第18話 純粋な喜び
篝火が谷の中央でぱちぱちと爆ぜ、その火明かりが夜空に温かな裂け目を作っていた。
レインは影と炎の境目に立ち、篝火のそばで手をつなぎ、輪になって不器用ながら楽しげに踊る子供たちを見つめていた。
身につけているのは、継ぎはぎだらけの古い服。
小さな顔も少し痩せている。
それでも、埃に汚れた一人ひとりの顔には、レインがこれまで見た中で最も無防備で眩しい笑顔が咲いていた。
「ははは! 捕まらないよ!」
「お菓子を渡せー!」
澄んだ子供たちの声と、遠慮のない笑い声が夜風に乗って響く。
その光景を見ていると、レインは心臓を何かにそっと掴まれたような感覚を覚えた。
懐かしくもあり、それでいてひどく久しい感情が、胸の奥から込み上げてくる。
それは、喜びだった。
何一つ混じり気のない、純粋な喜び。
地球で大人になり、社会という名の巨大な歯車へ押し込まれてから。
この忌々しい異世界へ転移し、泥と馬糞にまみれながら、黒パン半切れのために這いずり回るようになってから。
レインはもう、どれほど長い間、この感情を忘れていたのか思い出せなかった。
冷淡さと抜け目なさ、損得勘定を鎧にして生きることには、とうに慣れている。
だが今、腹いっぱい食べられたというだけで、手足をばたつかせるほど喜んでいる子供たちを見ていると――
いつの間にか、レインの口元にも大きな笑みが浮かんでいた。
もっと欲しい。
レインは目を閉じ、菓子の甘い香りが混じる空気を深く吸い込んだ。
胸の内に蘇った、久しぶりの高鳴りを、貪るように味わう。
この穏やかな一瞬を、永遠に記憶へ刻みつけておきたかった。
「ほら、受け取れ」
バルが近づいてきて、掌ほどの大きさがある硬い塊をレインへ押しつけた。
「これは……砂糖か?」
「そうだ。甘みのある樹皮を煮詰めて作った粗糖だ」
バルは大きく笑った。
「お前が作った温室と、魔王陛下のおかげだ」
踊る民たちを見つめるその声には、深い感慨と敬意が込められていた。
「大賢者。アシュリーア様は、あなたから着想を得て、一晩かけて高位の生命成長魔法を、最も基礎的な魔力回路の線へ一つずつ分解されたのだ!」
「そのおかげで、何人かの普通の魔族が集まり、順番どおりに自分たちの魔力を法陣へ注げば、力を合わせて成長魔法を発動できるようになった!」
高位魔法を、普通の者でも扱える工程へ分解しただと?
そんな流れ作業のような仕組みを、あのすぐに頬を膨らませる小さな魔王が作り上げたのか?
「今では、口にするための食糧が十分にあるだけではない」
「余った植物から、砂糖まで作れるようになったのだ!」
バルはレインの肩を叩いた。
手の中の粗糖から伝わる重みを感じながら、レインの胸にも温かなものが広がっていく。
それからバルへ顔を向け、本来の用件を切り出そうとした。
「そうだ、バル爺。実は今夜ここへ来たのは、魔獣について相談が――」
「皆、静かにせい!」
レインが言い終える前に、バルが大声を張り上げた。
賑やかだった篝火の祭りは、すぐに静まり返る。
すべての魔族の視線が、老バルへ集まった。
バルはレインの腕を掴み、影の中から篝火のそばへ引っ張り出す。
「我が民よ! その目を大きく開き、よく見よ!」
老バルは誇らしげにレインの背中を叩き、大声で告げた。
「お前たちの前に立つこの者こそ、我ら魔族の賢者!」
「千年にわたって我らを苦しめてきた飢えの呪いを解き放った、大賢者である!」
「今日、お前たちが腹へ入れた食糧も、子供たちが口にしている菓子も、すべてこの方がもたらした奇跡なのだ!」
人々の間から、次々と驚きの声が上がった。
やがて、魔族の大人たちが自ら前へ歩み出す。
身長二メートルを超え、角や鱗を持つ逞しい魔族たちが、痩せた人間であるレインの前では、どこかぎこちない態度を見せていた。
一人ずつレインの前まで来ると、腰を折る。
不慣れながらも、心のこもった言葉で感謝を伝えた。
レインは、彼らの目を見つめていた。
一つひとつの縦長の瞳に、未来の暮らしへ向けた熱い希望と、レインへの尽きない感謝が宿っている。
同時に、その身体がわずかに強張っていることにも気づいた。
人間であるレインへの警戒。
そして、ほんの少しの恐れ。
数千年もの間、人間が魔族へもたらしたのは、殺戮と異端審問、そして百年にも及ぶ飢餓の封鎖ばかりだった。
民たちが無意識に距離を取っていることへ、バルも気づいたらしい。
肥えた顔に、気まずそうな表情が浮かぶ。
何か叱りつけようとしたが、レインは手を振って止めた。
気にしていなかった。
長い年月をかけて積み重なった不信は、そう簡単に消えるものではない。
上辺だけの抱擁など必要なかった。
信頼は、きれいな言葉を並べるだけで築けるものではない。
これから自分が行うことが、すべての隔たりを自然と打ち砕いていく。
レインはそう理解していた。
大人たちが退いたあと、乱れた足音が静けさを破った。
「賢者のお兄ちゃん!」
「お兄ちゃん、ありがとう!」
大人たちとは違い、魔族の子供たちは、人間かどうかも、種族同士の憎しみも気にしていなかった。
菓子をくれる者。
腹いっぱい食べさせてくれる者。
それが、この世界で一番いい人だった。
様々な毛の生えた耳や、小さな角、短い尻尾を持つ十数人の子供たちが、賑やかな声を上げながら押し寄せる。
瞬く間に、レインの周囲は隙間もないほど埋め尽くされた。
「お兄ちゃん、これあげる! 川のそばで拾った、一番きれいに光る石だよ!」
「賢者様、これは干し草で作った虫です!」
「こ、これは、食べかけのお菓子……すごく甘いから、あげます!」
子供たちは我先にと爪先立ちになり、自分たちが最も大切だと思う宝物を、次々とレインの腕の中へ押し込んでくる。
ほんの一瞬で、レインの胸元は形の不揃いな石や枝、草で編んだ玩具でいっぱいになった。
中には、まだ温かく、唾液のついた食べかけの粗糖まである。
「おいおい、待て待て! もう持ちきれないって!」
あまりにも熱心な小さな悪魔たちを前に、レインは完全に押されていた。
大量の宝物を抱えたまま、情けない様子でバルへ助けを求める。
お前のところの子供たちを、どうにかしてくれ!
老バルは笑いながら歩み寄り、太い腕を横へ振った。
小さな鴨の群れを追うように、子供たちを少しだけ離れさせる。
「よしよし、そこまでだ、小さな者たちよ! 大賢者も、それほど多くの宝物は抱えきれんぞ!」
バルは子供たちへ意味ありげに目を細めた。
「お前たちは知らんのか? 大賢者へ贈る最高のものは、そんな品々ではない」
「じゃあ、何なの、バル様?」
頭に小さな羊の角を生やした少女が、興味深そうに尋ねる。
バルは身をかがめ、わざと秘密めいた声を出した。
「それはもちろん……いつまでも疲れない、追いかけっこに付き合ってやることだ!」
レインは一瞬、呆気に取られた。
だが、子供たちの大きな瞳が一斉に輝くのを見ると、思わず吹き出す。
「いいぞ」
腕の中にある小さな贈り物を、そばへ丁寧に置いた。
それから袖をまくり上げ、恐ろしい怪物を装って、子供たちへ向かって走り出す。
「最初に捕まった奴の明日の菓子は、俺がもらうからな! がおー!」
「きゃー! 逃げろー!」
子供たちは歓声と悲鳴を上げ、驚いた鳥の群れのように四方へ散った。
レインは大笑いしながら、体裁も忘れて魔族の子供たちを追いかける。
篝火の周囲にある空き地で、夢中になって走り回った。
人々の中を駆けるレインの姿を見つめながら、いつの間にかセシリアがバルの隣へ立っていた。
「本当に不思議な男ね」
子供たちと遊ぶレインを眺め、からかうように言う。
「あの人はメフィストよりも頭の切れる賢者なのに、今はまるで馬鹿みたい」
「それに、あなたもよ。バル爺」
セシリアは顔を向け、肉の山のような巨体を上から下まで見た。
「昔から不思議だったの」
「太っていて醜くて、食べる姿は知性のない獣みたいなのに、どうして魔族の子供たちは皆、あなたに懐くのかしら」
妖艶な魔主の軽口を聞いても、バルは怒らなかった。
瞳には揺れる火明かりが映り、その顔には、すべてを分かったうえで笑う者の穏やかさが浮かんでいた。
「秘訣など、実に簡単なものだぞ。セシリア」
遠くにある笑顔を見つめ、静かに言う。
「童心を、いつまでも失わなければよいのだ」
童心を失わない。
数え切れない命を奪ってきた魔主の口から出た言葉としては、あまりにも似つかわしくない。
それでも、不思議なほど力があった。
セシリアはわずかに目を見開いた。
やがて、その口元へ心からの笑みが浮かぶ。
「本当に、救いようのない狂人ばかりね」
小さく呟くと、軽やかで艶やかな足取りで、篝火のそばにある踊りの輪へ入っていった。
荒々しい拍子に合わせ、しなやかに踊り始める。
完全に祭りへ溶け込んだ者たちを見て、バルは人の良さそうな笑みを浮かべた。
それから背を向け、何本もの太い丸太を抱え上げる。
そのまま、篝火の中へ放り込んだ。
ゴオッ……!
熱い炎が空高く立ち上がった。
冬の夜に満ちる寒さをすべて追い払い、魔界の空を希望の光で赤く染め上げていた。




