05 婚約者候補のご令嬢
歩くたび視線を集めるこの状況を何とかしたい。
「ディオン殿下、もう少し離れて歩きませんか」
僕の言葉を無視し隣を歩く銀髪の彼――ディオン殿下は、時々周囲に目線を向け、あたりを警戒しているようだった。
そのせいもあって、僕に話しかけてくる人は誰もいない。
話しかけてこないイコール話す必要がない! と、普段の僕なら喜んでいただろう。だが、ジゼルを突き落とした犯人を捜すうえで情報収集ができなければ意味がない。
早朝、ディオン殿下は宣言通り部屋まで迎えに来てくれた。鍵を閉めて寝たはずなのに、ノックもせずに入ってきたときは驚いたが、この人になにを言っても無駄なことに半日も経たないうちに気づいてしまってからはスルーしている。
第二王子を護衛のように従えているこの状況は嫌だ。いや、むしろこれじゃ婚約者みたいな……。
「もう少し背筋を伸ばして歩け。今のお前は、アルヴェス公爵令嬢だろう」
小言だけは多くて困る。
今日が始まってからまだ数時間も経っていないのに、何度ため息を飲み込んだか分からない。
教室に向かうまでに倒れてしまうんじゃないか。そう思うくらい心身ともに疲弊していた。
「ジゼル?」
リンと鈴を転がすような声が聞こえた。
名前を呼ばれ、顔をあげれば廊下の先にシアン色の髪が美しい少女が立っていた。彼女は僕の顔を見るなり近づいてきて、まるで幽霊でも見たような顔をする。
ルビーレッドの瞳が揺れ、少しきつく結ばれた唇が動く。
「え、と……」
「ごきげんよう。ジゼル嬢。今日は珍しい方と一緒にいるのね」
先ほどの動揺が嘘のようにニコリとほほ笑んだ彼女は、目を奪われるほど美しい挨拶をした。その所作と一切の妥協のない美貌から察するに、上位貴族であることが伺える。
ジゼルに話しかけてくる人は昨日もいたが、ここまで至近距離まで来た人は彼女が初めてだ。きっと気心知れた仲なのだろう。
「もしかして、風邪でも引いているのかしら。いつもの威勢がなくて、少し寂しいわ」
品定めでもするような目に心臓が跳ねる。
悪意、敵意……それに似たなにかを彼女の目から感じる。
なにか言わないと怪しまれる――そう思って口を開こうとすれば、グッと誰かに肩を抱き寄せられた。
「そうだ。すまない。レリア・ヴェルソー侯爵令嬢。アルヴェス公爵令嬢は朝から体調が悪いんだ」
「まあ、やはりそうなのね。ジゼル嬢、お大事に。ああ、それと、その髪型にあっているわ。いつもと違って」
一歩後ろに下がり会釈をした彼女は、踵を返し去っていく。
去り際、彼女のみせた鋭い目が頭から離れなかった。一体彼女とジゼルの間になにがあるというのだろうか。
そばで見ていたやじ馬たちも、一触即発の空気が消えると散り散りになっていった。
「ディオン、殿下……あり、ありがとうございます?」
「まったく、俺がいなかったらどうするつもりだったんだ」
返す言葉もありません。
僕がしゅんと頭を下げると、背中をべしっと叩かれてしまう。地味に痛いからやめてほしい。
「彼女は、レリア・ヴェルソー侯爵令嬢。お前の姉と同じ、俺の兄上の婚約者候補に挙がっているご令嬢だ」
思い出した。
ジゼルがよく僕に話してくれたご令嬢だ。
ヴェルソー侯爵家――確か、侯爵は宰相だったか。
実際にあったことがあるのは一度か二度。しかもまだ十歳そこらだったときだったから、顔を見てもすぐに彼女だとわからなかった。
シアン色の髪に黒いカチューシャ、どこか冷たいルビーレッドの瞳。前はよく笑っていたが、ジゼルの半歩後ろをついて回っていた少女だったはず。自信なさげな表情をしていた気もする。
彼女もまた、王太子殿下の婚約者候補だなんて。
昔の友は今の敵というやつか。彼女から感じた敵意は、婚約者の座は自分が貰うからなという宣戦布告的な意味が込められていたのかもしれない。
「髪型、おかしいか?」
「え? ああ、殿下がなんかしらないけどやってくれたやつですね」
スッと自分の髪に手を当てると、同じタイミングで髪の束を殿下がすくいあげた。ぎょっと目をむき、殿下を見れば「なんだ」と睨まれてしまう。
長い髪の手入れなどしたことがなかったから、寮の部屋を出る前、ディオン殿下にすべてやってもらった。寝癖で酷かった僕の髪を梳いてくれただけでなく、ヘアセットまで完璧にしてくれたのだ。あまりの器用さに目を見張ったほどだ。
姉がいつもどのような髪型で学園生活を送っているかわからない。でも、先ほどのレリア嬢の反応を見るにこの髪型は珍しいのだろう。
「彼女、どう思う?」
「どうとは? ああ、姉上を突き落とした犯人の候補ですか。同じ婚約者候補……だから。敵を排除しようって」
「よくわかっているじゃないか」
「……今のところは何とも。証拠もないですし、動機も」
ジゼルと肩を並べる婚約者候補だから、ライバルである彼女を始末しようと思った、というのは筋が通る。
しかし、わざわざディオン殿下を突き落とす必要はない。第一発見者であるが、その姿は見ていないはず。それにディオン殿下を襲うなんてリスクが高すぎる。
「殿下は、彼女に突き落とされたと思うんですか?」
「いや、わからないな。女性の力で俺を突き落とすのは難しいだろう。不意を突かれたが、その力は強かったように思う」
「そうですか……とりあえず、候補としてマークしておくべきですかね……あの、いつまで髪を触っているんですか?」
殿下は髪の感触でも確かめるように、にじにじと弄っている。
ジトっと見つめれば、今気づいたとでもいうようにこちらに視線を向けた。
「ほら、先ほどレリア嬢が言ってたじゃないですか。これじゃ、婚約者候補に挙がっているのに他の男に手を出すふしだらな女って思われかねません。姉の評価は落としたくないです」
「そうだな」
一言だけ言って手を離す。どことなく不満そうな顔をしていた。
「ヴェルソー侯爵令嬢と、アルヴェス公爵令嬢はクラスが違ったな。授業中関わる可能性はないだろうが、くれぐれもバレないよう気をつけろ」
「殿下のクラスは?」
「お前と違うが、今日は無理を言って一緒にいさせてもらうか」
「け、結構です!!」
目立つのはダメだ。よくない。
そばにいてくれるのは心強いが、注目を集めたら動きづらくなる。それこそ、婚約者候補なのに第二王子の彼と一緒にいたら変な誤解を生んでしまう。
悔しいが彼の提案を断り、教室まで送ってもらうことにした。案の定、教室の中にいた生徒たちに奇妙な目で見られてしまったが仕方がない。
いたたまれない気持ちのまま席につき、結局その日も昨日と同じように息を押し殺し生活することしかできなかった。




