降臨の章29 仲間
今日も気持ちよく空が晴れ上がっている。
舞い散ってくる桜の花びらを浴びながら、涼輔はあのお気に入りの場所で転がっていた。恵に宣告した通り、気分の赴くままに行動、という訳である。
校舎の方で、何事か放送が流れている。
彼は一向に気にした風も見せず、手を頭の後ろに組んで、そのままうとうとし始めた。
授業に出なければとか何とか、そういうことは考えもしなかった。ちらと美菜や恵のことが頭を過ぎったが、これという不安はなかった。
昨日の激闘で美菜は負傷し、それにどうも公司や沙紀も相当な手傷を受けたらしいと、涼輔は耳にした。しかし、恵だけは度重なる襲撃を払い除け、何とか無事なままに守りきることができた。その彼女が、昂揚した生命力をフルに駆使して姉や他の連中の手当てをするであろうと、涼輔はふんでいた。
彼もまた、恵の施術を受ければよかったのだが――酷性を完全に倒した後、彼はそのまま姿を消してしまった。
理由という程の理由はない。
ただ、昨日のあの混乱の中、最後に寄り集まるであろう仲間達の輪の中に彼自身がいては、誰もが戸惑うような気がしたのである。それぞれが様々な思いを抱き葛藤しながら戦い、勝ったり傷ついたりした。途中経過として彼が助言したり助けたりもしたが、最後の場面でそこに割って入ってしまっては、彼らなりに自分達の気持ちに決着をつけにくいと思ったのである。
もう一つ。
初めて様々な仲間達の存在を背負って戦うことになり、実は彼自身、こんなにも重たいことだとは想像できなかったのである。
それを何とか戦い抜き、幻魔衆がこぞって消え去った以上は、半分どうでもよかった。どうでもよいというか、やることをひたすらやり抜いたからには、その場に残って良くも悪くもわいわい言われることが、どうも場違いであるように思ったのであった。
そんな気分が一晩経っても抜けきれず、この際今日一日も行方不明で通してしまおうと思っていた。
正直言って、ずっと対人関係を絶ち続けてきていたから、多少の煩わしさもあるといえばあった。
都合のいいことに天気は快晴。桜も美しい。
青くさいような軟らかいような春の匂いを感じながら、涼輔は目を閉じている。
ぼうっと、意識が遠のいていくような心地がした。
その時。
「――サボってると、単位、出ないわよ?」
頭高で、聞き知った声がした。
美菜であった。
手を後ろに組んで、上から涼輔を覗き込んでいる。
「……」
無言で、涼輔は起き上がった。
その隣に、身軽に腰を下ろす美菜。
「何で、ここが解ったんだ?」
美菜は悪戯っぽく笑った。
「恵よ。あのコ、もうずーっと、浅香君の話ばっかり」
気に入られた反面、こんなところで怠けていることまで姉に喋ってしまったらしい。
が、美菜はさしてそのことには突っ込まなかった。
それよりも、彼女には彼女なりに気になっていたことがあった。
「……ケガ、大丈夫なの? 恵、手当てしてないんでしょう?」
「いいんだ、別に。問題ない」
実を言えば、回復してはいない。
ただ、恵を庇って悪戦苦闘する最中、いつの間にかほんの微々たるものではあったが、やや傷の具合が良くなっていたのであった。
そのことには、恵自身も気が付いていないに違いない。
「家族の人、びっくりしたでしょ? そんなになって帰ったら」
「いや、でもないんだ」
そう言ってから、少しの間というもの涼輔は黙っていた。
やがて語り出した彼の口調は、からりとしていた。
「……俺は両親、いないから。親父は飲んだくれてどこで死んだかもわからないし、母親は病気なのに無理して俺を生んですぐに死んだらしい。だから、今まで富良野のじっちゃんとばあちゃんに育ててもらった。そういう田舎から這い出てきたから、今は一人暮らしさ。どうなって帰ろうと、誰にも怒られやしない」
「……」
何と言っていいか解らず、黙る美菜。
あれだけの負傷をして誰もいない家に帰り、一人で手当てをしていたというのであろうか。その間の彼の気持ちのあれこれが想像ではあったが浮かんできて、美菜は何だかやりきれなくなってきた。
大切な妹を身を挺して守ってもらい、かつ自分もまた助けられているのに、傷ついた涼輔をそうやって放っておいたことの重さと後悔が、水面の波紋のように彼女の心の中に広がりつつあった。
そこまで考えた時、美菜は今もっとも彼に言わなくてはいけないことを思い出した。
「……恵のこと、ほんとにありがとう」
「ん?」
「あの時、真剣に叱ってもらったから、あたし、目が醒めた」
ちょっと恥ずかしそうに苦笑する美菜。
「とか言っても、結局助けてもらっちゃって、あたしは何にもできなかったんだけど」
「……そうでもないな」
涼輔がきっぱりと言った。
「……何て言っていいのか判らないけどさ。今まで独りで戦って、独りで勝ったり怪我したりして、どこにも心の行き場がなかった。でも、恵ちゃんとか皆、一緒に戦える人達と出会えたからね。このことは大きい。恵ちゃんにも言ったけど、皆で強くなろうって目標ができたし」
彼はちらりと美菜を見やった。
「あの土壇場で、よく力を貸してくれたと思っている。あれが俺一人なら、今はなかった。礼を言いたいのは俺の方さ」
さらりと言っているように聞こえるが、彼にしては異例の長台詞である。そういう形で、彼なりの、旨く表現しきれないだけの感動と感謝を述べているつもりらしかった。
今はそれが理解できる美菜としては、無性に照れくさかった。
そんな感情が、彼女に新たな心を開かせたのだった。
「――あたしね」
美菜が徐に口を開いた。
「好きな人がいたんだ。何ヶ月か前になるけど」
涼輔は黙ったまま、散っていく桜の花びらを見つめている。
「秘双の化身だったの。一緒に戦って、何度も助けてもらって、それで、いつの頃からか、好きになってた」
遠くでホイッスルの鳴る音が聞こえた。サッカー部が朝練でもやっているのであろう。
「でも、いつだったかな、ある夜に突然、もう会わないからって言われて。何で、って聞いても何にも教えてくれなくて、納得できないから、しつこく聞いたら、お前の存在は俺には必要ない、って。どうしようもないくらい、ショックだった」
それから、美菜はしばらくの間沈黙していた。
涼輔はその先を訪ねない。相変わらず寝転がったまま、遠くを眺めている。
遠くで、生徒達の歓声が聞こえた。
「……本当に、好きだと思ったから、辛かった。彼はそのままいなくなってしまうし、どうしたらいいかわかんなくて。それであたし、単純だから、こんなに辛い思いする位なら、男の子なんかには近づかないでおこうって、思った。どうせ人を好きになったら、きっとまた同じ思いしなくちゃならないんだからって。だから、周りの男の子達をみんな無視して、わざと冷たいフリしてさ」
彼女は隣の涼輔に視線を向けて、苦笑した。
「実は一番自分勝手だったの、あたしかも知れないね?」
恵を守らなければという必死な責任感と、裏切られた悲しさを堪えようとする気持ちの狭間で、彼女は何とか自分を支えようと懸命だったのである。
そんな美菜の本当の気持ちを、恐らく聡明な恵も気付かない筈はなかったであろう。が、姉思いの彼女は、知らない振りをして一切口にすることはなかった。涼輔に心を開いて色々話した時でさえ、姉の態度は自分を守ろうとする余りなのだと言った。
ただ、彼女が実際に味わった気持ちである以上、尊重すべきだと涼輔は思った。しかしまた、この先築かれていく人間関係の中で発動する必要性などほとんどないだろうとも思われた。
全くといっていいくらい、新しい局面が始まろうとしている。
各人が意識を変えて押し寄せる困難に真っ向から、時には協力して立ち向かうことが一番大切なことであり、彼も含めて、過去の云々はまず価値を持たないに違いない。
そこまで思い至った時、涼輔はのんびりとした声で言った。
「……いいと思うよ、それで。そういうものもみんなまとめて飲み込んで、俺達はそれぞれ自分を強くしていくんだから」
「……そう。そうだよね」
美菜は静かに微笑んだ。
いい加減なようでいて、でもふんわりと包み込んだ答えをくれた涼輔の気持ちが嬉しかった。
ふと、涼輔が起き上がり、思い出したように
「何で俺達が『双転生』っていうか、知ってる?」
と 言いかけて涼輔は
「……訳がないんだっけ」
「なんでなの?」
子供みたいに質問する美菜。
「人間の生命を産み、育み、守るもの。それは大きく言えばやっぱり生命ってことで、一つでしかないんだけど、護る役割と産み慈しむ役割と、この世の中は二つで構成されている」
涼輔は、人差し指と中指を立てて見せた。
「それってつまり、男性と女性ってこと?」
「その通り。二つが揃って初めて一つ。どっちが欠けても駄目。だから『双』。そして、生命世界の象徴が俺達っていう姿形をとって現れた。それで『転生』。だから双転生。幻魔の連中は双転の化身って呼んでくるけど、意味的にはおんなじ」
そこで涼輔はちょっと首を傾げた。
「……らしいよ」
「でも、なんか嫌だな。誰かの生まれ変わりとか実は別物だとか、そういうんじゃ、何のために生まれて来たかわからないわ。あたしはあたしだもの」
「ああ、だろうな」
するっと間の抜けた答え方をする涼輔。
「……俺もそう思うもの」
美菜は可笑しくなった。
「なぁんだ。じゃ、一緒じゃない」
「俺達は俺達、さ。それ以上でもそれ以外でもない」
また、彼はごろりと仰向けに寝転んだ。
「……で、あたしと浅香君とが双転生だと、何かあるの?」
「そいつは、俺にもわからない。……嫌かね?」
「まさか! 嫌な訳、ないでしょ」
嘘偽りなく、本心である。普段はこれっぽっちも飾り気がない癖に、いざとなればあれだけ必死になって守ってくれた彼に対し、今は人として好感を抱いている。
美菜が即答で否定してみせると、
「……安心した」
のんびりとした調子で、涼輔は言った。
そのまま、二人はグラウンドの向こう側、河川敷に広がる桜並木のピンク色を眺めている。
ふと、美菜が思い出したように
「一つだけわからないのよ。どうして、幻魔衆はあたし達をこうも狙うのかしら?」
「過てる生命の働きってヤツは、正しい働きを嫌う。正しい働きを邪魔したり消そうとすることが、そもそもの道理に反しているだろ? その生命の働きの象徴が、幻魔衆なのさ。だから、奴らは俺達を狙う。俺達がいる限り、あいつらはいつまで経っても目的を果たせないから」
「幻魔衆の目的……って、何?」
「俺達のこの世界、現界を侵すこと、だそうだ。侵してどうするつもりなのか、それはわからない」
人間は誰しも、その生命の内側に悪い部分を具えている。
そうした真実を認識することが人間にとって重要である反面、その存在理由を突き詰めてみても、恐らく正確な答えは出ないに違いない。そもそも具わっているのだから、人間は冷静にそれを覚知すべきなのだ。最も大切なことは、生命悪の存在云々を分析するのではなく、その生命悪にやられてしまわないことである。
つまり、人間として生きていく以上、常にそれを戦い続けなければならない。
漠然と、涼輔はそんな気がしている。
しかし、くどくどと講釈をたれずとも、聡明な美菜はきっと遠からぬ時期にそのことを自ら悟るであろう。
「……ふーん。教えてくれてありがと。初めて聞いたわ」
突然双転生の話を始めた彼の真意はよくわからなかったが、少なくとも昨日までの彼女に対してなら、涼輔はこうも話さなかったであろう。色んな葛藤と蟠りを乗り越えた彼女であればこそ話そうという気になったに相違なく、それはまた、そういう意識にまで高めてくれるきっかけになったのは、最終的には涼輔なのである。
ぎりぎりという時点で、彼らが感知し得ない不思議な何事が遣わしてくれたもの、それこそが涼輔であり、自分達で解決し得ない困難を克服するべく、彼が『降臨』してきた。根拠は何もなかったが、美菜はふとそんな気がした。
だとすれば、生命という存在は、決して理不尽なものではないのかも知れない。悩み、苦しみ、辛い思いをしただけ、それなりの答えをくれる、否、答えを出せる自分になるということなのであろう。
美菜はゆっくりと立ち上がった。
「さ、行こ? 授業、始まるわよ?」
「……」
行くとも何とも言わずにいると、美菜がすっと手を差し伸べた。
「行こ、浅香君」
彼女はもう一度繰り返し、そして言った。
「……仲間の姿が見えないと、心配だから」
微笑んでいる。
もうそこには、初めて顔を合わせた時の刺々しさはなかった。
そして、美菜自ら『仲間』と呼んでくれた。
涼輔は首だけ傾けてじっと美菜の顔を見つめていたが、やがてその差し出された手を取った。
美菜がぐいと勢いよく引き起こす。
二人は向かい合う形になった。
「……よろしくね? 浅香君。これから、先も」
「……ああ。よろしく、頼む」
幾片もの桜の花びらが、二人の上に舞っていく。
ふと見上げた先で、眩しいほどの青空が広がっていた。
<双転生物語 降臨の章 了>
若干の補足を許されたいと思います。
この作品は、筆者がなろうで初めて投稿した作品であり、筆者が初めて手掛けた長編、というべき作品です。
今回、加筆修正のうえ再投稿させていただきましたが、大部分が当時書いた文章のままです。一見してガチガチで融通性がなく面白みに欠けたものを書いていたのだと今更ながら痛感しております。
「降臨の章」とある通り、この作品には続きが存在します。
ここで引き続き投稿したものかどうか考えましたが、遠い過去の作品であり、あえて投稿を継続する必要性が認められないため、序章である「降臨の章」のみで打ち切ることといたしました。
もしもここまでお目通しくださった方がいらっしゃるとすれば、篤く御礼申し上げる次第です。




