第四章 さまよう魂
四次元界へ足を踏み入れた健一。
そこは、穏やかな笑い声が聞こえ、多くの魂がそれぞれの時間を過ごしている世界でした。
しかし、すべての魂が穏やかに過ごしているわけではありません。
この世界には、まだ地上への想いを手放せず、同じ場所をさまよい続ける魂たちもいました。
愛する人への未練。
叶えられなかった願い。
伝えられなかった言葉。
肉体を失っても、人の想いは簡単には消えない。
健一は、さまよう魂たちとの出会いを通して、「執着する心」が魂に与える影響を知っていきます。
そして、その先には、さらに深い世界が待っていました。
第一部・第四章「さまよう魂」。
健一が初めて知る、霊界のもう一つの姿です。
老人夫婦を見送ったあと、健一はしばらく言葉を失っていた。
「死んでも終わりじゃない……。」
その言葉が胸の中で何度も繰り返される。
妖精は静かに歩き始めた。
「健一さん。」
「はい。」
「今ご覧になった方々は、自分が亡くなったことを受け入れ、新しい人生を歩み始めた魂です。」
「ですが、すべての魂がそうではありません。」
「まだ苦しみの中にいる方々もいます。」
「苦しみ……。」
妖精は静かにうなずいた。
「行きましょう。」
二人は街を離れ、小高い丘へ向かった。
美しい花畑が少しずつ少なくなり、辺りは静かな森へ変わっていく。
空は明るい。
しかし、どこか寂しさが漂っていた。
やがて、一軒の古い家が見えてきた。
妖精は足を止めた。
「ここをご覧ください。」
健一が窓をのぞくと、一人の男性が居間に座っていた。
五十代くらいだろうか。
腕を組み、何かをじっと見つめている。
その視線の先には、若い夫婦と小さな女の子がいた。
しかし、その家族は男性の存在にまったく気づいていない。
「お父さん。」
男性は娘へ声をかけた。
「そんな男と結婚するなと言っただろう。」
返事はない。
娘は夫と笑いながら夕食を囲んでいる。
男性は何度も話しかける。
机を叩く。
肩に手を置こうとする。
だが、その手は娘の体をすり抜けてしまう。
男性はその場に崩れ落ちた。
「どうしてだ……。」
「どうして誰も私に気づかない。」
健一は胸が締めつけられた。
「この人は……。」
妖精は静かに答えた。
「三年前に病気で亡くなられました。」
「では、ずっとここに?」
「はい。」
「娘さんが心配で離れられないのです。」
健一は男性の顔を見つめた。
その表情は怒っているようにも、泣いているようにも見えた。
「家族を愛しているのに……。」
妖精はゆっくりとうなずいた。
「愛と執着は、よく似ています。」
「しかし、本当は違うものです。」
健一は首をかしげた。
「どう違うんですか。」
妖精は男性を見つめながら言った。
「愛は、相手の幸せを願う心です。」
「執着は、自分の思いどおりにしたい心です。」
その言葉に、健一は息をのんだ。
男性は娘へ向かって叫んでいる。
「違う!」
「そんな選択は間違っている!」
「私の言うことを聞け!」
しかし、娘には届かない。
その姿は痛々しかった。
妖精は続けた。
「亡くなっても心は変わりません。」
「肉体を脱いでも、その人の心はそのままです。」
「だから、この方は今も『父親』として家族を支配しようとしているのです。」
健一は、自分の胸に手を当てた。
(私にも、こんな心はないだろうか。)
ふと、妻の顔が浮かんだ。
「どうして分かってくれない。」
「どうして私ばかり。」
そんな思いを抱いた夜が何度もあった。
妖精は健一を見つめた。
まるで心を読んだようだった。
「健一さん。」
「はい。」
「霊界は、人を裁く場所ではありません。」
「心を映す鏡なのです。」
その言葉は、健一の胸へ静かに染み込んでいく。
男性は窓際へ歩き、庭で遊ぶ孫を見つめていた。
女の子は突然空を見上げ、小さく手を振った。
「おじいちゃん?」
娘は笑う。
「誰に手を振ってるの?」
「ううん。」
「なんでもない。」
男性は驚いたように目を見開いた。
「聞こえたのか……?」
妖精は微笑んだ。
「幼い子どもは、ときどき霊界を感じることがあります。」
「心がまだ純粋だからです。」
男性の表情が少し和らいだ。
そのとき、遠くから二人の光り輝く人影が近づいてきた。
白い衣をまとい、穏やかな笑みを浮かべている。
健一は尋ねた。
「この方たちは?」
「四次元界で案内役を務める方々です。」
二人は男性の前に立った。
「そろそろ、新しい人生を歩みませんか。」
男性は首を振る。
「まだだ。」
「娘が心配なんだ。」
案内人は静かに微笑む。
「あなたが見守らなくても、娘さんには守護霊がいます。」
「あなたが心配し続けることが、娘さんの幸せになるとは限りません。」
男性は黙り込んだ。
やがて家の中から、娘の笑い声が聞こえた。
夫と娘が笑い合っている。
その光景を見つめながら、男性の目から涙が流れた。
「……幸せそうだな。」
案内人はうなずく。
「はい。」
「あなたが愛して育てたからです。」
男性は長い沈黙のあと、小さく笑った。
「私は……もう安心してもいいんですね。」
「はい。」
「これからは、あなた自身の魂の人生を歩む時です。」
男性は最後にもう一度家族を見つめた。
「ありがとう。」
その一言には、別れではなく感謝が込められていた。
次の瞬間、男性の体は柔らかな光に包まれ、案内人たちとともにゆっくり歩き始めた。
健一はその後ろ姿を見送りながら、小さくつぶやいた。
「愛することと、手放すことは、同じなのかもしれない……。」
妖精は優しく微笑んだ。
「その気づきは、とても大切です。」
そして、少し表情を引き締める。
「ですが、四次元界には、もっと深い苦しみを抱えた魂もいます。」
「その方々を見たあと、私たちは次の世界へ向かいます。」
「次の世界?」
妖精は静かにうなずいた。
「地上の人々が『地獄』と呼ぶ世界です。」
その言葉を聞いた瞬間、健一の胸に冷たい風が吹き抜けた。
――地獄。
その名を聞いただけで、足元の光が少しだけ陰ったように感じられた。
第四章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
四次元界には、穏やかな魂だけではなく、地上への想いや過去への執着を抱えたまま、さまよい続ける魂もいます。
人は、亡くなったからといって、すぐにすべての想いを手放せるわけではないのかもしれません。
愛することも。
後悔することも。
誰かを許せないことも。
その心は、魂の世界にも残っていきます。
健一は、さまよう魂たちを見ながら、自分自身の心についても考え始めます。
そして、四次元界の先には、これまでとはまったく違う世界が待っていました。
次章「地獄への境界」へ。
健一の旅は、さらに深い魂の世界へと進んでいきます。




