第19話 何もできなかった
数日後。
午前九時半。
「澪」
「はい」
優真に呼ばれ。
澪は顔を上げた。
「明日の打ち合わせなんだけど」
「一条さんからご紹介いただいた案件ですね」
「うん。先方から追加の要望が出たみたいで」
「確認しています」
すでに。
メールには目を通していた。
現在進めている案件。
先方から。
運用開始後を想定した追加要望がいくつか届いている。
明日の午後。
その内容について話し合う予定だった。
「俺と柚月さんで行くことになってるけど」
「はい」
「澪も来る?」
「……」
以前。
自分からお願いした。
仕事上。
必要ではなくても。
誘ってほしい。
参加するかどうかは。
自分で決めたい。
そして。
今回は。
「参加します」
「分かった」
優真が笑う。
「じゃあ三人で行こう」
「はい」
必要だから。
ではない。
参加したいから。
それでいい。
そう思えるようになった。
それに。
今回は追加要望についての話し合い。
契約。
費用。
運用。
自分が確認できることも。
あるかもしれない。
「……」
そこまで考えて。
澪は小さく首を横に振った。
違う。
必要性を探す必要はない。
参加したい。
だから。
参加する。
それで。
十分なのだから。
◇
翌日。
午後二時。
「お待ちしておりました」
先方の担当者に案内され。
会議室へ入る。
「今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
優真。
澪。
柚月。
三人が席につく。
「では、早速ですが」
担当者が資料を開こうとする。
「追加でお願いしたい件なんですが――」
「三点ですね」
柚月が言った。
「はい」
「昨日いただいた内容を整理しています」
柚月が資料を出す。
「一つ目が、部署別の閲覧権限の追加」
「はい」
「二つ目が、月次データの出力形式の変更」
「そうです」
「三つ目が、承認後の修正履歴の保存」
「はい。それです」
柚月の資料には。
先方から送られてきた要望だけではなく。
確認すべき項目まで。
すでに整理されていた。
「神谷社長」
「はい」
「一つ目ですが、現在の権限設定を流用できますか?」
「できます」
優真が即答する。
「新しく作る必要はなくて、今ある設定に部署単位の条件を追加すれば対応できます」
「作業日数は?」
「一日あれば」
「では、既存の予定には影響しませんね」
「そうですね」
「分かりました」
柚月が資料へ書き込む。
「二つ目の出力形式ですが、先方からいただいた見本を見る限り、項目そのものは現在と同じです」
「うん。並び順と形式だけだから、そこも大きな作業にはならないです」
「追加費用は?」
「……」
澪が口を開こうとした。
「現在の契約範囲内です」
柚月が答えた。
「昨日、契約内容も確認しました」
「……」
澪の口が閉じる。
「そうなんですね」
担当者が安心したように笑う。
「追加になるかと思ってました」
「今回の内容であれば問題ありません」
「よかったです」
「澪」
優真がこちらを見る。
「合ってるよね?」
「……はい」
澪は頷く。
「契約範囲内です」
「よかった」
優真が前を向く。
「じゃあ二つ目も大丈夫ですね」
「はい」
柚月が続ける。
「三つ目の修正履歴ですが」
「これは少し確認が必要かな」
優真が資料を見る。
「どの程度残したいですか?」
「できれば全部ですね」
「期間は?」
「最低でも一年くらいは」
「でしたら――」
澪が口を開く。
「二年で設定するのがよいと思います」
柚月が言った。
「え?」
「一年分だけを残すより、前年同月との比較ができるよう二年分残した方が運用上使いやすいでしょう」
「なるほど」
「保存容量への影響も確認しましたが、今回のデータ量であれば問題ありません」
「神谷社長」
「はい」
「実装上はいかがでしょうか」
「問題ないです」
「では、二年で」
「お願いします」
「……」
澪は。
何も言わなかった。
言えなかった。
違う。
言うことが。
なかった。
自分が言おうとしたことを。
柚月が。
先に言った。
しかも。
正しい。
「では」
柚月が次の資料を出す。
「修正履歴の保存先ですが、現在使用している共有領域に統一する形でよろしいでしょうか」
「はい」
「部署ごとに分けますか?」
「その方が分かりやすいですね」
「でしたら、権限設定と連動させましょう」
優真が言う。
「部署ごとに見られる履歴を分ければいいので」
「その方が管理も容易ですね」
「できます?」
「うん」
「では、その形で」
「お願いします」
決まる。
次も。
決まる。
先方が話す。
柚月が整理する。
優真が判断する。
柚月が次の確認へ進める。
「……」
早い。
澪が。
会話へ入る隙がないほど。
早い。
無理に入ることはできる。
けれど。
入る必要がない。
すでに。
必要なことは。
すべて確認されている。
「……」
澪は資料を見る。
何か。
他に。
確認するべきことは。
ない。
契約。
問題なし。
費用。
問題なし。
日程。
問題なし。
運用。
問題なし。
保存期間。
問題なし。
保存場所。
問題なし。
何も。
ない。
「では、こちらで以上ですね」
柚月が言った。
「はい」
担当者が時計を見る。
「あれ?」
つられて。
澪も時計を見る。
二時十五分。
「三十分くらいかかると思ってたんですけど」
担当者が笑う。
「十五分で終わっちゃいましたね」
「事前に情報をいただけていましたので」
柚月が答える。
「いやあ、本当に早いですね」
担当者は満足そうだった。
「一条さんが全部整理してくれてるし、神谷さんもその場ですぐ判断してくれるし」
「ありがとうございます」
「この組み合わせだと、本当に話が早い」
「……」
澪は。
小さく息を吸う。
「そうですね」
それしか。
言えなかった。
◇
「今日はありがとうございました」
建物を出る。
「こちらこそ」
優真が答える。
「一条さん、資料助かりました」
「事前に要望が分かっていましたから」
「それでも早いですよ」
「神谷社長の判断が早いからです」
「いや、整理してくれてるから判断できるんですよ」
「では、相互に効率がよいということですね」
「そうかもしれませんね」
「……」
二人の会話を。
澪は隣で聞いていた。
間違っていない。
実際。
二人の仕事上の相性は。
とてもいい。
何度も。
自分でそう評価してきた。
「澪」
「はい」
「早く終わってよかったね」
「……そうですね」
「会社戻ったら、予定してた仕事できそう」
「はい」
「澪さん」
柚月がこちらを見る。
「今日はありがとうございました」
「……」
澪は一瞬。
返事が遅れた。
「何がでしょうか」
「え?」
「私は」
澪は。
そこで言葉を止める。
けれど。
続けた。
「私は、何もしていません」
「……」
優真が澪を見る。
柚月も。
少しだけ目を細めた。
「結果として、澪さんに判断をお願いする場面はありませんでしたね」
「はい」
「ですが、参加していただいたことに意味がないとは思いません」
「……そうでしょうか」
「必要になれば、すぐに確認できました」
「必要にはなりませんでした」
「それは結果論です」
「……」
正しい。
柚月の言っていることは。
正しい。
「それに」
柚月が続ける。
「以前、澪さん自身が教えてくれました」
「私が?」
「必要だから参加するとは限らない、と」
「……」
『参加したかったからです』
自分が。
何度も。
言ってきたこと。
「そうでしたね」
「今日は参加したかったのでしょう?」
「はい」
「でしたら、それでよいのでは?」
「……」
以前なら。
そう思えた。
参加したかった。
だから。
参加した。
それでいい。
仕事上。
必要ではなくても。
自分が望んだなら。
それでいい。
「……そうですね」
澪は答えた。
「その通りです」
嘘ではない。
今日。
参加したことを。
後悔しているわけではない。
ただ。
別のことが。
頭から離れなかった。
必要では。
なかった。
◇
会社へ戻る。
「おかえりなさーい」
「ただいま」
由奈が顔を上げる。
「早くないですか?」
「早く終わったから」
優真が答える。
「もう終わったんですか?」
「うん。十五分くらい」
「はやっ!」
「柚月さんが全部整理してくれてたから、めちゃくちゃ早かった」
「さすが一条さん」
「俺もびっくりした」
「澪さんもいたんですよね?」
「はい」
「三人いたら最強じゃないですか」
「……」
「澪さん?」
「そうですね」
澪は。
自分の席へ向かった。
パソコンを開く。
先ほどの資料。
柚月から。
すでに議事録が届いていた。
「……」
早い。
澪は開く。
決定事項。
対応内容。
担当。
期限。
次回確認日。
すべて。
整理されている。
「……」
一つずつ。
確認する。
間違いは。
ない。
契約上も。
問題ない。
日程も。
問題ない。
費用も。
問題ない。
何も。
直すところがない。
「……」
完璧だった。
自分が。
参加していなくても。
何も。
変わらなかった。
『澪がいると助かるよ』
「……」
数日前。
優真に言われた。
『澪がいないと困るな』
自分から。
確認までした。
『本当に、困りますか?』
『そりゃ困るよ』
嬉しかった。
安心した。
自分は。
必要とされている。
だから。
契約は。
終わらない。
そう思った。
「……」
でも。
今日。
優真は。
困っていなかった。
自分が。
何もできなくても。
困らなかった。
柚月が整理する。
優真が判断する。
それだけで。
仕事は。
完璧に終わった。
「……」
違う。
澪は。
小さく首を横に振る。
今日だけ。
一度の打ち合わせだけで。
判断するべきではない。
自分には。
自分の仕事がある。
経理。
契約。
社内管理。
進行管理。
自分が担当している仕事は。
今も多い。
「……」
けれど。
会社は。
以前とは違う。
直人がいる。
陸がいる。
由奈がいる。
みんな。
できることが増えた。
優真も。
以前とは違う。
一人で。
判断できることが増えた。
そして。
社外には。
柚月がいる。
「……」
会社が。
成長した。
それは。
喜ぶべきこと。
自分一人がいなければ。
何も進まない会社など。
健全ではない。
だから。
これは。
良いこと。
そう。
良いことなのだ。
「……」
なのに。
胸が。
苦しい。
澪は。
もう一度。
議事録を見る。
自分の名前は。
参加者の欄にある。
神谷優真。
一条柚月。
神谷澪。
三人。
けれど。
決定事項の中に。
自分が決めたものは。
一つもない。
自分が確認したものも。
一つもない。
自分がいなければ。
変わっていたことも。
一つもない。
「……」
必要がなくなれば。
契約は終了する。
それを。
決めたのは。
自分だった。
昨日まで。
自分は。
必要とされていると思っていた。
だから。
安心していた。
でも。
今日。
自分は。
何もしていない。
何も。
できなかった。
それでも。
仕事は。
完璧に終わった。
「……私」
小さく。
声が漏れた。
「本当は、もう必要ないのでしょうか」




