10話 ヒーローの暗躍
まず聖女ではない。
この前提から入るなら、なぜあの大火事が一瞬で消えたのか。
それを解明するのが先だ。資料を見ながら、大神官――ユリウスは考える。
公爵令嬢は偽聖女であり、力を偽って、聖女になろうとしている。そしてアリアナを貶めようとしているという、彼女からの嘆願。
愛する女性の言葉を疑うわけにはいかない。
だから前提を崩すわけにはいかない。
が、いかに愛する女性であっても、それが彼女の思い込みによる過剰反応なら是正する必要もある。
過去――彼女は聖女の力で劇場の火事を鎮火した。
あの大規模な火事をだ。
そこから彼女は聖女として祀られるようになった。
――問題はそこから、彼女はほぼ家にこもり公爵令嬢としての権限で表舞台に出ていない。
ここで一つの疑問が生まれる。
それなら、アリアナの言う、彼女が聖女の座を取って代わろうとするという言葉に矛盾が生まれるのではないか――。
……そこまで考えて急に思考が途切れる。
(――今何を考えていた?)
とにかく、彼女は聖女ではない。聖女ではないとしたらどうやって力を偽ったのか。
(これは火事の現場を調べてみる必要がありそうですね)
そう思ってユリウスは歩き出した。
「現場を見たいですか」
「はい。火事のときの痕跡が、何かわかる形で残っていると助かるのですが」
ユリウスが訪れたのは、かつてリリーシャが火災を鎮めた劇場だった。
「ええ、ありますとも。聖女様が初めて奇跡を起こされた場所ですからね。鎮火した箇所の一部は、記念として手を入れず、そのまま保存してあります」
そう言って案内されたのは、火災当時の状態を残した区画だった。
「こちらです」
「調査のため、少し触れさせていただきます」
そう断ってから、ユリウスは慎重に区画へ足を踏み入れる。
煤で黒く汚れた木材。
同じく煤の付着した石壁。
一見したところ、不自然な点はないように見える。
だが――。
(……一部だけ、煤が流れ落ちたような跡がある?)石壁の一角。
そこだけ、まるで上から水が垂れたかのように、煤が筋状に薄くなっていた。
ユリウスは目を細める。
光魔法によって火を消したのなら、こんな痕跡が残るだろうか。
「火が消えたあと、改めて水をかけるなどの消火活動は行われましたか?」
「いいえ。私は当時、現場にいましたが、そのようなことはしていません。聖女様の光輝く聖女の力で消えたのです。本当に美しい光景でした」
と、うっとりした表情で話す。
(……やはり、不自然ですね)
ユリウスは懐からルーペを取り出し、煤の流れた部分へ近づける。
そして、石の表面をじっと観察した。
煤の中に、点々と小さな円形の跡が残っている。
液体が勢いよくぶつかり、細かな飛沫となって散ったような痕跡。
(……飛沫痕)
光魔法で鎮火したのなら、お互いのエネルギーを相殺して消したはずだ。
このような跡が残るはずがない。
――リリーシャ様は、私を聖女の座から引きずり下ろすために、聖女になりかわろうと策を弄しています。
今のうちに止めなければ、大変なことになってしまいます。
愛する女性の言葉が、頭の中に蘇る。
(……なるほど。どうやら、彼女の被害妄想というわけでもなさそうですね)
ユリウスは、もう一度石壁へ視線を戻した。
(これは、もう少し詳しく調べる必要がありそうです)
「木材のごく一部を持ち帰ってもかまいませんか?」
ユリウスが言うと、オーナーはにっこり笑い、「ええ、大神官様の希望なら」とにこやかに笑った。
***
「大神官ユリウスが私の事を嗅ぎまわっている?」
「はい。間違いありません」
リリーシャの自室。ソファに座りながら、リリーシャは従者から報告を受けていた。
「そう、ありがとう」
従者にシャランと金貨を渡す。
「彼が動いたとなると厄介ね」
そう言ってリリーシャは目の前のバラを握りつぶした。




