第3話 少し大きな仕事
「では、始めましょう」
午後三時半。
澪の声とともに。
会議が始まった。
テーブルの上には。
昼休みに直人から見せられた資料。
これまでより。
一段規模の大きな案件だった。
「まず、先方から提示されている条件を確認します」
澪がモニターへ資料を映す。
優真。
直人。
陸。
由奈。
全員の視線が集まる。
「開発期間は三か月。納品後の保守については、別途契約となる予定です」
「三か月か」
優真が資料を見る。
「今抱えてる仕事と並行していけそう?」
「可能です」
澪が即答する。
「ただし、現在の業務をそのまま継続した場合、一部の期間で負荷が集中します」
「やっぱりそこか」
「はい」
澪が画面を切り替える。
「そのため、既存業務の一部を前倒しします」
表示されたのは。
今後三か月の予定表だった。
「……」
陸が画面を見る。
「もう作ったんですか?」
「先ほど作成しました」
「昼飯から戻ってきて、まだそんなに経ってませんよね?」
「必要でしたので」
「さすが澪さん……」
「褒めても何も出ません」
「褒めたつもりだったんですけど」
「ありがとうございます」
「おお」
陸が目を見開く。
「ちゃんと受け取った」
「何か問題がありますか?」
「いや、ありません」
横で。
由奈がにやにやしている。
「佐倉さん」
「何も言ってません!」
「顔に出ています」
「最近の澪さん、褒められたらちゃんと『ありがとうございます』って言うようになったなあって」
「以前から言っています」
「言ってましたっけ?」
「言っています」
「社長、どうです?」
「なんで俺に聞くの?」
「一番詳しいじゃないですか」
「……まあ」
優真が澪を見る。
「前より素直になった気はする」
「優真さん」
「はい」
「会議中です」
「ごめんなさい」
「社長が怒られた」
「佐倉」
陸が由奈を見る。
「原因お前だからな」
「えー」
「会議に戻るぞ」
直人の一言で。
全員が資料へ視線を戻す。
「……」
澪も。
何事もなかったように画面を切り替えた。
ただ。
耳だけが。
少し赤かった。
「既存案件の調整については、私が行います」
「うん」
「新規案件の先方との窓口は、優真さんにお願いします」
「了解」
「直人さんには、全体の進行確認を」
「ああ」
「陸さんと佐倉さんには――」
それぞれの役割が。
決められていく。
誰か一人に。
仕事を集中させない。
今の会社なら。
それができる。
「以上です」
説明を終え。
澪が全員を見る。
「現時点では、対応可能と判断します」
「俺も同意」
直人が言う。
「多少忙しくはなるだろうけどな」
「はい」
「でも、無理ではない」
「そうですね」
優真が。
もう一度資料を見る。
会社を始めたばかりの頃なら。
おそらく。
受けられなかった。
いや。
受けようとすら。
思わなかったかもしれない。
今は。
違う。
「陸は?」
「俺ですか?」
「うん」
「やりたいです」
返事は早かった。
「佐倉は?」
「やります!」
「まだ何するかちゃんと分かってる?」
「分かってます!」
「本当に?」
「たぶん!」
「分かってないじゃん」
「これから理解します!」
「そこは理解してから返事しようよ」
「でも、やりたいのは本当です!」
「……そっか」
優真が笑う。
そして。
直人を見る。
「俺はさっき言った」
「だね」
最後に。
澪を見る。
「澪は?」
「私は」
澪が答える。
「受けるべきだと考えます」
「会社として?」
「はい」
「……」
優真が。
少しだけ笑う。
「澪はやりたい?」
「……」
また。
その質問。
正しいか。
効率的か。
合理的か。
ではなく。
自分は。
どうしたいのか。
「……はい」
澪は答えた。
「やりたいです」
「そっか」
「はい」
「じゃあ」
優真が資料を閉じる。
「やろう」
「はい」
澪が頷いた。
◇
翌日。
先方との打ち合わせが行われた。
最初に話すのは。
優真だった。
「今回、ご提示いただいた内容について、社内で検討しました」
澪は。
隣で資料を確認している。
「結論から申し上げると、お引き受けしたいと考えています」
『ありがとうございます』
モニターの向こう。
先方の担当者が笑う。
『ただ、今回の案件は、これまでお願いしていたものより規模が大きくなります』
「はい」
『御社の現在の体制で、問題ありませんか?』
「問題ありません」
優真より先に。
澪が答えた。
『……』
「あ」
優真が澪を見る。
「ごめん」
「いえ」
『ふふっ』
先方の担当者が笑った。
『頼もしいですね』
「……失礼しました」
『いえいえ』
澪は。
少しだけ姿勢を正す。
「現在進行中の案件を含め、今後三か月の業務量を試算しております」
資料を共有する。
「一部の期間で負荷が増加しますが、既存案件のスケジュールを調整することで対応可能です」
『もうそこまで?』
「はい」
『……なるほど』
担当者が資料を見る。
『神谷社長』
「はい」
『いい方がいらっしゃいますね』
「はい」
優真が。
迷わず答える。
「自慢の――」
「……」
止まる。
澪が。
優真を見る。
「自慢の?」
「……」
「社長?」
「自慢の」
一瞬。
迷って。
「仕事仲間です」
「……」
澪が。
わずかに目を細める。
『いいチームですね』
「ありがとうございます」
打ち合わせは。
その後も順調に進んだ。
◇
そして。
仕事が始まった。
最初の一週間。
「陸さん、こちらの確認をお願いします」
「はい!」
「佐倉さん、先方から届いたデータを共有フォルダへ」
「もう入れてます!」
「ありがとうございます」
「褒められた!」
「お礼です」
「それでも嬉しいです!」
二週間目。
「優真さん」
「うん?」
「先方から仕様について質問が来ています」
「どれ?」
「こちらです」
「……これ、電話した方が早そうだね」
「お願いします」
「了解」
三週間目。
「直人」
「なんだ?」
「ここの進捗、ちょっと遅れてる」
「見てる」
「間に合いそう?」
「今日中に調整する」
「お願い」
一か月。
二か月。
仕事は。
順調に進んだ。
もちろん。
何も問題がなかったわけではない。
先方から。
修正を求められることもあった。
「この部分、変更できる?」
「確認します」
予定より。
時間がかかる作業もあった。
「澪さん!」
「はい」
「これ、思ったより時間かかります!」
「分かりました。ほかの作業をこちらへ回します」
「助かります!」
意見が。
ぶつかることもあった。
「俺はこっちの方がいいと思う」
「私は反対です」
「理由は?」
「こちらの方が運用時の負担が大きくなります」
「でも、先方の要望は――」
優真と澪が。
資料を挟んで話し合う。
「……」
「……」
「じゃあ、先方に確認しようか」
「はい。それが確実です」
「そうしよう」
以前なら。
澪が正解を出し。
それに従う。
そんな場面も。
多かった。
今は。
違う。
優真が考え。
澪が考え。
直人が意見を出し。
陸と由奈も。
自分の役割を果たす。
誰か一人が。
会社を動かしているわけではない。
全員で。
一つの仕事を進めている。
◇
そして。
三か月後。
「……」
オフィスに。
キーボードを叩く音が響く。
誰も。
話さない。
「まだですかね……」
由奈が呟く。
「佐倉」
「はい」
「五分前にも言ったぞ」
「だって気になるじゃないですか!」
「俺も気になるけど」
「ですよね!?」
「だからって五分おきに言うなよ」
「……」
優真も。
パソコンの画面を見る。
「澪」
「はい」
「まだ?」
「まだです」
「そっか」
「優真さん」
「うん?」
「三分前にも確認されました」
「……ごめん」
「社長もじゃないですか!」
「うるさいな」
「仲間です!」
「嬉しくないよ」
直人だけが。
いつも通り仕事をしている。
「直人」
「なんだ?」
「気にならない?」
「なる」
「そう見えないけど」
「見ていて早くなるのか?」
「ならない」
「なら仕事する」
「正論だなあ」
そのとき。
ピコン。
小さな音が。
澪のパソコンから鳴った。
「……」
全員が止まる。
「澪さん?」
「……」
澪が。
メールを開く。
読む。
「……」
「澪?」
「……」
「どう?」
澪が。
ゆっくり顔を上げた。
「……通りました」
「え?」
「正式に」
一拍。
「検収完了です」
「……」
「追加修正はありません」
「……」
「契約内容に基づき、残金の入金スケジュールも確定しました」
数秒。
誰も。
声を出さなかった。
そして。
「よっしゃあああ!」
陸が立ち上がった。
「やったー!」
由奈も両手を上げる。
「成功です!」
「うわ、びっくりした」
優真が笑う。
「社長!」
「何?」
「もっと喜んでください!」
「喜んでるよ!」
「全然足りません!」
「じゃあどうしろっていうの?」
「こうです!」
由奈が両手を上げる。
「やったああああ!」
「やらないよ!」
「社長、ノリ悪いですよ!」
「仕事終わったばっかりなんだから許してよ」
陸が笑いながら。
椅子へ座る。
「いや」
「?」
「でも、マジで嬉しいな」
「うん」
優真も。
改めて画面を見る。
三か月。
長かった。
会社にとって。
これまでで一番大きな仕事。
それが。
終わった。
「みんな」
優真が言う。
「ありがとう」
「……」
陸が。
少しだけ照れた顔をする。
「なんですか、急に」
「いや」
優真は笑う。
「みんながいたからできたなと思って」
「当然です!」
由奈が胸を張る。
「私、頑張りました!」
「うん。頑張った」
「……」
由奈が止まる。
「なんで黙るの?」
「普通に褒められると思ってなかったので」
「どういうこと?」
「社長なら『自分で言う?』とか返してくるかと」
「ああ」
「言わないんですか?」
「じゃあ言おうか?」
「もう遅いです!」
「面倒くさいなあ」
笑い声が上がる。
「直人も」
「ああ」
「ありがとう」
「仕事だからな」
「そう言うと思った」
そして。
優真が。
澪を見る。
「澪」
「はい」
「ありがとう」
「……」
「今回、最初に澪が『できる』って判断してくれたから受けられた」
「私一人の判断ではありません」
「うん」
「全員で検討した結果です」
「分かってる」
「でしたら――」
「でも」
優真が続ける。
「澪がいてくれて助かった」
「……」
澪が止まる。
「今回だけじゃないけどね」
「……優真さん」
「うん?」
「それは」
一瞬。
言葉を探す。
「……仕事上の評価でしょうか」
「もちろん」
「……」
「それ以外もあるけど」
「……」
澪の耳が。
赤くなる。
「社長」
由奈が。
両手で口を押さえていた。
「何?」
「今のは反則です」
「何が?」
「分かってない!」
「だから何が?」
「澪さん!」
「佐倉さん」
「はい!」
「業務に戻ってください」
「もう終わりましたよね!?」
「ほかの業務があります」
「照れてます?」
「戻ってください」
「はい!」
由奈が笑いながら席へ戻る。
優真も。
自分の席へ戻ろうとして。
「優真さん」
「ん?」
呼び止められた。
澪が。
こちらを見る。
「私も」
「うん」
「優真さんがいてくれて、助かりました」
「……」
今度は。
優真が止まった。
「仕事上の評価です」
「……そっか」
「はい」
「それだけ?」
「……」
「……」
「業務に戻ってください」
「はい」
澪が。
少しだけ笑った。
大きな仕事を終えた。
売上が増えた。
会社として。
一つ。
できることが増えた。
けれど。
今回得たものは。
数字だけではない。
一人では。
できなかった。
今の仲間だから。
できた仕事だった。
そして。
澪は。
それを。
以前よりも少しだけ。
嬉しいと思えるようになっていた。




