降臨の章27 影を貫くもの
「……う」
「くぅ……」
床に転がったまま、呻く二人。
全身がバラバラになったようで、得体の知れない痛みの感覚しか伝わってこない。
命術の余波がそこら中に浮遊していて、視界も気配もつかめないのであろう。すぐには追撃がこなかったのは幸いだったかも知れない。
やっとのことで顔を上げると、すぐそこにお互いを確認することができた。
美菜があたかも涼輔を非難するように呟いた。
「……何よあいつ、どうすれば消えてくれるのよ?」
「あいつら幻魔衆ってのは、他人を犠牲にしても厭わない、人間の最も悪質な欲望の結晶だぜ。そう簡単にゃくたばらねぇ……」
「……そうなの? どうして、そうだって言えるのよ?」
「教えてもらった」
「誰に?」
よっこらしょ、と涼輔はのろのろと、やっとのことで上体を起こした。
「……俺が守ってやれなかった、女の子」
さらりと涼輔は言った。
「……」
そこで美菜は黙った。
黙るしかなかった。
さっき彼女が問いかけて中断された、疑問の答えである。短い言葉ではあったが、彼の驚くべき強さの裏側にあるものが何なのかが端的に象徴されていた。
ただ単に強くなった訳ではなかった。口に出すのが憚られるような辛い過去を経て手に入れた強靭さ。それは、決して簡単に失われるようなものではない。涼輔は、乗り越えて手に入れた強さをもって恵や美菜を守れることが何よりも嬉しかったのであろう。そしてまた、自分が今、どこまでこれたのか、彼は彼なりに確かめていたともいえる。
どんなに酷性が卑怯で執拗であろうとも、この男は何度も立ち上がって挑んでいくだろうと、美菜は思った。
言葉を失くした彼女に、涼輔はちょっと笑って
「……俺達の戦いってのはさ」
命術には、奥義も必殺技もない。
ただ、撃つ側の生命力の強さによる。
生命力や一念が強ければ生命力や一念が強ければ術も強大になり、弱ければ貧弱なものとなる。それだけのことでしかない。だから、命術を鍛える目的の修行や特訓などは意味がないのである。
涼輔は、そのことを言った。
「結局、そいつの生命力の強さ、イコール命術の強さ、さ」
誤解があると思ったのか、一言だけ付け加えた。
「……だからって、俺が強いって訳じゃあないけど」
「強いじゃない。十分」
今は、心からそう思えた。
でなければ、これだけ壮絶な死闘に、恐れなく立ち向かっていける筈がない。ずっと見ていて、要するに彼には「恐れ」というものが微塵も見られないのである。霞美や明日香、あるいは恵らとの根本的な違いである。
しかし、当の本人は余り関心がないように、
「……これでも、必死だもの」
何気なく呟いて、涼輔はよろよろと立ち上がった。
であるなら、いつでも必死になれる人間こそ、強いのかもしれない――彼の姿を目にしながら、美菜はふと思った。
「……そうね。そうかも知れないわね」
床に手をついたが、すぐには力が入らない。
すっと、涼輔が手を差し出した。
「悪いけど、もうちょっとだけ、付き合ってくれ。ここまで粘られると、俺一人では――」
その手にそっとつかまる美菜。
「……何を今さら。これはもう、あたし達の戦いよ。浅香君一人の、じゃなくて」
静かに微笑んだ。
建前でも迎合でもなく、本心であった。
涼輔も、彼女の想いに応えるように、しっかりと頷いて見せた。
もう、蟠るものも、躊躇う何物もない。あとはただ、あのどうしようもない生命悪の塊を、二人でぶっ潰すだけである。
並んで廊下の先を見やる二人。
宙に漂う命術の余波が晴れていき、その向こう側に奇怪な酷性の姿が見えた。
一歩前に踏み出した涼輔。
「なんだかんだ言っても、あいつも俺達の生命の中にあるものが具象化した存在であることに違いはない。結局、決着をつけるしかないのさ」
言いながら、すっと右手を差し向けた。
「自分で、自分の生命に、打ち勝つまでさ!」
「……以下、同文!」
ほぼ同時に、命術を撃ち放った涼輔、そして美菜。
たちまち真っ白な光芒が空間に満ち溢れた。
二筋の光は、闇に佇む酷性目掛け、一直線に宙を駆け抜けていく。
が、直撃するかと思われた瞬間、酷性はニヤリとしただけであった。
「……何ィ?」
涼輔が放った命術は酷性の身体を素通りしていき、美菜のそれは直前で弾かれてしまった。全く、酷性に影響を与えていない。それぞれの光は、前後して虚しく霧散した。
「な、何よあれ? あたしのはともかく、どうして浅香君のも効いてない訳?」
精一杯の一撃がかすり傷一つにもならず、悲鳴に近い声を上げる美菜。
それは俺が聞きたい、と口の先まで出しかけて、涼輔は言葉を飲み込んだ。言えば、美菜を不安がらせてしまう一方ではないか。
問題は、弾かれた美菜の命術ではない。涼輔のそれが、素通りしてしまったことである。
命術がまったく作用していない。
弾かれたり遮断されるならともかく、素通りしてしまうなどというのは、彼にとって未知の事象であった。まるで、幽霊を相手にしているようなものである。生命作用の具象である以上、命術は単なる物理現象などではない。生命から派生される存在に対して影響を及ぼすものであるからには、何らかの干渉があって然るべきであった。
が、そこで思い悩んでいる余裕はなかった。
今度は、酷性がその両腕をこちらに向けているのである。
「……クククク、どうした、双転の化身? 驚いているようだな。幾ら強がろうとも、人間は所詮、己の生命悪には――」
両手の平に、漆黒の小さな球体が生まれた。それは見る見る肥大していき、酷性の姿が見えない程になった。禍々しい、闇のスパークが散っている。
あっという間もなく、放たれた。
再びあれを食らっては、もはや自分も美菜も再起はままなるまい。
光壁で遮断しようとして涼輔は判断を翻し、咄嗟に彼女の身体を抱き抱えた。
「――真っ向から受け止めるだけじゃ、ただの無謀だ!」
「――あ? うん!」
ふっと転移して消えたその直後を、黒い波動が通過していく。
「無駄だな、双転の化身。私が創り出した中異空であることを知らぬでもあるまい。どこに転移しようが、逃げ回れるものではないぞ。……クククク――」
酷性の仕掛けは、よほど手が込んでいるらしい。
無作為に発動させた転移であったが、ほとんど遠くへは飛んでいなかった。さっきまでいた場所が旧棟で、今はどうやら新棟の同じフロアに現出したらしい。酷性の創出した異空が、彼等の転移に干渉しているせいであった。逃がさない、というつもりなのであろう。
「……やれやれ」
美菜を下ろしてやりながら、涼輔は息をついた。表情には出さねど、正直途方に暮れる重いがせぬでもない。
まともに命術が効かなかった以上、この後何度やっても同じ結果になるであろう。
これでは、戦いようがないではないか。
(だけど……)
一つだけ、疑問はある。
何故、涼輔の命術は素通りしたにも関わらず、美菜のそれは遮断させたのか。
命術を無効化させる術を身につけているなら、美菜の命術もまたやり過ごしてしまえばいいのである。
あるいは、今までさんざん作用していたものが、どうして突然効かなくなってしまったのか?
要は他の幻魔衆の残存する生命の余波を吸収してあの状態になったのだが、それがどうして新たな能力の獲得になるのであろう? どう見たって、ただ単に気味の悪い顔が身体中に浮かび出ただけのことではないか。吸収された幻魔衆も、ろくでもない連中ではあったが、これといって特別に強力なのがいた訳でもない(と、彼が思っているだけだが)。
思案に沈んでいると、すぐ傍から美菜が
「……今、困ってるんでしょ?」
覗きこんでいる。
彼女に余計な不安を与えたくない涼輔としては、正直に「はいそうです」とは言い難い。
「いや、別に。困ってなんか、っていう程も、ねぇ……うん」
「……やっぱり、困ってるんじゃない」
田舎育ちのせいなのか、どうもそういうカムフラージュが出来ないらしい。下手くそな言い逃れをしてみたものの、あっさり美菜に見破られてしまった。
彼女はちょっと怖い顔をして
「状況があんまりっていうか、かなり不利なんだから、一人でくよくよ考えていても仕方がないでしょう? こうやっている間にも、あの変な奴が近づいてきてるんだから。――で、何を困ってるのよ? 命術が効かなかったこと?」
打ち明ける間もなく、美菜は簡単に言い当てた。
「まぁ、ぶっちゃけ……」
そもそもが生命という不可解な存在から発生した相手なのだから、考えてみても仕方がないといえばそうかも知れない。が、それでは二人揃って命を落とすしかないのである。
取り敢えず、涼輔は疑問に思ったことを話して聞かせた。
「そうねぇ……」
美菜も難しい顔をして、
「あたしと浅香君の、術の違いなのかしら。……って言っても、浅香君が命の属性であたしが光の属性、くらいしか違いってないんだっけ? 公司君の好きなゲームじゃあるまいし、そんなことで効くとか効かないとか、ねぇ。今のあたし達は現実にいる訳だから」
ぶつぶつと、呟いている。
そんな様子が、どうも彼女の柄じゃないような気がして、涼輔は可笑しかった。
が、そこで彼ははっと閃いた。
――光。
思い至れば、今の酷性は、同胞達の「影」を取り込んでいる。
影はあくまでも、影でしかない。意志をもたず、まして生命そのものではないのである。涼輔がどれだけ強力な命術を放とうが、影には生命がない以上すり抜けて行くだけである。命術は、生命から派生された存在に対してその威力を発揮するものであり、生命の産物でない存在に対してはどれほどの効果ももたない。これだけ校舎の中で命術をぶっ放そうと、校舎が破壊されることがないというのが、いい例である。
どこまでも、酷性は策士だといっていい。
「酷」とは、生命悪の一事象を表すものであるが、しかしながらその意は漠然としていて、具体的な対象を具えていない。それゆえに、様々に紛らわしい形をとって生命を侵していく、何よりも厄介で忌避すべき生命悪だといえる。同胞の姿形だけを利用して命術の作用しない影という存在を創り上げ、それらをして涼輔を攻撃せしめているなど、その最たるものであるといえよう。
しかしまた、一方で生命は「生きよう」という強い意志を得たとき、偉大な知恵をも生み出すものである。
影に対して大いにその脅威を制する存在。
即ち「光」である。
涼輔は「命」を象徴する命術を駆使するが、美菜のそれは「光」であった。
命術というだけであれば影には効果をなさないが、影を生みあるいは消し去るべき光を源とするならば、影を盾にしている酷性の本体にも作用させることができるのではないか。かつ、そう考えれば、酷性が美菜の命術を防いでいたことにも理由がつく。つまり、まともに受けることが出来ないのである。命術が作用してしまうために。
そこまで考えが至った時、涼輔はパッと明るい表情で叫んだ。
「……わかった! あいつの、カラクリが」
急に様子の変わった涼輔に、美菜はびっくりして目を見開いている。
「カラクリ?」
「うん、あのね――」
手っ取り早く、結論を伝える涼輔。
「なぁにそれ? あの変な奴、自然現象まで悪用してるって訳なの?」
「まあ、そういうことになるかな」
「何て狡賢いのかしら。そこまでする? 普通」
美菜は呆れたように言った。
「さぁね。とはいっても、あれも人間の生命現象の片割れだもの。俺達の中にもそういうものがあるってことなんだろう」
それはともかく、美菜が彼の疑問を聞いてくれた上で、彼女の呟きが突破口になったことは確かである。
「済まない。助かった」
「別に……あたしは何もしてないけど……」
とまで、言いかけて、彼女はぱんと手を叩いた。
「で、それはわかったけど、具体的にはどうすればいいの? あたしの命術、防がれちゃったのよ? あれだけ気合入れて撃ったのに」
その事については、既に涼輔には奥の手があった。
ついさっきは涼輔と美菜が同時に命術をぶっ放したが、それでは本質的に力を合わせたことにはならない。要は、二人が酷性を討つべく呼吸を合わせて生命力を発動させ、その力を相乗させなければ意味がないのである。
人間対人間のあり方というのは、結果としてそういうことなのであろう。
立場や建前、利害を超えて同じ方向を向いて一気に推し進めるとき、物事は障害を越えて成就されていく。しかし、どんな小さな目的であっても、そこにいる者達が互いにあさってを向いていては上手くいかないし、また目標点に到達できたにせよ、その成果は粗々なものにしかならない。
涼輔は、簡単に説明した。
「さっきは同時に撃っただけで、力を合わせていた訳じゃない。要は俺達の生命力が、一つにならなきゃ駄目だ。さっき、異空に転移させてもらった時みたいにね。でないと、生命力がシンクロしないから、結局それぞれが別々に撃つのと同じになっちまう」
彼の言いたいことは、美菜にもわかる。
恵を助けるために、深異空へと涼輔を送り込むべく、生命力をシンクロさせるという所作を既に行っている。今初めて言われたなら理解できなかったかも知れない。しかし、幸か不幸か、あれもまた酷性が原因だったのである。
「そう……。じゃ、心が一つになるようにしなくちゃね」
言いながら、美菜に思案が浮かんだ。
「……あたし達、とにかく今はあいつをやっつけて、生き残ることが目標よね?」
「まあ、そうだ」
涼輔が頷くと、美菜は我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべた。
「なら、あたしは浅香君、浅香君があたしを守る、って念じればいいんじゃない? 自分で自分の身を心配しても、心は一つにならないわ。一緒に生きて帰るなら、お互いに相手のことを想う。それなら、なんとかなりそうでしょ?」
「……」
驚いたような、不思議そうな、そんな顔で彼女を見ている涼輔。
「……何よ? 駄目?」
折角のアイデアが却下されたのかと思い、美菜は口をとがらせかけた。
が、涼輔は
「……違うよ。俺には思い付かなかったから、びっくりした」
ちょっと笑って
「それでいこう。それしかないと思う」
大きく頷いて見せた。
美菜もまた、無邪気に
「でしょ? ここは一念の強さがものをいう世界、だものね?」
「……ってことで――」
涼輔が言いかけた途端、美菜の目前の景色がぐるっと流れて、別のそれになっていた。一瞬の間に、彼女を連れて転移したらしい。
すっと着地して、前方を見やっている涼輔。
「……あっさり追いついてきやがった。いきなり撃ってくるし」
闇にぼうっと人影が浮かんでいる。
重苦しい沈黙を破るかのように「……ァアア」という呻くような悶える様な声が聞こえてくる。例の、取り込まれた幻魔衆の思念が、悶絶しているのであろう。
「……逃げ場はないと、言った筈だ。双転の化身」
酷性の声がこだました。
その言葉の意味を、二人はとっくに悟っている。
背後、数メートル先は壁であった。
しかし、涼輔も美菜も、もはやこの場から立ち去るつもりは毛頭なかった。
どちらも全身がぼろぼろで、涼輔に至っては思い出したように血がしたたっている。美菜もまた、華奢な脚が打撲や傷だらけで痛々しい。さらに死闘が長引けば、勝ち目は薄くなっていくしかない。何せ、幻魔衆・酷性は策士である。あの手この手と不意を衝くような卑怯な真似をなおも繰り返していくことであろう。今、決着をつけるしかない。
それでも、やるべきことを見出せた以上、二人に迷いはなかった。
今度こそここで、あの忌まわしい酷性を――葬り去る。




