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第15話 一緒に行きます

 月曜日。


 午前九時過ぎ。


「おはようございます」


「おはよう、澪」


 オフィスに入ると、すでに優真はパソコンを開いていた。


「早いですね」


「ちょっとメール見たくて」


「何かありましたか?」


「柚月さんから」


「……」


 澪の足が止まる。


「一条さんから?」


「うん。第二段階の追加打ち合わせ。先方が今週中に一回やりたいって」


「そうですか」


「木曜の三時でどうかって来てる」


「木曜日……」


 澪は自分のパソコンを開き、予定を確認する。


 午後三時。


 空いている。


「問題ありません」


「じゃあ返事しとく」


「はい」


 優真がメールを打ち始める。


「……」


 澪は、その横顔を見る。


 昨日。


 水森に言われた。


 たぶん。


 ヤキモチなのだと。


 自分でも、その可能性はかなり高いと思っている。


「澪?」


「はい」


「どうしたの?」


「何がでしょうか」


「いや、見てたから」


「……」


 また。


「確認していただけです」


「昨日も言ってなかった?」


「気のせいです」


「そうかな」


「はい」


 澪は席についた。


 ◇


 午前十一時。


「木曜の件、決まったよ」


 優真が言う。


「三時から先方の会社」


「承知しました」


「柚月さんも現地集合だって」


「……はい」


「今回は運用開始後の追加項目が中心だから、開発側の判断ができれば大丈夫かな」


「そうですね」


 澪は資料を確認する。


 第二段階の開発内容。


 先方から追加された確認事項。


 契約上の問題はない。


 費用についても、すでに枠内に収まっている。


 つまり。


 今回の打ち合わせに、自分が参加する必要性は低い。


「じゃあ俺が――」


「私も参加します」


「え?」


 優真が止まる。


「私も参加します」


「澪も?」


「はい」


「いいけど」


「はい」


「今回、契約の話はたぶん出ないよ?」


「承知しています」


「進行表も柚月さんが持ってるし」


「はい」


「澪じゃないと分からないこと、ある?」


「現時点ではありません」


「……」


「……」


「じゃあ、なんで?」


 聞かれた。


「……」


 澪は昨日の会話を思い出す。


『また同じことがあったら、どうする?』


 自分は答えた。


『参加します』


 理由も。


 答えた。


「参加したいからです」


「……」


 優真が黙った。


「何でしょうか」


「いや」


 優真の口元が緩む。


「そっか」


「はい」


「じゃあ一緒に行こう」


「はい」


「……」


「……」


「澪」


「何でしょうか」


「なんか嬉しい」


「なぜでしょうか」


「分かんない」


「そうですか」


「うん」


「……」


 澪は画面へ視線を戻した。


 耳が少しだけ熱かった。


「澪さん」


「……」


 聞こえないふりをする。


「澪さーん」


「佐倉さん」


「はい」


「何でしょうか」


 由奈がデスクの向こうから、満面の笑みでこちらを見ている。


「今の聞きました」


「そうですか」


「必要ないけど行くんですね」


「必要がないとは言っていません」


「でも社長が、澪さんじゃないと分からないことあるって聞いたら」


「現時点ではないと答えました」


「じゃあ」


「ですが」


 澪が由奈を見る。


「参加してはいけない理由もありません」


「おお」


「業務に支障もありません」


「おお?」


「そして」


「はい!」


「私が参加したいと思っています」


「きゃーーーーーっ!!」


「佐倉さん」


「すみません!」


 由奈が両手で口を押さえる。


 直人がパソコンから顔を上げる。


「朝から元気だな」


「久我さん、今の聞きました!?」


「聞こえた」


「澪さんが!」


「仕事しろ」


「はい!」


 由奈が座る。


 その足だけが。


 ばたばたばたばた。


 動いていた。


「佐倉さん」


「はい」


「足も止めてください」


「はい!」


 止まった。


「……」


 優真が笑っている。


「優真さん」


「何?」


「笑わないでください」


「ごめん」


「……」


「でも」


「はい」


「やっぱり最近の澪、いいな」


「……仕事をしてください」


「はい」


 ◇


 木曜日。


 午後二時五十分。


 先方の会社が入るビルの前。


「こんにちは」


 柚月がやってきた。


「こんにちは」


「お疲れさまです」


 優真と澪が頭を下げる。


「……」


 柚月が澪を見る。


「今日は澪さんも参加されるんですね」


「はい」


「追加の契約確認がありましたか?」


「ありません」


「費用面で何か?」


「ありません」


「では、運用上の確認でしょうか」


「それも、現時点では特にありません」


「……」


 柚月が少し考える。


「なぜ?」


 やはり。


 聞かれた。


「参加したかったからです」


「……」


 柚月が瞬きをする。


「以前も、同じことがありましたね」


「はい」


「必要性が低くても、参加したいから参加する」


「はい」


「……なるほど」


 柚月が頷いた。


「今回は理解できます」


「理解できるのですか?」


「はい」


「以前は、その程度の理由で、と言われましたが」


「考え方を修正しました」


「そうですか」


「澪さんを見ていると、必要性だけで判断する必要はないのだと思うようになりました」


「……」


「それに」


 柚月が優真を見る。


「神谷社長も、その方が嬉しそうですので」


「え?」


「……」


 優真が自分を指差す。


「俺?」


「はい」


「そう見えます?」


「見えます」


「……」


 澪が優真を見る。


「何?」


「いえ」


「また確認?」


「……違います」


 柚月が首を傾げる。


「確認?」


「何でもありません」


 澪が時計を見る。


「時間です。行きましょう」


 ◇


 打ち合わせは予定通り進んだ。


「実際に第一段階を使ってみて、現場から出た要望はこちらです」


 先方の担当者が資料を見せる。


 三つ。


 一覧画面での表示項目追加。


 進捗状況の絞り込み。


 担当者ごとの簡易集計。


「全部入れることはできます」


 優真が答える。


「ただ、三つ目は実際にどれくらい使います?」


「管理職が見る予定です」


「毎日ですか?」


「いえ。月末くらいだと思います」


「だったら、常設じゃなくてもいいかもしれません」


 柚月がすぐに反応する。


「月次出力で十分ということですか?」


「俺はそう思います」


「そうですね」


 柚月が先方を見る。


「常時集計する仕様にすると、第二段階の開発量が増えます。月末に必要なデータだけ出力する形なら、工数を抑えられます」


「なるほど」


「澪はどう思う?」


「そうですね」


 澪も資料を見る。


「ただ、月次出力にするのであれば、保存方法を先に決めた方がいいと思います」


「保存?」


「毎月出力したデータを各担当者が個別に保存すると、管理場所が分散する可能性があります」


「ああ」


 優真が頷く。


「じゃあ出力先も固定した方がいいか」


「その方がいいと思います」


 柚月がすぐに資料へ書き込む。


「共有フォルダへの自動保存でどうでしょう」


「できます」


「では、それで」


 先方の担当者も頷く。


「お願いします」


 話が進む。


 早い。


 やはり、優真と柚月のやり取りは非常に早い。


 柚月が整理する。


 優真が判断する。


 必要なら、その場で仕様が変わる。


「澪さん」


「はい」


 柚月がこちらを見る。


「保存期間については、どう思われますか?」


「最低でも一年は必要だと思います」


「理由は?」


「前年同月との比較に使う可能性があります」


「ああ」


 先方の担当者が頷く。


「それは欲しいですね」


「でしたら、二年を推奨します。一年だけですと、翌年の同月データを出した時点で前年分を消せなくなりますので」


「なるほど」


「容量への影響は?」


 柚月が聞く。


「この程度のデータ量であれば、ほぼ問題ありません」


 優真が答える。


「じゃあ二年でいきましょう」


「お願いします」


 決まった。


「……」


 必要性が低い。


 それは間違っていなかった。


 自分がいなくても、この打ち合わせは成立しただろう。


 それでも。


 参加したことで、一つより良い判断ができた。


 それだけで十分だった。


 ◇


「お疲れさまでした」


 一時間ほどで打ち合わせが終わった。


 ビルを出る。


「予定より早かったですね」


 澪が時計を見る。


「柚月さんがまとめるの早いから」


 優真が言う。


「神谷社長の判断が早いからです」


「またそれ?」


「事実です」


「二人とも早いですよ」


 澪が言う。


「仕事上の相性は、やはり良いと思います」


「……」


 優真が澪を見る。


「何でしょうか」


「いや」


「?」


「前にも聞いたけど、本当に平気?」


「何がでしょうか」


「俺と柚月さんが仕事しやすいって話」


「……」


 澪が足を止める。


 少し先で、柚月も止まった。


「優真さん」


「うん」


「仕事上の相性が良いことは事実です」


「うん」


「それを否定する必要はありません」


「そっか」


「はい」


「……」


「ただ」


「ただ?」


 澪が少し考える。


「以前より、少しだけ気になることはあります」


「何が?」


「そこまで聞くのですか?」


「気になるから」


「……」


 澪は柚月を見る。


 柚月も普通にこちらを見ている。


「一条さん」


「はい」


「申し訳ありません」


「何がでしょうか」


「少しだけ、優真さんと一条さんが二人で行動することを、気にしているようです」


「……」


 柚月が瞬きをした。


 優真も固まった。


「澪?」


「はい」


「それって」


「まだ断定はしていません」


「何を?」


「……ヤキモチです」


「……」


 優真が完全に止まった。


 柚月が澪を見る。


 優真を見る。


 もう一度、澪を見る。


「なるほど」


「……それだけですか?」


「はい」


「驚かないのですか?」


「少し驚いています」


「そうですか」


「ですが、それなら澪さんが今日参加された理由も理解できます」


「……」


「私が神谷社長と二人で行動することが気になるのであれば、一緒に来るのは自然です」


「自然……なのでしょうか」


「少なくとも」


 柚月は少し考える。


「今の私には、以前より理解できます」


「一条さんが?」


「はい。必要性だけで決める必要はないのでしょう?」


 澪が少しだけ目を見開く。


「……そうですね」


「澪さんに教わりました」


「教えたつもりはありません」


「私が勝手に学びました」


「そうですか」


「はい」


「……」


 優真だけが、まだ黙っている。


「優真さん?」


「え?」


「どうされましたか?」


「いや」


「はい」


「ヤキモチなんだ」


「断定はしていません」


「でも可能性はある?」


「……かなり高いと思います」


「……」


 優真が笑った。


「何でしょうか」


「いや、なんか」


「はい」


「嬉しい」


「なぜですか?」


「分かんないけど」


「またですか」


「うん」


「……」


 澪の耳が熱くなる。


「一条さん」


「はい」


「駅へ向かいましょう」


「そうですね」


「優真さんも」


「はい」


 三人で歩き出す。


 仕事上、優真と柚月の相性が良い。


 それは変わらない。


 会社にとっても良いことだった。


 そして。


 少しだけ好ましくない。


 それも変わらない。


 けれど。


 どちらかをなかったことにする必要はない。


 仕事では、二人の相性が良い。


 自分は、それを少し気にしている。


 両方とも。


 今の澪にとっては、本当のことだった。


 ◇


 会社へ戻ったのは、午後五時前だった。


「ただいま戻りました」


「おかえりなさーい」


 由奈が顔を上げる。


「打ち合わせどうでした?」


「問題ありません。第二段階の追加仕様についても、ほぼ確定しました」


「おお。早かったですね」


「はい。予定より早く終了しました」


「さすがですね」


「ありがとうございます」


 澪は鞄を置き、パソコンを開く。


「……」


「……」


「……澪さん?」


「何でしょうか」


「顔、赤くないですか?」


「……」


 澪の手が止まった。


「そうでしょうか」


「赤いですよ」


 由奈が椅子から立ち上がる。


「外、暑かったですか?」


「多少は」


「でも社長は普通ですよ?」


「……」


 少し離れた席では、優真が直人に打ち合わせの内容を説明している。


 確かに。


 優真の顔は普通だった。


「何かあったんですか?」


「……」


 何か。


 あった。


『少しだけ、優真さんと一条さんが二人で行動することを、気にしているようです』


『それって』


『まだ断定はしていません』


『何を?』


『……ヤキモチです』


「……っ」


「え!?」


 由奈が目を見開いた。


「さらに赤くなりましたよ!?」


「……気のせいです」


「絶対何かあった!」


「ありません」


「今、思い出しましたよね!?」


「思い出していません」


「じゃあなんで急に真っ赤になったんですか!」


「佐倉さん」


「はい!」


「声が大きいです」


「あ、すみません」


 由奈が声を落とす。


 そして、澪の机へ近づいた。


「……何があったんですか?」


「……」


「一条さんもいましたよね?」


「いました」


「社長も?」


「当然です」


「三人で何かあった?」


「……」


「澪さん」


「……佐倉さん」


「はい」


「少し、相談してもよろしいでしょうか」


「もちろんです!」


「声が大きいです」


「すみません!」


 由奈が椅子を持ってきて、澪の隣へ座る。


「それで?」


「……」


 澪は周囲を見る。


 優真と直人は、まだ話している。


 陸もそちらへ加わっていた。


「今日、一条さんと優真さんの仕事上の相性について話しました」


「はい」


「以前から、それ自体は理解しています」


「はい」


「二人は仕事がしやすいと思います」


「はい」


「ですが、私は以前から、それを少し気にしていました」


「知ってます」


「……」


「あ」


「……」


「続けてください」


「はい」


 澪が小さく息を吐く。


「それで、優真さんに聞かれました」


「何をですか?」


「本当に平気なのかと」


「おお」


「自分と一条さんが仕事をしやすいことについて、と」


「おおお」


「佐倉さん」


「はい」


「静かに」


「はい」


「それで私は、少しだけ気になることがあると答えました」


「……」


 由奈の目が輝く。


「そして、一条さんもその場にいましたので」


「はい」


「私が、優真さんと一条さんが二人で行動することを少し気にしていると説明しました」


「……」


「それで?」


「優真さんに、それは何なのかと聞かれましたので」


「はい」


「……」


 澪の顔が、また熱くなる。


「澪さん?」


「……ヤキモチの可能性があると」


「……」


「伝えました」


「……」


「……」


 由奈が両手で口を押さえた。


「佐倉さん?」


「……」


 ぷるぷる。


 震えている。


「佐倉さん」


「きゃーーーーーっ!!」


「佐倉さん!」


「言ったんですか!?」


「声が大きいです!」


「社長本人に!?」


「静かにしてください!」


「一条さんの前で!?」


「……はい」


「きゃーーーーーっ!!」


「二回目です!」


 直人と陸がこちらを見る。


 優真も振り返る。


「どうしたの?」


「何でもありません!」


 澪が即答した。


「由奈?」


「何でもないです!」


「そう?」


「はい!」


「……」


 優真は首を傾げながら、直人との話へ戻る。


「……」


「……」


 澪が由奈を見る。


「佐倉さん」


「はい」


「絶対に言わないでください」


「言いません!」


「本当ですね?」


「もちろんです!」


「……」


「でも」


「何でしょうか」


「社長、もう知ってますよね?」


「……」


「本人に言ったんですよね?」


「……そうですが」


「じゃあ何を秘密にするんですか?」


「……」


 澪が止まる。


「……今、私が恥ずかしがっていることです」


「きゃーーーーーっ!!」


「佐倉さん!」


「すみません!」


 由奈が再び口を押さえる。


「……尊い」


「何か言いましたか?」


「何も言ってません」


「言いました」


「気のせいです」


「……」


「それで社長、なんて言ったんですか?」


「……」


「澪さん?」


「……嬉しい、と」


「……」


 由奈が固まる。


「佐倉さん?」


「……」


「今度は何でしょうか」


「社長が?」


「はい」


「澪さんがヤキモチ妬いてるかもしれないって聞いて?」


「はい」


「嬉しいって?」


「……はい」


「……」


 由奈がゆっくり両手で顔を覆った。


「佐倉さん?」


「無理です」


「何がでしょうか」


「今日もう仕事できません」


「してください」


「こんなの聞いて仕事できると思います!?」


「勤務時間中です」


「澪さんのせいですよ!」


「なぜ私のせいになるのですか」


「こんな話聞かせるからです!」


「相談してもいいと言ったのは佐倉さんです」


「そうですけど!」


「では仕事をしてください」


「……はい」


 由奈が自分の席へ戻る。


 座る。


「……」


 ちらっ。


 澪を見る。


「佐倉さん」


「はい」


「仕事をしてください」


「してます」


「まだ何もしていません」


「今からします」


「お願いします」


「……」


 由奈がキーボードへ手を置く。


 そして、小さな声で。


「ヤキモチ……」


「佐倉さん」


「はい!」


「聞こえています」


「すみません!」


「……」


 澪はパソコンへ視線を戻した。


 けれど。


 また思い出す。


『……ヤキモチです』


『嬉しい』


「……」


 顔が。


 また熱くなる。


「……澪さん」


「佐倉さん」


「何も言ってません!」


 由奈は今度こそ、必死にパソコンだけを見ていた。


 ただ。


 その口元は、どうしても隠せていなかった。

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