↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/20

第17話 必要がなくなったら

 その日の夜。


「……」


 澪はソファに座っていた。


 テレビはついている。


 けれど。


 内容はほとんど頭に入っていなかった。


『結婚してから恋愛始めてるみたいですよね』


 由奈の言葉が。


 何度も浮かぶ。


 そして。


 そのたびに。


 最後は同じところへ辿り着く。


 自分たちは。


 契約結婚。


 だったら。


 契約が終わったら?


「……」


 いや。


 違う。


 終わる条件は。


 分かっている。


 最初に決めたのは。


 自分なのだから。


 この関係が。


 互いにとって必要でなくなった時。


 契約を解消する。


 合理的だった。


 必要だから結婚する。


 必要がなくなれば。


 終わらせる。


 ただ。


 それだけのことだった。


「……」


「澪?」


「はい」


 隣から声をかけられた。


 優真がこちらを見ている。


「どうしたの?」


「何がでしょうか」


「いや、さっきから全然テレビ見てないから」


「……そうでしょうか」


「うん」


「考え事をしていました」


「仕事?」


「……」


 一瞬。


 迷う。


「そのようなものです」


「そっか」


「はい」


「なんかあったら言って」


「……ありがとうございます」


 優真は。


 それ以上は聞かなかった。


「……」


 澪は優真を見る。


「ん?」


「いえ」


「また確認?」


「違います」


「そっか」


 優真が笑う。


 その顔を見て。


 澪も少しだけ笑った。


 何も変わっていない。


 昨日までと。


 同じ。


 契約を終わらせる理由など。


 今はない。


 だから。


 考える必要もない。


 そう思った。


 ◇


 翌朝。


「おはようございます」


「おはよう」


「朝食、できています」


「ありがとう」


 いつもの朝だった。


 優真が席につく。


 澪も向かいに座る。


「いただきます」


「いただきます」


 パン。


 サラダ。


 卵。


 コーヒー。


「今日の予定なんだけど」


「はい」


「午前は会社で、午後から一件外出だよね」


「はい。十四時からです」


「澪は?」


「私は終日社内です」


「じゃあ夕方には戻るよ」


「分かりました」


 普通の会話。


 毎日。


 繰り返している会話。


「……」


 澪は優真を見る。


 こうして。


 一緒に朝食を食べることも。


 今では。


 当たり前になった。


「澪?」


「はい」


「卵、嫌だった?」


「なぜですか?」


「ずっと見てるから」


「……」


 澪は自分の皿を見る。


 確かに。


 箸が止まっていた。


「嫌ではありません」


「ならよかった」


「はい」


 食事を再開する。


 必要がなくなったら。


 契約は終わる。


「……」


 その条件を決めた時。


 何も疑問には思わなかった。


 当然だった。


 契約なのだから。


 必要性がなくなれば。


 続ける理由もなくなる。


 けれど。


 今は。


 違う。


 もし。


 必要がなくなったら。


 この朝も。


 なくなるのだろうか。


「……」


 また。


 箸が止まった。


 ◇


 午前十時。


 会社。


 澪は資料を確認していた。


 売上。


 契約件数。


 今後の案件。


 どれも。


 順調だった。


 会社は。


 大きくなっている。


 以前より。


 できる仕事も増えた。


 直人がいる。


 陸がいる。


 由奈がいる。


 それぞれが。


 以前より多くの仕事を任せられるようになっている。


 優真も。


 社長として。


 以前より迷わなくなった。


 自分がいなくても。


 判断できることが増えている。


「……」


 それは。


 良いことだった。


 会社が成長している。


 みんなが成長している。


 喜ぶべきこと。


 実際。


 嬉しい。


 そして。


 柚月がいる。


 自分と似ている人。


 いや。


 以前の自分に。


 少し似ている人。


 判断が早い。


 無駄を嫌う。


 必要な情報を整理し。


 優真が判断できる状態を。


 すぐに作る。


 優真と。


 仕事上の相性がいい。


「……」


 そこまで考えて。


 澪は手を止めた。


 違う。


 一条さんは。


 関係ない。


 彼女は。


 自分の代わりではない。


 そもそも。


 会社も違う。


「……」


 分かっている。


 それでも。


 昨日までとは。


 少しだけ。


 見え方が変わってしまった。


 自分がいなくても。


 仕事が成立する場面がある。


 それ自体は。


 以前から分かっていた。


 むしろ。


 そうでなければ。


 会社として健全ではない。


 なのに。


 今は。


 その先に。


 別の言葉が浮かんでしまう。


 必要がなくなったら。


 契約終了。


「……」


「澪さん」


「はい」


「これ、確認お願いできます?」


 由奈が書類を持ってきた。


「分かりました」


「お願いします」


 澪が受け取る。


「……」


「……?」


 由奈が動かない。


「何でしょうか」


「いや」


「?」


「今日、静かですね」


「いつも静かだと思いますが」


「それはそうなんですけど」


「では問題ありません」


「……昨日のこと、まだ恥ずかしいんですか?」


「昨日?」


「社長との」


「佐倉さん」


「はい」


「仕事をしてください」


「やっぱり恥ずかしいんだ」


「違います」


「顔、ちょっと赤くなってますよ」


「佐倉さん」


「はいはい。仕事します」


 由奈が戻っていく。


「……」


 澪は小さく息を吐いた。


 違う。


 考えていたのは。


 昨日の優真との会話ではない。


 契約のこと。


 そして。


 その終了条件。


 自分で決めた。


 条件だった。


「……」


 当時の自分なら。


 きっと。


 今でも。


 同じ条件を提示する。


 必要がなくなった関係を。


 理由もなく続ける。


 そんなことは。


 非効率だから。


「……」


 なのに。


 今の自分は。


 その条件が。


 少し怖い。


 ◇


「ただいま」


 午後五時前。


 優真が戻ってきた


「おかえりなさい」


「外、暑い」


「お疲れさまでした」


「ありがとう」


 優真が席へ向かう。


「澪」


「はい」


「今日の打ち合わせ、うまくいったよ」


「そうですか」


「来月からお願いしたいって」


「おめでとうございます」


「ありがとう」


 優真が笑う。


「また忙しくなるかも」


「問題ありません」


「頼りにしてます」


「はい」


「澪がいると助かるよ」


「……」


 澪の手が止まった。


「どうしたの?」


「……いえ」


「?」


「何でもありません」


「そっか」


 優真は自分の席へ戻っていく。


「……」


『澪がいると助かるよ』


 今までなら。


 ただ。


 嬉しかった。


 今も。


 嬉しい。


 優真に。


 必要とされている。


 それは。


 嬉しい。


「……」


 必要と。


 されている。


 なら。


 契約は。


 終わらない。


「……」


 そう考えた瞬間。


 胸の奥が。


 少しだけ。


 軽くなった。


 大丈夫。


 自分は。


 まだ必要とされている。


 優真は。


 自分を頼ってくれている。


 会社にも。


 自分の仕事はある。


 なら。


 何も。


 心配する必要はない。


「……」


 澪は。


 もう一度。


 仕事へ戻った。


 ◇


 夜。


「ごちそうさま」


「お粗末さまでした」


 夕食を終える。


「今日のスープ美味しかった」


「ありがとうございます」


「また作って」


「分かりました」


 優真が食器を持って立ち上がる。


「洗うよ」


「私がやります」


「今日は俺がやる」


「ですが」


「澪、作ってくれたし」


「……」


「いいでしょ?」


「では、お願いします」


「任せて」


 優真がキッチンへ向かう。


 水の音がする。


「……」


 澪は。


 その背中を見る。


 仕事だけではない。


 こうして。


 家でも。


 一緒にいる。


 朝。


 一緒に食事をする。


 会社へ行く。


 一緒に仕事をする。


 家へ帰る。


 夕食を食べる。


 時には。


 どこかへ出かける。


 優真がいることが。


 当たり前になっている。


「……」


 自分は。


 この生活を。


 続けたい。


 それは。


 もう。


 分かっている。


 必要だから。


 ではなく。


 自分が。


 続けたい。


「……」


 けれど。


 契約を始めた時。


 そんな気持ちは。


 条件に入れていなかった。


 必要か。


 必要ではないか。


 それだけだった。


「澪?」


「はい」


 食器を洗い終えた優真が戻ってきた。


「今日、本当にどうしたの?」


「そうでしょうか」


「うん。なんか考えてるよね」


「……」


「疲れてる?」


「いいえ」


「仕事で何かあった?」


「ありません」


「じゃあ」


「優真さん」


「ん?」


「……」


 聞こうとした。


 今も。


 私との契約は。


 必要でしょうか。


 けれど。


 言葉が出なかった。


「何?」


「……いえ」


「?」


「何でもありません」


「そっか」


「はい」


「でも、無理しないでね」


「……ありがとうございます」


 優真がテレビへ視線を戻す。


 澪は。


 その横顔を見る。


「……」


 聞けなかった。


 なぜ。


 聞けなかったのか。


 それは。


 少しだけ。


 分かっていた。


 怖かった。


 もし。


 優真が。


『もう契約じゃなくてもいいんじゃない?』


 そう言ったら。


 それが。


 どういう意味なのか。


 自分には。


 まだ分からない。


 契約が必要ない。


 だから。


 終わりにする。


 そういう意味なのか。


 それとも。


 別の意味なのか。


「……」


 確認すれば。


 分かる。


 聞けばいい。


 以前の自分なら。


 そうした。


 曖昧な状態を。


 放置する理由などない。


 けれど。


 今は。


 聞けない。


「……」


 今日。


 優真は言った。


『澪がいると助かるよ』


 自分は。


 まだ。


 必要とされている。


 なら。


 契約は。


 終わらない。


 それで。


 いい。


「……」


 澪は。


 そう考えることにした。


 今は。


 それで。


 安心できたから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。