03 なにこの人怖い
怖い。
「ひ……ぇ……」
「お前は誰かと聞いているんだ」
もう、落としてしまっていいだろうか。
少なくとも僕は、階段から落ちたこの人を助けた恩人のはずだ。
しかし、もちろん口が裂けてもそんなこと言えるはずもなく、生まれたての小鹿のごとくプルプルと震えるしかなかった。
「ぁの、放してもらっても、いいですか……」
「……喉仏があるな。お前、男か」
バレた。
襟元をきゅっと締めていたからバレないだろうと思っていたが、服の隙間から見えたそれを殿下は見逃さなかったらしい。
彼は驚いたように目を見開くと、意外にもすぐに手を離してくれた。
「シリル・アルヴェス公爵子息か」
「え?」
「あぁ?」
なぜ今睨まれたのかはわからないが、この人はどうやら僕のことを知っているらしい。ドスの効いた声に委縮してしまう。
「なんで、わかったんですか?」
「ジゼル・アルヴェス公爵令嬢と魔力の波長が似ている。変装魔法で姿を偽っているみたいだが、そうでなくとも顔の作りや髪の色が彼女とそっくりだ。それと、彼女には双子の弟がいたはずだ」
「はあ」
光の速さで分析されたので正直驚いてなにも言えなかった。
生返事をすればまた睨まれてしまう。
「俺は間違ったことでも言ったか?」
「い、いいぇ! でも、なんで、僕がジゼ……姉上じゃないって」
「アルヴェス公爵令嬢が昨日の今日でここに来れるはずがないからな」
「ま、まさか貴方が突き……」
「俺が彼女の第一発見者だ。彼女が倒れたところに来たときにはすでに犯人に逃げられたあとだった。彼女の体裁もあるだろうし、ことを大きくしないようにと学園側に根回しをしたのは俺だ」
道理で目撃者がいなくて大事になっていないわけだ。
王族の命令とあれば学園側も従うしかない。そこに、父上も加わって……といったところか。
しかし、まさかこの人が第一発見者だったなんて。
「犯人は見ていないんですよね」
「そう言っているだろう」
「……じゃあ、なんで貴方は」
犯人を見ていれば、そいつが口封じのために殿下を襲うことにも納得がいく。だが、殿下は犯人を見ていない。
でも、明らかに似た手口で襲われているから同じ人間の犯行とみてもいいだろう。放課後、人気のない廊下、階段……あまりにも条件が一致している。
「現場検証をする必要があった。だからここに来た……が、不意を突かれて……情けない話だな」
「姉上が襲われたのはその階段だったんですか」
僕が視線を移せば、殿下は軽く頷いた。
自らその現場に足を踏み入れ、同じ手に引っかかったと。ただ、この人も馬鹿じゃないはずだ。となると、相手が一枚上手。どうやらこの調査は、一筋縄ではいきそうにないようだ。
状況整理のために思考を巡らせていれば、執拗以上に見つめる彼の視線に気づいてしまった。
「……な、なんですか。人のことじろじろと見て」
「先ほどはかなり取り乱していたようだが、今は怖いくらいに冷静だな」
「え? ああ、はい。まあ……とっとと解決したいですし」
「アルヴェス公爵令嬢のためにか?」
「……貴方には関係ないでしょう。うちで待ってる魔法植物が心配で」
僕の言葉に「ん?」と首をかしげた殿下は、また目つきを鋭くさせる。
「というか、あの、そろそろ下ろしていいですか?」
「そういえば、そうだったな。身体強化魔法か。あの一瞬でよく発動できたな。しかも、変装魔法を自身にかけた状態での魔法の上乗せ……同時に風魔法を発動させ、その精度・熟練度ともに宮廷魔導士しかそれ以上だ」
「殿下は魔法の分析がお得意なんですねー」
「褒めていないだろう。心が籠っていない」
別に褒めたわけじゃない。
殿下に指示されながら彼を床に下ろし、掴まれた襟を直す。僕が本当に女性だったらどうするつもりだったんだ。
殿下もパッパッと服についたほこりを払い、着崩れた制服を正していた。
絶妙な沈黙が流れる。今すぐこの場を離れたかった。
「助けてくれたことには礼を言う。俺じゃ魔法の発動が間に合わなかったからな」
「そうですか。それはよかったです。では、僕はこれで……」
そそくさとその場を離れようとすると「待て」と耳を貫くような声と共に、ドンと壁際に追いやられてしまう。左耳の真横に大きな手があり、背中の壁側からパラパラと何かが崩れるような音が聞こえてきた。
顔をあげれば、端正な顔がそこにある。さすがは王族、顔の作りが神様自ら携わったような美しさをしている。
「まだなにか」
「俺もアルヴェス公爵令嬢を突き落とした犯人を捜している。お前もそうなんだろう。手を貸せ」
「脅迫ですか。それとも、命令ですか」
僕の言葉に、また殿下は瞬きをする。
父上は、ジゼルの件にディオン殿下が関わっていることを知っているはずだ。直接伝えなかったが、もしかすると協力しろということなのかもしれない。それにしては、あまりにも偶然過ぎる出来事だったけど……。
殿下の瞳を見ていると、拒否権はなさそうだ。
それに、僕一人で解決できるとは到底思えない。この人の力を借りたほうが早く犯人を捕まえられるかもしれない。
でも、一つ気になることがあった。
「殿下はなぜ犯人を捜しているんですか?」
「俺は、アルヴェス公爵令嬢が倒れているところを発見した第一発見者だ。すでにこの件に関わっていると言っても過言ではない。それに、犯人を野放しにしておくのは危険だ。俺も今さっき突き落とされたからな。この屈辱は必ず……」
やっぱり怖い人だ。
真っ当なことを言っているのだが、私怨も混ざっている気がする。
壁ドンしていないほうの手は握り込まれており、血管がはちきれんばかりに浮かんでいた。
「愉快犯なのか、計画的犯行だったかはわからない。ただ、このままでは次の被害者……ないしはまたアルヴェス公爵令嬢が狙われるだろう。もしかすると、婚約者候補である彼女を潰す作戦かもしれん。卑怯な手で婚約者の座を勝ち取ったやつを兄上の側に置けないだろう」
「そうだろう?」と、圧をかけられたので全力で首を縦に振る。
確かに、そう考えればジゼルが狙われる理由にも納得がいく。
僕が考え込んでいると、ちらりと殿下は階段のほうを見やった。
「俺も一人よりかは心強い。かの有名なシリル・アルヴェス公爵子息の協力を得られるとは運がいい」
「協力するとは言いましたっけ!? その殿下の手となり足となり動くのは……うわあっ!?」
いきなり両手を伸ばしてきたかと思えば、あっという間に担がれてしまった。僕は十七歳の平均体重よりは軽いが、そんな軽々と肩に担がれるほどの重さはしていない。
「で、殿下、僕をどこへ連れていくんですか?」
「俺の部屋だ」
どうして!?
じたばたと暴れてみたがものすごい安定感だ。
殿下は僕を肩に担いだまま歩き出す。一応今はジゼル……女装しているからスカートの中身がみえそうで困る。レディを運ぶように扱って欲しい。だってこの現場を見られたらあらぬ誤解を生んでしまうだろうから。
僕は再度暴れてみたが、ディオン殿下に「暴れるな」とペシンと尻を叩かれてしまい、それ以上抵抗することを諦めた。
助けた人に誘拐されるなんて意味がわからない。
階段に差し込む光は先ほどよりか細くなっており、そこに落ちた影が一瞬揺らめいた気がした。




