降臨の章26 正体
美菜のそれをも包括した涼輔の命術の威力は、文句なしに強大だった。
ゴゥン、という大爆発、そして純粋な生命力が放つ白い閃き。
簿異空自体が激震している。いうなれば、すっぽりとガードされた密室にいるにも近いから、中で大きな衝撃があれば、そういう現象もあり得るのである。
光は視界を奪い去り、廊下の先で何がどうなっているかは、二人の位置から確認することはできない。
ただ、いつまでも閃光の嵐は収まらなかった。
「……」
美菜がくらりと膝をついた。
あまりの揺れに立っていられなかったというのもさることながら、持てる限りの意識と生命力と、そして――勇気を振り絞った彼女は、もはや体力も限界にきていた。身体にダメージを受けてもいる。
眩い光を断続的に浴びながら、気が遠くなりかけるのを、必死にこらえていた。
ふと、隣に目をやると、涼輔もまたこらえきれないように、しゃがみこんでいた。
立ち上がろうと壁に手をかけるものの、身体に力が入らないらしい。立ち上がれずに、背中で大きく呼吸をしていた。
「あ、浅香、君……?」
「……あ、ああ、問題ない。ちょっとだけ――」
美菜の方を向いて、弱々しく笑って見せた。
「……疲れたな。はは」
そんな涼輔の姿を注視しているうち、美菜は目の前が涙でぼやけてきた。
どこまで強がるのだろう。いや、強いのだろう。
自分でもよく理由がわからなかったが、胸の奥がきゅっと締められるような切なさが込み上げてきて、始末に負えなくなった。
そっぽを向いて、そっと目頭を拭う美菜。
「……馬鹿。そんなぼろぼろの姿で、笑ったりなんか、しないで」
「ああ、悪ぃ。ちょっと、軽率だったかな」
しかし、涼輔はもう一度笑顔になった。
今度は力強く、自信に満ちていた。
「でも、正直なトコ、俺は嬉しい気がする。ああだこうだ言いながら、一緒に戦える人達がいて、んで――」
彼は間をおいた。
「……俺自身が、誰かを守ったりすることができて」
ふと、その表情が曇ったのを、美菜は見た。
過去に何かあったのだろうか? と、その変化を怪訝に思いつつ彼女は
「誰かを守ったりできて、って、それは――」
問いかけた途端である。
周囲の白さが、まるで掃除機に吸われていくかのように廊下の先へと集約され、一瞬のうちに辺りは簿異空の薄暗さを取り戻していた。
はっとしたようにそちらの方へ視線を走らせる美菜。
涼輔も表情を険しくして、口を真一文字に閉じている。
闇の向こう側で、うっすらと灰色に濁った光が点り、そこにゆったりと人影が現れた。ちょうど逆光になったようで、影は黒く、その正体が全く現認できない。
「……まだ、いるの? あいつ」
うんざりしたように、美菜が言った。
「だな。……だけど、あいつだけじゃないようだ」
目が慣れてきている涼輔。中央のそれ以外にも、周囲に幾つもの人影が現れてきているのがわかる。
それらが何者であるのか、、彼はすぐに理解した。
狂性、暴性、虐性、乱性――その他、今日吹っ飛ばした幻魔衆、否、その姿だけを利用された影達である。またもあれらを操って攻撃を仕掛けようとしているのかと、涼輔は察した。
美菜にも、ようやく状況がつかめてきている。
「浅香君! またあれよ! さっきのインチキ、やるつもりじゃない?」
確かにインチキといえばそうであろう。そんな彼女の表現を可笑しく思いつつ、いつでも対応できるように、涼輔は意識をそちらに集中させていく。
幾許もせず、影達は現出を完了した。全部で十体もいるであろうか。
と、影達の輪郭がぼやけ始めたかと思いきや、突然それらは叫び声を上げた。
「――ぎぃひいいいいぃ」
「がっ、がっ、がはあああぁ……」
「……くぅあっはぁああああぁ」
あれだけ表情のなかった影達が、今は目にするのも憚られるような苦悶の相で、凄惨な悲鳴を咽喉の奥からほとばしらせている。映画の演出にあるような、悪霊が悶絶する光景、あるいは残忍な処刑のシーンにも似ていた。目を剥き出し、裂けんばかりに口を開け、顔面ごと破れてしまうのではないかと思われた。それ程にこの様子は、見るに耐え難いものであった。
眉をしかめる涼輔の隣で、呆然としている美菜。
「……な、何? どうして、ああ……なる、訳?」
「まあ、見てなよ。一匹だけ、様子の違う奴がいるぜ」
彼の言う通り、最初に現れたあの真っ黒い影だけは、相変わらず静かに佇んだままなのである。なおも、その姿は闇の状態である。
哀れな影達は、ややも苦しみ続けていたが、次第にその実体がうっすらと、風景に溶け込んでいくかのように薄らぎ始めた。が、それも束の間、頭の先から吸引されていくが如く、次々と黒い影にズーッと吸い込まれていった。
あっという間もなく、幻魔衆の影は消えていき、同時にあの耳障りな絶叫も聞こえなくなっていった。
しかし、異変は終わらない。
今度は、黒い人影が身体の中央からもぞもぞと蠢きだした。
蠢きは頭、腕、脚へと広がっていく。
すると、肩の辺りがぐっと盛り上がり、それははっきりと人の顔を模していった。身体のあちこちで同じ変化が生じ、あたかも全身にお面でもつけたかのような、そんな風に見えなくもない。ただし、肉体と一体化してそこから派生しているのだから、不気味といえばこれ程不気味な存在もないであろう。
最後に一つ、胸の辺りに顔が浮き出てくると、体中の顔という顔の目がカッと見開かれた。目だけではない。口も大きく開かれ、よくよく見れば、さっきまで苦悶していた影達のあの苦しみの表情そのものであった。目の一つ一つには瞳孔がなく、白目は濁り、血走っている。顔は頬が張り出し、筋が浮き、口からだらりと唾液が垂れ、もはや地獄の亡者を寄せ集めた塊である。
あまりの凄惨な姿に、美菜は嫌悪感を露にした。
「……何て姿なのよ。どういう趣味で、ああいう風になるのかしら」
それは涼輔にも判らない。
ただ、あれがあらゆる人間の生命悪を、具象化した例えの一つなのだろうとは思っていた。判りやすいといえば判りやすいが、果たしてああいう、見た目にそうと取れる姿でいいのか、という気はせぬでもない。本当はもっと、ああいう醜悪だけに集約されるのではなく、違う姿形をとることがあるのではないかと、ふと思った。そう、最も紛らわしく、そしてすっと人間の生命の弱さを衝くような巧妙な連中が。
ただし、それは予感に過ぎない。
今はとにかく、目の前に気持ちの悪い化け物がいるだけのことである。
「――ァアアアアアァ」
「……ガァアアアアア」
顔の一つ一つが、先程のようではないにせよ、またも呻き声を上げ始めた。
そして、最後に人影の頭部、顔の辺りにすうっと相貌が浮き出てきた。
冷酷な目付き、狡猾そうな頬や口元。やや神経質そうな眉間。
酷性のそれである。
「……さすが、双転の化身だな。こうまで、私を苦しめてくるとはな」
地の底から発されているかのような、低い声が聞こえてきた。
「私の実体も、とうとう掻き消されてしまったよ。だから、こうして我が同胞達の残存する念をもって、私の身体になってもらった。まぁ、この私に利用してもらえる事自体、感謝してもらってもいいのだが、ね」
「――ィイイイイイイイイ」
左足に浮き出ている顔が、一際大きな声を上げた。
ほとんど、悲鳴である。
とてもではないが、酷性の所業に服しているとは思われなかった。その叫び声の中に、利用されきって消滅していく幻魔衆の哀れな末路の何事かを、涼輔は感じずにはいられなかった。その、後悔や無念の表現が今の悲鳴なのであろう。
が、同情などできたものではないから、彼は代わりに違うことを言った。
「……奴さん、自分の本体が吹っ飛んじまったものだから、最後は味方の姿を手前に取り込んでしまいやがった」
そこで舌打ちをする涼輔。
「ああいうのって、ムカつくんだよな」
あまりの酷さに言葉を失っていた美菜も
「……同感。誰かを踏み台にして自分がのし上がろうなんて、終わってるわね。その先に、何がある訳でもないのに。最低すぎ、ってくらい、最低ね」
「……ついでに、しつこいしな」
そんな二人のやり取りが聞こえたらしく、酷性は
「しつこい、か。そうだ、人間の生命に具わった負の部分は、果てしなく大きく、そして深い。それは人間というものが誕生してから、今に至るまで人間そのものを苦しめてきた。当然だろうな。そもそも具わっているものだ、消し去ることも封じることも出来る訳があるまい。その具われる人間の生命悪という象徴が、私なのだよ。……クククク、簡単に消えぬのはそのせいさ」
突然カッと目を見開く酷性。
「しかし! お前達の存在は、いかにも煩わしい! こうまでして、この私を妨げるのだからな! 人間如きが、自分の生命を見極めようなどとは――」
どす黒いその腕が、二人に差し向けられた。
「――小賢しいのだよ!」
(……くる!)
当然放たれてくる酷性の命術を支障すべく、涼輔は光壁を展開しようとした。
が、酷性の腕に宿った闇の力は、生じるや否や、パッと消滅してそれきりである。
「……?」
何と、酷性の命術は二人の足元に、いつの間にかひっそりと忍び寄ってきていた。
二人を取り囲むように床が円形に黒く澱んでいる。そこから、得体の知れない放電のような、しかし黒いスパークがバチバチと散っている。
背筋が凍るような狂気の気配を、涼輔は咄嗟に感じて取った。
(――まずいって!)
右側にいる美菜を抱えつつ、同時に転移して回避しようと試みた涼輔。
が、しかし。
転移が半ばの状態で、影の円陣は突然効果を発動した。
ドッと、地雷のようにそれは爆発した。
爆発という表現なのか、どうか。影は下から上に放射状に浮き上がり、あろう事か無数の小爆を繰り返していくのである。小爆といっても、その半径は小さくない。そして、容赦のない破壊力を秘めていた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
元いた位置から弾き飛ばされるようにして、二人の身体は持って行かれた。
転移で生じた異次元のフィールドが緩衝の役割を果たしてくれたため、命術の直接的なダメージは受けずに済んだ。
が、派手な爆発のあおりをくったまま、中途半端に転移してしまったから、その現出は悲惨であった。
ドカ、と壁に叩きつけられる涼輔と、床に打ち付けられた美菜。
二人共、たださえ身体に相当なダメージを抱えている。
にも関わらず、したたかに衝撃を受けては、たまったものではなかった。




