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降臨の章25 怨念(二)

 涼輔が左手をそちらに差し向けたままでいたのは、かなり奇跡的であった。

 光弾が今まさに彼をとらえようとした刹那、ぎりぎりのところで光壁は生まれた。

 が、不完全なままの光壁は、光弾の直撃こそ防いだものの、圧倒的なプレッシャーを散らすことまでは出来なかった。

 左手で光弾を支えたまま、涼輔の身体はぐっと後方に押されていく。

 彼は、すぐ背後にいる美菜の身を思った。

 光弾は人間の一人や二人は簡単に呑み込んでしまいそうな程に大きい。光壁が展開しきれていないから、黙っていれば光弾の余波は彼女に直撃してしまうことになる。


(……姑息な手を使いやがって!)


 涼輔は左手を前に突き出しているから、二時の方へ身体を開いている。

 美菜の守りに当てていた右手をさっと前に向けるや否や、彼はその手にありったけの生命力を吹き込んだ。腕全体が、たちまち白い光を纏った。命術を撃ち放って酷性のそれを霧散させ、急場を凌ごうとした。

 しかし。


「何――」

 彼の左手にかかっていた悪意の光弾は、突然アメーバのようにぐうぅっと左側へ方向を変え始めた。

 つまり、美菜に向かおうとしている。ここまで素直でない命術は、さすが涼輔といえども遭遇したためしはなかった。

 酷性の光弾は大きく、しかもその勢いは衰えていない。とても、片手であっさり展開した光壁などで防げるものではないと、涼輔は瞬時に判断した。

 光弾に半ばもっていかれるようにして左手を右側へ回し、同時に右手に溜めてあった生命力をそれにぶつけていく。

 一際激しいフラッシュが、美菜の目の前で起こった。


「……きゃっ!」


 思わず身を竦ませる美菜。


「……滑り込み、セーフ……」


 間一髪、美菜と禍々しい光弾の間に、真っ白なウォールが立ちはだかった。

 涼輔はといえば、そのプレッシャーに押されまくり、美菜よりも後ろに下がってしまっている。正面きって防ぐのならともかく、不規則不定期に捻じ曲がってくる酷性の命術は、とてもまともに支えきれるような代物ではなかった。

 恐るべき、負の執念の象徴である。


「……あ、浅香君?」


 ようやく、状況を理解した美菜。彼女の命綱を、涼輔が必死に握り締めているかのような格好である。

 光弾の威力は、なおも衰えない。


「その、まま……うご、く、なよ……」


 全身全霊で、光壁を支えている涼輔。

 少しでも気を緩めれば光壁は弾かれ、美菜に光弾が直撃するのは目に見えていた。


「あ、あ、あたし――」


 言葉にならないまま、何かを言いかけようとした、次の瞬間である。


「――正気か!」


 涼輔が叫んだ。

 美菜に向けられた一撃がなおも生きているのというのに、追い討ちの一弾が、今度は涼輔目掛けて放たれてきていたのである。

 がら空きになっている涼輔の正面。

 無情にも、酷性の命術は彼を外すことなくとらえていた。

 涼輔にしてみれば、自分で回避できない美菜を庇うべく彼女側に光壁を集中させるのが、精一杯だった。

 彼の手から生じている光壁は、ちょうど美菜の手前で十時の方向を向いて展開している。手の数がもっとあれば別であろうが、これ以上涼輔にはどうすることもできない。強いて彼は、美菜へのそれを緩めることなく、なおも強力に展開させ続けた。

 追い撃ちの一撃は美菜を掠め、背後に直行していく。

 霊魂のように覇気なく鈍い光球は、いきなり空中でパッと幾つかに分裂し、速度をゆるめることなく涼輔に向かって突進した。

 相当にダメージが効いてきている彼には、咄嗟にそれを防ぐこともかわすことももはやままならなかった。


「……!」


 何とか回避しようとした体制のまま、無情にも酷性の命術がヒットした。

 肩、腕、胴、脚と、瞬く間に貫通していく。

 瞬間、身体が持って行かれそうになるのを、ぐっと涼輔は耐えた。打ち抜かれる瞬間、身体のあちこちで爆竹が鳴っている様な、激しい衝撃を感じた。

 物理的に刺された訳ではないから、穴こそ開かない。

 が、悪意と殺意が濃縮されたその光丸が抜け通った直後、その部位が激しく切り裂かれ、血を噴き出させた。

 フッと舞った血が、たちまち壁や床に散らばり、殺人現場のような見るもおぞましい光景を造り出した。


「……くっ、この……」


 涼輔はなおも踏ん張り持ち堪えようとしたが、さすがに力が奪い去られていた。傷口という傷口から、血と一緒に噴き出してしまっているのである。

 ほんの一瞬、気が遠くなるような心地がし、その途端に彼はがっくりと膝から崩れ落ちた。

 そのまま、倒れ伏した。


「あ、あさ、か……君?」


 顔から血の気が引いた美菜。

 彼女の傍で、涼輔が残した光壁と光弾とが相互に作用しあって、パァンと弾け跳んだ。本命が涼輔への一撃であったから、こちらの光弾は威力が落ちていたものらしい。

 しかし、美菜にはそんなことはわからない。意識は、傷ついて倒れた彼にだけ向けられていた。

 涼輔の限界と美菜の動揺にはお構いなしに、なおも事態は進行している。

 もはや狂気でしかない酷性に、遠慮も情けもあるものではない。

 容赦なく、とどめの一撃が放たれた。

 新たに酷性の全体から発されたそれは、光弾などではない。

 真っ黒い、闇のような球体である。軌道に従って、濁った赤色の尾を引いていた。涼輔の命術のように光速ではなく、ゆるゆると宙を流れながらこちらへと向かってきている。

 触れただけで生命力を吸い尽くされてしまいそうなその禍々しさに、美菜は身体が震えてくるのをどうしようもなかった。とても自分の力でどうにかできるような代物には思えなかった。

 が、しかし。

 重ねて負傷し倒れている涼輔が、自力で起き上がって回避できる余地は、どうみてもある筈がなかった。


(あたしは……あたしは――)


 どうしても、身体が、足が、動かない。

 迫り来る邪の生命力の凶暴さに圧倒され、明らかに生命が芯から怯えていた。

 美菜にはこれまでなかったことである。初めて幻魔衆と対峙した時にも、彼女は果敢に挑み、そして退けた。

 が、この酷性の、いかにも凶悪で執拗な生命悪の波動は、そんな彼女の生命にも簡単に作用しつつある。多少の心構えなどでは、人間は自らを律し続けることは不可能である。何も、真っ向から打ち破られるばかりではない。巧妙に、少しづつ、その内側に侵食し、気が付いた時にはもう毒されてしまっている、人間の生命悪は時としてそのようにして人間を退廃せしめていく。

 膝ががくがくと震え、力なく床に座り込んでしまった美菜。


(……駄目。あたしになんて、あんな、ヤバいもの防ぐことなんか――)


 言い訳のように心の内で何度も呟いていた。

 そうしている間にも刻々と、不気味な黒弾が迫ってくる。

 赤のような黒のような、もやもやと不定形に揺らめくその存在を、美菜は虚ろな目で見つめている。

 ふと、異空から舞い戻った恵の嬉しそうな表情が浮かんだ。

 浅香さんがずっとあたしのこと、庇ってくれたから――。

 そうだった。

 美菜の心の、どこか別の部分が、ぱちんと弾けた。

 妹を、恵を守ってくれた彼を、見殺しになど出来るものではない。ここで胸中に立ちはだかる壁を打ち破って助けなければ、いよいよ彼女はただの恩知らず、というだけではない。裏切りである。最も卑劣な、決して許されざる生命の働きである。


(……裏切り――)


 様々な思いが彼女の中で駆け巡っていく中、思いがけなくもその言葉だけが妙にはっきりと、心の中にずしりとした重みをもって、留まっていた。

 かつて、何よりも大切に思っていた人が、彼女にぶつけた突然の一言。

 お前の存在は、俺には必要ない――。

 美菜にとって何よりも辛いその言葉だけを残し、その人は姿を消した。

 それきり、彼女の前に現れることはなかった。またいつか、誰かに傷つけられることがただただ怖くて、いつしか彼女はとにかく自分を守る自分になってしまっていた。たった一人、無邪気に自分を慕ってくれる妹の恵にだけは心を許しつつも。

 過去に自分がされて最も悲しく、そして自分だけはするまいと心に固く誓っていた筈の、人間最低の行為、「裏切り」。その根源にあるのは、自分のことしか見えない、自分のためなら平気で恩をも忘れてしまう、卑怯、臆病という忌むべき生命であるといえる。その生命のために、この世の中でどれだけの数限りない悲劇が繰り返されてきたことだろう?

 それを、今、まさに自分が繰り返そうとしている。臆病という生命悪が狡猾にも、紛らわしい形をとって美菜の生命に付け入ろうとしていたのである。

 しかし、我が生命の働きを見つめ、そのことに気が付けたならば、決して生命は毒されてしまったりはしない。

 裏切り、という言葉が反芻された時、美菜はハッとした。

 同じ過ちを二度と、二度と繰り返させてはならない。

 例え、再び自分がそれを受けようとも、決して、自分がそれをすることは――。

 なのに、命を賭して恵と、自分を庇ってくれた、浅香涼輔に対して、今それをしてしまおうというのか? ここで彼を救えるのは、もはや誰もいない。いや、美菜本人しかいないのである。


(そう……そうよ! ここで彼を救えなかったら、その時あたしは――)


 生命を絶たれてしまう、という次元のことを思っているのではない。

 もはや、人として、あるまじき存在に成り下がってしまうであろう。そうなった時、果たして自分は恵に合わせる顔があるのか。いや、真っ当な人間であるといえるのか?例え言語に絶する苦痛を負い、あるいはこの場で彼女自身が喪われてしまったにせよ、貫き通すべきものを、彼女は覚知していた。


(あの人なんかのようには、断じてならないわ。あの人のようになんか……)


 その強い一念が彼女をして、咄嗟に果敢な行動を取らせた。

 この絶体絶命の中で、それだけの決意を復旧させることに成功した彼女の生命もまた、本来は根底に尋常ならぬ強靱さを備えていたといえる。


(……絶対に、やらせるものですか!)


 反射的に、床を蹴って飛び出していく美菜。

 酷性の凶弾の速度が遅かったのが、幸運であった。

 滑り込むようにして、宙を走る命術の前に立ち塞がった。すかさず、それを防ぐようにして、両手を思いっきり前に突き出す。


「こんのォ!」


 そんな気合をはしたないと思う余裕はなかった。

 ただただ、守らなければならないという意識が彼女の全身を満たした瞬間、奇跡は彼女に味方した。

 美菜の目一杯に広げられた十本の指という指先から一気に光が迸る。光はちょうど、酷性の命術を遮るように彼女の前面に展開し、一本一本が有機的に連携し合い結合しあってたちまち壁状を模した。

 間一髪、光のウォールは黒い波動を真っ向から受け止めた。

 衝突しあっている部分が凄まじく摩擦し、火花が断続的に散っている。その激しさたるや、ほとんど視界を奪われてしまった程である。

 押しつ押されつ、光同士の鍔迫り合いが始まった。


「……な、に? 双転の娘、光壁、だと?」


 驚きの色を隠せない酷性。フラッシュの向こう側から、例の不愉快な声が轟いた。

 が、仰天したのは涼輔も一緒であった。彼はぐっと頭をもたげ


「お、お前、光壁使えなかったんじゃ……」

「……知るもんですか。人間、必死になれば何だって出来るのよ!」


 無我夢中で酷性の術を防ぎながら、美菜が叫んだ。

 余裕こそ全くないにせよ、これまでにない闘気を漲らせて幻魔衆に立ち向かっている彼女の姿に、涼輔は言い知れぬ好意を覚えた。


「……それもそうだ」


 が、初めて駆使する光壁の術である。集中力が途切れかけてきたのか、次第に美菜が押され始めた。


「……!」


 彼は傷ついて体力を消耗していることすら忘れて跳ね起きると、素早く美菜の傍に駆け寄って援護するように光壁を展開した。

 弱まりかけた光が、再び強く輝き出した。

 もはや、生命力という、力と力のぶつかり合いである。

 瞬息でも気を抜いた方が、たちまちのうちに吹き飛ばされてしまうであろう。

 激しく体力を失っているであろう美菜を気遣って、涼輔は両腕に自分の意識の全てを集中させた。

 彼の全身から実体化した生命力が光と化して腕に集い、手の平から四方に放射されて一層激しくフラッシュする。しかしそれは、彼の全身の傷という傷から、更に出血を強いる結果にもなった。

 時々思い出したように血飛沫が飛び、床を紅に染め上げていく。

 それでも涼輔は光壁を弱めない。

 張り合うように、美菜もまた薄れかける集中力を必死に高めては、光壁を一段と厚くした。


「怪我人は休んでたら? このくらい、あたし一人で平気よ」


 美菜が皮肉交じりにからかった。

 微かに笑みを浮かべ、それに応じる涼輔。


「君だって、今は怪我人だろう」 

「……素直じゃないのね」

「……まぁな」


 その瞬間、二人の光壁は対峙している酷性の姿も捉えられない程に輝きを増した。

 自分と美菜の生命力が完全にシンクロした瞬間を、涼輔は見逃さなかった。


「――てえぇ!」


 刹那、彼は渾身の気合を込めて光壁を命術に転化させ、そのまま狙いもせずに撃ち放った。

 美菜のそれと完全に調和して一つになった巨大な涼輔の生命力は、酷性の術を中央から侵食し、微塵に弾き飛ばしつつ酷性目掛けて空間を走った。同時に、涼輔の血が夥しく吹き上がった。

 間合いは十分あった。

 しかし、光の力を帯びた命の波動は、恐るべき光速をして進んでいく。

 揺ぎ無い確固たる意志を秘めた、不退転の生命の象徴であった。

 自らの術が打ち消されたことに気付いた時にはもう、酷性が避ける余裕すらない間近なところまで光の弾丸は迫っていた。


「何ィ――」

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