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第11話 早すぎる二人

「契約、決まりました」


 午前十時。


 優真がそう言った瞬間。


「おお!」


 陸が声を上げた。


「早くない?」


「早い」


 直人もパソコンから顔を上げる。


「この前、初回打ち合わせした案件だろ?」


「うん」


「まだ一週間経ってないよな」


「経ってない」


「早っ」


「きましたね!」


 由奈も嬉しそうに椅子から立ち上がる。


「新規案件!」


「佐倉さん」


「はい!」


「まだ契約書の締結処理が残っています」


「澪さんが現実に戻してくる!」


「必要なことです」


「分かってます!」


 優真が笑う。


「でも、ほぼ決まりだよ」


「はい」


 澪も届いたメールを確認する。


 先方から正式に発注意思が届いている。


「問題ありません」


「よし」


「第一段階の開発期間は一か月」


「うん」


「その後、実際の運用状況を確認して第二段階へ移行」


「そう」


「契約は段階ごとに分ける」


「うん」


「では、本日中に契約書を準備します」


「お願い」


「はい」


 澪がすぐに作業へ入ろうとする。


「澪」


「はい」


「その前に」


「?」


「ちょっとくらい喜ばない?」


「……」


 澪が止まる。


「喜んでいます」


「顔が完全に仕事なんだけど」


「では」


 澪が少し考える。


「契約獲得、おめでとうございます」


「ありがとう」


「……」


「……」


「以上です」


「終わり?」


「何を求めているのでしょうか」


「いや、もうちょっとこう」


「社長!」


 由奈が横から入る。


「贅沢です!」


「俺が?」


「今の澪さん、ちゃんと喜んでました!」


「佐倉さん」


「はい」


「なぜ分かるのですか」


「分かります!」


「……そうですか」


「はい!」


 澪がほんの少し口元を緩める。


「私も」


「うん?」


「嬉しいですよ」


「……そっか」


「はい」


「ありがとう」


「なぜ優真さんがお礼を?」


「なんとなく」


「……そうですか」


 由奈が両手で口元を押さえる。


「……」


「佐倉さん」


「何も言ってません!」


「まだ何も聞いていません」


「仕事します!」


「お願いします」


 由奈が慌てて席へ戻る。


 ◇


 午後。


「一条さんからです」


「早いな」


 澪がメールを開く。


「……」


「どうした?」


「第一段階の進行表です」


「もう?」


「はい」


「契約、今朝決まったばっかりだよ?」


「そうですね」


 添付ファイルを開く。


「……」


 澪の目が少しだけ細くなる。


「どう?」


「非常によくできています」


「やっぱり?」


「はい」


 初期確認。


 仕様確定。


 開発。


 中間確認。


 テスト。


 先方確認。


 導入。


 それぞれの期限と担当者。


 確認事項。


 遅延した場合の調整可能箇所まで、すべて整理されている。


「このまま使えます」


「修正なし?」


「現時点では必要ありません」


「すごいな」


「はい」


 澪が素直に頷く。


「一条さんは優秀です」


「だな」


「おそらく、私でもほぼ同じ形にしたと思います」


「やっぱり似てる?」


「仕事の進め方は」


「そっか」


「はい」


 そこへ、新しいメールが届く。


「あ」


「一条さん?」


「はい」


 澪が開く。


「明日の先方との確認ですが」


「うん」


「午後二時から可能かと」


「ああ、それ」


「?」


「もう返事した」


「……」


 澪の指が止まる。


「そうなのですか?」


「うん」


「いつでしょうか」


「さっき電話が来て」


「一条さんから?」


「そう」


「……」


「俺も空いてたから、二時で大丈夫って」


「そうですか」


「まずかった?」


「いいえ」


 澪がスケジュールを確認する。


「予定は空いています」


「だよね」


「はい」


「柚月さんも、その場で先方に連絡してくれるって」


「……そうですか」


「たぶん、もう決まってると思う」


 数秒後、メールが届く。


「……決まりました」


「早いな」


「はい」


「じゃあ明日行ってくる」


「分かりました」


「澪も来る?」


「……」


 澪が予定表を見る。


「今回は必要ありません」


「そっか」


「はい」


「分かった」


 優真が自分の席へ戻る。


「……」


 澪は画面を見る。


 予定に問題はない。


 午後二時。


 優真の予定は確かに空いていた。


 確認する必要も、特になかった。


 むしろ、早い。


 優真が判断し、柚月が動く。


 その場で次が決まる。


「効率的ですね」


 澪は小さく呟いた。


 ◇


 翌日。


 午後四時前。


「ただいま」


「おかえりなさい」


 優真が柚月との打ち合わせから戻ってきた。


「どうでしたか?」


「順調」


「そうですか」


「来週から開発に入れる」


「予定より早いですね」


「うん」


 優真が鞄を置く。


「先方から追加で確認があったんだけど」


「はい」


「その場で柚月さんが整理してくれて」


「はい」


「俺が開発できるか確認して」


「はい」


「そのまま決まった」


「……」


「たぶん、明日の朝には資料来ると思う」


 ピコン。


「……」


「……」


 澪がパソコンを見る。


「来ました」


「早っ」


「一条さんです」


「もう?」


「はい」


 ファイルを開く。


「……」


「どう?」


「問題ありません」


「修正は?」


「必要ありません」


「……本当に早いな」


「そうですね」


 澪もそう思った。


 優真が顧客の話を聞く。


 必要なものを見つける。


 柚月がそれを整理する。


 すぐに次の形へ変える。


 そして、優真が判断する。


 止まらない。


 確認待ちがない。


 持ち帰りも、ほとんどない。


「……」


「澪?」


「はい」


「どうした?」


「いえ。先日申し上げた通りだと思いまして」


「何が?」


「優真さんと一条さんです」


「俺たち?」


「はい」


 澪が資料を閉じる。


「仕事の相性がいいです」


「またそれ?」


「事実です」


「そうなのかな」


「今回の案件が、分かりやすい例です」


「うん?」


「一条さんがいなければ、優真さんが先方の要望を持ち帰る」


「うん」


「私が整理する」


「うん」


「必要であれば、再度先方へ確認する」


「そうだね」


「その後、優真さんが判断する」


「うん」


「最低でも一日。場合によっては、二日必要です」


「まあ、そうかも」


「ですが」


 澪が柚月から届いた資料を見る。


「一条さんがその場にいれば、その場で整理できます」


「うん」


「優真さんも、その場で判断できる」


「そうだね」


「結果」


「早くなる?」


「はい」


 澪が静かに頷く。


「非常に」


「……」


 優真が少し考える。


「でも」


「はい」


「それって」


「?」


「柚月さんが、昔の澪みたいだからじゃない?」


「……」


 澪が止まる。


「昔の私?」


「うん」


「どういう意味でしょうか」


「いや」


 優真が少し困ったように笑う。


「今の澪が遅いって意味じゃないよ?」


「分かっています」


「ほんと?」


「はい」


「ならいいけど」


「続けてください」


「……はい」


 優真が澪を見る。


「最初に会社作った頃の澪って、今よりもっとその場で全部決めてたじゃん」


「はい」


「必要か」


「はい」


「必要じゃないか」


「はい」


「一番早いのはどれか」


「……はい」


「それで、すぐ決める」


「……」


 澪が黙る。


 確かに、そうだった。


「柚月さんって、そういうところ澪に似てるなって」


「そうですね」


「だから俺も、仕事しやすいのかも」


「……」


 澪が柚月の資料を見る。


 無駄がない。


 速い。


 判断に迷いがない。


 必要なものだけを、最短で選ぶ。


 以前の自分。


「……そうですね」


「澪?」


「はい」


「なんか変なこと言った?」


「いいえ」


 澪が首を振る。


「正しいと思います」


「そっか」


「はい」


 そして澪は、少しだけ笑った。


「一条さんは、本当に優秀です」


「うん」


「優真さんが仕事をしやすいのも、理解できます」


「でも俺は――」


「優真さん」


「ん?」


「一つ、訂正があります」


「なに?」


 澪が優真を見る。


「今の私は、以前より判断が遅くなったわけではありません」


「うん」


「仕事の能力が落ちたわけでもありません」


「もちろん」


「ただ」


 澪が少し考える。


「以前なら切り捨てていたものを、切り捨てなくなっただけです」


「……そっか」


「はい」


「それ」


「?」


「俺はいいと思うよ」


「……」


 優真が笑う。


「今の澪の方が楽しそうだから」


「……」


「仕事もちゃんとできてるし」


「……はい」


「だったらいいじゃん」


「そうですね」


 澪も小さく笑った。


「私も」


「うん?」


「今の方が好きです」


「……」


「……」


 優真が固まった。


「何でしょうか」


「いや」


「?」


「今の方が好きって」


「私自身の話です」


「ああ」


「何を勘違いしたのでしょうか」


「してない」


「今、明らかにしました」


「してないって」


「そうですか」


「うん」


「……」


「……」


 澪の耳が赤くなる。


「澪も赤くなってるけど」


「気のせいです」


「はい」


「仕事に戻ってください」


「はい」


 優真が笑いながら席へ戻る。


「……」


 澪は柚月の資料へ、もう一度目を落とした。


 以前の自分に似ている。


 優秀で。


 速くて。


 合理的。


 そして、優真とは仕事がしやすい。


「……」


 それは、いいことだ。


 会社にとっても。


 優真にとっても。


 間違いなく、いいことだった。


 だから澪は、素直にそう思うことにした。

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