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第8話 その程度の理由

 次の打ち合わせ当日。


「では、行きましょう」


 午後一時。


 澪が鞄を持って立ち上がった。


「うん」


 優真も立ち上がる。


「必要な資料は?」


「準備済みです」


「契約関係は?」


「確認済みです」


「先方から来てた追加資料は?」


「昨夜確認しました」


「さすが」


「当然です」


 澪が答える。


「では」


「うん」


「行きます」


「……」


 優真が。


 少しだけ笑う。


「何でしょうか」


「いや」


「?」


「本当に来るんだなと思って」


「昨日申し上げました」


「そうだけど」


「何か問題がありますか?」


「ないよ」


 優真が。


 自分の鞄を持つ。


「一緒に行こう」


「はい」


 その言葉に。


 澪が。


 ほんの少しだけ。


 口元を緩めた。


「いってらっしゃいませ!」


 由奈が。


 妙に元気な声を出す。


「佐倉さん」


「はい!」


「なぜ、そのような顔をしているのでしょうか」


「どのような顔でしょうか!」


「非常に楽しそうです」


「気のせいです!」


「……」


「いってらっしゃいませ!」


「……行ってきます」


「行ってきます」


 二人で。


 オフィスを出た。


 ◇


 打ち合わせ場所へ着くと。


 すでに。


 柚月が待っていた。


「こんにちは」


「こんにちは」


「本日はよろしくお願いします」


「こちらこそ」


 柚月が。


 優真を見る。


 そして。


 澪を見る。


「……」


「?」


「神谷さん」


「はい」


「今日は参加されるんですね」


「はい」


 澪が答える。


「前回は神谷社長と私の二名でしたので」


「そうですね」


「何か確認事項が増えましたか?」


「いいえ」


「契約関係で?」


「それもありません」


「では」


 柚月が。


 わずかに首を傾ける。


「なぜ?」


「参加したかったからです」


「……」


「……」


 柚月が。


 澪を見る。


「参加したかった」


「はい」


「それだけですか?」


「はい」


「……」


 数秒。


 柚月は。


 何かを考えるように。


 澪を見ていた。


「その程度の理由で?」


「はい」


 澪は。


 迷わなかった。


「その程度の理由です」


「……」


「業務上、私が参加する必要性が低いことは理解しています」


「はい」


「前回の打ち合わせ内容も、一条さんの資料で十分に把握できました」


「では、なおさら」


「はい」


「今日、神谷さんが参加することで、御社側の人員が一人増えています」


「そうですね」


「移動時間も必要です」


「はい」


「その間、社内で行える業務も止まります」


「その通りです」


「……」


 柚月が。


 もう一度。


 澪を見る。


「非効率では?」


「非効率です」


「……」


「承知しています」


「それでも?」


「はい」


 澪が。


 静かに答える。


「参加したかったので」


「……」


 柚月が。


 黙った。


 優真も。


 隣で黙っている。


「神谷さん」


「はい」


「以前の話を覚えていますか?」


「雑談についてでしょうか」


「はい」


「覚えています」


「必要性のない会話でも、楽しいなら悪くない」


「はい」


「今回も同じですか?」


「……」


 澪が。


 少し考える。


「近いと思います」


「……そうですか」


 柚月が。


 小さく息を吐く。


「やはり」


「?」


「私と神谷さんは、似ているようで違いますね」


「そうでしょうか」


「はい」


 柚月が。


 自分の資料を机へ置く。


「私なら来ません」


「そうですか」


「必要がありませんから」


「合理的だと思います」


「神谷さんも、以前ならそう判断したのでは?」


「……」


 澪が止まる。


「おそらく」


 少し考えてから。


 答えた。


「そうだと思います」


「では」


「はい」


「何が変わったのでしょうか」


「……」


 澪は。


 すぐには答えなかった。


 何が。


 変わったのか。


 自分でも。


 明確には分からない。


 ただ。


 以前より。


 自分がしたいことを。


 そのまま選ぶことが。


 増えた。


「分かりません」


「分からない?」


「はい」


「意外ですね」


「何がでしょうか」


「神谷さんなら、理由を分析していると思いました」


「……」


「違いますか?」


「以前なら」


 澪が答える。


「そうしていたと思います」


「今は?」


「……」


 少しだけ。


 考える。


「必ずしも」


 澪が。


 優真をちらりと見る。


「理由が必要とは思わなくなりました」


「……」


 優真が。


 目を瞬く。


 柚月も。


 黙って澪を見ていた。


「そうですか」


「はい」


「興味深いですね」


「私がでしょうか」


「はい」


「……そうですか」


「褒めています」


「ありがとうございます」


「……」


 柚月が。


 わずかに笑った。


「そこは素直に受け取るんですね」


「最近は」


「なるほど」


 そこへ。


 先方の担当者が入ってきた。


「お待たせしました」


「いえ」


 柚月が。


 すぐに仕事の顔へ戻る。


「では、始めましょう」


 ◇


 打ち合わせが始まった。


「こちらですが」


 先方の担当者が。


 資料を指す。


「実際の運用を考えると、もう一段階確認を入れた方が安全でしょうか」


「……」


 柚月が資料を見る。


 優真も。


 考える。


 その横で。


 澪が口を開いた。


「確認ですが」


「はい」


「現在、この作業を行う方と、最終確認を行う方は別でしょうか」


「いえ、同じ担当者です」


「でしたら」


 澪が。


 資料を指す。


「確認工程を増やしても、同じ方が二度確認するだけになります」


「ああ……」


「安全性を高めるのであれば、工程を増やすより、入力時点で誤りを検知できる形にした方がよいと思います」


「なるほど」


「一条さん」


「はい」


「どうでしょうか」


「同意します」


 柚月が即答する。


「私も同じことを考えていました」


「では、その方向で」


「はい」


 話が進む。


 さらに。


 別の項目。


「ここは」


 柚月が口を開く。


「運用開始後の変更が発生する可能性があります」


「そうですね」


 澪が続ける。


「最初から固定するより、後から変更できる形にしておく方が安全です」


「私もそう思います」


「では――」


「……」


 優真が。


 二人を見る。


 前回までと。


 同じだった。


 判断が早い。


 話が早い。


 余計な説明がいらない。


 柚月と澪。


 二人が揃うと。


 さらに。


 打ち合わせが速くなる。


「……」


「神谷社長?」


「はい?」


 柚月が。


 優真を見ていた。


「何かありますか?」


「いや」


 優真が笑う。


「やっぱり澪が来て正解だったなと思って」


「……」


 澪が。


 優真を見る。


「そうでしょうか」


「うん」


「ですが、私がいなくても結論は同じだったと思います」


「そうかもしれないけど」


「はい」


「俺は助かったよ」


「……」


「説明も分かりやすかったし」


「……そうですか」


「うん」


「……」


 澪の耳が。


 少し赤くなる。


 その様子を。


 柚月が見ていた。


「……」


「一条さん?」


「いえ」


「?」


「なるほど」


「何がでしょうか」


「先ほどの話です」


「先ほど?」


「神谷さんが参加した理由」


「……」


 澪が。


 少し止まる。


「何か分かったのでしょうか」


「いいえ」


「では?」


「分かる必要もないのでしょう?」


「……」


 澪が。


 柚月を見る。


「理由がなくても」


 柚月が言う。


「参加したかった」


「……」


「それで十分だと、神谷さん自身が言ったようなものですから」


「……そうですね」


「私には、まだよく分かりませんが」


「はい」


「ただ」


 柚月が。


 ほんの少し笑う。


「悪くはなさそうです」


「……」


 澪が。


 目を瞬く。


「非効率が、ですか?」


「いいえ」


「?」


「神谷さんが楽しそうなので」


「……」


「以前より」


「……そうでしょうか」


「はい」


 柚月が。


 優真を見る。


「神谷社長も、そう思いませんか?」


「思います」


 即答だった。


「優真さん」


「だって本当だから」


「……」


「最近の澪、前より楽しそうだよ」


「……」


 澪は。


 何も言わなかった。


 ただ。


 耳だけが。


 また少し。


 赤くなった。


 ◇


 打ち合わせ終了後。


「お疲れ様でした」


「お疲れ様でした」


 建物を出る。


 柚月とは。


 入口で別れた。


「では、次回もよろしくお願いします」


「はい」


 澪が答える。


「次回も参加されますか?」


「……」


 柚月が。


 澪を見る。


「必要性は低いと思いますが」


「一条さん」


「はい」


「それは」


 澪が。


 少しだけ笑う。


「その時に決めます」


「合理的に?」


「いいえ」


「……」


「私が参加したいかどうかで」


「……そうですか」


「はい」


「分かりました」


 柚月が。


 わずかに笑う。


「では、また」


「はい」


 柚月が去っていく。


 優真と澪は。


 駅へ向かって歩き始めた。


「澪」


「はい」


「来てよかった?」


「……」


 澪が。


 少し考える。


「はい」


「そっか」


「優真さんは?」


「俺?」


「はい」


「澪が来てよかった?」


「うん」


 また。


 即答。


「嬉しかったよ」


「……」


「どうしたの?」


「いえ」


 澪が。


 前を向く。


「では」


「うん」


「次回も参加する可能性は高いです」


「はは」


「何ですか?」


「いや」


 優真が笑う。


「それなら、最初から参加するって言えばいいのに」


「まだ決めていません」


「可能性は高いんでしょ?」


「高いだけです」


「分かった」


「……」


 二人で。


 駅へ向かう。


 今日。


 澪が参加したことで。


 何かが大きく変わったわけではない。


 自分がいなくても。


 仕事は進んだだろう。


 柚月の言う通り。


 その程度の理由だった。


 ただ。


 参加したかった。


 優真と。


 一緒に行きたかった。


 そして。


 来てよかったと思った。


 それなら。


 今は。


 それで十分だった。

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