第18話 必要とされている
翌朝。
「澪」
「はい」
「今日、何時に出る?」
「いつも通りで問題ありません」
「分かった」
朝食を終え。
澪は食器を片づける。
優真はコーヒーを飲みながら、スマートフォンで今日の予定を確認していた。
「午前の打ち合わせ、十一時だよね」
「はい」
「柚月さんも来るんだっけ」
「来られます」
「澪も?」
「参加します」
「そっか」
「はい」
「よかった」
「……」
澪の手が止まる。
「何がでしょうか」
「え?」
「今、よかったと」
「ああ」
優真がスマートフォンから顔を上げる。
「澪もいた方が助かるから」
「……」
助かる。
「契約関係の確認もあるし、先方から運用の質問が出たら俺だけじゃ答えられないところもあるから」
「そうですね」
「頼りにしてる」
「……はい」
澪は食器を持ってキッチンへ向かう。
胸の奥が。
少しだけ。
軽くなっていた。
必要とされている。
今日も。
優真は。
自分を必要としている。
「……」
それで。
安心した。
◇
午前十一時。
「こちらについては、現状の契約範囲に含めて問題ありません」
澪が資料を確認する。
「追加費用は?」
先方の担当者が聞く。
「発生しません。ただし、次の段階で同様の項目を追加される場合は、作業量によって再度お見積もりが必要になります」
「分かりました」
「では、その内容で進めましょう」
優真がまとめる。
「一条さん、日程は?」
「こちらは最短で来週火曜日です」
「火曜ならこっちも大丈夫」
「では、火曜日で確定します」
柚月がすぐに予定を書き込む。
「早いですね」
先方が笑った。
「皆さん、本当に話が早い」
「ありがとうございます」
優真が答える。
「神谷さんと一条さんだけでも早いですけど」
担当者が澪を見る。
「奥さんがいると、さらに早いですね」
「……」
奥さん。
その言葉に。
澪は一瞬だけ止まった。
「そうなんですよ」
優真が笑う。
「澪がいると、俺が分からないところをその場で全部確認できるので」
「なるほど」
「本当に助かってます」
「……」
また。
助かる。
必要と。
されている。
「澪?」
「はい」
「次の確認お願いしていい?」
「もちろんです」
澪は資料へ視線を戻した。
問題ない。
何も。
問題はない。
◇
打ち合わせを終え。
三人で建物を出る。
「予定より二十分早く終わりましたね」
柚月が時計を見る。
「澪がいたからだね」
優真が言った。
「私だけの成果ではありません」
「でも、契約の確認は俺じゃ無理だったし」
「それは私の担当ですから」
「うん。だから助かった」
「……」
また。
「どうしたの?」
「いえ」
澪は首を横に振る。
「何でもありません」
「そう?」
「はい」
「では、私はここで」
柚月が足を止めた。
「午後は別件がありますので」
「分かりました。今日はありがとうございます」
「こちらこそ」
柚月が優真を見る。
「神谷社長」
「はい」
「先ほどの件ですが」
「ああ。次の案件?」
「はい。資料が届き次第、共有します」
「お願いします」
「では」
柚月が離れていく。
澪は。
その背中を見送った。
「澪?」
「はい」
「会社戻ろうか」
「はい」
二人で駅へ向かう。
「……」
今日は。
柚月と優真が話していても。
以前ほど気にならなかった。
少しは。
気になる。
それは。
もう認めている。
ヤキモチ。
おそらく。
そうなのだろう。
けれど。
自分も一緒にいた。
優真に頼られた。
自分にしか確認できないこともあった。
だから。
安心している。
「……」
そこまで考えて。
澪は少しだけ眉を寄せた。
なぜ。
安心するのだろう。
「澪」
「はい」
「昼、どうする?」
「会社へ戻る前に食べますか?」
「そうしよう。何食べたい?」
「そうですね……」
少し考える。
「以前行った洋食店はいかがでしょうか」
「ああ、ちょっと遠いところ?」
「はい」
「いいね」
「では、そちらへ」
「うん」
二人で歩く。
少し遠回りになる。
以前なら。
選ばなかった店。
今は。
優真と歩く時間が増えることを。
悪いとは思わない。
「……」
自分は。
変わった。
それは。
もう分かっている。
なのに。
契約だけは。
あの頃のまま。
◇
「ただいま戻りました」
「おかえりなさーい」
午後一時過ぎ。
会社へ戻ると。
由奈が顔を上げた。
「打ち合わせどうでした?」
「問題ありません」
「予定より早く終わったよ」
優真が答える。
「おお!」
「澪がいたから助かった」
「……!」
由奈の目が輝く。
「社長」
「何?」
「もう一回お願いします」
「何を?」
「今の」
「澪がいたから助かった?」
「はい!」
「佐倉さん」
「はい」
澪が見る。
「なぜ、あなたが喜ぶのでしょうか」
「だって!」
「だって?」
「必要とされてるじゃないですか!」
「……」
澪の表情が。
止まった。
「澪さん?」
「……そうですね」
「?」
「必要とされています」
「はい?」
由奈が首を傾げる。
「どうしました?」
「何でもありません」
「なんか今日の澪さん、変じゃないですか?」
「通常通りです」
「そうかなあ」
「佐倉」
直人が声をかける。
「昼休み終わってるぞ」
「あ」
「仕事」
「はーい」
由奈が席へ戻る。
「……」
澪も自分の席へ向かった。
必要とされている。
由奈に言われても。
やはり。
少し安心した。
◇
午後三時。
「澪」
「はい」
「ちょっといい?」
「何でしょうか」
優真が資料を持ってくる。
「来月の契約なんだけど、ここ分からなくて」
「確認します」
「お願い」
澪が資料を受け取る。
「……こちらですね」
「うん」
「この場合、先方の追加要望は保守契約の範囲外になります」
「やっぱり?」
「はい。別途見積もりが必要です」
「じゃあ明日連絡する」
「その方がよいと思います」
「ありがとう」
「いえ」
「やっぱり澪がいないと困るな」
「……」
澪の指が止まる。
「澪?」
「……優真さん」
「何?」
「今の言葉」
「今の?」
「私がいないと困る、と」
「うん」
「……」
「どうしたの?」
「本当に、困りますか?」
「え?」
優真が瞬きをする。
「そりゃ困るよ」
「……そうですか」
「うん」
「どの程度でしょうか」
「程度?」
「はい」
「えっと……」
優真が困った顔をする。
「契約関係とか経理とか、俺だけじゃ無理だし」
「はい」
「会社の予定も澪が一番分かってるし」
「はい」
「俺が忘れてることも教えてくれるし」
「はい」
「というか、澪がやってる仕事かなり多いから、本当にいなくなったら困るよ」
「……」
澪の胸が。
また。
軽くなる。
「そうですか」
「うん」
「分かりました」
「……」
優真が首を傾げる。
「なんの確認だったの?」
「特に意味はありません」
「絶対あるでしょ」
「ありません」
「じゃあ、なんで聞いたの?」
「……」
澪は少し考える。
「確認したかったからです」
「それ、理由になってる?」
「私にとっては十分です」
「……そっか」
「はい」
「じゃあ」
優真が笑う。
「これからも頼りにしてる」
「……はい」
澪も。
少しだけ笑った。
「任せてください」
◇
その日の帰り。
優真と並んで歩く。
「今日、何食べる?」
「冷蔵庫に鶏肉があります」
「じゃあ鶏肉?」
「はい」
「何作る?」
「帰ってから決めます」
「俺も手伝うよ」
「ではお願いします」
「うん」
いつもの会話。
いつもの帰り道。
「……」
澪は。
今日のことを思い出していた。
『澪がいると助かる』
『必要とされてるじゃないですか!』
『澪がいないと困るな』
全部。
嬉しかった。
特に。
最後。
自分から。
本当に困るのか。
確認した。
優真は。
困ると言った。
自分がいなくなれば。
困る。
なら。
自分は。
必要とされている。
契約の終了条件には。
当てはまらない。
「……」
大丈夫。
そう思った。
安心した。
でも。
「……」
澪は。
隣を歩く優真を見る。
「ん?」
「いえ」
「今日それ多くない?」
「気のせいです」
「そう?」
「はい」
優真が前を向く。
「……」
澪も前を見る。
必要とされている。
だから。
大丈夫。
それなのに。
胸の奥に。
ほんの少しだけ。
何かが残っている。
なぜだろう。
自分が望んでいるのは。
本当に。
必要とされること。
だけなのだろうか。
「……」
まだ。
答えは。
分からなかった。




