緑の産声、あるいは前夜の静寂(しじま)
九月の終わり、西新の夜気には確かな冷たさが混じり始めていた。
リビングのテーブルには、明日から天神の洋館で展示される愛の作品群が、出番を待つ役者のように静かに並んでいる。中心に据えられたのは、あの深い緑色のブローチだった。
「……一番目立つ場所に、これを置くの?」
愛が、少し不安そうに尋ねる。
「ええ。これは、私たちの『根っこ』の色だもの。重雄さんの昆布、筑後の土、そしてこの部屋で私たちが引き続けてきた出汁の色。……この深い緑から、あなたの物語が始まったことを、一番最初に知ってもらいましょう」
律子の言葉には、法廷で弁論を述べる時のような迷いのない強さがあった。愛は、その緑色の小さな塊を愛おしそうになぞり、ゆっくりと頷いた。
「わかった。……私、この色と一緒に、明日から戦ってくるね」
今夜、キッチンに立っているのは律子だった。針を置き、燃え尽きたようにソファに座る愛のために、律子は一言も言わずにエプロンを締めた。
筑後のぬか床から丁寧に取り出した、色鮮やかな茄子。愛が佐野から教わった甘めの味付けを施した、牛肉と牛蒡のしぐれ煮。
「……お待たせ。大したものは作れなかったけれど」
食卓に並んだのは、派手さはないが、一品一品に重心の据わった料理たちだった。
愛が、一口、しぐれ煮を運ぶ。
「……あ、美味しい。……りっちゃん、これ、すごく優しい味がする」
「そう? レシピ通りに作っただけよ」
「ううん、違うよ。……りっちゃんが作ってくれる日は、なんだか特別な味がする。……守られてるっていうか、このままでいいんだよって、お腹の中から言われてるみたい」
律子は、少し照れくさそうに視線を外した。
「明日、私も会場へ行くわ。……仕事の合間に、一番乗りでね」
「ふふ、一番乗りは困るよ。……でも、待ってる。りっちゃんがいてくれたら、私の緑色は、もっと強く光る気がするから」
西新の夜は、どこまでも深く、静かだった。




