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12 幸せの影

「――迎えに来たぞ」

「蛍都……なんでここが?いつもの縄張りから外れてるよ?」

 街灯の下に立つ、白い着物の美しい男。その姿は完全に幽霊さながらなのだが、千夏にとってはよく知った姿なので恐怖はない。

 だが、そこはいつも蛍都が移動する行動範囲からは大きく外れた場所だった。縄張りがどうとか言って、体で移動するには行動制限があるはずなのだ。それなのに蛍都は今ここにいる。

「千夏と契約しただろう?おかげで千夏のいる場所であればどこでも動けるようになった」

 蛍都はにやりと笑って、千夏の横に立った。

「け、契約ってそういうこともあるの?」

 蛍都に促されるまま、千夏は蛍都の横を歩く。契約と言う言葉と一緒に先日のキスを思い浮かべてしまい、うっかり顔を赤く染めてしまった。

 あんな色気のかけらもないキス。

 それなのに、千夏の心を動揺させるには十分だった。千夏はそれを思考から追い出すように、頭を降ってから早足で歩く。

「くっくっ……!まぁな、千夏と『契約』したおかげで前よりも力がついた」

「……蛍都、何か一言でも話したら殴るからね」

「俺の契約者は恐い女だな」

 蛍都はそう言って、くつくつと笑みをこぼして後ろを着いてきた。

「何よ、こんなか弱い女子に恐いだなんて」

「ほう。『女子』とな」

「けーいーとー!」

 楽しげに笑う蛍都をキッと睨むと、蛍都は千夏の右手を自身の左手で包むと皺の寄っていた千夏の眉間に唇を落とす。

「――本当に千夏は可愛い女だ」

「……!」

 蛍都の瞳は溶けそうなほどに甘い。千夏はその視線に囚われて、視線を外すことができなかった。憎まれ口を叩かれるのはよくあることだったのに、こんなに甘い顔をする蛍都を見たことがなかったのだ。

「何、阿呆みたいにぼけっとした顔をしている。さっさと帰るぞ」

 蛍都はそう言うと、繋いだままだった千夏の手をぐいっと引っ張って歩き始めた。

「わ、ちょっと」

「千夏を待っていると夜が明ける。遅い時間に夕餉を食べると肉が付くぞ」

「……そういうことばっかり覚えるんだから!」

 いつも通り、そんな軽口を叩きながら歩く。先ほどの甘い空気を纏った蛍都を見ると、どうしても千夏は動揺してしまう。蛍都に聞こえてしまいそうなほど心臓を五月蝿く高鳴らせて、どこを見ていいのか分からなくなるのだ。蛍都はそんな千夏をもお見通しのような顔で余裕そうだ。それが恥ずかしいのと同時に、もっと甘い顔をしてほしいし見てみたいとも思う。

 蛍都と一緒であれば、いつもは少し遠く感じる帰り道もあっと言う間だった。


 そして次の週明け、気まずさを隠せずに憂鬱な気分で会社に出勤した千夏に待っていたのは予想外の言葉だった。

 佐山がいつまで経っても出勤して来ない上に、入ってすぐの壁に掛かっているホワイトボードの出張者の欄にも名前が無い。病欠の欄にもないので、無断欠勤だろうか心配していた。真面目で誠実な佐山は千夏が知る限り、今まで無断欠勤をしたことは無かった。もしかして、平気なそうな顔をしていても千夏が振ったことで実は傷付いていたのだろうかと急に不安になったのだ。


 10時の休憩の前、部署の人数分のコーヒーを準備する当番がある。各々に配ることはしなくても良いのだが、人数分のコーヒーをコーヒーメーカーに準備するのだ。

 そのコーヒーメーカー準備当番が今日は千夏と橘だった。ちょっとした雑用をこなしながら、何気無い調子で橘に尋ねたのだ。

『今日、佐山さんどうしたんだろうねー?』と。

 すると、橘はきょとんとした顔で千夏を見た。そしてこの言葉に繋がるのであった。

「――さやま?そんな人いたっけ?」

「え?佐山さんだよ?橘ちゃんも仲良かったよね?」

 橘の顔は冗談を言っているようでも、嘘を吐いているような顔でもない。当たり前の事を当たり前のように話しているのだ。

「誰かの旧姓とか?」

「え、あ、そうかもしれない……」

「香山ちゃん?顔色悪いよ?大丈夫?」

 自分の知っている人が姿形だけでなく、その存在までもが消えてなくなったのだ。身近なところに神様がいることもあって、変わった出来事には慣れているつもりだった。だが、それは『人間』が巻き込まれたことではなかった。千夏の顔はどんどん血の気が失せて青ざめていた。

「……うん、大丈夫。ちょっと貧血なのかも」

「貧血?大丈夫?医務室行く?」

「ううん。毎月のアレのせいだろうから」

 顔が白くなっているであろうそれを、生理のせいにして誤魔化すように笑う。

「そっかー。じゃあ、あたしここやっとくから戻っていいよ?立ってるの辛いでしょ」

「ありがとう。悪いんだけど、お言葉に甘えさせてもらうね。あとお願い」

 千夏は橘の言葉に甘えてそう頼むと、ひらひらと手を振る橘にお礼を言ってオフィスのデスクへと戻った。デスクに戻ると、佐山が座っていた席を見る。元々デスクの上が綺麗な人だったから、たまたま片付けているだけかと思った。だが、よく見てみると誰かが使っているとは思えないほどに綺麗だ。ノートパソコンが閉じられた状態で置かれているだけで、何一つ物が置かれていない。よく見れば見るほど不自然なのだ。


『――それじゃあ、ばいばい。香山さん』


 昨日、そう言って別れた佐山の顔が瞼を裏にチラつく。

「……そういえば」

 千夏は独り言を漏らしながら、昨日佐山に渡された書類ファイルを思い出して机の中から取り出す。出てきたファイルには書類と一緒に貼られた付箋が一枚。

『追加で申し訳ないけどお願いします。それと、今日仕事終わったら8時にLUCIRで待ってる』

 そう書かれたメモは消えていなかった。少しだけ右上がりのきれいな字は、入社当初から長い間見ていたまさしく佐山の字だ。間違いなく、彼は今までここに居たのだろう。


 そして、そこまで考えてある考えがぼんやりと脳裏に浮かぶ。出来ればそうであってほしくないし、千夏の考えすぎであれば良いと思う。

 だが、それと同時に蛍都が『力がついた』と言っていたことを思い出す。前から千夏の周りの男という男を嫌がらせで遠ざけてきた蛍都だ。それが佐山に及ばないとどうして言えるだろうか。今までは夢に出るくらいなもので、性質が悪くとも命にかかわるというほどのことでもなかった。しかし、力をつけた蛍都であったならば今まで以上のことができてもおかしくない。

 千夏の背筋がひやりと冷えた。

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