したでしょう?」
「そうだけど、もう一回くらい確認しても──」
「エレナ。そう言っていたら、いつまで経っても出発できないぞ」
父に止められ、母は心配そうな顔のまま口を閉じる。
アンナはそんな両親に笑いかけた。
「行ってきます」
「ああ。気をつけてな」
「無理だけはしないでね」
「うん。ちゃんと帰ってくるから」
店の扉を閉める。
物心ついた頃から何度となく出入りしてきたミモザ雑貨店。帰ってくれば、またいつものようにこの扉を開けられるはずだ。
アンナは荷物を持ち直し、王立学園へ向かった。
「第一部隊!?」
思いのほか大きな声を出され、アンナは驚いてシャロンを見た。
出発前に学園へ顔を出したところ、魔術科へ転科してから親しくなった彼女に呼び止められたのだ。
前線へ行くことになったと話し、どの部隊と行動するのかと聞かれたので答えただけなのだが、シャロンはひどく驚いている。
「うん。第一部隊の指揮下に入るって聞いてるけど」
「アンナ、第一部隊がどんなところか知ってる?」
「優秀な人が多い部隊……?」
「……本当に知らないの?」
信じられないというような顔をされ、アンナは戸惑った。
「魔術科で第一部隊を知らないのなんて、たぶんアンナくらいよ」
「そんなに有名なの?」
「有名なんてもんじゃないわよ。魔術軍の第一部隊よ? 戦闘魔術師の中でも特に強い人たちが集められる、花形中の花形じゃない」
「そんなに?」
「そんなに。戦闘魔術師を目指している人なら、第一部隊に入りたいって一度は思うんじゃないかしら。第一部隊に入ったなんて聞いたら、軍人の家なら家の誇りだって大騒ぎするくらいよ」
アンナは初めて聞く話に驚いた。
第一部隊の隊長がレオンハルトだとは聞いているし、エルネストの兄で、優秀な戦闘魔術師だということも知っている。
だが、そこまでの部隊を率いているとは思っていなかった。
「じゃあ、第一部隊の隊長って……」
「レオンハルト・ヴァルデンでしょう?」
「知ってるの?」
「だから、知らないのはアンナくらいだってば」
シャロンに呆れられ、アンナは返す言葉がない。
「王国最強の戦闘魔術師よ」
「……そんなにすごい人だったんだ」
「エルネスト先輩のお兄さんでしょう? 付き合ってたのに知らなかったの?」
「お兄さんが優秀な戦闘魔術師だとは聞いてたよ。でも、エルネストは家のことをあまり話したがらなかったから」
「ああ……」
シャロンはそれ以上、エルネストの家について聞いてこなかった。
「でも、第一部隊と一緒なら少し安心したわ」
「安心?」
「だって、初めての戦場で第一部隊と一緒に行動するんでしょう? これ以上頼りになる人たちもいないじゃない」
「……そう聞くと、ちょっと安心するかも」
「ちょっとじゃなくて、かなりよ。アンナはまだ実戦経験がないんだから、絶対に勝手なことしちゃ駄目だからね」
「しないよ」
「本当に?」
「ちゃんと隊長の指示に従います」
「ならよし」
シャロンは満足そうに頷いたものの、すぐに心配そうな表情になる。
「……ちゃんと帰ってきてね」
「うん」
「帰ってきたら、向こうの話を聞かせて」
「もちろん」
アンナが手を振ると、シャロンも手を振り返してくれた。
ヴァルガ要塞へ到着したアンナが最初に驚いたのは、人の多さだった。
城壁の内側を兵士たちが行き交い、荷車には食料や武器が積まれている。補修中の城壁では何人もの兵士が作業を続け、治療所へ運ばれていく負傷者の姿もあった。
王都でも戦争の話は毎日のように耳にしていたが、実際にその場所へ来ると、まるで違って見える。
ここでは、今も戦争が続いているのだ。
「アンナさん」
呼ばれて振り返ると、ガイゼルがこちらへ歩いてくるところだった。
「長旅で疲れているところ悪いが、まず今後の予定を説明しておこう。第一部隊は明朝、要塞の外へ出る予定だ。君にも同行してもらう」
「明日……」
「ああ。今日は要塞内を案内してもらって、第一部隊との顔合わせを済ませるといい。初めての実戦になるんだ。今夜はしっかり休んでおきなさい」
「はい」
明日が、自分の初めての実戦になる。
覚悟して来たはずなのに、具体的な日を告げられると胸の奥が落ち着かない。
「それから、第一部隊では隊長の指示に従うこと。彼が君の扱いについても一任されている」
「わかりました」
「噂をすれば来たようだね」
ガイゼルの視線を追って、アンナもそちらへ顔を向けた。
こちらへ歩いてくる男性を見た瞬間、すぐにヴァルデン家の人間だとわかる。
黒い髪に金色の瞳。顔立ちもエルネストと似ているが、受ける印象はずいぶん違った。
背が高く、軍服の上からでも鍛えられた体つきがわかる。
「君がアンナだね」
「はい」
「初めまして。レオンハルト・ヴァルデンだ」
「初めまして。アンナです」
「話は聞いてるよ。軍からも、弟からも」
「……エルネストから?」
「うん。ずいぶん前からね」
いったい何を聞いているのだろう。
気になったものの、レオンハルトはそれ以上説明せず、「こっちだよ」と歩き出した。
第一部隊の戦闘魔術師たちは、要塞の一角に集まっていた。
シャロンの話を聞いたあとでは、そこにいる全員が王国でも指折りの戦闘魔術師なのだと思うだけで緊張してしまう。
「ちょっといい?」
レオンハルトの声に、二十人ほどの男女が一斉にこちらを見た。
「今日からしばらく一緒に行動するアンナ。まだ学生で、実戦は明日が初めてだから、そのつもりで」
何人かがアンナへ軽く手を上げてくれる。
「それと、こっちが副隊長のマルティナ。俺が手を離せないときは、彼女の指示に従って」
紹介されたのは、一人の女性隊員だった。
「マルティナよ。よろしく」
「よろしくお願いします」
アンナが頭を下げると、マルティナも軽く頷いてくれた。
「それから、弟の恋人だから、変なことは考えないように」
「元、です……」
小さく訂正したアンナの隣で、男性隊員がレオンハルトに声をかける。
「隊長、それ言う必要ありました?」
「一応ね」
「ないと思いますけど」
「先に言っておいた方が面倒がないだろ?」
「ディートリヒの言うとおりですよ。いらないでしょう、それ」
マルティナにまで言われ、レオンハルトは肩をすくめるばかり。
アンナは少し拍子抜けしてしまった。
もっと張りつめた雰囲気の人たちを想像していたのに、思いのほか気さくな人たちらしい。
「君が例の学生か」
今度は別の隊員が話しかけてきた。
「軍の試験で、標的を吹き飛ばしたって聞いたけど」
「壊すつもりはなかったんです」
「防御結界まで破壊したんだろ? あれは軍の訓練用だぞ」
「……はい」
「その前にも標的を壊してるって?」
「授業で、隣の標的も一緒に倒してしまって……」
何人かが笑い声を上げる。
「そりゃ大したもんだ。ガイゼル教官が驚いたっていうのも納得だな」
「でも、まだ訓練を始めたばかりなんです」
「だからすごいんだよ。あれだけの威力は、訓練したからって誰にでも出せるものじゃない」
アンナは照れくさくなって、少し俯いた。
自分の魔術を、こんなふうに褒めてもらえるとは思っていなかったのだ。
「第一部隊って、もっと怖い人たちなのかと思ってました」
つい本音を漏らすと、今度は別の隊員が笑った。
「誰から聞いたんだ?」
「友達です。戦闘魔術師の中でも、特に強い人が集まる部隊だって」
「間違ってはいないな」
「ここに入ったら、家の誇りだって言われるくらいだとも聞きました」
「それもまあ、家によっては言われる」
否定しないところを見ると、シャロンの話は大げさではなかったらしい。
アンナはレオンハルトに尋ねてみた。
「じゃあ、その第一部隊の隊長って、やっぱりすごいんですか?」
「戦場ではな」
即座に答えたのは、レオンハルト本人ではなかった。
「そこは文句ない。隊長が前にいるなら、俺たちは自分の仕事に集中できる」
「敵の動きも味方の位置もよく見てるしな」
「無茶な命令もしない。引くときはちゃんと引かせる」
口々に出てくる言葉に、アンナは驚いた。
からかうような調子ではない。誰もが当然のこととして話しており、レオンハルトへの信頼が伝わってくる。
「みんな、よくわかってるじゃないか」
満足そうなレオンハルトに、一人が付け加えた。
「戦場では、ですけどね」
「そこ強調する?」
「報告書、また溜めてるでしょう」
「戻ったらやるよ」
「昨日もそう言ってましたよ」
「やればできるのに、どうして毎回ぎりぎりまでやらないんですか」
「できるからかな」
「そういうところですよ」
アンナは思わず笑ってしまった。
シャロンから聞いた「魔術軍の第一部隊」という言葉からは、もっと厳格で近寄りがたい人たちを想像していたのに。
それでも、隊員たちがレオンハルトに寄せる信頼は本物だと感じられた。
「さて」
レオンハルトがアンナへ向き直った。
「明日のことだけど、君は基本的に俺の近くで動いてもらう」
「はい」
「自分の判断で前に出ない。魔力が減ったらすぐに言う。まだ撃てると思っても、俺が止めたら止めること」
先ほどまでの気さくな口調とは違い、今は隊長として指示を出しているのがわかる。
「それから、ここにいる連中と同じように動こうとしないこと。君は明日が初陣なんだから、できなくて当然だよ」
「……はい」
「君に期待していないという意味じゃない。できることを確実にやってくれれば、それでいい」
アンナは真剣に頷いた。
明日は、この人たちと戦場へ出る。
自分がどこまでできるのかはわからない。それでも、言われたことを一つずつ守るしかないだろう。
そのときだった。
要塞内に鋭い鐘の音が響き渡る。
それまで笑っていた隊員たちの表情が、一瞬で変わった。
「敵襲!」
城壁の方から声が飛ぶ。
「北東にグランベル軍! 前衛部隊が接近中!」
第一部隊の面々が、すぐさま出撃に備えて動き始める。
先ほどまでレオンハルトの報告書について笑っていた人たちとは思えないほど、迷いのない動きだった。
「第一部隊、出撃準備!」
レオンハルトの声が響く。
アンナは思わず息を呑んだ。
「アンナ」
「はい!」
「君も準備して」
「私も、ですか?」
「ああ」
「でも、私は明日からって……」
「予定が変わった」
レオンハルトの顔からは、先ほどまでの気さくな笑みが消えている。
「君の初陣は、今日だ」




